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2014/07/04

歴史を歩く26

<インドの古典文明その1>

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インダス川周辺の遺跡、都市の位置一覧

(1) インダス文明

 四大文明の1つであるインダス文明は、紀元前2300年頃から紀元前1800年頃迄、インダス川下流のモヘンジョ・ダロとパンジャーブ地方のハラッパーを中心に栄えた都市文明です。
当時、インダス川の中・下流域には約60の都市が存在したと云われています。

 1920年インド人考古学者サハニが、仏教遺跡を発掘中にハラッパー遺跡を発見し、次いでイギリス人の考古学者マーシャルは1922年にモヘンジョ・ダロ(「死人の丘」の意味します)を発掘し、遺跡を発見しました。

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モヘンジョダロ遺跡

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ハラッパー遺跡

 その後の発掘調査により、モヘンジョ・ダロからは都市計画に基づいて造られた整然とした都市の遺跡が発掘され、東西南北に直角に交差する広い街路、焼いた煉瓦でつくられた家屋、作業場、穀物倉庫、大浴場などが点在し、特に排水路が完備していたことは驚きでした。
青銅器、彩文土器、印章なども出土し、そして印章や粘土板には文字が刻まれていました。
いわゆるインダス文字(約400種類)と呼ばれるこの文字は未だ未解読です。

 インダス文明には西アジア、特にメソポタミア文明の影響が強くみられ、既にインドと西アジアの間で経済的・文化的な交流があったことが伺えます。

 インダス文明には謎が多く、このすぐれた文明の担い手が未だ明らかになっておらず、現在は南インドに分布するインドの先住民の一つであるドラヴィダ人であろうと考えられています。
更に突如として滅びていく滅亡の原因もよく分かっていません。
インダス川の氾濫によるとする説、インダス川の流路が変わったことによるとする説、気候の変化による乾燥化を原因とする説、そしてアーリヤ人によって破壊されたとする説など諸説が存在しますが、未だ推測の域を出ていません。
いずれにせよ紀元前1800年頃から急速に衰退が始まり、やがて滅亡し、そしてこの文明の存在も忘れ去られ、それ以後のインド文化にも影響を与えていないのです。

(2)アーリヤ人の侵入

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 中央アジアを原住地とするインド・ヨーロッパ語族の東方系、インドやイランに移動して定住した人々はアーリヤ人(高貴な人の意味)と呼ばれます。
彼らは紀元前2000年頃から移動を開始し、氏族・部族単位で紀元前1500年頃迄にカイバル峠を越えて、パンジャーブ地方(インドの北西部、インダス川とその4つの支流によって形成される河間地方で五河地方と呼ばれる)に波状的に侵入・定住していきました。
彼らは先住民(ドラヴィダ人等)を征服して奴隷とし、農業と牧畜を行うように成ったのです。

 農業・牧畜を行う様になったアーリヤ人は太陽、空、山、河、雨、雷等の自然と自然現象を神格化し、これを崇拝しました。
神々への賛歌や儀礼をまとめた文献がヴェーダで、最古のヴェーダである「リグ・ヴェーダ」は神々への賛歌を集めたもので、紀元前1200年から紀元前1000年頃に形作られます。
他に賛歌の旋律を述べた「サーマ・ヴェーダ」、祭式の実務について述べた「ヤジュル・ヴェーダ」、呪術について述べた「アタルヴァ・ヴェーダ」が在ります。
ヴェーダを根本聖典とし、バラモンが祭祀を司ったバラモン教が成立し、司祭者であるバラモンの力が強まっていきました。

 アーリヤ人は紀元前1000年頃から鉄の農具と武器を使い始め、ガンジス川流域に進出するようになりました。
ガンジス川流域は肥沃な平野で、現在では米作の中心地ですが、当時は樹木が繁茂し、虎などの猛獣、毒蛇、猛暑、熱帯病等が人々を脅かしたに違い在りません。
その意味でも鉄器の使用によって初めてガンジス川流域への進出が可能になったと思われます。
そしてガンジス川流域への進出と共に農業生産が高まり、商工業も発展し、村落は都市へと発展し、多くの都市国家が興り、その抗争の中から小国家が形成されて行きました。

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カースト制度の概念

 このような社会の発展とともに、階級の分化が進みました。
社会の変動とバラモン教が結合して、司祭者であるバラモンを最高位とし、クシャトリヤ(王侯、貴族、武士)、ヴァイシャ(庶民、農民や商工業者)、そしてシュードラ(奴隷、大部分は被征服民)という4つの身分を区別するヴァルナ(種姓)制度が、紀元前9世紀頃に成立しました。

 ヴェーダのなかに「創造神の口からバラモンが、両腕からクシャトリヤが、両眼からヴァイシャが、そして両足からはシュードラが生まれた」とあり、ヴァルナ制度はバラモン教、後にはヒンドゥー教と結びついてインド社会に定着して行ったのです。

 この4つのヴァルナは、社会生活の複雑化、職業の細分化とともに、新しいカーストを生じ、現在では約3000あると言われており、これをインドではジャーティと呼びます。

 ジャーティは生まれを同じくする集団の意味で、職業・出身地・言語等による小集団で、カーストとも呼ばれますが、カーストは16世紀に来航したポルトガル人が用いたポルトガル語のカスタ(家柄・血統)に由来します。

 カースト制度のもとでは、職業は世襲です。
各カーストの間には上下・貴賤の別があり、結婚は各カースト内で行われ、飲食も同じカースト内で行われるなど種々の厳格な規律があり、インド社会の近代化を妨げました。

 カースト制度に関するもう1つの大きな問題は、カーストの外におかれる賤民の存在です。
彼らはパリア(ハリジャン)、アウト・カースト、不可触賤民とも呼ばれ、厳しい差別を受け、雑役・清掃・皮革業などの最下賤な職業に従事しました。
現在3000万人以上の人口を要すると云われ、彼らは見ても触れてもけがれるとされ、ある時代の、ある地方では鈴をつけることを強制され、戸外を歩くときは裸でなければ成りませんでした。
服を着ていると他人の衣服に触れる可能性が高いからです。

ジョークは如何?

ソ連時代の話

「君のお父さんは、いつ帰ってくるんだい?」

「僕のお父さんは、宇宙飛行士だから、3日後に帰ってくるよ」

「じゃあ、お母さんはいつ帰ってくるんだい?」

「買い物に出かけたから、いつ帰ってくるかわからないよ」


続く・・・

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コメント

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学校で良くならったものだ

ヽ(^▽^@)ノいつもありがとうございます
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こんばんは

モヘンジョ・ダロは、死人の丘の意味ですか。
荒れた地にあるのでしょう。
関心はありますが、おそらくは一生行くことがない場所に思えます。

こんばんわ

OKITEGAMIが作動しなくなりました。どうもどこかおかしく不具合発生でしょうか。コメントこんな形でしか遅れなくなりました。宜しくお願いします。