2014/10/17

歴史を歩く52

11東アジア文化圏の形成⑥

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4 唐の盛衰(その5)

 唐の都、長安は人口100万人と云われ、政治都市であると同時に、国内商業の中心地であり、世界商業の中心地でもありました。
但し、長安では商業区は東市と西市に限定され、他の地域での商業は許されず、その営業も正午から日没迄と定められていました。

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長安の街角

 唐帝国の領土拡大によって、中央アジアではイスラム帝国と領土を接する事に成り、シルク・ロードを利用しての東西貿易が発達し、中央アジアの商権を握っていたソグド人をはじめ、ペルシア人、アラブ人等が長安に来住し、中国人も西方に進出します。
長安の住民中、外国人の数は1万人を越えていたと云われ、なかでも胡人(主に西方の外国人)の占める割合が高く、胡人の来住と共に西方の文物が盛んに流入し、彼等の生活様式である胡風が流行しました。

 胡人だけでなく、遣唐使として唐を訪れた日本人をはじめ、東アジアの人々も多かったと思われます。
長安は当に国際都市であり、当時世界の二大都市(当時世界最大の都市はバグダードで人口は150~200万人と云われている)として繁栄しました。

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「絹の道」と「海の道」

 又「海の道」による貿易は、1世紀頃からインドとローマの間で、季節風を利用した貿易が盛んとなり、やがてインドと中国を結ぶ航路も開け、中国の商船が活躍していましたが、7世紀以後、イスラムの勃興に伴い中国人に替わって、アラブ人が航海権を握るようになり、アラブ人は広州、泉州(福建省)、揚州(江蘇省)等の海港に盛んに来航し、貿易に従事しました。
広州、泉州、揚州も国際都市として繁栄し、広州には唐中期以降、市舶司(海上貿易事務を司る役所)が置かれ、又広州、泉州には蕃坊(外国商人の居留地)が在ったのです。

 商業、産業の発達に伴い、遠隔地との取引が拡大するなかで、飛銭と呼ばれる銭を遠方に送る送金手形が利用されるように成りました。

 魏晋南北朝以来開発が進んだ江南では、茶や綿花の栽培が盛んとなり、喫茶が流行してくるのも唐代からなのです。
  
5 唐代の文化

(1) 風俗

 唐の文化は、西のイスラム文化と並んで、当時の世界に於ける最高水準の文化でした。
唐文化の特徴は、その広大な大帝国の成立によって、特に西方からの外国文化が流入して国際的な文化が成立した事、貴族を中心とする貴族文化であった事、そして唐の文化が東アジア全般に影響を及ぼし、東アジア文化圏が形成された事なのです。

 唐代には、東は朝鮮半島、日本から、西は中央アジア、ペルシア、インド等から多くの留学生、商人をはじめ、様々な人々が往来し、長安や広州等の港市は異国情緒に満ち、異国趣味が流行しました。 長安には1万人以上の外国人が居住したと云われ、特に中央アジア、イラン方面から来朝した、所謂「胡人」には商売人や芸人をはじめ、様々な職業の人達がいたのです。

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胡姫の舞

 酒場では、容姿端麗で顔立ちの美しいイラン人の娘さん達が(彼女達は「胡姫」と呼ばれていた)お酒を注ぎ、踊り舞っていました。
長安の若い女達は、「胡姫」の服装や化粧を真似て「胡服」を新調して町を歩き、細い乗馬ズボンをはいて長安の町を馬で走り回ったのです。
西方から入ってきた家具や絨毯等が珍重され、西方から入ってきた音楽や楽器が盛んに演奏されました。

(2) 宗教

 人々の往来と共に、特に西方から様々な文化が流入し、其れと共にキリスト教、ゾロアスター教、イスラム教等の諸宗教も伝来します。

 ネストリウス派キリスト教は、431年エフェソス宗教会議で、聖母マリアは神でないとする説を唱えて異端とされ、ササン朝を経て唐に伝わり、中国では景教と呼ばれた、中国に伝来した最初のキリスト教です。

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長安(現西安・)崇聖寺で発見された大秦景教流行中国碑

 ペルシア人の阿羅本が、635年に長安に来朝し、太宗に布教を許され、各地に波斯寺(波斯はペルシアの意味)が建てられたのですが、玄宗の時代に大秦寺(大秦はローマの意味)と改称されました。長安の大秦寺内に建立された「大秦景教流行中国碑」(781年に建立、明末に発見された高さ2.8mの碑)には、伝来の経過や盛衰の経過が記録されていますが、景教は、唐の武宗の廃仏(会昌の廃仏、845年)時に禁圧されました。

 ゾロアスター教も伝来し、けん(示へんに夭)教と呼ばれ、ゾロアスター教は古くからペルシア人に信仰された宗教で、ササン朝では国教とされた宗教です。
ゾロアスター教は、既に北朝の頃に伝来していましたが、唐代に入ってペルシア人(当時、胡人と呼ばれた人々の多くはペルシア人でした)が盛んに往来した結果、各地に寺院が建てられ繁栄しますが、その信者の多くは胡人で、けん教も会昌の廃仏時に禁圧を受けました。

