歴史を歩く50
11東アジア文化圏の形成④

玄宗皇帝と楊貴妃
4 唐の盛衰(その3)
睿宗は2年後に、位を皇太子の李隆基に譲り、李隆基は28歳で即位しました。
李隆基こそが中国史上有名な皇帝である玄宗(685年~762年、唐王朝6代、在位712年~756年)で、玄宗は、翌年、年号を開元(713年~741年)と改めました。

玄宗
玄宗は、即位すると名臣、賢臣の助けを得て、不要の官職を除く等の官僚機構の整理を実行し、土地を不法に占有している者からその土地を取り上げ、流民を戸籍に編入して、空き地を与えて耕作に従事させ、又府兵制(徴兵制)に変えて、募兵制を採用(723年に始まり、府兵制の廃止は749年)ます。
更に異民族の侵入に備えて、辺境に募兵から成る軍団を置き、この軍団の総司令官は節度使と呼ばれ、710年に置かれた河西節度使(甘粛省西部)が最初で、玄宗の時代に10の節度使が置かれました(後には40~50を数える)。
この様な諸改革に取り組み、唐の支配体制の立て直しに専念したことから、玄宗治世前半の善政は「開元の治」と呼ばれます。
しかし、長い治世の後半には、次第に政治に倦(う)み、特に寵愛した武恵妃を失ってからは(737年)、失意の生活を送る一方で、美女を捜す使いを全国に出したのですが、そのような時、玄宗の目にとまった人物こそが有名な「世界三大美女」の一人である楊貴妃(719年~756年)なのです。

楊貴妃と玄宗
楊貴妃、本名は楊玉環、父は四川省の県役人でしたが早く亡くなり、叔父に養われ、その美貌をかわれて、玄宗の第18子の寿王の妃となり、玄宗が華清宮(長安の東、驪(り)山の温泉宮)に行幸したときに見初められます(740年)。
玄宗は、楊玉環を寿王と離別させ、道観(道教の寺院)に入れて女道士とし、やがて宮中に召します(744年)。
この時、玄宗は59歳、楊貴妃は25歳で、翌年、楊玉環は貴妃(女官の最高位)となり(745年)、玄宗の寵愛を一身に受け、楊一族は高位、高官に抜擢されますが、その一人が楊国忠です。

楊国忠
楊国忠(?~756年)は楊貴妃の従祖兄の間柄でしたが、若い時は素行が修まらず、酒や博打に凝るならず者で、一族から爪弾きにされていました。
楊貴妃を頼って長安に出てくると、たちまち高官に抜擢され、財政手腕を認められて、玄宗の信任を得て、ついに宰相となります(752年)。
今や役人は楊氏一族の為に奔走し、人々は楊氏一族に取り入ろうとし、楊家の門前には賄賂を積んだ車がひしめき合ったと云われています。
玄宗と楊貴妃は、華清宮に遊び、玄宗は政治を省みず、国政は乱れました。
玄宗と楊貴妃のロマンスは白居易(白楽天)の有名な「長恨歌」に歌われています。
権勢を誇る楊国忠と対立するようになった人物が安禄山(705年~757年)で、安禄山は、ソグド人(現在のウズベク共和国の辺りに居住した人々)の父とトルコ人(突厥)の母の間に生まれた雑胡(混血児)でしたが、父が早く亡くなり、母が突厥人の安氏と再婚したので安姓を名乗ります。
成長して蕃市(外国商品を取り引きする市場)の仲買人となったことから、安禄山は6カ国語を自由に操ったと云われています。
後に范陽節度使(北京付近に設置)に仕え、中央の官吏に賄賂を送り、次第に位を上げ、終に平盧(へいろ)節度使(現在の遼寧省に設置)となりました(742年)。
翌年、玄宗に謁見し、以後玄宗、楊貴妃に取り入り(後に楊貴妃の養子となる)、范陽節度使を兼任し、更に河東節度使(洛陽の西に設置)となり(751年)、3つの節度使を兼ねて、約20万人の大軍を擁する大軍閥に伸上りました。
安禄山は晩年になるに従って肥満し、体重は330斤(約200kg)あり、腹は膝の下まで垂れていたと云われています。
楊国忠は、強大な軍を擁するようになった安禄山を警戒し、両者は次第に対立を深めて行きます。玄宗が安禄山を宰相に任命しようと考えた時、楊国忠は激しく反対しこの人事は流れますが、これを恨んだ安禄山が反乱に踏み切ったとも云われています。

安禄山の乱
755年11月、安禄山は「姦臣楊国忠を除く」と称して、范陽で挙兵、(安史の乱、755年~763年)、20万の安禄山軍は、破竹の勢いで進撃し、僅か1ヶ月で洛陽を陥れ、安禄山は大燕皇帝と称します(756年)。
