歴史を歩く83
4-3イスラム文明の発展②

イスラム女性の風俗
2 イスラム教徒の学問②
「外来の学問」は、ギリシア、インド等非アラブの学問で、哲学、論理学、地理学、医学、数学、天文暦学、工学、錬金術等、自然科学分野を中心に発達しました。
これ等の「外来の学問」は、9世紀初頭にギリシア語の文献が組織的にアラビア語に翻訳されるようになって飛躍的に発達しますが、特に自然科学は大いに発達しています。

イブン・シーナー
医学、薬学は、ギリシア、インドから学び、特に外科、眼科分野等が発達していたと云われています。
有名な医学者としてはイラン系の医学者、哲学者で「医学典範」の著者であるイブン・シーナー(ラテン名アヴィケンナ、980年~1037年)とコルドバ生まれの大哲学者、医学者で「医学大全」を著したイブン・ルシュド(ラテン名アヴェロエス、1126年~98年)がよく知られています。
イブン・シーナーは、サーマン朝の高官の子弟としてブハラに生まれ、17歳頃サーマン朝君主の病気を治療し、その宮廷図書館で学究生活を送った後、各地を遍歴した後、ハマダーンのブワイフ朝君主の宰相となり、その保護のもとで14年間を過ごしました。
その学問は医学、哲学、神学、数学、天文学に精通し、彼の著作は100を越え、「学問の長老」と称されました。
特に「医学典範」はアラビア医学の集大成で、ラテン語に翻訳され、12~17世紀にかけて西ヨーロッパの大学、医学部で権威あるテキストとして重用されました。
イスラム世界では現在でも利用されていると云われています。

イブン・ルシュド
イブン・ルシュドは、コルドバの名門に生まれ、法学、医学、哲学を学び、その天分を発揮し、27歳の頃モロッコのマラケシュに赴いてムワッヒド朝のカリフに謁見し、コルドバで法官となり、晩年にはムワッヒド朝のカリフの主治医と成りました。
この間多くの著書を残しましたが、特にアリストテレス哲学の研究家、注釈家として有名で、中世ヨーロッパにおけるアリストテレス哲学の研究に大きな影響を与えています。
数学も、ギリシアの幾何学やインドの数学を学び、特にインドから学んだ数字、十進法とゼロの観念を発達させました。
現在我々が使用している算用数字はアラビア数字と呼ばれ、インド数字を原型として、イスラム世界で完成し、後にヨーロッパに普及し、現在は世界中で使用されています。
このアラビア数字最大の長所は、インドから学んだゼロの観念をアラビア数字、十進法と結びつけた処に在ります。
ローマ人はアルファベットを用いて数字を表記した(1=I、5=V、10=X、50=L、100=C等)のですが、大きな数字単位を表記する事に大変な苦労が必要でした。
例えば1999はCIC(1000) IC(500) CCCCLXXXXVIIII(1000と500の右端のCは、Cを裏返して左右を逆にした記号になる)と表記しました。
これをアラビア数字では1999で表す事が可能で、更に0を付け加えるだけで無限大の数字を表す事が出来るように成り、当に画期的な記数法でした。
従来の数学は、例えばギリシアの場合も発達した分野は代数学でなく幾何学でした。
代数学が発達せず、幾何学が発達した理由はやはり数字の問題と推定され、この計算に便利なアラビア数字の発明によって、イスラムでは、代数学、三角法が発達しました。
イラン系のフワーリズミー(780年頃~850年頃)は、ホラズムに生まれ、アッバース朝に仕えました。
アラビアの数学を確立し、代数学の創始者と成り、更に彼は天文学者としても有名でした。
天文暦学は、古代オリエントでも盛んであった占星術がイスラムでも大いに発達し、この分野から天文観測、暦学が発達し、正確な暦も作成されたのでした。

