2015/02/09

歴史を歩く81

14-2イスラム世界の発展⑥

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アッバース朝時代の交易通商路

2東南アジアのイスラム化

 ムスリム商人は、既に8世紀後半のアッバース朝時代から盛んに海上に進出し、インド洋から東南アジアを経て中国の海港都市でも活躍していました。
イスラム教の中国への伝播は、アラブ人が7世紀後半に海路経由で伝え、広州、揚州、泉州等の港市にはイスラム寺院も建てられていますが、東南アジアにイスラム教が広まるようになるのは13世紀以後のことでした。

 東南アジアでイスラム教が広まる時期が遅れた理由として、初期のムスリム商人達が布教に余り熱心でなかった事、東南アジアの住民達にも受け入れる気運が無かった事等が考えられます。
13世紀に入って東南アジアにイスラム教が広まる様に成った主因は、神秘主義教団の活動によってインドのイスラム化が進んだことが深く関係していると考えられています。

 イスラム社会では、10世紀頃から神との一体感を求める神秘主義(スーフィズム)が盛んと成りました。
スーフィズム教団の修道者は、羊毛で作った粗末な衣服(スーフ)をまとい、贅沢な生活を排し、苦行と瞑想によって神との一体感を求めました。
12世紀になるとスーフィズム教団の組織化が進み、多くの神秘主義教団が結成され、教団員は貿易路に沿ってインド、東南アジア、中国に進出し、イスラム教の布教に熱心に従事したのです。

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東南アジア地域交易路

 こうした状況の中で、13世紀末にはスマトラ島の西北部、14世紀後半から15世紀にかけてジャワ島の東北部にイスラム教徒の小国が形成されて行きました。

 東南アジア諸島部では、7世紀にスマトラ島東南部にシュリーヴィジャヤ王国が興り、海上交通の要衝であるマラッカ海峡を押さえて繁栄し、10世紀に最盛期を迎えましたが、14世紀に入るとジャワ島のマジャパヒト王国の台頭から衰退に向かって行きます。

 シュリーヴィジャヤ王国が衰退した14世紀の末頃、マライ半島南西部に東南アジア最初のイスラム国家であるマラッカ王国(14世紀末頃~1511年)が成立しました。

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 マラッカ王国の建国者であるパラメーシュヴァラはマジャパヒト王国(1293年~1520年頃、ジャワ島中部を中心に栄えたヒンドゥー教の王国)の王女の夫にあたり、シャイレーンドラ朝(8世紀中頃~9世紀前半、中部ジャワを支配した王朝)王家の子孫と伝えられています。
彼は14世紀末にマジャパヒト王国で王位継承争いが発生した時、難を逃れ、後にマラッカに定着しました。
中国の明朝に朝貢し、タイのアユタヤ朝(1350年~1767年)の南下を防ぎ、独立を維持しました。パラメーシュヴァラは晩年にイスラム教に改宗しています。

 その後、マラッカ王国は東南アジア最初のイスラム国家として、又東南アジアの国際貿易の中心として繁栄し、最盛期の15世紀後半にはその領域はマライ半島南部全域と対岸のスマトラ島の東部に及ぶ大勢力と成りましたが、1511年にポルトガル人によってマラッカが占領され滅亡します。

 イスラム教は、マラッカの貿易のルートに沿ってインドネシアやフィリッピンの南部にも拡大し、ミンダナオ島等フィリッピン南部諸島の住民は16世紀末頃には、イスラム化しモロ人と呼ばれています。

 ジャワ島ではマラッカ王国成立の影響を受けて、北部ジャワにイスラム諸都市が分立し、内陸部の米作地帯にはヒンドゥー教国のマジャパヒト王国に代わって、イスラム教国であるマタラム王国(16世紀末~1755年)が成立しました。 

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マラッカに上陸するイスラム使節

ジョークは如何?

昔ロシアである男が兵役を逃れようと必死で言い訳をしていた。
「私は結核なのです。」
「ボロシロフ将軍は結核だが立派な軍人だぞ。」
「私の目は片方見えないのです。」
「イワノフ将軍を見ろ。片目だが軍人の鑑だ。」
「私は精神薄弱なんです。」
「バカをいえ。皇帝様をそれでも職務を果たしておられるぞ。」

続く・・・
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