唐軍は、高仙芝(こうせんし、高句麗出身で唐に仕えた武将、西域に遣わされ、751年に中央アジアのタラスでイスラム軍と戦って敗れる)や顔真卿(709年~786年、唐の政治家、特に書家として有名、安史の乱の際、平原(山東)の太守であったが、義勇軍を率いて奮戦)等の抵抗も虚しく、安禄山軍は潼関(どうかん、長安の東の関所)を占領します。

顔真卿
長安陥落を目前にして、玄宗、楊貴妃、楊国忠らは蜀への逃亡を図りますが、一行が長安の西、馬嵬(ばかい)に辿り着いた時、飢えた兵士達は楊国忠を殺し、更に楊貴妃を殺せと要求します。
玄宗はやむなく宦官の高力士に命じて、楊貴妃を仏堂の中において絹で絞殺させました(756年)。
その頃、洛陽に居た安禄山は眼病を患って失明し、皮膚炎に悩まされ、遊楽にふけり、粗暴な振る舞いが多くなり、ついにその子、安慶緒に殺され (757年)ますが、安慶緒も安禄山の部下であった史思明(?~761年)に命を絶たれます。
史思明も、ソグド人と突厥の混血児で、安禄山と同郷の出身で、早くから安禄山と親しく交わり、その反乱に従いました。
史思明は、安禄山が殺されると安慶緒と合わず、唐に降ったものの再び叛いて安慶緒を殺し、大燕皇帝を称しました(759年)。
しかし、史思明も末子を溺愛し、長子の史朝義に殺され(761年)、その史朝義も、唐を援助したウイグル軍に敗れて自害します。
唐は、安史の乱(755年~763年、安禄山と史思明の名を取って呼ばれる)の鎮圧に苦労するものの節度使を増強し、ウイグルの援助を得て、反乱軍の内紛にも乗じて、9年に及んだ反乱をやっと平定することが出来ました。
この間、玄宗は蜀に逃れて、子の粛宗(7代、在位756年~762年)に位を譲り、長安が回復されると、長安に戻ったものの(762年)、粛宗との間がうまくいかず、幽閉同然の余生のうちに没しました(762年)。
長恨歌・白居易
漢 皇 重 色 思 傾 国 御 宇 多 年 求 不 得
漢の天子は女色を重んぜられすばらしい美人を得たいと思っておられたが
天下を治めている間長年求められずにいた
楊 家 有 女 初 長 成 養 在 深 閨 人 未 識
楊家に娘がいてちょうどその時年頃になっていたが
奥深い女性の部屋で養育されていて誰もまだ知らなかった
天 生 麗 質 難 自 棄 一 朝 選 在 君 王 側
生まれつきの麗しい素質はそのままほおっておかれはしない
ある日選ばれて天子の側に侍る身となった
迴 眸 一 笑 百 媚 生 六 宮 粉 黛 無 顔 色
ウインクしにっこり笑うと様々な艶めかしさが表れる
天下の後宮の女官たちは見劣りがした
春 寒 賜 浴 華 清 池 温 泉 水 滑 洗 凝 脂
春なお寒きとき天子が沐浴を賜る華清宮温泉
温泉の水は滑らかにむっちりした肌に注ぎかかる
侍 児 扶 起 嬌 無 力 始 是 新 承 恩 沢 時
侍児が左右から抱え起こすとなよなよとして力無く
天子のご寵愛を受けたばかりのその時の風情である
雲 鬢 花 顔 金 歩 揺 芙 蓉 帳 暖 度 春 宵
豊かに美しい髪花のかんばせ黄金のかんざし
寝室の蓮のカーテンの中は暖かで春の夜は過ぎていく
春 宵 苦 短 日 高 起 従 此 君 王 不 早 朝
春の夜が短いのを嘆き日が高くなってからお起きになる
それからというもの君主は朝の政務をお執りにならなくなった
承 歓 侍 宴 無 閑 暇 春 従 春 遊 夜 専 夜
天子の寵を受け楊貴妃は宴席に侍り天子の側につきっきり
春は春の遊びにお供し夜は夜で天子の時間を独り占めする
後 宮 佳 麗 三 千 人 三 千 寵 愛 在 一 身
後宮には麗しい美人が三千人もいたが
三千人分の寵愛は楊貴妃一人に集まった
金 屋 妝 成 嬌 侍 夜 玉 楼 宴 罷 酔 和 春
立派な御殿で化粧を繕ってはあだめいて夜の席に侍り
玉の台(うてな)に宴の終わった後は陶然と春の雰囲気にとけ込んだ
姉 妹 弟 兄 皆 列 土 可 憐 光 彩 生 門 戸
姉妹兄弟はみなそろって諸侯に封ぜられ
なんとみごとなことよ彼らの門戸には後光がさしている
遂 令 天 下 父 母 心 不 重 生 男 重 生 女
遂に天下の父母の心は
男を生むを喜ばず女を生むのを喜ぶようにさせてしまった