オマル・ハイヤーム
オマル・ハイヤーム(1048年~1131年)は、イランの詩人、数学者、天文学者で、セルジューク朝のスルタンの命により、極めて精密な一種の太陽暦である「ジャラーリー暦」制定に従事しました。数学者としては3次方程式解法を体系化していますが、彼の名を有名にしているのはペルシア語の「四行詩集」(「ルバイヤート」)の作者として伝わっている為です。
ルバイヤートは19世紀に英訳されて世界的に有名に成りました。

錬金術の寓意画
錬金術は、古代エジプトに起源を持つ、卑金属を貴金属に変えようとする技術です。
もちろん実現する可能性は皆無に等しいですが、そのためにあらゆる実験、観察が繰り返され、その中から様々な元素記号が生まれ、化学反応式更に酸とアルカリの区別等が発見されました。
このイスラムの実験、観察のデータを基礎に、近代ヨーロッパで化学が発達することに成ります。
ヨーロッパ人が、イスラムから様々な学問、知識を受け入れていく際、当時のヨーロッパ人には知られておらず、対象物(現象)を表す単語が存在しない場合には、アラビア語がそのまま使われました。
このため、今日の英語単語の中にも多くのアラビア語を起源とする単語が、存在することはよく知られています。
例えば科学用語として、
alcohol・alkali・algebra・alchemy・alembic・amalgam
一般の単語として、
Sugar・cotton・syrop・check・tambourine・luteそしてzero等が在りますが、科学用語にalの付く単語が多いのは、alはアラビア語の定冠詞である為です。
ジョークは如何?
ソ連の将軍とドイツの将軍とフランスの将軍が会合して、どの軍隊が一番勇敢かという話になった。
そこで、それぞれの部隊に崖から飛び降りるように命令を下すことにした。
フランスの部隊は将軍に命令されると、泣いて命乞いを始めた。
ドイツの部隊は命令される、「なんでそのような命令をするのか、納得のいく説明をしてほしい」といって将軍に食って掛かった。
ソ連の部隊は命令されると、「ダー(はい)」と答えて飛び降りていった。
続く・・・

イスラム女性の風俗
2 イスラム教徒の学問②
「外来の学問」は、ギリシア、インド等非アラブの学問で、哲学、論理学、地理学、医学、数学、天文暦学、工学、錬金術等、自然科学分野を中心に発達しました。
これ等の「外来の学問」は、9世紀初頭にギリシア語の文献が組織的にアラビア語に翻訳されるようになって飛躍的に発達しますが、特に自然科学は大いに発達しています。

イブン・シーナー
医学、薬学は、ギリシア、インドから学び、特に外科、眼科分野等が発達していたと云われています。
有名な医学者としてはイラン系の医学者、哲学者で「医学典範」の著者であるイブン・シーナー(ラテン名アヴィケンナ、980年~1037年)とコルドバ生まれの大哲学者、医学者で「医学大全」を著したイブン・ルシュド(ラテン名アヴェロエス、1126年~98年)がよく知られています。
イブン・シーナーは、サーマン朝の高官の子弟としてブハラに生まれ、17歳頃サーマン朝君主の病気を治療し、その宮廷図書館で学究生活を送った後、各地を遍歴した後、ハマダーンのブワイフ朝君主の宰相となり、その保護のもとで14年間を過ごしました。
その学問は医学、哲学、神学、数学、天文学に精通し、彼の著作は100を越え、「学問の長老」と称されました。
特に「医学典範」はアラビア医学の集大成で、ラテン語に翻訳され、12~17世紀にかけて西ヨーロッパの大学、医学部で権威あるテキストとして重用されました。
イスラム世界では現在でも利用されていると云われています。

