2015/02/25

歴史を歩く86

15西ヨーロッパ世界の成立②

1ゲルマン民族の大移動②

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オドアケル万歳

 オドアケル(434年頃~493年)はゲルマン諸族スキリア族の名門の出身で、彼の父はアッティラの宰相でした。
オドアケルは西ローマ帝国皇帝親衛隊に入隊し、やがてその司令官となり、475年の皇帝交替の際にゲルマン人傭兵隊長に推され、ゲルマン人傭兵にイタリアの土地を要求して拒否されると、翌476年最後の西ローマ皇帝となるロムルス・アウグストゥスを追放してイタリア王を称しました。

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イタリアと周辺地域

 オドアケルは東ローマ皇帝から総督の称号を受け、イタリアとダルマティア(旧ユーゴスラヴィアのアドリア海沿岸地方)を支配しますが、東ローマ帝国の内政に干渉したため、東ローマ皇帝は東ゴート族のテオドリック大王にオドアケル追討を命じます。
オドアケル軍は度重なる戦闘で敗退を続け、オドアケルは最後にテオドリックに命を絶たれました(493年)。

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テオドリック

 東ゴート族は、フン族に征服され、その支配下に置かれ、アッティラのガリア遠征にも従軍させられました。
アッティラ急死、大帝国崩壊によってその支配から解放され、東ローマ皇帝からパンノニアに建国を認められました。

 東ゴート族の王家に生まれたテオドリック大王(454年頃~526年、在位473年頃~526年)は、人質としてコンスタンティノープルに送られ、その地で少年時代を過ごし、成人後帰国、東ゴート族の王位に就きます。
西ローマ帝国がオドアケルによって滅ぼされると、東ローマ皇帝はテオドリックにオドアケル追討を命じ、東ゴート族のイタリア移住を許し、テオドリックはイタリアに進出してオドアケルを破り、彼を暗殺しました。
その後イタリア半島に東ゴート王国(493年~555年)を建国、彼は親ローマ政策を行い、ローマ人を重用し、ローマの習慣を尊重しましたが、アリウス派(ローマ帝国で異端とされたキリスト教の一派)を強制したために、アタナシウス派を信仰するローマ人の支持を得ることが出来ませんでした。
東ゴート王国は、ユスティニアヌス帝治下のビザンツ(東ローマ)帝国によって滅ぼされます(555年)。

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ローマを略奪するガイセリック

 ヴァンダル族は、オーデル川とヴィストラ川に挟まれた地域(現在のポーランド西部)に居住していましたが、4世紀前半にローマ皇帝コンスタンティヌス帝からパンノニアへの移住を許され、アリウス派のキリスト教に改宗、5世紀初頭に東方からフン族が迫ってくると、西へ移動してガリアに入り、さらにイベリア半島に移動しました。

 ガイゼリック(390年頃~477年、在位429年~477年)の時代に北アフリカに渡り(429年)、北アフリカのローマ領を征服して、チュニジアを中心としてヴァンダル王国(429年~534年)を建国し、更にシチリア、サルジニア島からイタリア半島に進出し、一時地中海を制圧します。
455年にはローマに侵入して掠奪を行い、アタナシウス派を信仰するローマ系の住民を圧迫し、掠奪、暴行を働いたため、ローマ人の間では現在でも悪名が高い人物です。

 ヴァンダル王国は、ガイゼリックの死後内紛によって衰退し、ユスティニアヌス帝治下のビザンツ(東ローマ)帝国によって滅ぼされます(534年)。

 ブルグンド族は、ポメラニア東部、バルト海沿岸(現在のポーランドの西北部)に居住していましたが、4世紀頃西南に進み、ライン川上流のヴォルムス付近に移住しました。
ローマと同盟関係を結んでその地に留まっていましたが、やがてローマはフン族の傭兵を使ってブルグンド族を攻撃させ、ブルグンド族はフン族との激戦に敗れ、王を失って四散します。

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ニーベルンゲンの歌

 この出来事を背景に書かれた作品が、13世紀に完成する大叙事詩「ニーベルンゲンの歌」です。

 ブルグンド族の多くは南に向かい、現在のスイスのジュネーヴ付近にブルグンド王国(443年~534年)を再建し、その後ブルグンド族はローマの傭兵としてローマ帝国の戦力に一部を担いますが、西ローマ帝国が滅亡するとその混乱に乗じて、現在のフランス、リヨンを中心にフランスの東南部一帯に勢力を伸ばしますが、当時発展しつつあったフランク族によって滅ぼされます(534年)。

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 多くのゲルマン諸族が地中海方面を目指したのに対し、ユトランド半島から北ドイツに居住していたアングロ・サクソン族(アングル人・サクソン人・ジュート人等の諸部族の融合体)は、5世紀前半に北海をわたってブリタニア(イギリス)に侵入して先住民のケルト人を征服し、部族毎に小王国(ヘプターキー(七王国))を建てました。

 ローマ時代にブリタニアと呼ばれていた現在のイギリス(ブリトン島)は、以後イングランド(Angle's land、アングル人の土地の意味)と呼ばれるように成ります。

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『ロンゴバルド王アルボイーノの暗殺』

 ゲルマン諸族の多くが4世紀に移動を開始しているのに対し、遅れて移動したのがロンバルド(ランゴバルド)族です。
エルベ川、オーデル川の上流付近に居住していたロンバルド族は、ビザンツ(東ローマ)皇帝のユスティニアヌス帝からパンノニアの土地を与えられ、イタリア半島の東ゴート王国の討伐を助けます(526年)。

 時代を下りアルボイン王(在位561年~572年)の治世にイタリアに入り、ロンバルド王国(568年~774年)を建国、イタリア半島の北部、中部を征服して一時的な繁栄期を迎えます。
ゲルマン諸族の中で最も野蛮であったと云われているロンバルド族は、アリウス派を信仰し、ローマ教会を圧迫しました。

 現在ミラノを中心とする北イタリア一帯を指すロンバルディアは、ロンバルド王国の中心がこの付近に在った為です。
しかし、ロンバルド王国も、8世紀にはいるとフランク族の進出によって次第に領土を奪われ、ついにカール大帝の時代にフランク王国に併合されました。

 西ローマ帝国の滅亡(476年)後の西ヨーロッパには、いくつかのゲルマン民族による王国が建国されましたが、その中からフランク族が次第に発展し、後にヨーロッパの主要部を統一する大フランク王国が成立します。

 又ゲルマン民族が西に移動した後のエルベ川以東の地域やバルカン半島には、同じインド・ヨーロッパ語族のスラヴ民族が移住し定着していきます。

ジョークは如何?

社会主義という列車が走っていると、急に止まった。

 スターリンが部下を見にやらせると、レールがなかった。
スターリンは鉄道関係者を全員粛清した。

 ブレジネフが列車に乗っていると、急に列車が止まった。
ブレジネフはレールがないことがわかると、窓のカーテンを全部閉めさせ、
車両をゆすらせて、列車が動いているように見せかけた。

 ゴルバチョフが列車に乗っていると、急に列車が止まった。
ゴルバチョフはレールがないことがわかると、全てのカーテンを開けさせ、
外に向かって、「レールがない、レールがない」と大声で叫んだ。

続く・・・

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