驪 宮 高 処 入 青 雲 仙 楽 風 飄 処 処 聞
華清宮は高いところに有りはるか雲の中に入り込み
仙人の音楽は風に漂いあちこちに聞こえる
緩 歌 慢 舞 凝 糸 竹 尽 日 君 王 看 不 足
緩やかなテンポの歌と舞楽器の粋を凝らし
ひねもす天子は見飽きることがない
漁 陽 ヘイ 鼓 動 地 来 驚 破 霓 裳 羽 衣 曲
漁陽の陣太鼓が地をどよもして攻め来た
霓裳羽衣の曲をかき乱した
九 重 城 闕 煙 塵 生 千 乗 万 騎 西 南 行
宮城は兵乱による煙と塵が沸き立つ
天子の行列は西南をさして落ち延びていった
翠 華 揺 揺 行 復 止 西 出 都 門 百 余 里
天子の旗は揺らぎ進んでそして止まる
西の方都門を出て百余里
六 軍 不 発 無 奈 何 宛 転 蛾 眉 馬 前 死
天子の率いる軍隊は出発しようともせずどうにもならず
すんなりと麗しい眉の美人は天子の馬前で死んだ
花 鈿 委 地 無 人 収 翠 翹 金 雀 玉 掻 頭
螺鈿のかんざしは地に捨てられそれを拾い上げるものもなく
翡翠のかんざし黄金作りの雀形のかんざし玉のこうがい
君 王 掩 面 救 不 得 迴 看 血 涙 相 和 流
天子は手で顔を覆ったまま救うこともできず
振り返り見つめるそのお目には地と涙が混じり合って流れた
黄 埃 散 漫 風 蕭 索 雲 桟 エイ 紆 登 剣 閣
黄色の砂塵が一面に立ちこめ風がわびしい
蜀の桟道をうねりつつ剣閣に登る
蛾 眉 山 下 少 人 行 旌 旗 無 光 日 色 薄
蛾眉山の麓道行く人も少なくなり
旗は色あせ太陽の光までも薄い
蜀 江 水 碧 蜀 山 青 聖 主 朝 朝 暮 暮 情
蜀の川は深緑の色をたたえ蜀の山は青々とし
帝は朝な夕な心が晴れやらぬ
行 宮 見 月 傷 心 色 夜 雨 聞 鈴 腸 断 声
仮の皇居で見る月は心を傷める色をしており
夜雨に聞く鈴の音ははらわたがちぎれんばかりの音に響く
天 旋 日 転 迴 竜 馭 到 此 躊 躇 不 能 去
天下の形勢が一変しそのお車を都に向けられることになったが
楊貴妃の最期の地にたどり着くと足踏みし立ち去りかけた
馬 嵬 坡 下 泥 土 中 不 見 玉 顔 空 死 処
馬嵬の堤の下泥土の中
玉なすかんざせは見えず死んだ場所だけが空しく存在する
君 臣 相 顧 尽 霑 衣 東 望 都 門 信 馬 帰
天子も家来も楊貴妃が死んだ場所を振り返り皆涙で衣を濡らす
東の方都門を望みながら馬の歩みにまかせて帰る
帰 来 池 苑 皆 依 旧 太 液 芙 蓉 未 央 柳
宮中に帰ってみれば池も庭も昔のままである
太液池の蓮も未央宮の柳も
芙 蓉 如 面 柳 如 眉 対 此 如 何 不 涙 垂
蓮は楊貴妃の顔のようだし柳は眉のようだ
これに向かい合ったときどうして涙を流さずにおられよう
春 風 桃 李 花 開 夜 秋 雨 梧 桐 葉 落 時
春風が吹いて桃やスモモが花を開く晩
秋の雨にアオギリの葉が落つる時
西 宮 南 苑 多 秋 草 宮 葉 満 階 紅 不 掃
西の宮殿と南の庭園の秋草が茂り
御殿の庭の落ち葉は階に積もっても落ちた紅葉をだれも掃除しない
梨 園 弟 子 白 髪 新 椒 房 阿 監 青 娥 老
宮中で養成した舞楽員は近頃白髪が目立つ
皇后の部屋で宮中の取り締まりをしていた女官の若く美しい女も老いた
夕 殿 蛍 飛 思 悄 然 孤 灯 挑 尽 未 成 眠
夜の御殿を蛍が飛ぶのを見てはしょんぼりと物思いにふけり
わびしい灯心の燃えかすを切り尽くしてもまだ寝付かれない
遅 遅 鐘 鼓 初 長 夜 耿 耿 星 河 欲 曙 天
ゆったり響く鐘と太鼓がようやく秋の夜長を迎えようとする晩
きらきら輝く天の川やがて夜は明けようとする
鴛 鴦 瓦 冷 霜 華 重 翡 翠 衾 寒 誰 与 共
おしどり形の瓦は冷ややかで霜の花は重く結び
カワセミの刺繍をした掛け布団は冷え冷えとして共に寝る人もいない
悠 悠 生 死 別 経 年 魂 魄 不 曾 来 入 夢
はるかに隔てられた生と死別れてすでに年久しいが
たましいは一度も天子の夢に訪れなかった
臨 キョウ 道 士 鴻 都 客 能 以 精 誠 致 魂 魄
臨キョウの道士で長安の客人となっている人が
