歴史を歩く84
4-3イスラム文明の発展③

イブン・バトゥータの旅路
2イスラム教徒の学問③
「外来の学問」は、自然科学以外の分野では哲学、地理学等も発達しました。

イブン・バトゥータ
哲学では、ギリシア哲学、特にアリストテレス哲学の研究が盛んに行われました。
前述したイブン・ルシュドはアリストテレス哲学の研究家として知られ、彼の注釈は後の西ヨーロッパに大きな影響を与えています。
イブン・ルシュドと同じく医学者として有名なイブン・シーナーも又哲学者としても有名です。
地理学の分野では、大旅行家イブン・バトゥータ(1304年~68/69年或いは77年)が有名です。今までにもイブンの名の付く人物が多く登場していますが、イブンは長男に多くつけられる名前である為です。
イブン・バトゥータはモロッコのタンジールに生まれ、22才の時にメッカへの巡礼の旅に出ました。カイロ、ダマスクス等を経てメッカに巡礼しますが、その後更に足を延ばしてエジプト、シリア、小アジアを経て南ロシアに至り、クリミア半島、キプチャク・ハン国を訪れ、その後中央アジアを南下してインドに入り、トゥグルク朝で法官となり約10年間デリーに滞在しました。
後に中国の元朝への使節団に加わり、海路中国に至り(1345年)、泉州、広州、杭州、大都(北京)を訪れた後、海路で帰国しています(1349年)。
その後もスペインやサハラ砂漠を越えてニジェール川流域を旅行し、マリ王国も訪れた記録が残されています。
彼の口述筆記による旅行記「三大陸周遊記」(原名は「町々の珍しさと旅の奇異への観察者に対する贈り物」)は1355年頃に脱稿されましたが、マルコ・ポーロの「世界の記述」(東方見聞録)と並ぶ旅行記として有名です。
文学では、アッバース朝以後、ペルシア文学の影響を受けて散文学が盛んとなり、その代表作「千夜一夜物語」(アラビアン・ナイト)は、8世紀にアラビア語に訳されたペルシア古来の「千物語」が骨子になり、それにインド、アラビア、ギリシア、エジプト等の説話が融合され、16世紀初頭迄に現在の形に発展したものです。

アリババと40人の盗賊
「アリババと40人の盗賊」「船乗りシンドバットの冒険」「アラジンと魔法のランプ」等私達が子供の頃からよく知られた話も多く存在しますが、イスラム教徒の生活や風俗を知る上でも貴重な書物です。
又フィルドゥシー(940年頃~1025年)が約25年を費やして完成した「シャー・ナーメ」(「王の書」)は、イラン建国から7世紀迄の神話、伝説、歴史を詠んだペルシアの大叙事詩です。

アルハンブラ宮殿
建築は、ドームとミナレット(光塔、この上から人間の声で礼拝の時が告げられる)を特色とするモスク(イスラム教の礼拝堂)が中心で、イェルサレムにある金色に輝くドームを持つ「岩のドーム」は初期の代表的なモスクです。
又スペインのグラナダに残るナスル朝の宮殿である「アルハンブラ宮殿」は、イスラムの代表的な建築で、世界で最も美しい建築の一つと云われています。
イスラム教は偶像崇拝を厳禁する宗教である為、絵画、彫刻の分野はあまり発達しませんでしたが、ミニアチュール(細密画)が書物の挿し絵として始まり、後に中国絵画の影響を受けて盛んと成りました。

モスクドーム天井のアラベスク模様
偶像崇拝禁止のイスラム圏で大いに発達した細工物が、アラベスクです。
アラベスクは植物や文字を図案化して幾何学的に連続配置した装飾文様ですが、モスク等のイスラム建築では見事なアラベスクが使われています。
3人と物の東西交流

イスラム商人による香料の取引
広大なイスラム世界の成立に伴い、ムスリム商人による遠隔地貿易が盛んとなり、人と物の交流は文化の交流を促進しました。
ムスリム商人は、より多くの利潤を求めて、イスラム世界の外へも積極的に進出しました。
「アラビアン・ナイト」に描かれている「船乗りシンドバットの冒険」はその事実をよく示しています。

