2015/04/20

歴史を歩く100

15-4十字軍と都市の発達③

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インノケンティウス3世

2十字軍とその影響③

 第3回十字軍も結果的に聖地イェルサレム奪回と云う目的を達成することは出来ませんでした。
それから6年後に教皇の座についた人物が、教皇権の絶頂期の教皇として 有名なインノケンティウス3世(在位1198年~1216年)でした。
彼の提唱によって第4回 十字軍が起こされます。

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第4回十字軍によるコンスタンティノープル攻略

 第4回十字軍(1202年~1204年)は、北フランスの諸侯、騎士を中心に編成され、目標をアイユーブ朝の本拠地であるエジプトと定め、海路による遠征を決定し、海上輸送をヴェネツィアに依頼しました。
ヴェネツィアは兵士、物資の輸送と1年分の食料調達を銀貨8万5千マルクで請け負ます。

 十字軍軍団はヴェネツィアに集結したものの、約束の船賃が6割しか調達できず、交渉が難航したやさきのこと、ヴェネツィア側がハンガリー王に奪われたツァラ (アドリア海沿いの海港都市)を取り戻してくれるなら船を出す、不足分の支払いは後でよいとの提案を出します。

 十字軍側は止むを得ずこの条件を受け入れ、ツァラの町を襲い占領して略奪を行い(1202年)ましたが、ここで十字軍が同じキリスト教徒の町を襲ったと云う報を聞いた教皇インノケンティウス3世は激怒し、第4回十字軍参加者全員を破門した結果、「破門された十字軍」と云う前代未聞の事態となりました。

 翌年、破門された十字軍軍団を乗せた艦隊はツァラからコンスタンティノープルに向けて出航し(1203年)、ヴェネツィア商人と亡命中のアレクシオス (ビザンツ帝国の内紛により廃位させられたイサアキオス2世の子、後のアレクシオス4世)が同行します。

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第4回十字軍イスタンブール攻略

今回の十字軍指導者の間で、廃位させられたビザンツ皇帝を復位させ、その代わりにビザンツ皇帝は十字軍のヴェネツィアに対する負債を肩代わりし、更にエジプト遠征の費用を負担するとの密約が結ばれていました。
ヴェネツィアの商人達は十字軍を利用して商敵であったコンスタンティノープルに打撃を与え、東地中海へ商権を拡大することを企てていたのです。

 十字軍側は強く反対したが、結局ヴェネツィア商人と十字軍指導者の説得により同意し、コンスタンティノープルを攻略し、これを占領しました(1203年)。

 幽閉されていたイサアキオス2世が復位し、アレクシオス4世と共同皇帝となり、十字軍はコンスタンティノープルに駐留することに成ります。
ヴェネツィア商人達は新皇帝に密約履行を強硬に迫りますが断られ、更に密約の内容が漏れ、激高した市民達は皇帝の廃位を宣言し、アレクシオスを絞殺し、イサアキオスを毒殺しました。

 この宮廷クーデターを挑戦と受け取った十字軍側は、再びコンスタンティノープルを占領し、徹底的に略奪を行い、略奪品は十字軍とヴェネツィアで折半されたのです。

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フランドル伯ボードワン1世

 十字軍は「ラテン帝国(1204年~61年)」を建国し、フランドル伯ボードワン1世を皇帝に選出し、ヴェネツィアはコンスタンティノープルの一部と多くの島々や沿海地域を手に入れ目的を果たし、内陸部の土地は主立った十字軍諸侯、騎士に分け与えられました。

 ラテン帝国に対して、小アジアに逃れて抵抗したテオドロス1世を創始者として「ニケーア帝国(1204年~61年)」が建国され、ビザンツ帝国はここで一時消滅しました。

 この様に第4回十字軍は、本来の目的から全くはずれてしまい、正に 「脱線した十字軍」となり、ビザンツ帝国を消滅させ、ヴェネツィアの商権拡大と諸侯、騎士の領土獲得欲のみを満足させる結果となった上に、更に東西教会の対立が深まり、十字軍に対する不信感はますます強まったのです。

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少年十字軍

 第4回十字軍が失敗に終わったため、教皇インノケンティウス3世は新しい 十字軍を起こすために全ヨーロッパに説教師を派遣しました。
こうした説教師に接していたであろう北フランスの寒村に住む羊飼いの少年エティエンヌはある日巡礼の姿をした神を垣間見、神は聖地回復を記した手紙を少年に渡したと云います。
エティエンヌは神の使命を覚り、一心に神のお告げを説いて回り、やがて数千人の少年少女が彼の伝道に従うように成りました。

 少年達の親は、彼等の冒険を必死に思いとどまらせようとしたものの脱落者は少なく、彼等はリヨンからマルセイユへ到達します。
もちろん彼等は船賃も持っておらず、この時マルセイユの船主が「お前達の殊勝な心がけに免じて聖地迄、無償で船に乗せてやろう」と申し出、彼等はその甘言を信じて7艘の船に分乗してマルセイユを出帆し、7艘のうち2艘はサルデーニャ島付近で難破し、残る5艘の船に乗った少年達はアレクサンドリアに運ばれ、奴隷として売り飛ばされる悲劇となりました。

 この出来事は少年十字軍(1212年)と呼ばれており、同じような動きはドイツでも見られました。度重なる十字軍の失敗、その度に説教士達によってかきたてられた社会の興奮から引き起こされた悲劇的出来事でした。
  
 教皇インノケンティウス3世は、第4回ラテラノ公会議(1215年)で新たな十字軍を提唱したものの、その翌年に亡くなっています。

ジョークは如何?

実話
ハンス・フォン・ゼークトの組織論について

人間は4種類に大別できる。

「勤勉で頭の良い者」「怠け者で頭の良い者」「勤勉で頭の悪い者」「怠け者で頭の悪い者」。

軍隊で一番必要なのは「勤勉で頭の良い者」。
参謀に適任だ。勝つ為の戦術を立案できる。

次に「怠け者で頭の良い者」。
前線指揮官にすべきだ。生き残る為に必死で的確な指揮をするだろう。

次に「怠け者で頭の悪い者」。
命令された事しかできないがそれで十分だ。全ての障害を打ち倒す。

最後に「勤勉で頭の悪い者」。
そういう奴はさっさと軍隊から追い出すか銃殺にすべきだ。
なぜなら間違った命令でも延々と続けてしまい、気が付いたときには取り返しがつかなくなってしまうからだ。


続く・・・


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