2014/08/11

歴史を歩く35

<9黄河文明⑥>

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諸子百家の系図

4 古典思想の開花その2

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荀子

(3)荀子

 戦国末期の荀子(紀元前298年頃~紀元前235年)は趙の国に生まれ、学問修業を続け50歳過ぎて初めて遊説し斉に仕え、後には楚に仕えました。
荀子は孔子の説を継承しましたが、孟子の性善説に反対して性悪説を唱えます。
「人の性は悪にしてその善なる者は偽なり(人の生まれつきは悪で、善は後からの作為的な矯正に よるものだ)」と述べ、人間は生まれつき自分の利益を追求する傾向が在り、又嫉(ねた)み、憎みの傾向がある、だからそのままにしておくと必ず争い、奪い合うことになり、世の中は混乱に陥ると主張しました。

 その為、礼による教化が必要であり、礼によって社会秩序や道徳を維持し、混乱した社会を再建しなければ成らないと説きました。
荀子が強調する礼は、法に近い部分に言及しており、後の法家思想に大きな影響を及ぼしており、法家の代表的な思想家である韓非・李斯は荀子の門下なのです。

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墨子

(4)墨子
 
 儒家の思想を批判し、儒家から攻撃された墨子(紀元前480年頃~紀元前390年頃)を祖とする学派が墨家で、墨子も孔子と同じ魯の国に生まれました。
彼も最初は儒家の思想を学んだのですが満足出来ず、儒家を去って一派を開きます。
墨家の墨は入れ墨の意味で在り、古来、入れ墨は刑罰の1つで徒刑者は顔に入れ墨されました。
墨家思想に勤倹節約が在りますが、彼等はぼろを纏い、夜も昼も休まずに働いたその有様が、徒刑者の様な暮らしを連想させる為、何時しか墨家と呼ばれるようになったと言われています。
墨家思想の中で特に注目されるものが「兼愛」と「非攻」です。

 墨子は儒家の仁愛は家族愛であり、自分の親や兄弟に向けられる愛であり、不徹底な愛であり、差別愛であると批判し、家族愛を越える無差別平等の愛を説きました。
これが兼愛で、更に「我が身を愛するように他人を愛し、我が家を愛するように他家を愛し、我が国を愛するように他国を愛していけば、世界は平和になる」と説きました。

 兼愛思想は、当然のことながら、国家間の戦争を否定する反戦思想に発展していきます。
人間を人間として愛していくと言う兼愛を否定し、人間が人間を殺し合うのが戦争です。
一人の人間を殺しても死刑に成るが、戦争では何千人・何万人と殺して賞賛される様な戦争は罪悪だと主張します。
但し、墨子は戦争に反対しましたが、防御の戦争・自衛の為の戦争はやむを得ないものとし、その為の 軍備も認めました。
つまり自分の方からは絶対に戦争を仕掛けない、それを「非攻」と名付けたのです。

 当時にあっては異端とも言うべき、特徴ある思想を展開した墨家は孟子の頃にはとても盛んでしたが、支配者にとっては都合の悪い思想である等の理由からか、秦・漢以後は全く衰微していきました。

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老子

(5)道家思想

 道家は老子を祖とする学派です。
老子については孔子と同時代の人と考えられていますが、その実在を疑う説もあります。
老子は儒家や墨家の説を人為的な虚礼を説くものとして否定しました。

 「大道廃れて仁義有り」(本当の大道が廃れると仁とか義とかが取沙汰される)、「六親和せずして孝慈あり」(親子・兄弟・夫婦の六親の間に不和が生じてくると、初めて親孝行とか慈愛とかが取沙汰される)「国家昏乱して忠臣あり」等の有名な言葉でこの事を述べています。

 老子は孔子の云う親孝行や墨子の云う兼愛等、人間として当たり前のことであり、それをわざわざ「仁」とか「孝」とかと騒ぎ立てることは無く、それらは全てわざとらしい人為的なものであるとして否定したのでした。

 老子は宇宙の根源・宇宙を動かす力を道と呼びました。
道は知性や感覚では捕らえる事の出来ないものであるとして無とも呼び、私達人間はこの道=無の前ではまったく無力で在り、何事にも小賢しい人為・作為を弄せず、偉大な絶対的な道に逆らわず、素直に従って生きる事、この事を「無為自然」と云う言葉で表し、之こそが人間の理想的な生き方であると考えました。
そして柔和でへりくだり、人と争わない心を持った少数の人々が住む小国家、「小国寡民」こそが理想の社会であると考えたのです。

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荘子

 老子の思想を継承発展させ、道家の思想を確立したのが荘子(紀元前4世紀頃)です。
荘子は宇宙を動かす偉大な力である道は、比喩で直感的に捕らえるしかないと考え、「北の冥(うみ)の魚、名は鯤(こん)、鯤の大きさ幾千里かはかり知れぬ。変じて鳥となる。名を鵬(ほう)という。鵬の背中は 幾千里かはかり知れぬ。」は荘子の著書の「荘子」の中の有名な一説です。