イスラム交易船(ダウ船)
遠隔地貿易には、陸上の隊商貿易と海上の商船貿易が在り、駱駝の背に荷物を積んだ隊商は遠くは中国、南ロシア、内陸アフリカを往来し、イスラム教徒の商船は地中海、インド洋を縦横に航行し、遠く東南アジアや中国にも到達しました。
主要な取引品は、インドや東南アジアの香辛料、宝石、綿布、染料等、中国の絹織物、陶磁器等、又アフリカの金、奴隷、象牙等でした。
中国、東アフリカ、東南アジアの海港等には、ムスリム商人の居留地が設けられ、唐、宋代の中国ではアラビア、アラビア人はタージー(大食)と呼ばれ、ウマイヤ朝は白衣大食、アッバース朝は黒衣大食と呼ばれていました。
こうした人と物の交流と共に文化の交流も盛んで、中国で発明された製紙法がタラス河畔の戦い(751年)で捕虜となった唐軍の中に居た紙すき工によってバグダードに伝わり、更にイベリア半島とシチリア島を経て12世紀頃西ヨーロッパに伝えられたことは前にも述べました。
同じく中国起源で宋代に実用化されていた火薬と羅針盤もイスラム世界を経由してヨーロッパに伝えられます。
インドから西アジアに伝わった木綿や砂糖は、十字軍の兵士達によってヨーロッパへ伝えられ、又元の郭守敬によって作成された「授時暦」にはイスラム天文学の成果が取り入れられており、「授時暦」は江戸時代に作成された「貞享暦」に影響を及ぼしており、1年を365.2425日とする精密な陰陽暦です。
ジョークは如何?
医者と大工と政治家が議論している。
医者「神はアダムのあばら骨からイブをつくった。外科手術を施す医者こそ世界最古の職業だ」
大工「いや、神はカオス(混沌)からこの世界を建設した。だから大工が世界最古の職業さ」
政治家「そのカオス(混沌)を作り出すものは誰かね?」
続く・・・

イブン・バトゥータの旅路
2イスラム教徒の学問③
「外来の学問」は、自然科学以外の分野では哲学、地理学等も発達しました。

イブン・バトゥータ
哲学では、ギリシア哲学、特にアリストテレス哲学の研究が盛んに行われました。
前述したイブン・ルシュドはアリストテレス哲学の研究家として知られ、彼の注釈は後の西ヨーロッパに大きな影響を与えています。
イブン・ルシュドと同じく医学者として有名なイブン・シーナーも又哲学者としても有名です。
地理学の分野では、大旅行家イブン・バトゥータ(1304年~68/69年或いは77年)が有名です。今までにもイブンの名の付く人物が多く登場していますが、イブンは長男に多くつけられる名前である為です。
イブン・バトゥータはモロッコのタンジールに生まれ、22才の時にメッカへの巡礼の旅に出ました。カイロ、ダマスクス等を経てメッカに巡礼しますが、その後更に足を延ばしてエジプト、シリア、小アジアを経て南ロシアに至り、クリミア半島、キプチャク・ハン国を訪れ、その後中央アジアを南下してインドに入り、トゥグルク朝で法官となり約10年間デリーに滞在しました。
後に中国の元朝への使節団に加わり、海路中国に至り(1345年)、泉州、広州、杭州、大都(北京)を訪れた後、海路で帰国しています(1349年)。
その後もスペインやサハラ砂漠を越えてニジェール川流域を旅行し、マリ王国も訪れた記録が残されています。
彼の口述筆記による旅行記「三大陸周遊記」(原名は「町々の珍しさと旅の奇異への観察者に対する贈り物」)は1355年頃に脱稿されましたが、マルコ・ポーロの「世界の記述」(東方見聞録)と並ぶ旅行記として有名です。
文学では、アッバース朝以後、ペルシア文学の影響を受けて散文学が盛んとなり、その代表作「千夜一夜物語」(アラビアン・ナイト)は、8世紀にアラビア語に訳されたペルシア古来の「千物語」が骨子になり、それにインド、アラビア、ギリシア、エジプト等の説話が融合され、16世紀初頭迄に現在の形に発展したものです。

