歴史を歩く78
14-2イスラム世界の発展③

マグリブ地方
3西方イスラム世界
アフリカ北岸のモロッコ、アルジェリア、チュニジア地方はマグリブ地方と呼ばれます。
マグリブは、アラビア語で「西」を意味し、エジプト以東のイスラム世界に対して西方イスラム世界を指しています。
このマグリブ地方の先住民はベルベル人と呼ばれ、ハム系を主にネグロ、セム系の混血民族で、彼らは7世紀以来アラブ人の支配を受け、そのイベリア半島攻略の主力をなし、ヨーロッパ人からはムーア人と呼ばれたのです。
西サハラでラクダの遊牧を行っていたベルベル人のサンハージャ族の族長が、1039年にメッカに巡礼しました。
その帰途、イスラム法学者の教説を聞いて深い感銘を受け、その弟子の1人を伴って帰り、彼の教えを受けたのでした。
彼の教えに動かされたサンハージャ族は宗教的な結社を政治運動に転化して軍団を結成し、西サハラにムラービト朝(1056年~1147年:スペイン語でアルモラビド朝とも呼ばれる)を樹立しました。

イブン・ターシフィーン
初代アミール(アラビア語で「指揮者」の意味、武将、総督の称号として用いられる)となったイブン・ターシフィーン(在位1061年~1106年)のもとで、首都マラケシュを建設するとともに、聖戦(ジハード)をおこし、北に軍を進め、モロッコからアルジェリアの肥沃な農耕地帯をその支配下に治めました。
更に南下して西アフリカのガーナ王国(8世紀頃~1076年)を一挙に滅ぼしました。
その頃、イベリア半島では後ウマイヤ朝が内紛で分裂、衰退の一途を辿り1031年に滅亡し、以後アンダルシア地方(イベリア半島南部、アラブ人はアンダルスと呼んだ)はイスラム系諸小王朝が乱立する分裂時代を迎えていました。
同じ頃、キリスト教徒による国土回復運動(レコンキスタ、キリスト教徒によるイベリア半島からのイスラム勢力の駆逐運動)が展開されています。

国土回復運動によってトレドを失ったムスリム諸侯がイブン・ターシフィーンに援軍の派遣を求め、彼はこれに応えてイベリア半島に渡り(1086年)、カスティリャの軍を破り、グラナダ、コルドバ、セビリアを次々と攻略し、アンダルシア地方をムラービト朝の領土としました。
しかし、ムラービト朝では、世代が変わると熱狂的な宗教的な情熱が衰え、部族間の団結も緩んできました。
この頃、北アフリカのアトラス山中で、同じベルベル人のムワッヒド朝が台頭していました。
アトラス山中で定住生活を営むマスムーダ族のイブン・トゥーマルト(1091年頃~1130年)は、メッカに巡礼した際に(1106年)、イスラム神秘主義を学び、宗教や道徳を改革する情熱に駆られて故郷に戻ります。
イブン・トゥーマルトは自らマフディー(イスラム教で「救世主」の意味)と称し、教説を説いて回りベルベル人のイスラム化を促進しました。
アブド・アルムーミン(在位1130年~63年)は、イブン・トゥーマルトの死後、彼の思想、運動を継承し、ムワッヒド朝(1130年~1269年、スペイン語でアルモハド朝)を創始しました。
彼はマスムーダ族をまとめて勢力を拡大し、ムラービト朝を滅ぼし(1147年)、占領したマラケシュを都と定め、更に東に転じてチュニジア、トリポリまで領土を拡大し、イベリア半島南部と北アフリカにまたがる大帝国をつくりあげました。
しかし、ムワッヒド朝もムラービト朝と同じように宗教的な情熱が冷めてくると国内は分裂し、同じ頃モロッコに興ったマリーン朝に領土を奪われ、吸収される形で滅亡します(1269年)。

グラナダ王国:アルハンブラ宮殿
一方、イベリア半島では国土回復運動(レコンキスタ)が進展する中で、かって後ウマイヤ朝の首都として、当時世界最大の都市の一つとして繁栄してきたコルドバがキリスト教徒のカスティリャによって占領されました(1236年)。
この頃成立したナスル朝(グラナダ王国、1230年~1492年)は、コルドバ陥落後グラナダを首都としました(1238年)。
グラナダはヨーロッパにおけるイスラムの政治、軍事、文化の拠点として栄え、イタリアや東方との貿易で経済的にも繁栄しました。
有名なアルハンブラ宮殿は西方イスラム世界のみならず世界的にも最も美しい建築の一つと言われています。

グラナダ陥落 カトリック王がグラナダ王国最後の国王ボアブディルからアルハンブラ宮殿の鍵を受け取る
ナスル朝はキリスト教国の進出に対して最後まで抵抗しましたが、1492年にスペイン軍に敗れ、グラナダは陥落し、ナスル朝は滅亡しました。
これによって国土回復運動(レコンキスタ)は完了し、イスラム教徒はアフリカに押し返されます。この年は奇しくもコロンブスがアメリカ大陸に到達した年と同じ年でした。
ジョークは如何?
シベリアの強制収容所にて。
「きみは、どうしてここにいるんだい?」
「1939年に同志ポポフの悪口を言ったからさ。で、きみは?」
「ぼくは1943年に同志ポポフを誉めたからだよ」
二人はもう一人の囚人に問いかけた。
「きみは?」
「私はポポフだ」
続く・・・