 ペルシアからは、マニ教も伝来し、摩尼教と呼ばれました。
マニ教は、ササン朝時代に、ゾロアスター教、キリスト教、仏教を融合した教えを説き、ササン朝で異端とされ禁止された宗教です。
国外に流布し、中国には7世紀に伝来し、8世紀には長安に寺院も建てられたのですが、信者の多くは胡人で在り、やはり会昌の廃仏時に禁圧を受けました。

 イスラム教は、7世紀後半、高宗の時代、アラブ人によって海路伝えられ、華南の港市に寺院が建てられ、信仰され後に華北にも広まっていきます。
中国では回教、回回(ふいふい)、清真(せいしん)教とも呼ばれ、その寺院は清真寺と呼ばれ、因みに清真料理と言えば豚肉を使ってない料理のことです。

 中国の三大宗教である儒教、仏教、道教もそれぞれ栄えました。

 道教は、祖とされる老子の姓名が李耳(りじ)で、唐室の李氏と同じであった事から、唐室祖宗の教えとされ、特別の地位を与えられて仏教の上位に置かれたのですが、寺院、僧侶の数や財力では仏教に遥かに及びません。

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玄奘

 仏教も、帝室や貴族の保護を受けて大いに栄え、唐代の仏教史上、最も有名な出来事は玄奘のインド訪問です。
玄奘(602年~664年)は、13歳で出家し、各地の師の下で仏教の教義の研究を行いましたが、仏典が十分揃っておらず、多くの疑問を解く事が出来ませんでした。
その解決の為にどうしてもインド渡航を考え、インド渡航を朝廷に請願したが許されません。
仲間の僧は諦めましたが、玄奘は諦めることが出来ず、国外に出る事を禁止する国禁を犯して、単身密出国を犯して玉門関を通過しました(629年)。

 玄奘は、高昌(現在のトルファン)で大歓迎を受け、帰路立ち寄ることを約束して高昌を出発し、天山南路を経てパミール高原を越えるという大変な難行の末、北インドに入り、インド各地を巡った後に、ナーランダ学院(5世紀、グプタ朝の時建立された仏教教学の一大研究所)で5年間学び、この間ハルシャ・ヴァルダーナ王にも謁見します。

 膨大な経典とともに再び陸路を経て、太宗の貞観19年(645年)に帰国を果たしました。
太宗はその知らせを聞いて大いに喜び、彼に玄奘三蔵の号を贈り、仏典の翻訳に援助を与えたのです。
玄奘は、帰国の翌年(646年)に、この大旅行の様子を「大唐西域記」として著し、この書物は当時の中央アジア、インドの状況を伝える貴重な史料として現在に至っています。
この旅行記をもとに、16世紀、明の呉承恩が書いた長編小説が、孫悟空等の活躍で有名な「西遊記」で在り、三蔵法師のモデルが玄奘なのです。

 玄奘は勅命によって、大慈恩寺(648年に建立)に迎えられ、インドから持ち帰った仏典の翻訳にあたり、亡くなるまでの18年間に「大般若経」など75部1335巻の漢訳を行いました。
大慈恩寺内に建てられた大雁塔は、これらの仏典、仏像を火災から守るために建てられた(652年)塔なのです。

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義浄の仏典翻訳の場所となった小雁塔(薦福寺)

 玄奘の死から7年後の671年、義浄(635年~713年)も、広州から海路インドに向かい、25年の間に東南アジア、インド等30カ国を訪れ、インドではナーランダ学院で学び、多数の仏典を携えて、再び海路帰国(695年)しました。
則天武后の出迎えをうけて洛陽に入り、勅をうけて仏典の翻訳にあたり、54部221巻を漢訳し、著書の「南海寄帰内法伝」は、旅行中の681年~691年、シュリーヴィジャヤ滞在中に、それまでの見聞を記したもので、当時の東南アジア諸国、インドの様子を知るための貴重な史料となりましした。

 唐代の仏教では、禅宗、浄土宗、密教が普及するようになり、後に日本に伝えられ、平安、鎌倉仏教に大きな影響を及ぼすことになります。

ジョークは如何?

 第二次世界大戦の頃である。イギリス軍は北アフリカ戦線において「砂漠の狐」と呼ばれたドイツ軍のロンメル将軍に散散な目にあわされていて、本国のイギリス議会では「司令官を更送せよ」という声が高まっていた。

 時の首相チャーチルは「責任者としてどうするつもりだ!」と叫弾をぶつけてきた議員に、「君ならどうするかね?わが大英帝国の北アフリカ司令官として、誰が最も適任だと考えているかね?。」と鋭く切り返した。

 よく文句ばかりつけるが何の代案ももっていない人間がいる。
チャーチルの切り返しは実に見事だったが、それに負けない名答が返されたのだ。

「ロンメル将軍!。」

続く・・・
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西遊記ですか

てぃーす (/・o・)
(/・o・)今日は日曜日です
ヾ( ' - '*)オハヨ♪(^▽^)ゴザイマース
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