真心を凝らした精神力で死者の魂を呼び寄せることができる
為 感 君 王 展 転 思 遂 教 方 士 殷 勤 覓
天子が夜も眠れずに止めどなく思い煩うことに感じ
方術の士に命じて念入りに楊貴妃の魂を求めさせた
排 空 馭 気 奔 如 電 昇 天 入 地 求 之 遍
大空を押し開き大気に乗り稲妻のように突っ走り
天に昇り地に潜りて楊貴妃の魂を隅なく探し求めた
上 窮 碧 落 下 黄 泉 両 処 茫 茫 皆 不 見
上は青空の果て下は黄泉まで探した
どちらも果てしなく広く見あたらなかった
忽 聞 海 上 有 仙 山 山 在 虚 無 縹 緲 間
海上に仙人が住む山があるとふっと聞こえてきた
山は何もない空間にあった
楼 閣 玲 瓏 五 雲 起 其 中 綽 約 多 仙 子
楼閣は透き通るように美しく輝き五雲がわき起こり
その中に体つきが柔らかな仙人がたくさん住んでいる
中 有 一 人 字 太 真 雪 膚 花 貌 参 差 是
中の一人に字は太真というものがいた
雪のような白い肌花を思わせる美しい顔立ちはほぼ楊貴妃に近い
金 闕 西 廂 叩 玉 ケイ 転 教 小 玉 報 双 成
黄金作りの正殿の西側の棟の玉のかんぬきを叩く
侍女の小玉に取り次ぎさらに双成にと順次に取り次がせ
聞 道 漢 家 天 子 使 九 華 帳 裏 夢 魂 驚
漢家の天子の使いの人だと聞いて
美しい花模様を織りなした帳の中夢うつつの魂は目が覚める
攬 衣 推 枕 起 徘 徊 珠 箔 銀 屏 リ イ 開
上衣をつまみ取り枕を押しのけ立ち上がって部屋の中を歩き回る
たますだれ銀の屏風と次から次へ続いているのを開く
雲 鬢 半 偏 新 睡 覚 花 冠 不 整 下 堂 来
雲なす鬢の毛は半ば傾き崩れたった今眠りから覚めた風情
美しい冠もきちんとしないまま奥の部屋から降りてきた
風 吹 仙 袂 飄 エウ 挙 猶 似 霓 裳 羽 衣 舞
風は仙女の袂を吹いてひらひらと舞い上がり
ちょうどかつての霓裳羽衣の舞に似ている
玉 容 寂 寞 涙 闌 干 梨 花 一 枝 春 帯 雨
美しい顔立ちで寂しげに涙がはらはらと流れる
梨花一枝春雨がそぼ濡れる
含 情 凝 睇 謝 君 王 一 別 音 容 両 渺 茫
思いを込め瞳を凝らして君主にお礼を申し上げた
お別れして以来声と姿ともにはるかに遠い
昭 陽 殿 裏 恩 愛 絶 蓬 莱 宮 中 日 月 長
昭陽殿でいただきましたお恵みも絶え
蓬莱宮で長い月日が経過しました
迴 頭 下 望 人 寰 処 不 見 長 安 見 塵 霧
振り返ってはるか下界の人間の世界を望みましても
懐かしい長安は目に入らずただ一面に塵ともやが目にはいるばかり
惟 将 旧 物 表 深 情 鈿 合 金 釵 寄 将 去
ただ昔の思い出の品を取り出して切ない思いを示し
螺鈿の小箱金銀製の二股かんざしをことづけつ持って行かせた
釵 留 一 股 合 一 扇 釵 擘 黄 金 合 分 鈿
かんざしは一股を残し小箱は箱のふたと身のどちらか片方を残した
かんざしは黄金を引き裂き小箱は螺鈿を引き裂いた
但 令 心 似 金 鈿 堅 天 上 人 間 会 相 見
私たちの心をかんざしや小箱の堅固に保ちますならば
一方は天上にあり他方は俗界にあるともいつかきっとお目にかかれましょう
臨 別 殷 勤 重 寄 詞 詞 中 有 誓 両 心 知
別れるにあたって懇ろに重ねて言葉を寄せる
その詞の中には二人の心のみが知る誓いの詞があった
七 月 七 日 長 生 殿 夜 半 無 人 私 語 時
七月七日長生殿
夜更けて人影もなく二人がささやき交わしました時
在 天 願 作 比 翼 鳥 在 地 願 為 連 理 枝
天上にあっては比翼の鳥となりたいもの
地上にあっては連理の枝となりたいもの
天 長 地 久 有 時 尽 此 恨 綿 綿 無 絶 期
天地は悠久であるといってもいつかは尽きるときがある
この互いに慕い合う切ない恋はいついつまでも続いて絶えるときはないであろう

ジョークは如何は今回休みます。
続く・・・

玄宗皇帝と楊貴妃
4 唐の盛衰(その3)
睿宗は2年後に、位を皇太子の李隆基に譲り、李隆基は28歳で即位しました。
李隆基こそが中国史上有名な皇帝である玄宗(685年~762年、唐王朝6代、在位712年~756年)で、玄宗は、翌年、年号を開元(713年~741年)と改めました。

