2014/09/15

歴史を歩く44

10 北方民族の活動と中国の分裂②

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江南地方の風景

2 五胡十六国と南北朝その2

 一方、江南では司馬睿によって建国された東晋(317年~420年)が約100年間続き、この間華北の五胡十六国の戦乱を避けて、華北の漢人の貴族、豪族をはじめ多くの農民も江南に移住してきました。この為、江南の人口は急激に増加し、華北との人口比率もほぼ1:1に成りました。

 華北を五胡に奪われ、江南に移住、定着した漢人は江南の開発を進めた結果、三国の呉以後、長江の中・下流域では土地の開墾、灌漑用水路が引かれ、耕地が拡大し、水田耕作が普及して農業生産力が急速に増大したことにより以後、中国の経済の中心は江南に移っていくことと成ります。

 東晋の皇帝は、華北から移住してきた名門貴族と土着の豪族との対立、調整に苦心しました。
東晋では皇帝の力が弱く、華北の名族出身の王氏や桓氏の政権争いが続き、その間北方の五胡の侵略にも苦しめられ、特に前秦の苻堅の南下は最大の危機でしたが、淝水の戦い(338)でこれを撃退しています。

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劉裕後の武帝(在位420年~422年)

 東晋末期に道教教徒の孫恩が指導する民衆の反乱が起こり、これに乗じて軍閥の桓玄が帝位簒奪を試みましたが、軍人の劉裕(356年~422年)が桓玄を討って安帝を復位させ政治の実権を掌握します。
後に安帝を暗殺し恭帝(東晋11代、最後の皇帝)を擁立、翌年に禅譲によって帝位につき、建康(現在の南京)を都として、宋(420年~479年)を建国し、宋の武帝(在位420年~422年)と成りました。

 宋は、439年に華北を統一した北魏の圧迫を受け、やがて皇族、武将の反乱が続く中で武将の蕭道成(しょうどうせい)が実権を握り、順帝から禅譲を受けて斉を建国、宋は8代約60年で滅びます。

 斉(せい、479年~502年)も皇族の蕭衍(しょうえん)に国を奪われ7代で滅びました。

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蕭衍後の梁、武帝(在位502年~549年)

 梁(りょう、502年~557年)の創始者である武帝(蕭衍、在位502年~549年)の48年間にわたる治世は南朝及び南朝文化の最盛期でしたが、末年に侯景(東魏の武将、梁に帰属したが、後に反乱を起こし、建康を陥れ、国号を漢と称し、後に敗死)の乱が起こり大打撃を受け、武帝の死から僅か8年後に武将の陳覇先に滅ぼされます。

 梁を滅ぼし、陳(557年~589年)を建てた陳覇先(ちんはせん、武帝、在位557年~559年)は微賤の出でしたが、侯景の乱に功があり、後に禅譲を受けて即位します。
陳は5代続いて隋に滅ぼされ (589年)、その滅亡によって南朝が終わり、隋による中国の統一が達成されたのでした。

 宋、斉、梁、陳の4王朝をまとめて南朝(420年~589年)と呼び、華北で興亡した北魏以後の5王朝と江南の4王朝が併存し、対立した時代を南北朝時代(439年~589年)と呼びます。

 後漢が滅び、三国が分立した時代から隋によって統一されるまでの約370年間を魏、晋、南北朝時代(220年~589年)と総称します。

3 大土地所有の発達

 中国では、大土地所有制が漢代から盛んとなり、広大な土地と多くの奴婢(奴隷)や小作人を使って耕作させる豪族が各地に現れました。

 彼等は、前漢の武帝の時代に始まった郷挙里選と呼ばれる官吏任用制を利用して官職を独占するようになり、経済的、社会的のみならず政治的にも力を持つようになり、地方の実力者と成っていきます。

九品中正
九品中正法の概念

 豪族は後漢末から魏、晋、南北朝を通じて、各地で益々力を強め、三国の魏の文帝は、豪族の子弟ばかりが推薦される等の弊害が目立ってきた従来の郷挙里選に代わって九品中正と呼ばれる官吏任用制を始めます(220年)。

 九品中正(きゅうひんちゅうせい)は中央から任命される中正官と呼ばれる役人を州郡に置き、中正官が郷里の評判によって人物を九品(9段階)にわけて中央に推薦し(これを郷品(きょうひん)という)、中央では郷品に基づいて相応する官職に任命するという官吏任用制で、魏、晋、南北朝を通じて行われました。

 郷品に基づいて相応する官職に任命するやり方とは、官職を上・中・下に分け、更にその中を上・中・下に、計9段階に分ける、そして上の上を一品とし、下の下を九品とした。そして丞相や大将軍を一品とし、大臣級は三品、地方長官は四品と決めておき、三品に推薦された者は4ランク下の七品の役に任命され、累進すれば最後は三品の役に就くようにしました。
尚ここから上品、下品の語が生まれたと言われています。