 更に荘子は、道は絶対・無差別であると説き、自然のままの世界では一切の対立・差別がなく、全てが同一であると説きました。
「荘子がある時、夢の中で胡蝶となり、楽しく飛び回った。やがて夢から覚めた時、荘子が夢の中で胡蝶になったのか、胡蝶が夢の中で荘子になったのか分からなくなった」と云う有名な「胡蝶の夢」でこのことを比喩的に説いています。
そしていっさいの欲望や 知から自由になり、無心・無我となり、自然と一体になることが理想的な生き方であると説いたのです。

 道家の思想は老子と荘子の名前を取って老荘思想とも呼ばれ、後に神仙思想や様々な民間信仰と 融合して道教となり、民衆の中に深く浸透し、中国人の思想に大きな影響を及ぼしていくことになります。

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韓非

(6)法家

 法家は他の学派が説く礼や道徳は、実際に国家を統治していく上では無力であると考え、法を重んじ信賞必罰に基づき、君主に権力を集中して国家を統治して行くことを説いた学派です。
管仲を祖とし、秦で改革を行った商鞅や韓非(韓非子)(?~紀元前233年)、李斯等が有名です。

 法家思想を大成したと言われるのが韓非で、彼は韓の王族として生まれ、李斯と共に荀子に学びました。
韓ではしばしば王を諫めたが用いられず、学問に打ち込み「韓非子」(55編)を著し、後に秦に使いし、李斯に計られて自殺します。
彼は乱世にあっては仁義礼智等の徳では支配出来ず、法律や刑罰を重視し、それによって悪人を取り締まらないと世の中は治まらないと主張しました。
法家思想は秦の始皇帝に採用され、李斯は宰相として秦の統一事業を実施していくことと成ります。

(7)その他の学派

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孫子(赤い着物の人物)

 この儒家・墨家・道家・法家の他にも多くの学派が現れました。

 兵家は用兵や戦術を説いた。
孫子・呉子等が有名で、孫子は呉の闔閭・夫差に仕えました。
「彼を知り己を知れば、百戦殆(あや)うからず」、「其の疾(はや)きこと風の如く、其の徐 (しず)かなること林の如く、侵掠は火の如く、動かざること山の如し」等の言葉はよく知られています。 後者の言葉から取った「風林火山」は武田信玄が旗印に掲げた言葉として有名です。

 前述した合従策を唱えた蘇秦と連衡策を説いた張儀に代表される外交策を講じた人々は総称して 縦横家と呼ばれます。

 農家の許行は、君主も民も平等に農耕に従事し、勤労により天下平等であるべきことを説いたが、 この平等思想は彼の死後消滅します。

 公孫竜に代表される名家は、名(言葉)と実(実体)の関係を明らかにしようとする論理学派で、 原初的な弁論術や論理思想が見られますが、後には言葉の概念に囚われ、「白馬は馬にあらず」(白い馬は白い馬であって馬とは違うの意味)等の詭弁に陥いりました。

 陰陽家は陰陽五行説を説く派であり、鄒衍(すうえん)は陰陽説と五行説を集大成した代表的な 陰陽家とされます。
陰陽説は自然及び社会のあらゆる現象を陰と陽で説明する説で、五行説は木・火 ・土・金・水の運行によって万物の変化を説明する説です。
 
陰陽家は天文・暦学に通じ、天体の運行によって起きる現象と人間生活の関係を結びつけて説明しようとした結果、迷信や禁忌とも結びついていきました。
特に陰陽五行説は、後世迄中国人の生活・思考に深く溶け込んで大きな影響を及ぼすことになります。

 この時代には「詩経」や「楚辞」等の文学作品もまとめられました。
 「詩経」は中国最古の詩集で、後にいわゆる「五経」の一つとされ、地方の民謡や周の祭祀 ・儀式の歌等から成り、主に黄河流域の歌が集められています。

 戦国時代の楚の王族であった屈原(紀元前340年~紀元前278年)は王のもとで内政・外交に活躍していましたが讒言によって退けられ、都を追放され、流浪のうちに祖国の滅亡を前に投身溺死したといわれ、詩人としても有名ですが、この屈原らの詩を集めた文書が「楚辞」です。

ジョークは如何?

ヒトラーが星占い師の判断を借りて、政治や作戦の決定を動かしたことは有名である。
ある日、ヒトラーが星占い師に尋ねた。

「私はいつ死ぬだろうか?」

「総裁、あなたはユダヤ人の祭りの日に死ぬことになります」

と星占い師は答えた。ヒトラーはすぐに大きな机の上に乗っているベルを押した。親衛隊の将校服を着た秘書が転げ込んで来て、踵を合わせた。

「ハイル・ヒトラー」と叫んで、右手を上げた。

「すぐにユダヤの祭日の表を持って来い」と、ヒトラーは叫んだ。親衛隊の将校は足が床に水平になるように交互に上げて歩きながら、執務室を出て行った。暫くすると表を持って来た。

「我が総統よ、これがユダヤの祭日です」

ヒトラーは眼鏡をかけて暫く眺めてから、ホッと息をついた。祭日はこんなに少ないのか。

「この日には護衛を百倍にしろ」

彼は安堵した。

「総統」と、星占い師はたしなめた。

「ご安心なさってはいけません。いつお亡くなりになっても、その日がユダヤの祭日になります」

ちなみにこのジョークは、映画「聖なる嘘つき」の冒頭で、主人公(ロビン・ウィリアムズ)によって語られています。

続く・・・

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