玄宗
玄宗は、即位すると名臣、賢臣の助けを得て、不要の官職を除く等の官僚機構の整理を実行し、土地を不法に占有している者からその土地を取り上げ、流民を戸籍に編入して、空き地を与えて耕作に従事させ、又府兵制(徴兵制)に変えて、募兵制を採用(723年に始まり、府兵制の廃止は749年)ます。
更に異民族の侵入に備えて、辺境に募兵から成る軍団を置き、この軍団の総司令官は節度使と呼ばれ、710年に置かれた河西節度使(甘粛省西部)が最初で、玄宗の時代に10の節度使が置かれました(後には40~50を数える)。
この様な諸改革に取り組み、唐の支配体制の立て直しに専念したことから、玄宗治世前半の善政は「開元の治」と呼ばれます。
しかし、長い治世の後半には、次第に政治に倦(う)み、特に寵愛した武恵妃を失ってからは(737年)、失意の生活を送る一方で、美女を捜す使いを全国に出したのですが、そのような時、玄宗の目にとまった人物こそが有名な「世界三大美女」の一人である楊貴妃(719年~756年)なのです。

楊貴妃と玄宗
楊貴妃、本名は楊玉環、父は四川省の県役人でしたが早く亡くなり、叔父に養われ、その美貌をかわれて、玄宗の第18子の寿王の妃となり、玄宗が華清宮(長安の東、驪(り)山の温泉宮)に行幸したときに見初められます(740年)。
玄宗は、楊玉環を寿王と離別させ、道観(道教の寺院)に入れて女道士とし、やがて宮中に召します(744年)。
この時、玄宗は59歳、楊貴妃は25歳で、翌年、楊玉環は貴妃(女官の最高位)となり(745年)、玄宗の寵愛を一身に受け、楊一族は高位、高官に抜擢されますが、その一人が楊国忠です。

楊国忠
楊国忠(?~756年)は楊貴妃の従祖兄の間柄でしたが、若い時は素行が修まらず、酒や博打に凝るならず者で、一族から爪弾きにされていました。
楊貴妃を頼って長安に出てくると、たちまち高官に抜擢され、財政手腕を認められて、玄宗の信任を得て、ついに宰相となります(752年)。
今や役人は楊氏一族の為に奔走し、人々は楊氏一族に取り入ろうとし、楊家の門前には賄賂を積んだ車がひしめき合ったと云われています。
玄宗と楊貴妃は、華清宮に遊び、玄宗は政治を省みず、国政は乱れました。
玄宗と楊貴妃のロマンスは白居易(白楽天)の有名な「長恨歌」に歌われています。
権勢を誇る楊国忠と対立するようになった人物が安禄山(705年~757年)で、安禄山は、ソグド人(現在のウズベク共和国の辺りに居住した人々)の父とトルコ人(突厥)の母の間に生まれた雑胡(混血児)でしたが、父が早く亡くなり、母が突厥人の安氏と再婚したので安姓を名乗ります。
成長して蕃市(外国商品を取り引きする市場)の仲買人となったことから、安禄山は6カ国語を自由に操ったと云われています。
後に范陽節度使(北京付近に設置)に仕え、中央の官吏に賄賂を送り、次第に位を上げ、終に平盧(へいろ)節度使(現在の遼寧省に設置)となりました(742年)。
翌年、玄宗に謁見し、以後玄宗、楊貴妃に取り入り(後に楊貴妃の養子となる)、范陽節度使を兼任し、更に河東節度使(洛陽の西に設置)となり(751年)、3つの節度使を兼ねて、約20万人の大軍を擁する大軍閥に伸上りました。
安禄山は晩年になるに従って肥満し、体重は330斤(約200kg)あり、腹は膝の下まで垂れていたと云われています。
楊国忠は、強大な軍を擁するようになった安禄山を警戒し、両者は次第に対立を深めて行きます。玄宗が安禄山を宰相に任命しようと考えた時、楊国忠は激しく反対しこの人事は流れますが、これを恨んだ安禄山が反乱に踏み切ったとも云われています。

安禄山の乱
755年11月、安禄山は「姦臣楊国忠を除く」と称して、范陽で挙兵、(安史の乱、755年~763年)、20万の安禄山軍は、破竹の勢いで進撃し、僅か1ヶ月で洛陽を陥れ、安禄山は大燕皇帝と称します(756年)。
唐軍は、高仙芝(こうせんし、高句麗出身で唐に仕えた武将、西域に遣わされ、751年に中央アジアのタラスでイスラム軍と戦って敗れる)や顔真卿(709年~786年、唐の政治家、特に書家として有名、安史の乱の際、平原(山東)の太守であったが、義勇軍を率いて奮戦)等の抵抗も虚しく、安禄山軍は潼関(どうかん、長安の東の関所)を占領します。

