2015/01/06

歴史を歩く71

13 モンゴル民族の発展⑨

6 隣接諸国の変遷

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王建

 王建(877年~943年、高麗の太祖(在位918年~943年)は、新羅末期におこった反乱軍の指導者弓裔(きゅうえい)の部将として頭角を現し、弓裔が人望を失うと諸将に擁立されて王位に就き、高麗(918年~1392年)を建国し、都を自分の出身地である開城に置きました。

 王建は、新羅の諸制度を受け継いで支配体制を整える一方、国内の諸勢力を抑えて統一を達成します(936年)。
彼は新羅の貴族、地方豪族を迎え入れるとともに、自分は高句麗の子孫であるとの意識を持ち、渤海が契丹に滅ぼされると(926年)、渤海の遺民を積極的に受け入れ中央集権体制の確立に努めました。

 6代目の成宗(在位981年~997年)は、唐、宋の制度に倣って官制を整備し、中央集権体制を確立し、以後、12世紀前半迄高麗は全盛期を迎えました。
しかし、その頃から特権官僚の族党間の抗争が激化するなかで、武人が台頭し、12世紀末には崔氏の武人政権が成立しています。

 13世紀に入ると、モンゴルの侵入を受け、高麗は江華島に逃れて抵抗しますが、崔氏の政権没落後、元に降伏してその属国と成り(1259年)、後にフビライの日本遠征の基地となって軍船の建造等に苦しめられ、更に14世紀になると、今度は倭寇の侵入に苦しめられ、国力が更に衰退する中で、武将の李成桂(李朝の太祖)に国を奪われ、高麗は34代、475年で滅びました。

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高麗大蔵経

 高麗では、仏教が国家の保護を受けて盛となり、「高麗版大蔵経」が2回刊行され、2回目は高宗(
在位1213年~1259年)の時代に、モンゴルの侵略下で仏の加護を祈って行われました。

 高宗の時代に、世界最古の金属活字が発明されたと云われ、 又高麗では、宋から学んだ製陶技術が発達し、美しい高麗青磁が作られ、多くの優れた作品が生み出されています。

元時代の東南アジア
13世紀の東南アジア

 ヴェトナムは唐末、五代の時期に、それまでの1000年にわたる中国支配から独立し、いわゆる初期三王朝が成立しました。
呉権は、南漢との戦いに勝利をおさめ、自立して王を称し、呉朝を建国(939年)、丁部領(ディンボーリン)が丁朝(968年~980年)を、黎桓(れいかん)が前黎(れい)朝(980年~1008年)を建てますが、何れも短命に終わっています。
この呉朝、丁朝、前黎朝を総称してヴェトナムの初期三王朝と呼称します。

 この初期三王朝の後を受けて、李公蘊(りこううん、太祖、在位1010年~1028年)によって、ヴェトナム最初の本格的な統一王朝である李朝大越国(1010年~1225年)が建国されました。

 李朝は、中国に倣って中央官制、軍制を整備し、又科挙を取り入れて中央集権国家の樹立をめざします。
李朝では儒学が重視され、仏教も盛んでした。
李朝は宋軍の侵入を撃退し(1075年)、更に南方のチャンパーを侵略して領土の拡大をはかる等国力が充実し繁栄しましたが、7代高宗(在位1175年~1210年)の頃から国内が乱れて衰退に向かい、陳朝によって滅亡します(1225年)。

チャンカイン
陳煚:チャン・カイン

 陳煚(チャン・カイン当時8歳 在位1225年~1258年)は、李朝最後の女帝、仏金(パット・キム、昭皇、昭聖皇后当時7歳)から譲位されて陳朝(1225年~1400年)を建国します。
陳朝も国内諸制度、科挙を継承し、中央集権体制を強化しました。
陳朝はヴェトナム人の民族意識が高揚した時期と云われ、ヴェトナム史の編纂が行われ、字喃(じなん、チュノム)と呼ばれる漢字を利用して作られたヴェトナム固有の文字が創られ、広く使用されました。
 
 13世紀には、フビライの三度にわたる侵入(1257年、84年、87年)を撃退し、南方のチャンパーに侵略する等国力が充実しますが、1400年に権臣に王位を簒奪され滅亡します。

 陳朝の滅亡後、明の永楽帝に征服され、ヴェトナムは再び中国の支配下に置かれ(1400年~28年)、
雲南では、10世紀に南詔国(?~902年)に替わって、タイ人が大理国(937年~1254年)が建国されますが、フビライに征服されています。 

<チンギス・ハンの墓は何処に>

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チンギス・ハンと愛馬ホユルザガル、背後に聖地ブルカン山地

 広大な草原を、一群の人々が、1頭の雌ラクダを引いて現れました。
或る処迄来た時、人々は立止り、雌ラクダを放すと、ラクダは草原の中を歩き周り、やがて一箇所に立止ると、天に向かって、悲しげに嘶きました。
人々は、其処が1年前に造った墓で有る事を知ったのです。

