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2014/12/12

歴史を歩く67

13 モンゴル民族の発展⑤

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元朝宮廷風俗

3 元の中国支配(統治政策)

 南宋を滅ぼし中国全土を支配下においた元朝は、人口の8割以上を占める漢人統治にあたってはモンゴル人第一主義を原則とし、 従来の州県制に基づく統治を行いました。

 モンゴル人第一主義は民族差別に基づく身分制度で、人々をモンゴル人、色目人、漢人、南人に分け、中央政府の首脳部と地方行政機関の長はモンゴル人が独占しました。

 色目人は諸色目人(色々の目の色をした人々の意)の略で、中央アジア、西アジア出身の異民族を指し、モンゴル人に次いで重用され、モンゴル人とともに支配階級を形成し、主として経済、財政面で活躍し、ヨーロッパの人々もこの範囲に入ります。
 
 支配階級であるモンゴル人と色目人を合わせて人口は約200万人、その人口構成比は約3%でした。

虢国夫人游春图
虢国夫人游春图

 漢人は、金の支配下にあった人々の総称で女真、契丹、高麗、渤海の人々と淮河以北に居住していた漢人等が含まれ、人口は約1000万人、人口構成比は約14%でした。

 南人は南宋の支配下にあった漢民族を指し、人口は約6000万人、人口構成比は約83%を占め、漢人、南人は被支配者階級であり、特に人口の大部分を占める南人は最下層に置かれ徹底的に差別されたのです。
僅か3%の支配階級が97%の漢民族、女真人、契丹人等を支配したのがモンゴル人第一主義です。

 モンゴル人第一主義のもとでは、重要官職はすべてモンゴル人と色目人が独占した結果、従来の官吏任用制である科挙は一時停止されたのですが、中国文化に理解を示した第4代仁宗の時に復活したのですが(1313年)、モンゴル人、色目人と漢人には別々の試験が課され、しかも試験の難易度に差が付けられており、モンゴル人や色目人に有利になっていました。

 こうしたなかで、今迄の中国社会では人々から尊敬されてきた士大夫階級、特に儒学者は冷遇されました。
当時の人々の社会的地位を順にあげている記録によれば「官・吏・僧・道・医・工・匠・娼・儒・丐」であり、儒学者は9番目におかれ、辛うじて丐(乞食)の上に 置かれる存在でした。

 支配階級で貴族階級であるモンゴル人の数は極端に少なく、その上彼等は大土地を所有したのですが遊牧民族である彼等は、中国の農耕社会に根をおろすことは最後迄在りませんでした。
彼等の所有する大土地は宋代と同様に佃戸によって耕されたことを考えれば、モンゴル人は中国社会に寄生しているに過ぎませんでした。

 世祖フビライ・ハンの死後、孫の成宗(在位1294年~1307年)が継ぎ、世祖の方針を守り、国内、対外的にも平和を維持しましたが、次の武宗(在位1307年~11年)の時代になるとチベット仏教(ラマ教)信仰による莫大な出費、交鈔(紙幣)の乱発等により財政が混乱します。

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パスパ(パクパ・ロテ・ギャンツェン・གྲོ་མགོན་ཆོས་རྒྱལ་འཕགས་པ・八思巴)

 チベット仏教(ラマ教)は、フビライがチベット仏教の教主パスパを国師に迎えて保護した為、元朝で大いに栄えます。

 パスパ(1235年(39年)~80年)はチベット仏教(ラマ教)のサキャ派(紅帽派)の教主であり、幼い頃から聡明でパスパ(聖者)と呼ばれました。
即位前のフビライの信任を得て授戒し、フビライの即位とともに国師となり、モンゴル帝国内の仏教の統治権を与えられます。

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パスパ文字

 又パスパはフビライの命を受けて、チベット文字を基礎とするパスパ文字を考案し(1269年に公布)、パスパ文字は正式の国字となり、公文書に使用されましたが、読み書きが困難を極めた為にあまり普及していません。

 元朝では、以後チベット仏教(ラマ教)が大いに栄え、ラマ僧は尊崇され、又壮大なラマ教寺院が次々に建立され、豪華な法要が営まれ、そのために莫大な国費が費やされていきました。

 宮廷貴族の贅沢な生活やチベット仏教(ラマ教)の信仰による莫大な出費等により、元の財政は窮乏します。

 財政難を切り抜けるために、元朝は塩、茶、酒の専売制を強化し、交鈔を乱発しました。
交鈔は元の主要通貨となった紙幣で、フビライは交鈔を唯一の通貨と定めていましたので、フビライの時代、交鈔は銅銭の代用として使用され、銅銭2貫文が銀1両と定められ、交鈔の発行高に見合う銀が国庫に用意されていたのですが、その乱発により銀の準備不足に陥り、通貨の価値が暴落、激しいインフレを引き起こし、物価の上昇は民衆の生活を直撃しました。

 第4代仁宗(在位1311年~20年)は中国文化を尊重し、科挙の復活等を行い、次の英宗(在位1320年~23年)は禁軍の強化等、皇帝権の強化に努めたのですが、その急激な改革に反対する勢力によって暗殺されてしまいます。

 その後、元朝内部ではハン位の相続争いが続き、一方で財政は窮乏し、交鈔の乱発によるインフレは民衆の生活を圧迫し、社会不安が増大します。

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朱元璋

 第11代ハンに順帝(在位1333年~70年)が即位ますが、順帝は権臣に政権をゆだね、政治から逃避して逸楽に溺れた結果、国内は乱れ、紅巾の乱(白蓮教徒の乱、1351年~66年)等の反乱が相次ぎます。

 紅巾の乱から身を起こして明(1368年~1644年)を建国した朱元璋(明の太祖洪武帝)が北上して大都を陥れ、元を滅ぼし(1368年)、順帝は、大都から上都へ、更に応昌に逃れますがその地で病死し、順帝の子、昭宗(在位1371年~78年)は、モンゴル高原に退いて北元(1371年~88年)を建国しましたが、その子の時に明の遠征軍に敗れ、北元は2代で滅亡します。

ジョークは如何?

地獄には嘘つきが沈みこむための大きな沼がある。生涯のなかで多くの嘘をついているほど深く沈み込むという。ヒトラーとゲーリングは首まで沼に沈んでいる。そして自分達より背の低いゲッペルスがまだ腹の線までしか沈んでいないのをみて羨ましく思った。
 「君はこの世にいた最大の嘘つきだったのにどうしてもっと深く沈まないのかね?」

 「私はムッソリーニの肩に足を載せているんです。」


続く・・・
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コメント

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中国は支配される国かも

ヽ(^▽^@)ノいつもありがとうございます
やあっ (^。^)屮今日も楽しもう?(。???。?)
ご安全とご健康に気をつけておすごしください。
  今日もよろしくです
mm
‥  ┃┃
(θ) ・・
〈 彡>
~~~~~~~~~~~~
ドヒャー!

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