2014/08/07

歴史を歩く34

アメーバブロクの皆さんへ。
今週になりアメーバブロクに接続出来なく成りました、種々対策を試みていますが、今だに接続が不可能です。
何とか、復旧したいと考えておりますので、宜しくお願い致します。


<9黄河文明⑤>

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諸子百家

4 古典思想の開花

 春秋末から戦国時代にかけて、中国社会は大きく変化しました。
そのなかで古い秩序は崩壊し、新しい時代にあった秩序・思想が求められます。
又諸侯は各国の富国強兵を図り、有能な人材を求め、更に実力主義の風潮が広まる中で、多くの思想家・学派が現れ、多くの書物が著されました。
これらを総称して「諸子百家」と呼び、諸子の子は一家の学説を立てた人の尊称で先生を意味します。 男子の尊称として使用され、日本にも取り入れられました。
小野妹子(初めての遣隋使)等はこの例です。
但し、日本では後に女子の名前に使われるようになりました。

 百家の百は多いの意味、家は学派を意味しており、諸子百家のなかで特に重要なのが儒家・墨家・ 道家・法家の4つの学派です。

 諸子百家の中で、以後の中国のみならず、朝鮮・日本等の東アジアの歴史に大きな影響を及ばした学派が儒家で、孔子を祖とする徳治主義に立つ学派です。

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(1) 孔子

 孔子(紀元前551年頃~紀元前479年)は、春秋末の魯(周公の子孫が封じられた国)の曲阜の人です。
孔子は魯の国の祖先である周公旦を理想の人物として尊敬し、魯に伝わる周の制度・文物を学び、 周公がつくった周の制度を復興し、周の礼に帰ることで当時の混乱の世を救おうとしました。
54歳の時、魯の司寇(司法をつかさどる大臣)となり、国制改革に取り組むのですが豪族の反対によって失敗に終わり、紀元前497年頃に衛・陳・蔡・楚等の諸国を巡遊したものの、孔子の政治理念は理解されることは無く、その実現を断念して帰国、以後は弟子の教育と古典の整理に専念しました。

 孔子は混乱した社会秩序(礼)を回復する為に周の礼に帰ることが必要であり、その為には個人の道徳(仁)の修養が必要であると考えたのです。
そして、「修身・斉家・治国・平天下」(天下を 治めるには、まず自分の身を修め、家庭を平和にし、国を治めれば、天下は治まるの意味)を説いたのです。
平和な天下を実現する根源は、一人一人が身を修め、立派な人間になる事、「修身」とは、「仁」という徳を身につける事であると説きました。

 有名な「論語」は、弟子達が孔子の言行を記録した書物ですが、その中にも「仁」という言葉が盛んに使われています。
孔子は弟子の質問に対して様々な言葉で説明しています。
或る箇所では「忠恕」と言う言葉で、又「孝悌」と言う言葉で説明しているのです。
忠恕は真心と思いやりの心、孝は親孝行、悌は兄又は年上の人に使えて従順な事、意味は親孝行をし、兄弟仲良くし、思いやりの心を持つ事が仁の徳の基本であると云う事で、一人一人が仁の徳を身につければ、その集まりである家庭はうまくいく、そうすれば家庭の集まりである国が、そして天下がうまく治まると説いているのです。

 孔子の考えは、徳をもって天下を治めるという徳治主義ですが、春秋末から戦国時代と云う軍事力で覇権を握ろうと考えている諸侯に受け入れられませんでした。
孔子の弟子は3000人と云われ、これはもちろん誇張でしょうが、多くの弟子達によって孔子の思想は受け継がれて行きました。
孔子の弟子の曾子は、その学を子思(孔子の孫)に伝えたのです。

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(2)孟子

 その子思の門人に学んだ人物が、孔子の教えを継承して大成したとされる孟子(紀元前372年頃~紀元前289年頃)です。
孟子が幼少の頃、厳格な母の躾を受けた話は有名ですが、墓の近くに住んでいた時、孟子が葬式の真似をして遊ぶので、母親は市場の近くに引っ越しました。
ところが今度は 商人のまねばかりして遊ぶので、再び引っ越し、今度は学校の近くに住んだところ、孟子は熱心に勉強するようになったと云います。
これが有名な「孟母三遷」の教えです。

 子思の門人に学んだ後、梁・斉・宋などの諸国を遊説し、王道政治を説いたが受け入れられず、晩年は隠退して弟子と政治や人間について問答し、その言行を集めた書が四書の一つの「孟子」です。

 孟子は、人間は誰でも他人の悲しみを見過ごすことの出来ない同情心(人に忍びざるの心)を持っており、よちよち歩きの子供が井戸に落ちそうになっているのを見れれば誰でも助けるであろう、 つまり全ての人間は生まれつきよい心を持って生まれてきていると説きました。
有名な孟子の性善説で、生まれつき持っている人に忍びざるの心(惻隠の心)、羞恥の心(羞悪の心)、謙遜の 感情(辞譲の心)、善悪を判断する心(是非の心)は、それぞれ仁、義、礼、智の徳の基である(この思想は四端説と呼ばれる)とし、特に仁・義の徳を重視しました。

 孟子はその思想を発展させ、仁・義の徳を備えた立派な人物が支配者となって政治を行なえば理想的な政治が実現できるという「王道政治」を唱えました。
天子(天帝の子の意味、皇帝)は、天帝(中国人は天帝がこの宇宙を支配していると考えた)の命令によって天下を治めているのですが、若しその支配者が徳を失えば、別の徳を備えた立派な人物(有徳者)が天命を受けて新しい王朝を開くと云う「易姓革命」の思想を唱えたのです。

 現在、社会主義国家を中心に良く使用される「革命」と云う言葉はここに由来しています。
革命は命(天命)が革(あらたまる)の意味で、「易姓」は姓が易(かわる)の意味で、王朝の交替によって支配者(皇帝)の姓が変わることを意味しています。
孟子が活躍したのは戦国時代の中頃にあたり、「王道政治」と云う徳治 主義の思想は当時の諸侯に受け入れられるはずが在りませんでした。
しかし、「易姓革命」の思想は以後の 中国の歴史の中で大きな役割を果たす事に成ります。

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「孟母三遷」より

ジョークは如何?

あるユダヤ人がさまざまな苦労の末やっとニューヨークに移り住んだ。
彼はすでに一年前に亡命してニューヨークに住んでいた友人のユダヤ人をたずねたら、驚いたことに壁にはヒトラーの肖像画がかけられていた。
「どうしてあんなものがかけられているんだ?」

「ホームシックにかからないようにするためさ。」


続く・・・


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コメント

非公開コメント

No title

諸子百家、日本にも大きな影響を与えていますよね。
儒家の考えは、現代でも役立つものが多く、
物事に迷った時の参考になると思います。
私自身、孔子曰くの「仁」の徳が身につけば、
上手く変わっていくと思うのですが、
なかなかそうはいきません^^;

戦いの利用されたのが残念だ

( ノ゚Д゚)こんにちは
本日も 笑顔と 思いやりと
勇気でー 楽しく 過せます様に
今日もよろしくお願いします
   + +
 +     +
   ∧_∧ /
+  (n´∀`n ォハョ-
  /  ノ \
 +(__)_)+