2014/08/04

歴史を歩く33

<9黄河文明④>

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戦国の勢力分布

3 春秋戦国と鉄器の普及その2

 戦国時代が何時からかについても諸説が存在しますが、一般的には春秋時代の強国であった晋の六卿(六つの大臣の家)であった韓氏、魏氏、趙氏が晋を3分して自立し、周王室から正式に諸侯として認められた紀元前403年から紀元前221年迄を戦国時代と呼んでいます。
戦国の名称は「戦国策」に書かれている時代に由来しています。

 戦国時代になると、春秋時代迄は衰えてはいましたが、尚も尊ばれていた周王室は全く有名無実化し、周辺の諸侯が強大化し、彼らは公然と王と称して、覇権をめぐって抗争するようになりました。各国は自国領土の拡大を目指して富国強兵に努め、その為に優れた人材を集めようと試みます。
この為実力主義の時代へ、そして下剋上の時代へと移り変わって行きますが、前述の晋が3人の有力な家臣に国を奪われた出来事は当に下剋上の典型でした。

 こうした状況のなかで、春秋時代には200を数えた国が、次第に併合され、戦国時代には7つの有力な国家に統合されて行きます。
7つの有力な諸侯国を「戦国の七雄」と呼び、東から燕、斉、韓、魏、趙、楚、秦の7カ国と成ります。
 
七雄を中心とする激しい抗争の中で、紀元前4世紀に入ると、まず魏・韓・斉等が強盛と成り、更に紀元前4世紀中頃からは秦が勃興していきます。

 秦は、当初甘粛省東部に位置し、紀元前8世紀に周の諸侯と成り、その後渭水(黄河の支流)に沿って東方に進出して行きますが文化も遅れていた後進国でした。
その後進国の秦が、紀元前4世紀の孝公(在位紀元前361年~紀元前338年)の時代に、逃亡してきた衛の国の公子商鞅(しょうおう)を用いて改革(変法)を行い富国強兵に成功し、一躍強国へと躍進していきました。

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 商鞅の変法

 商鞅は国の経済の基盤を農業におき、農地の開拓を押し進め、人民を5家・10家の単位に分け、治安維持に共同責任をとらせます(什伍の制)。
郡県制を採用し、従来の貴族による土地所有・支配を廃止して国の土地とし、中央政府の官吏を派遣して統治させ中央集権化を推進しました。
又これ等の政策を実施する為に厳しい刑法を定めました。

 孝公の死後、商鞅はその反対派に反乱を企んでいると訴えられ国を追われる身と成りました。
国境の関所の宿屋に泊まろうとした際、「商君(商鞅のこと)の法によると、旅券のない者を泊めると、私も同罪になりますので」と断られ、商鞅は「ああ、新法の弊害は、ついにこの身に及んだか」と溜息をついて立ち去り、後に捕らえられて車裂きの刑(左右の手足を2台の車に結びつけ、その車を左右に走らせて四肢を引き裂く極刑)に処せられました。

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蘇秦

 秦の強大化・東方への進出は、中原の諸国にとっては脅威の何者でもありません。
中原の六国が互いに争っていたのでは、秦に対抗できない事は明らかでした。
この時、六国が連合して秦に対抗する政策、合従(がっしょう、縦に連合する意味)策をもって諸侯を説いたのが蘇秦(?~紀元前317年)でした。
彼は洛陽の人で若い時代雄弁術を学んだのですが、貧困から郷里に帰り、親戚から嘲笑されました。発憤した彼は「錐股(すいこ)」(眠気を覚ますために、錐をもって股を刺して一心に勉強すること)して勉強を続けたのでした。

 そして六国の諸侯に 「六国が連合すれば、国土の面積は秦の5倍になり、軍隊の数は10倍になる。連合して秦を攻めれば必ず勝てる。それなのに秦に臣として仕えているのは何事か!」と説いて、ついに紀元前333年に六国の連合を成立させ、六国の宰相と成りましたが、後に張儀の連衡策が成立すると、斉で刺殺されてしまいます。

 蘇秦の合従策を破り、連衡(横に連なるの意味)策を成立させたのが張儀(?~紀元前309年)でした。
彼は魏の人で若いとき蘇秦と同じ先生に学びました。
諸侯に遊説して回った際、楚の大臣の家でご馳走に成りました。
その時、宝玉が盗難に会い、粗末な身なりをしていた張儀が疑われさんざん鞭打たれました。
家に帰ると妻から「貴方が本ばかり読んで勉強したり、遊説しなければ、こんな辱めを受ける事がなかったのに」と嫌みを言われましたが、彼は「俺の舌を見てくれ、まだあるか」と尋ね、妻が「まだある」と返事すると、「舌さえあれば十分だ」と答え、又遊説に飛び出していきました。

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張儀

 張儀は「六国が同盟しても秦には勝てない。それより秦と同盟を結び、その援助を受ける方が得策である」と説き、蘇秦の合従策を壊して行きました(紀元前311年)。
やがて秦の大臣に就任しますが、後に連衡も破れて失脚し、魏に逃れて落命します。