顔真卿
長安陥落を目前にして、玄宗、楊貴妃、楊国忠らは蜀への逃亡を図りますが、一行が長安の西、馬嵬(ばかい)に辿り着いた時、飢えた兵士達は楊国忠を殺し、更に楊貴妃を殺せと要求します。
玄宗はやむなく宦官の高力士に命じて、楊貴妃を仏堂の中において絹で絞殺させました(756年)。
その頃、洛陽に居た安禄山は眼病を患って失明し、皮膚炎に悩まされ、遊楽にふけり、粗暴な振る舞いが多くなり、ついにその子、安慶緒に殺され (757年)ますが、安慶緒も安禄山の部下であった史思明(?~761年)に命を絶たれます。
史思明も、ソグド人と突厥の混血児で、安禄山と同郷の出身で、早くから安禄山と親しく交わり、その反乱に従いました。
史思明は、安禄山が殺されると安慶緒と合わず、唐に降ったものの再び叛いて安慶緒を殺し、大燕皇帝を称しました(759年)。
しかし、史思明も末子を溺愛し、長子の史朝義に殺され(761年)、その史朝義も、唐を援助したウイグル軍に敗れて自害します。
唐は、安史の乱(755年~763年、安禄山と史思明の名を取って呼ばれる)の鎮圧に苦労するものの節度使を増強し、ウイグルの援助を得て、反乱軍の内紛にも乗じて、9年に及んだ反乱をやっと平定することが出来ました。
この間、玄宗は蜀に逃れて、子の粛宗(7代、在位756年~762年)に位を譲り、長安が回復されると、長安に戻ったものの(762年)、粛宗との間がうまくいかず、幽閉同然の余生のうちに没しました(762年)。
長恨歌・白居易
漢 皇 重 色 思 傾 国 御 宇 多 年 求 不 得
漢の天子は女色を重んぜられすばらしい美人を得たいと思っておられたが
天下を治めている間長年求められずにいた
楊 家 有 女 初 長 成 養 在 深 閨 人 未 識
楊家に娘がいてちょうどその時年頃になっていたが
奥深い女性の部屋で養育されていて誰もまだ知らなかった
天 生 麗 質 難 自 棄 一 朝 選 在 君 王 側
生まれつきの麗しい素質はそのままほおっておかれはしない
ある日選ばれて天子の側に侍る身となった
迴 眸 一 笑 百 媚 生 六 宮 粉 黛 無 顔 色
ウインクしにっこり笑うと様々な艶めかしさが表れる
天下の後宮の女官たちは見劣りがした
春 寒 賜 浴 華 清 池 温 泉 水 滑 洗 凝 脂
春なお寒きとき天子が沐浴を賜る華清宮温泉
温泉の水は滑らかにむっちりした肌に注ぎかかる
侍 児 扶 起 嬌 無 力 始 是 新 承 恩 沢 時
侍児が左右から抱え起こすとなよなよとして力無く
天子のご寵愛を受けたばかりのその時の風情である
雲 鬢 花 顔 金 歩 揺 芙 蓉 帳 暖 度 春 宵
豊かに美しい髪花のかんばせ黄金のかんざし
寝室の蓮のカーテンの中は暖かで春の夜は過ぎていく
春 宵 苦 短 日 高 起 従 此 君 王 不 早 朝
春の夜が短いのを嘆き日が高くなってからお起きになる
それからというもの君主は朝の政務をお執りにならなくなった
承 歓 侍 宴 無 閑 暇 春 従 春 遊 夜 専 夜
天子の寵を受け楊貴妃は宴席に侍り天子の側につきっきり
春は春の遊びにお供し夜は夜で天子の時間を独り占めする
後 宮 佳 麗 三 千 人 三 千 寵 愛 在 一 身
後宮には麗しい美人が三千人もいたが
三千人分の寵愛は楊貴妃一人に集まった
金 屋 妝 成 嬌 侍 夜 玉 楼 宴 罷 酔 和 春
立派な御殿で化粧を繕ってはあだめいて夜の席に侍り
玉の台(うてな)に宴の終わった後は陶然と春の雰囲気にとけ込んだ
姉 妹 弟 兄 皆 列 土 可 憐 光 彩 生 門 戸
姉妹兄弟はみなそろって諸侯に封ぜられ
なんとみごとなことよ彼らの門戸には後光がさしている
遂 令 天 下 父 母 心 不 重 生 男 重 生 女
遂に天下の父母の心は
男を生むを喜ばず女を生むのを喜ぶようにさせてしまった
驪 宮 高 処 入 青 雲 仙 楽 風 飄 処 処 聞
華清宮は高いところに有りはるか雲の中に入り込み
仙人の音楽は風に漂いあちこちに聞こえる
緩 歌 慢 舞 凝 糸 竹 尽 日 君 王 看 不 足
緩やかなテンポの歌と舞楽器の粋を凝らし