 1年前、この場所に死者は埋葬されたのでした。
埋葬した後、土を被せ、その上を数百頭の馬を走らせて、しっかりと踏み固め、親子のラクダを連れて来ると死者を埋めた真上で、仔ラクダを殺しました。
その時、親ラクダは、子供の死体の匂いを嗅ぎながら、悲しく嘶いたのでした。

 1年が経ち、墓所には、草が一面に茂り、どの位置が墓所で在るのか見当がつきません。
其処で、昨年の親ラクダを連れて来たのですが、親ラクダは、自分の子供の死んだ場所を、永く覚えているからです・・・モンゴル人の埋葬習慣に関する書物には、この様に記されています。

 モンゴル人をはじめ、北アジアの人々は、死者を埋葬しても墓所の目印を、設けませんでした。
従って、王の墓所で在っても、長い年月が経つ内に忘れ去られ、モンゴル帝国の皇帝達の墓所も、現在では確認出来ず、チンギス・ハーンについても同様なのです。

 1227年の夏、チンギス・ハンは、タングート攻略の為、中国西部、現在の甘粛省深くに遠征した折、病に倒れ、
死去は、8月18日の事と伝えられますが、この英雄の死は、厳重に伏せられ、其れは又、チンギス・ハーンの遺言で在ったとも云われています。
遺骸は、モンゴルの兵士に厳重に守られ、粛々と草原の道を北に向かい、その途中で葬列に出会った者は、例外無く命を絶たれました。
かくして、ケルレン河の源に近い本営に達した時、初めて喪は発せられ、遠征中に皇子や将軍達の下にも、使者が急ぎました。
最も遠くに遠征していた者は、3ヵ月の後にようやく、本陣に到着したのでした。

 葬儀の終了後、遺骸は聖なるブルカン山の山中に深く埋葬され、其処は、オノン、ケルレン、トラの3河が源を発する土地でした。
嘗て、チンギス・ハンは、この地で狩猟を試みた時、一本の大樹の陰に休んだ折、左右の者に、自分が身罷ったら此処に葬って貰いたいと語ったと伝えられています。

 チンギス・ハンがこのブルカン山中に埋葬された事は、恐らく事実と推定されますが、場所の特定が全く出来ないのです。
伝えられる話では、やがて墓所には、樹木が繁茂して密林と成り、果たしてどの場所に英雄が眠っているのか、知る者が無くなってしまいました。
又、チンギス・ハンの墓所は、如何なる者も近づく事は禁じられ、彼の死から1世紀後の世でも、モンゴルの人々に神聖視されていました。

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中華人民共和国 内モンゴル オルドス エジンホロ旗のチンギス・ハーン廟

 処で、チンギス・ハンは何歳で、この世を去ったのでしょうか?
是も又、多くの説が在り、72歳、66歳、60歳と分かれているのは、その生年が、1162年とする説と、1167年とする説が現在でも対峙している為で、是等を特定させる資料も存在しませんが、12世紀中葉に生きた人物で在り、日本では、平清盛の時代に相当します。
出生の年では、正確な事例は、存在せずとも出生に関しては、明確です。
尚、源義経が北海道から、シベリアを経てモンゴルの地に至り、チンギス・ハンに成ったと云うお話は、良く耳にされると思いますが、是は後世の創作で、事実無根の俗説です。

 チンギス・ハンの父親は、イェスゲイで在り、モンゴル国の由緒正しい貴族且つ豪傑で、その家系もモンゴル人の間で伝承され、十代前迄正しく辿る事ができます。
母親は、ホエルンと呼ぶ才女で、最初メルキト国の男性に嫁していたところを奪い取られて(略奪婚)、イェスゲイの妻に成ったのです。
ホエルンから、チンギス・ハンの他、4人の弟妹が生れました。
尚、井上靖の「蒼き狼」では、ホエルンがメルキトに居た事から、チンギス・ハンの本当の父親もメルキト人では無いかとの話も在りますが、是は、作品におけるフィクションで、事実とは異なります。

モンゴル民族の発展、終わり。

ジョークは如何?

ヒトラーは、ババリア・アルプスを散歩するのが好きだった。というのは、
オーバーザルツブルクというところに山荘を持っていたのだ。

彼はいつものように山荘を出て、山の中を散策していたとき、川に落ちてしまった。
ヒトラーは泳げなかった。彼は右手をまっすぐに上げて、
「助けてくれ、助けてくれ!」と叫んだ。
すると森の中から一人の男があらわれて、ヒトラーを助けてくれた。

ヒトラーはずぶぬれになりながらも威厳をつくろって言った。
「余は大ドイツ民族の大統領である。よく救ってくれた。礼をいうぞ。
で、おまえの名前は?」
貧相な男は答えた。
「イスラエル・コーエンです。」
「なに?ユダヤ人か!しかし、おまえがユダヤ人であるにしても、たいへん
勇気のあるやつだ。願いがあったら一つだけ叶えてやろう。」
と、ヒトラーは濡れた口髭を、ぬれたハンカチでふきながらいった。
「ああ、それでしたら、たいへん大きな望みがあります。ほんとうにいっていい
でしょうか?」
「よろしい。」とヒトラーは言った。

「私があなたを救ったことだけは、誰にも言わないでください。」


続く・・・

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