2014/07/08

歴史を歩く27

<インドの古典文明その2>

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十六王国の位置概念

(3) 新宗教の成立

 紀元前7世紀頃、ガンジス川流域を中心に有力都市国家が出現し、所謂十六王国時代に入ります。これ等の小王国では、形式化した儀式を行うバラモンよりも、現実的な政治・軍事力を持つクシャトリヤや経済力を持つヴァイシャの力が強まり、バラモンの権威が揺らいできます。
バラモンの横暴に苦しんでいたクシャトリヤやヴァイシャは、この様な新しい時代に適応する新しい考え方が求められるように成りました。
こうした状況の中から現れて来た宗教が、ジャイナ教と仏教なのです。

 当時、祭式万能の形式主義に陥っていたバラモン教への反省と批判のなかから、紀元前7世紀頃に、内面的な思索を重視する最古の哲学とも云うべきウパニシャッド(奥義書と訳される、バラモンの哲学書)が発展します。
ウパニシャッドでは祭式の根本意義、宇宙の根本原理、解脱への方法が追求され、宇宙の根源であるブラフマン(梵)と人間存在の根本原理であるアートマン(我)は一つである(梵我一如)と説き、梵我一如によって輪廻から解脱できると説きました。

 ヴァルダマーナ(紀元前549年頃~紀元前477年頃)は、シャカと同時代の人物で、北インドのクシャトリヤ(貴族)の家に生まれ、30才で出家し、10年以上の苦行の末悟りを開きます。
彼はマハーヴィラ(大勇士)、ジナ(勝利者)とも呼ばれ、彼の教えはジナの教えの意味でジャイナ教と呼ばれました。

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ジャイナ教・サモウシャラン図

 ジャイナ教は、霊魂を清く保つ為には物質を遠ざけることが必要であるとして、不殺生を初めとする五つの戒律を遵守し、厳しい苦行を行えば霊魂は浄化され、解脱できると説きました。
ヴァルダマーナは厳しい戒律と苦行によって誰でも解脱できるとし、バラモンの権威とカースト制を否定しました。
又その極端な不殺生主義(彼らは道を歩くとき、小さな虫をも殺さぬようにほうきで道を掃き、また呼吸によって虫を吸いこんで殺さぬようにマスクをして歩いた)の為に、主として商工業者(ヴァイシャ)階級に信仰された。現在も数百万人の信者が存在しますが特に金融業者が多い様です。

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手塚治虫・ブッダよりガウタマ・シッダールタ

 ヴァルダマーナと同じ頃に、ガウタマ・シッダールタ(紀元前563年頃~紀元前483年頃)が仏教を開きました。
彼は釈迦牟尼(シャカ族の聖者)、仏陀(悟った人)、世尊、釈尊とも称され、彼は現在のネパール・ヒマラヤ山麓のカピラヴァストゥで、シャカ族の王子として生まれました。

 父はシャカ族の王、母マーヤーは彼の死後7日目に亡くなり、叔母に育てられた。何不自由のない環境のなかで育ち、17才で結婚し男児にも恵まれ幸せな生活を送っていのですが、城外に出て人間の老・病・死の実際を見て(一説には不可触賤民の生活を見て)、無常観にとらわれ、29才で突然全てを捨てて出家しました。
断食を初めとし、あらゆる苦行を行ったものの悟りの境地に達する事が出来ませんでしたが、35才のときブッダガヤの菩提樹の下で瞑想の末、ついに悟りを開きます。

 ベナレスで初めての説法以後、80才で入滅する迄ガンジス川流域を中心に布教活動を行い、多くの弟子を得ましたが、弟子にはあらゆる階層のカーストの人々が含まれていたのです。

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釈迦・涅槃図

 彼の説の中心は四諦説と八正道です。
四諦説は当に哲学で、四諦とは四つの真理の意味で、苦諦・集諦・滅諦・道諦を云い、苦諦とは人生は生・老・病・死の四苦を初め苦の連続であるという真理を云います。

 では何故人間に苦が生ずるか、それは我々人間が無常のものに執着することにより煩悩(欲望・愛執)に捕らわれてしまうからです。
煩悩のなかで根本的なものが、貪(貪欲)・瞋(怒り)・痴(無知)です(集諦)。
それでは如何にすれば苦から開放されるか、その為には煩悩を捨てされば良く(滅諦)、そして我々凡人でも煩悩を捨て去ることができる方法として八正道(正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の8つの正しい生活の法)の実践をシャカは説きました(道諦)。