ひねもす天子は見飽きることがない
漁 陽 ヘイ 鼓 動 地 来 驚 破 霓 裳 羽 衣 曲
漁陽の陣太鼓が地をどよもして攻め来た
霓裳羽衣の曲をかき乱した
九 重 城 闕 煙 塵 生 千 乗 万 騎 西 南 行
宮城は兵乱による煙と塵が沸き立つ
天子の行列は西南をさして落ち延びていった
翠 華 揺 揺 行 復 止 西 出 都 門 百 余 里
天子の旗は揺らぎ進んでそして止まる
西の方都門を出て百余里
六 軍 不 発 無 奈 何 宛 転 蛾 眉 馬 前 死
天子の率いる軍隊は出発しようともせずどうにもならず
すんなりと麗しい眉の美人は天子の馬前で死んだ
花 鈿 委 地 無 人 収 翠 翹 金 雀 玉 掻 頭
螺鈿のかんざしは地に捨てられそれを拾い上げるものもなく
翡翠のかんざし黄金作りの雀形のかんざし玉のこうがい
君 王 掩 面 救 不 得 迴 看 血 涙 相 和 流
天子は手で顔を覆ったまま救うこともできず
振り返り見つめるそのお目には地と涙が混じり合って流れた
黄 埃 散 漫 風 蕭 索 雲 桟 エイ 紆 登 剣 閣
黄色の砂塵が一面に立ちこめ風がわびしい
蜀の桟道をうねりつつ剣閣に登る
蛾 眉 山 下 少 人 行 旌 旗 無 光 日 色 薄
蛾眉山の麓道行く人も少なくなり
旗は色あせ太陽の光までも薄い
蜀 江 水 碧 蜀 山 青 聖 主 朝 朝 暮 暮 情
蜀の川は深緑の色をたたえ蜀の山は青々とし
帝は朝な夕な心が晴れやらぬ
行 宮 見 月 傷 心 色 夜 雨 聞 鈴 腸 断 声
仮の皇居で見る月は心を傷める色をしており
夜雨に聞く鈴の音ははらわたがちぎれんばかりの音に響く
天 旋 日 転 迴 竜 馭 到 此 躊 躇 不 能 去
天下の形勢が一変しそのお車を都に向けられることになったが
楊貴妃の最期の地にたどり着くと足踏みし立ち去りかけた
馬 嵬 坡 下 泥 土 中 不 見 玉 顔 空 死 処
馬嵬の堤の下泥土の中
玉なすかんざせは見えず死んだ場所だけが空しく存在する
君 臣 相 顧 尽 霑 衣 東 望 都 門 信 馬 帰
天子も家来も楊貴妃が死んだ場所を振り返り皆涙で衣を濡らす
東の方都門を望みながら馬の歩みにまかせて帰る
帰 来 池 苑 皆 依 旧 太 液 芙 蓉 未 央 柳
宮中に帰ってみれば池も庭も昔のままである
太液池の蓮も未央宮の柳も
芙 蓉 如 面 柳 如 眉 対 此 如 何 不 涙 垂
蓮は楊貴妃の顔のようだし柳は眉のようだ
これに向かい合ったときどうして涙を流さずにおられよう
春 風 桃 李 花 開 夜 秋 雨 梧 桐 葉 落 時
春風が吹いて桃やスモモが花を開く晩
秋の雨にアオギリの葉が落つる時
西 宮 南 苑 多 秋 草 宮 葉 満 階 紅 不 掃
西の宮殿と南の庭園の秋草が茂り
御殿の庭の落ち葉は階に積もっても落ちた紅葉をだれも掃除しない
梨 園 弟 子 白 髪 新 椒 房 阿 監 青 娥 老
宮中で養成した舞楽員は近頃白髪が目立つ
皇后の部屋で宮中の取り締まりをしていた女官の若く美しい女も老いた
夕 殿 蛍 飛 思 悄 然 孤 灯 挑 尽 未 成 眠
夜の御殿を蛍が飛ぶのを見てはしょんぼりと物思いにふけり
わびしい灯心の燃えかすを切り尽くしてもまだ寝付かれない
遅 遅 鐘 鼓 初 長 夜 耿 耿 星 河 欲 曙 天
ゆったり響く鐘と太鼓がようやく秋の夜長を迎えようとする晩
きらきら輝く天の川やがて夜は明けようとする
鴛 鴦 瓦 冷 霜 華 重 翡 翠 衾 寒 誰 与 共
おしどり形の瓦は冷ややかで霜の花は重く結び
カワセミの刺繍をした掛け布団は冷え冷えとして共に寝る人もいない
悠 悠 生 死 別 経 年 魂 魄 不 曾 来 入 夢
はるかに隔てられた生と死別れてすでに年久しいが
たましいは一度も天子の夢に訪れなかった
臨 キョウ 道 士 鴻 都 客 能 以 精 誠 致 魂 魄
臨キョウの道士で長安の客人となっている人が
真心を凝らした精神力で死者の魂を呼び寄せることができる
為 感 君 王 展 転 思 遂 教 方 士 殷 勤 覓
天子が夜も眠れずに止めどなく思い煩うことに感じ
方術の士に命じて念入りに楊貴妃の魂を求めさせた
排 空 馭 気 奔 如 電 昇 天 入 地 求 之 遍