 戦国時代になると戦闘の様子も大きく変わってきます。
従来は貴族を主とする戦車戦が中心でしたが、戦国時代には歩兵の占める役割が増大し、武器も鉄製の武器が広まり、大きな弩(いしゆみ、ねじのような仕掛けで弓を引き絞って発射するので、貫通力が高まった)も発明されました。
更に趙の武霊王が北方の遊牧民と戦う中で、北方遊牧民族の騎馬戦術を取り入れますが、これにより戦争の様相が一変してきます。
そして各国が動員する兵力も30万人を越え、春秋時代では大国の兵力が15万人位で、 普通は2,3万人と云われていましたが、当然死傷者の数も飛躍的に増加して行きました。

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戦国時代の戦闘

 紀元前259年、秦は趙を攻めて、40万人の趙兵を穴埋めにしました。
秦はますます強盛となり、紀元前256年に周を滅ぼし、その後、秦により韓・趙・魏・楚・燕・斉の順に六国を滅ぼし、紀元前221年に初めて中国全土を統一したのは始皇帝の時の事でした。

 春秋時代の末期から戦国時代にかけて、中国の社会が大きく変化した時期でもありました。
中国史の上で、社会が大きく変化する時期が3回あります。
1回目は春秋時代の末期から戦国時代であり、2回目は唐末から五代十国の時代(8世紀後半から10世紀前半)、そして3回目は20世紀の初め清朝の滅亡から中華民国の成立の時期に成ります。

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刀貨と布貨

 春秋時代の末期から戦国時代にかけて中国社会が大きく変化した最大の理由は、中国で鉄器が使用されるようになった事でした。
中国では錫の産出が少なく、銅と錫の合金である青銅器は貴重品で、主に祭器・武器に使われ、農具としては使用されませんでした。
従って春秋時代に成っても農具は石器・木器でしたが、紀元前6世紀から紀元前5世紀頃、鉄の製法が西方から伝わると、鉄の生産は急激に増大していきました。
しかし、鉄の生産には大量の木炭が必要な為、多くの木が切られた結果、華北一帯の緑が失われていったと云われています。
多少の困難は在りましたが、鉄の生産が行われるようになりますが、初期の鋳鉄は脆く武器に適さなかった為、主に農具に使用されました。

 戦国時代には鉄製農具が一般に普及するようになり、又牛に犂(すき)を引かせる牛耕農法が発明されたことと相まって、農業生産力が急速に増大しました。
鉄製農具の使用により、1つは従来より遥かに土地を深く耕す事が可能と成り、深耕によって作物の出来が良くなり、単位面積辺りの収穫量が増えた事、2つ目は大規模な荒れ地の開墾や治水・灌漑用水路を引く事が容易に成り、耕地が飛躍的に増大しました、
これによって農業生産力が大いに高まり多くの農作物が取れるようになると、余剰が生じこの余剰農産物は当然自分の必要な物と交換されるようになり、交換経済が始まってきます。
最初は小規模で物々交換であったと思われます、
やがて規模が大きくなり、商業が盛んとなり、交換の手段として貨幣が使われるようになってきます。

 貨幣経済の発展は益々商業を、そして鍬・鎌等の農具や陶器を生産して販売して生計を立てる手工業者も現れ、更には商人や手工業者の住む都市が発展し、中国社会は大きく変化して行きました。

 貨幣として古くは貝貨(東南アジアで取れる子安貝など)が使われてきました。
その為経済に関係のある漢字には貝扁の文字が多く、貨・債・財・賃・買・貯・費・預等、沢山あります。
ところが貨幣経済の発展と共に、大量の貨幣が必要となり、新しく青銅貨幣が登場してきます。
特に有名なのが刀の形をした刀貨と農具の犂を形取った布貨です。
刀貨は主として燕・斉等で使用され、布貨は韓・魏・趙等で使用され、その他に楚で使われた蟻鼻銭(ぎびせん)や秦などで造られた中央に丸い孔(のちに四角の孔になる)のあいた環銭等が在りました。

 商工業や貨幣経済の発展は王侯と並ぶほどの富を持った富豪を生み出し、従来の農業を中心とする社会では土地が最大の財産でしたが、商工業の発達は貨幣という新しい財産形態を生み出しました。又各地に大都市が出現し、春秋時代の大都市は人口5万人程度でしたが、戦国時代になると商工業の発達により農村の人口が都市に集中し、斉の都の臨淄は人口50万人以上の世界的な大都市でした。趙の都の邯鄲(かんたん)も大都市として有名です。

 こうした社会の変化の中で、周代の封建制度を初めとする古い制度は崩壊し、それまで公有であった土地は私有となり、後に大土地所有者である豪族を生み出すことになります。

◎ジョークは如何?

 ソ連のラジオ放送は三つのカテゴリーに別れている。
すなわち、「真実」「たぶん真実」および「真実でないもの」である。
第一のカテゴリーは時報、第二は天気予報、そして第三カテゴリーには他のすべてが含まれる。

続く・・・
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ここでもきょうだいがあらそうことがあるんだろうか

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