アリババと40人の盗賊
「アリババと40人の盗賊」「船乗りシンドバットの冒険」「アラジンと魔法のランプ」等私達が子供の頃からよく知られた話も多く存在しますが、イスラム教徒の生活や風俗を知る上でも貴重な書物です。
又フィルドゥシー(940年頃~1025年)が約25年を費やして完成した「シャー・ナーメ」(「王の書」)は、イラン建国から7世紀迄の神話、伝説、歴史を詠んだペルシアの大叙事詩です。

アルハンブラ宮殿
建築は、ドームとミナレット(光塔、この上から人間の声で礼拝の時が告げられる)を特色とするモスク(イスラム教の礼拝堂)が中心で、イェルサレムにある金色に輝くドームを持つ「岩のドーム」は初期の代表的なモスクです。
又スペインのグラナダに残るナスル朝の宮殿である「アルハンブラ宮殿」は、イスラムの代表的な建築で、世界で最も美しい建築の一つと云われています。
イスラム教は偶像崇拝を厳禁する宗教である為、絵画、彫刻の分野はあまり発達しませんでしたが、ミニアチュール(細密画)が書物の挿し絵として始まり、後に中国絵画の影響を受けて盛んと成りました。

モスクドーム天井のアラベスク模様
偶像崇拝禁止のイスラム圏で大いに発達した細工物が、アラベスクです。
アラベスクは植物や文字を図案化して幾何学的に連続配置した装飾文様ですが、モスク等のイスラム建築では見事なアラベスクが使われています。
3人と物の東西交流

イスラム商人による香料の取引
広大なイスラム世界の成立に伴い、ムスリム商人による遠隔地貿易が盛んとなり、人と物の交流は文化の交流を促進しました。
ムスリム商人は、より多くの利潤を求めて、イスラム世界の外へも積極的に進出しました。
「アラビアン・ナイト」に描かれている「船乗りシンドバットの冒険」はその事実をよく示しています。

イスラム交易船(ダウ船)
遠隔地貿易には、陸上の隊商貿易と海上の商船貿易が在り、駱駝の背に荷物を積んだ隊商は遠くは中国、南ロシア、内陸アフリカを往来し、イスラム教徒の商船は地中海、インド洋を縦横に航行し、遠く東南アジアや中国にも到達しました。
主要な取引品は、インドや東南アジアの香辛料、宝石、綿布、染料等、中国の絹織物、陶磁器等、又アフリカの金、奴隷、象牙等でした。
中国、東アフリカ、東南アジアの海港等には、ムスリム商人の居留地が設けられ、唐、宋代の中国ではアラビア、アラビア人はタージー(大食)と呼ばれ、ウマイヤ朝は白衣大食、アッバース朝は黒衣大食と呼ばれていました。
こうした人と物の交流と共に文化の交流も盛んで、中国で発明された製紙法がタラス河畔の戦い(751年)で捕虜となった唐軍の中に居た紙すき工によってバグダードに伝わり、更にイベリア半島とシチリア島を経て12世紀頃西ヨーロッパに伝えられたことは前にも述べました。
同じく中国起源で宋代に実用化されていた火薬と羅針盤もイスラム世界を経由してヨーロッパに伝えられます。
インドから西アジアに伝わった木綿や砂糖は、十字軍の兵士達によってヨーロッパへ伝えられ、又元の郭守敬によって作成された「授時暦」にはイスラム天文学の成果が取り入れられており、「授時暦」は江戸時代に作成された「貞享暦」に影響を及ぼしており、1年を365.2425日とする精密な陰陽暦です。
ジョークは如何?
医者と大工と政治家が議論している。
医者「神はアダムのあばら骨からイブをつくった。外科手術を施す医者こそ世界最古の職業だ」
大工「いや、神はカオス(混沌)からこの世界を建設した。だから大工が世界最古の職業さ」
政治家「そのカオス(混沌)を作り出すものは誰かね?」
続く・・・
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