大空を押し開き大気に乗り稲妻のように突っ走り
天に昇り地に潜りて楊貴妃の魂を隅なく探し求めた
上 窮 碧 落 下 黄 泉 両 処 茫 茫 皆 不 見
上は青空の果て下は黄泉まで探した
どちらも果てしなく広く見あたらなかった
忽 聞 海 上 有 仙 山 山 在 虚 無 縹 緲 間
海上に仙人が住む山があるとふっと聞こえてきた
山は何もない空間にあった
楼 閣 玲 瓏 五 雲 起 其 中 綽 約 多 仙 子
楼閣は透き通るように美しく輝き五雲がわき起こり
その中に体つきが柔らかな仙人がたくさん住んでいる
中 有 一 人 字 太 真 雪 膚 花 貌 参 差 是
中の一人に字は太真というものがいた
雪のような白い肌花を思わせる美しい顔立ちはほぼ楊貴妃に近い
金 闕 西 廂 叩 玉 ケイ 転 教 小 玉 報 双 成
黄金作りの正殿の西側の棟の玉のかんぬきを叩く
侍女の小玉に取り次ぎさらに双成にと順次に取り次がせ
聞 道 漢 家 天 子 使 九 華 帳 裏 夢 魂 驚
漢家の天子の使いの人だと聞いて
美しい花模様を織りなした帳の中夢うつつの魂は目が覚める
攬 衣 推 枕 起 徘 徊 珠 箔 銀 屏 リ イ 開
上衣をつまみ取り枕を押しのけ立ち上がって部屋の中を歩き回る
たますだれ銀の屏風と次から次へ続いているのを開く
雲 鬢 半 偏 新 睡 覚 花 冠 不 整 下 堂 来
雲なす鬢の毛は半ば傾き崩れたった今眠りから覚めた風情
美しい冠もきちんとしないまま奥の部屋から降りてきた
風 吹 仙 袂 飄 エウ 挙 猶 似 霓 裳 羽 衣 舞
風は仙女の袂を吹いてひらひらと舞い上がり
ちょうどかつての霓裳羽衣の舞に似ている
玉 容 寂 寞 涙 闌 干 梨 花 一 枝 春 帯 雨
美しい顔立ちで寂しげに涙がはらはらと流れる
梨花一枝春雨がそぼ濡れる
含 情 凝 睇 謝 君 王 一 別 音 容 両 渺 茫
思いを込め瞳を凝らして君主にお礼を申し上げた
お別れして以来声と姿ともにはるかに遠い
昭 陽 殿 裏 恩 愛 絶 蓬 莱 宮 中 日 月 長
昭陽殿でいただきましたお恵みも絶え
蓬莱宮で長い月日が経過しました
迴 頭 下 望 人 寰 処 不 見 長 安 見 塵 霧
振り返ってはるか下界の人間の世界を望みましても
懐かしい長安は目に入らずただ一面に塵ともやが目にはいるばかり
惟 将 旧 物 表 深 情 鈿 合 金 釵 寄 将 去
ただ昔の思い出の品を取り出して切ない思いを示し
螺鈿の小箱金銀製の二股かんざしをことづけつ持って行かせた
釵 留 一 股 合 一 扇 釵 擘 黄 金 合 分 鈿
かんざしは一股を残し小箱は箱のふたと身のどちらか片方を残した
かんざしは黄金を引き裂き小箱は螺鈿を引き裂いた
但 令 心 似 金 鈿 堅 天 上 人 間 会 相 見
私たちの心をかんざしや小箱の堅固に保ちますならば
一方は天上にあり他方は俗界にあるともいつかきっとお目にかかれましょう
臨 別 殷 勤 重 寄 詞 詞 中 有 誓 両 心 知
別れるにあたって懇ろに重ねて言葉を寄せる
その詞の中には二人の心のみが知る誓いの詞があった
七 月 七 日 長 生 殿 夜 半 無 人 私 語 時
七月七日長生殿
夜更けて人影もなく二人がささやき交わしました時
在 天 願 作 比 翼 鳥 在 地 願 為 連 理 枝
天上にあっては比翼の鳥となりたいもの
地上にあっては連理の枝となりたいもの
天 長 地 久 有 時 尽 此 恨 綿 綿 無 絶 期
天地は悠久であるといってもいつかは尽きるときがある
この互いに慕い合う切ない恋はいついつまでも続いて絶えるときはないであろう

ジョークは如何は今回休みます。
続く・・・
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コメント
楊貴妃のような女性が日本にいれば
( ノ゚Д゚)こんにちは
( ノ゚Д゚)おはよう
素晴らしい一日を
今日もよろしくお願いします
() _()
(=●::●)
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°o?o,,,,o?o°`°o?o,
2014-10-09 04:26 流木庵{え~ちゃん} URL 編集