イブン・ルシュド
イブン・ルシュドは、コルドバの名門に生まれ、法学、医学、哲学を学び、その天分を発揮し、27歳の頃モロッコのマラケシュに赴いてムワッヒド朝のカリフに謁見し、コルドバで法官となり、晩年にはムワッヒド朝のカリフの主治医と成りました。
この間多くの著書を残しましたが、特にアリストテレス哲学の研究家、注釈家として有名で、中世ヨーロッパにおけるアリストテレス哲学の研究に大きな影響を与えています。
数学も、ギリシアの幾何学やインドの数学を学び、特にインドから学んだ数字、十進法とゼロの観念を発達させました。
現在我々が使用している算用数字はアラビア数字と呼ばれ、インド数字を原型として、イスラム世界で完成し、後にヨーロッパに普及し、現在は世界中で使用されています。
このアラビア数字最大の長所は、インドから学んだゼロの観念をアラビア数字、十進法と結びつけた処に在ります。
ローマ人はアルファベットを用いて数字を表記した(1=I、5=V、10=X、50=L、100=C等)のですが、大きな数字単位を表記する事に大変な苦労が必要でした。
例えば1999はCIC(1000) IC(500) CCCCLXXXXVIIII(1000と500の右端のCは、Cを裏返して左右を逆にした記号になる)と表記しました。
これをアラビア数字では1999で表す事が可能で、更に0を付け加えるだけで無限大の数字を表す事が出来るように成り、当に画期的な記数法でした。
従来の数学は、例えばギリシアの場合も発達した分野は代数学でなく幾何学でした。
代数学が発達せず、幾何学が発達した理由はやはり数字の問題と推定され、この計算に便利なアラビア数字の発明によって、イスラムでは、代数学、三角法が発達しました。
イラン系のフワーリズミー(780年頃~850年頃)は、ホラズムに生まれ、アッバース朝に仕えました。
アラビアの数学を確立し、代数学の創始者と成り、更に彼は天文学者としても有名でした。
天文暦学は、古代オリエントでも盛んであった占星術がイスラムでも大いに発達し、この分野から天文観測、暦学が発達し、正確な暦も作成されたのでした。

オマル・ハイヤーム
オマル・ハイヤーム(1048年~1131年)は、イランの詩人、数学者、天文学者で、セルジューク朝のスルタンの命により、極めて精密な一種の太陽暦である「ジャラーリー暦」制定に従事しました。数学者としては3次方程式解法を体系化していますが、彼の名を有名にしているのはペルシア語の「四行詩集」(「ルバイヤート」)の作者として伝わっている為です。
ルバイヤートは19世紀に英訳されて世界的に有名に成りました。

錬金術の寓意画
錬金術は、古代エジプトに起源を持つ、卑金属を貴金属に変えようとする技術です。
もちろん実現する可能性は皆無に等しいですが、そのためにあらゆる実験、観察が繰り返され、その中から様々な元素記号が生まれ、化学反応式更に酸とアルカリの区別等が発見されました。
このイスラムの実験、観察のデータを基礎に、近代ヨーロッパで化学が発達することに成ります。
ヨーロッパ人が、イスラムから様々な学問、知識を受け入れていく際、当時のヨーロッパ人には知られておらず、対象物(現象)を表す単語が存在しない場合には、アラビア語がそのまま使われました。
このため、今日の英語単語の中にも多くのアラビア語を起源とする単語が、存在することはよく知られています。
例えば科学用語として、
alcohol・alkali・algebra・alchemy・alembic・amalgam
一般の単語として、
Sugar・cotton・syrop・check・tambourine・luteそしてzero等が在りますが、科学用語にalの付く単語が多いのは、alはアラビア語の定冠詞である為です。
ジョークは如何?
ソ連の将軍とドイツの将軍とフランスの将軍が会合して、どの軍隊が一番勇敢かという話になった。
そこで、それぞれの部隊に崖から飛び降りるように命令を下すことにした。
フランスの部隊は将軍に命令されると、泣いて命乞いを始めた。
ドイツの部隊は命令される、「なんでそのような命令をするのか、納得のいく説明をしてほしい」といって将軍に食って掛かった。
ソ連の部隊は命令されると、「ダー(はい)」と答えて飛び降りていった。
続く・・・
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