2014/07/13

歴史を歩く28

<インドの古典文明その3>

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シヴァ神とパールヴァティー

(4)ヒンドゥー国家と古典文化②

 グプタ朝のもとで「インド人のインド」という民族意識が隆盛し、インド古典文化が復興したことは宗教面でも大きな変化を生み出しました。

 特に特筆すべきは民衆の間でヒンドゥー教の信仰が拡大し、仏教信仰が急速に衰えたことなのです。
ヒンドゥー教は古代インドの宗教でカースト制とも結びついたバラモン教を継承し、諸地方の民間信仰や、仏教の影響も加え、様々な神々や考え方を吸収し融合して成立した宗教であり、特定の開祖・教義・経典はなく、インド人の独特の思考様式・生活様式・社会習慣の統合した宗教であると説明され、其れは当に「インド人の宗教」であり、我々には理解しがたい宗教であると言うしか在りません。

 ヒンドゥー教は多神教で無数の神々が信仰されているが、そのなかで特に信仰を集めているのが二大神である護持神のヴィシュヌ、そして破壊神のシヴァです。
シヴァは舞踏・性力の神でもあり民衆の間で特に信仰され、創造神のブラフマンも有力な神として崇められています。

 ヒンドゥー教には特定の教義は存在しませんが、霊魂は不滅であり、善い行為には善い報いが、悪い行為には苦の報いがあるとする、因果応報の思想と人間は永遠に生まれ変わり死に変わる輪廻転生の思想は多くの宗派に共通した教義です。
そして、輪廻転生から逃れるには凡ゆる修行を行い、神に縋って輪廻を断ち切ることによって解脱(さとり)の境地に入ることができると信じることも共通した考えです。

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シヴァとヴィシュヌ

 「マヌの法典」はそれ以前の法典を集大成して、紀元後200年頃迄に成立しました。
12章2685詩句から成り、人々の宗教的義務や日常生活の規範が述べられていますが、全編にわたって4つのヴァルナ(カースト)の差別とバラモンの特権的地位を強調している為、カースト制度と深く結びついたヒンドゥー教の経典としての役割をも果たしました。
このインド人の生活指導書とも言うべき「マヌの法典」は、近年までインド人はもちろん東南アジアでも尊重されたのです。

 グプタ朝の時代、ヒンドゥー教の台頭によって民間の仏教信仰は急速に衰えました。
 
 ヒンドゥー教が人々の生活に密接に結びついていたのに対し、仏教の寺院は僧侶の修行の場であり、教義の研究の場であって、民衆との結びつきが殆んど無かったことが大きな原因とされています。
この為、民衆の間では仏教は衰えましたが、仏教教義の研究は依然として盛んでした。

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ナーランダ僧院遺跡

 ナーランダ僧院は、5世紀にグプタ朝のクマラグプタ1世が僧院を建立して以来、仏教教学の一大中心地として発展し、玄奘や義浄等の中国僧をはじめアジア各地から僧侶が集まりました。
玄奘(「西遊記」の三蔵法師のモデル)が6年間を過ごした7世紀前半には約1万人の僧侶が研究に励んでいたと云われています。

 仏教美術の面では、クシャーナ朝時代に栄えたギリシア的な仏教美術であるガンダーラ美術に変わって、純インド的仏教美術であるグプタ様式(グプタ式美術)が完成し最盛期を迎え、にアジャンターやエローラの石窟寺院の仏像や仏画は有名です。

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アジャンター石窟・第26号窟

 有名なアジャンターの石窟寺院は、紀元前3世紀頃から紀元後8世紀頃にかけて、タプティー川の支流に臨む玄武岩丘陵の中腹を掘って造られた29の石窟に僧院が造営され、多くの仏像が刻まれ、壁に仏画が描かれました。
6世紀から7世紀の壁画が多く、その中にはグプタ様式の代表的な作品が多く含まれています。
その画風は中央アジア・中国を経て日本に伝わり、法隆寺金堂の壁画の観音菩薩像はアジャンターの流れを汲むものとして有名です。

 4世紀前半以来、100年余にわたって繁栄したグプタ朝も、5世紀後半には支配下の諸勢力が独立の気運が高揚し、更に中央アジアで強大となった遊牧騎馬民族であるエフタルの侵入を受け、次第にインド北西部の領土を失い、6世紀に入ると領土はビハールとベンガルの北部のみとなり、550年頃に終に滅亡しました。

 グプタ朝の滅亡後、北インドには小国が分立し、こうした状況の中でハルシャ・ヴァルダナ(在位606年~647年)の父と兄はガンジス川の上流域で勢力を伸ばし、西北からガンジス中流域に進出を試みましたが、兄はベンガルの王によって打ち破られます。
ハルシャはその後を継いでガンジス流域を中心として北インドを統一し、カナウジ(カンヤクブジャ)を都として、古代インド最後の強力な統一王朝であるヴァルダナ朝(606年~647年)を築きました。

 ハルシャ王は、当初ヒンドゥー教(シヴァ神)を信仰したのですが、後に熱心な仏教徒となり、国内に多くの仏塔・伽藍を建立し、仏教を保護しました。
彼は文人としても優れ、3編のサンスクリット語の劇を残こしており、学問・芸術を保護した結果、宮廷を中心に文芸が栄えした。

 唐僧、玄奘がインドを訪れ、ナーランダ僧院で学んだのもこのハルシャ王の時でした。
玄奘の旅行記「大唐西域記」(これを元に後に小説化したのが「西遊記」)にハルシャ王は「戒日王」の名で登場します。

 しかし、ヴァルダナ朝はハルシャ・ヴァルダナ一代で終焉を迎えます。
王の死後、王国は急速に崩壊し、インドは再び分裂状態に陥り、やがて8世紀以後はイスラム勢力の侵入を受けることになるのです。

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西遊記より玄奘三蔵

ジョークは如何?

 ヒットラーとゲッベルスが占領後のパリ上空をヘリコプターで視察していた。二人はフランス人の抵抗を最小にする方法について討論していた。金をばらまくのはどうだ?

ヒットラーが言った。「このヘリから百マルク札を撒けば、拾った一人は大喜びするぞ。」

ゲッベルスが言った。「それより、十マルク札を十枚撒けば、十人が喜ぶでしょう。」

操縦士がつぶやいた。「この二人をばらまけば、一億人が大喜びするだろう。」


続く・・・
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コメント

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シブア神良いね

今日もよろしくお願いしますo(^▽^)o 
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 素敵な一日でありますように

こんばんは

ナーランダ僧院で学ぶ玄奘。
想像できそうでできないのは、西遊記の虚構がイメージの邪魔をするからでしょうね。