マグリブ地方
3西方イスラム世界
アフリカ北岸のモロッコ、アルジェリア、チュニジア地方はマグリブ地方と呼ばれます。
マグリブは、アラビア語で「西」を意味し、エジプト以東のイスラム世界に対して西方イスラム世界を指しています。
このマグリブ地方の先住民はベルベル人と呼ばれ、ハム系を主にネグロ、セム系の混血民族で、彼らは7世紀以来アラブ人の支配を受け、そのイベリア半島攻略の主力をなし、ヨーロッパ人からはムーア人と呼ばれたのです。
西サハラでラクダの遊牧を行っていたベルベル人のサンハージャ族の族長が、1039年にメッカに巡礼しました。
その帰途、イスラム法学者の教説を聞いて深い感銘を受け、その弟子の1人を伴って帰り、彼の教えを受けたのでした。
彼の教えに動かされたサンハージャ族は宗教的な結社を政治運動に転化して軍団を結成し、西サハラにムラービト朝(1056年~1147年:スペイン語でアルモラビド朝とも呼ばれる)を樹立しました。

イブン・ターシフィーン
初代アミール(アラビア語で「指揮者」の意味、武将、総督の称号として用いられる)となったイブン・ターシフィーン(在位1061年~1106年)のもとで、首都マラケシュを建設するとともに、聖戦(ジハード)をおこし、北に軍を進め、モロッコからアルジェリアの肥沃な農耕地帯をその支配下に治めました。
更に南下して西アフリカのガーナ王国(8世紀頃~1076年)を一挙に滅ぼしました。
その頃、イベリア半島では後ウマイヤ朝が内紛で分裂、衰退の一途を辿り1031年に滅亡し、以後アンダルシア地方(イベリア半島南部、アラブ人はアンダルスと呼んだ)はイスラム系諸小王朝が乱立する分裂時代を迎えていました。
同じ頃、キリスト教徒による国土回復運動(レコンキスタ、キリスト教徒によるイベリア半島からのイスラム勢力の駆逐運動)が展開されています。

国土回復運動によってトレドを失ったムスリム諸侯がイブン・ターシフィーンに援軍の派遣を求め、彼はこれに応えてイベリア半島に渡り(1086年)、カスティリャの軍を破り、グラナダ、コルドバ、セビリアを次々と攻略し、アンダルシア地方をムラービト朝の領土としました。
しかし、ムラービト朝では、世代が変わると熱狂的な宗教的な情熱が衰え、部族間の団結も緩んできました。
この頃、北アフリカのアトラス山中で、同じベルベル人のムワッヒド朝が台頭していました。
アトラス山中で定住生活を営むマスムーダ族のイブン・トゥーマルト(1091年頃~1130年)は、メッカに巡礼した際に(1106年)、イスラム神秘主義を学び、宗教や道徳を改革する情熱に駆られて故郷に戻ります。
イブン・トゥーマルトは自らマフディー(イスラム教で「救世主」の意味)と称し、教説を説いて回りベルベル人のイスラム化を促進しました。
アブド・アルムーミン(在位1130年~63年)は、イブン・トゥーマルトの死後、彼の思想、運動を継承し、ムワッヒド朝(1130年~1269年、スペイン語でアルモハド朝)を創始しました。
彼はマスムーダ族をまとめて勢力を拡大し、ムラービト朝を滅ぼし(1147年)、占領したマラケシュを都と定め、更に東に転じてチュニジア、トリポリまで領土を拡大し、イベリア半島南部と北アフリカにまたがる大帝国をつくりあげました。
しかし、ムワッヒド朝もムラービト朝と同じように宗教的な情熱が冷めてくると国内は分裂し、同じ頃モロッコに興ったマリーン朝に領土を奪われ、吸収される形で滅亡します(1269年)。

グラナダ王国:アルハンブラ宮殿
一方、イベリア半島では国土回復運動(レコンキスタ)が進展する中で、かって後ウマイヤ朝の首都として、当時世界最大の都市の一つとして繁栄してきたコルドバがキリスト教徒のカスティリャによって占領されました(1236年)。
この頃成立したナスル朝(グラナダ王国、1230年~1492年)は、コルドバ陥落後グラナダを首都としました(1238年)。
グラナダはヨーロッパにおけるイスラムの政治、軍事、文化の拠点として栄え、イタリアや東方との貿易で経済的にも繁栄しました。
有名なアルハンブラ宮殿は西方イスラム世界のみならず世界的にも最も美しい建築の一つと言われています。

グラナダ陥落 カトリック王がグラナダ王国最後の国王ボアブディルからアルハンブラ宮殿の鍵を受け取る
ナスル朝はキリスト教国の進出に対して最後まで抵抗しましたが、1492年にスペイン軍に敗れ、グラナダは陥落し、ナスル朝は滅亡しました。
これによって国土回復運動(レコンキスタ)は完了し、イスラム教徒はアフリカに押し返されます。この年は奇しくもコロンブスがアメリカ大陸に到達した年と同じ年でした。
ジョークは如何?
シベリアの強制収容所にて。
「きみは、どうしてここにいるんだい?」
「1939年に同志ポポフの悪口を言ったからさ。で、きみは?」
「ぼくは1943年に同志ポポフを誉めたからだよ」
二人はもう一人の囚人に問いかけた。
「きみは?」
「私はポポフだ」
続く・・・
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コメント
西方イスラムのように東方もならないかな~
寒波の影響でグッと寒くなり
太平洋側でも雪も降りそうです。
温かくして、風邪など引かれませぬ様ご留意ください。
今日もよろしくです
∧w∧ ∧,,∧ ∧,,▲
(,,・∀・) ミ,,・∀・ミ (;;・∀・) ミャァ~
~(_u,uノ @ミ_u,,uミ @(;;;;uuノ
2015-02-02 05:45 流木庵{え~ちゃん} URL 編集