 この九品中正の鍵を握るのは中正官です。
彼等がしっかりした人物評定をすれば、優れた人物がふさわしい地位・官職に就けるのですが、そこに賄賂や情実等が入り込み、人物評定が正しく行われないことになれば本来の役割を果たさなくなってしまいます。
ところが当時は豪族の全盛時代で中正官に就任する人物は、殆どその地方の豪族であった為に、結果的には豪族の子弟が上級官職を独占する事となりました。

 「上品に寒門なく、下品に勢族なし」という有名な言葉が有りますが、寒門は貧乏で社会的に無力な低い家柄のことであり、勢族は有力な豪族の意味なので、つまり貧乏で低い家柄の人はどんなに才能があっても上品に推薦されず、従って高い官職につけない、下品に推薦されている人の中には勢族の人は見あたらない、豪族の子弟は才能がなくても上品に推薦され高い官職に就くことが出来た、豪族が高級官職を独占した様子をなげいた言葉なのです。 
この様にして中央に進出して政治的権力を握り、上級官僚の地位を世襲的に占めるようになった豪族達を、この頃から貴族と呼ぶ様になりました。
魏、晋、南北朝から次の隋、唐の時代は当に貴族の時代であったのです。

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屯田制(イメージ)
  
 後漢末から五胡十六国時代の戦乱や豪族による土地兼併によって土地を失った農民は流民となって各地を彷徨い、或いは豪族の奴婢と成って行きました。
このことを放置すれば、国家が直接支配する土地と人民を減少させ、軍事面での破綻や税収の減少にともなう国家財政の破綻を引き起こすことになるので、各王朝は何とかして豪族の大土地所有を抑えようとして様々な対策を行ったのです。

 三国の魏は屯田制を実施しました。
屯田制は国家が耕作者の集団を置いて官有地を耕作させる制度で、軍屯と民屯があります。
軍屯はおもに辺境の軍隊が食糧を自給する為に、兵士とその家族が耕作する方法であり、民屯は農民に官有地を耕作させる方法でした。
魏の曹操は一般の農民を招いて耕作させ、収穫の5~6割を納めさせ、これは魏の有力な財源となり、魏の経済力を増大させたのです。

 西晋は占田・課田法を採用します。
これは武帝が呉を滅ぼして天下を統一した直後(280年)に発布した土地制度で、占田は土地所有の最高限度を定めたもので、男子70畝、女子30畝とされましたが、官人には官職や位階(一品から九品)に応じて50頃(けい、1頃は 100畝=約5.5ha)から10頃の所有が認められました。
課田は農民に官有地や戦乱による無主の土地を割り当てて耕作させたものといわれています。
占田・課田法については内容や実施の程度などはよく分かっていませんが、大土地所有の制限と税の確保を目的としたものであることは間違いないでしょう。

 東晋に始まり南朝で行われた政策に土断法があります。
これは当時、華北の戦乱を逃れて多くの農民、流民が江南へ移動してきたものの、彼等は戸籍につかず、租税を納めず、豪族の私有民(奴婢)となる者が多かった為、彼等を現住地の一般の戸籍に登録させた政策でした。

 北魏では均田制が行われ、第6代皇帝の孝文帝が実施した均田制は、土地所有額を制限し、国家の土地を貸し与え、国家による土地と人民の支配および税収の確保を図った制度でした。
北魏が与えた土地には露田(穀物を栽培する土地)、麻田(麻を作る田)、桑田(桑を植える田)があり、露田と麻田は死亡又は70歳で返還しなければ成りませんでしたが、桑田は世襲され、丁男(15~69歳)には露田40畝、麻田10畝、桑田20畝が支給されました。

 尚、北魏では妻(丁男の半分が支給された)、そして奴婢(丁男と同じ)や耕牛(1頭につき30畝、4頭まで支給)に迄、土地が支給された結果、豪族には大変有利な政策だったのです。

 均田制によって土地を支給された均田農民には租(穀物)・調(特産物)・役(労役)の税が課せられました。
良く知られているように、この北魏の均田制は隋、唐に受け継がれて行くことになりますが、各王朝が行った大土地所有抑制政策は、国家が農民を確保するにはある程度役に立ったのですが、豪族の大土地所有を抑制するうえではほとんど無力で効果はなく、豪族は前述の九品中正を利用して中央政界に進出して政治的権力を握り、貴族階級を形成していくことに成ります。

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江南地方の風景②

ジョークは如何?

国会の答弁が面白くなかった時にウイスキーを飲んでいて、見つかった時にチャーチルは

「こんなくだらない議論より私は国家に貢献している。何よりも酒税を払って。」

と話した。


続く・・・

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コメント

非公開コメント

均田制もう整っていたのですね

(^_^)/お早うございます
元気に暮らしてますか?
今日もよろしくお願いします
   ∩_∩
  (#´・ω・) 。◯  
#゚+。∪⌒∪⌒Y⌒Y⌒Y⌒。+゚&