 彼は八正道を実践すれば誰でも悟りの境地(解脱、人生の苦を超越すること)に達する事が可能で、悟りの道は全ての人に平等に開かれているとして、カースト制を否定しました。
この為クシャトリヤやヴァイシャが多く信奉しましたが、特にクシャトリヤの支持を受け、そして後にマガダ国の保護を受けて、インド全域に、更には東南アジア・東アジアに広く伝播してその文化に大きな影響を及ぼし、現在も世界三大宗教の一つとして多くの人々に信仰されているのです。

(4)ヒンドゥー国家と古典文化

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最盛期のグプタ朝版図 

 3世紀になるとクシャーナ朝は衰退し、北インドは分裂状態に陥りました。
4世紀前半、嘗てのマウリヤ朝の都であったパータリプトラのグプタ家(ビハール州の藩王の家)のチャンドラグプタ1世(在位320年~335年頃)がビハール州で台頭し、ガンジス川中流域を征服して、「諸王の大王」と称し、分裂状態にあった北インドを再統一し、グプタ朝(320年頃~550年頃)を開き、パータリプトラを都としました。

 彼は自らが即位した320年2月26日を紀元とする「グプタ紀元」を創設しましたが、この「グプタ紀元」は北インドで以後500年間にわたって使用されます。

 チャンドラグプタ1世を継いだサムドラグプタは領土をパンジャーブ地方に迄拡大し、第3代の王チャンドラグプタ2世(在位376年頃~414年頃)は、更に領土を拡大し、デカン高原を除くほぼ全域を支配下に置き、グプタ朝の最大領域・全盛期を現出しました。

 チャンドラグプタ2世は「武勇の太陽」と名乗り、中国ではその漢訳である「超日王」の名で知られています。
 
クシャーナ族をはじめ、インドに於ける全ての外国人勢力を追い出したグプタ朝のもとでは「インド人のインド」という民族意識が盛上り、グプタ朝はマウリヤ朝の復活を理想としました。
チャンドラグプタ2世の時代にインド古典文化の復興傾向が強まり、インド古典文化は黄金時代を迎え、サンスクリット文学も栄えます。
サンスクリット語は梵語と訳されますが、古代インドで使われた文語であり、俗語に対する雅語に相当します。

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ドフシャンタ王とシャクンタラー

 インドのシェークスピアと今日でも賞賛されるインドの文豪カーリダーサは戯曲「記念の指輪によってめぐりあったシャクンタラー」(たんに「シャクンタラー」とも)によって世界的に有名ですが、彼はチャンドラグプタ2世の宮廷に仕えていた人物でした。

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ラーマーヤナよりラーマとシータ、猿王ハヌマーン

 又インドが世界に誇る二大叙事詩である「マハーバーラタ」・「ラーマーヤナ」(どちらもサンスクリット語)が完成したのもグプタ朝の時代でした。 
「マハーバーラタ」・「ラーマーヤナ」の原形は紀元前4世紀頃迄に形成されますが、題材・背景となっているのは紀元前10世紀頃のバーラタ族の戦争(マハーバーラタ)、コーサラ国の王子ラーマの数奇な運命(ラーマーヤナ)で、活躍する人物はすべてクシャトリヤ(王侯・武士)で、統一以前小国分立・抗争の時代に於けるクシャトリヤの活躍、台頭が反映されています。

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マハーバーラタよりクリシュナ

 「マハーバーラタ」・「ラーマーヤナ」で活躍するクリシュナ(マハーバーラタ)とラーマ(ラーマーヤナ)は共にヒンドゥー教の創造神ヴィシュヌの権化とされているところから、この二大叙事詩はヒンドゥー教の経典とされ、インドは勿論、後にヒンドゥー教が伝播する東南アジアの人々にも愛誦されました。
カンボジアのアンコール・ワットの回廊の浮き彫りに描かれ、インドネシアのバリ島の影絵の題材にも使われています。

ジョークは如何?

ソビエト広場である男が叫んだ
「スターリンは大マヌケ~!」
すぐに当局者が駆け付け彼を連行した
「お前の罪状は二つ。同志への侮辱罪と、国家機密を漏洩したことだ」

続く・・・

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コメント

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こんばんは

仏教はその後の広がりもあり、実に深い世界を築きました。
それを思うと、ガウタマ・シッダールタの決断は偉大です。