2015/04/20

歴史を歩く101

15-4十字軍と都市の発達④

2十字軍とその影響④

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神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世

 インノケンティウス3世の支持を得て神聖ローマ帝国皇帝となった フリードリヒ2世(在位1215年~50年)は、教皇から十字軍を派遣するように迫られていましたが、口実を設けては引き延ばしていました。
グレゴリウス9世が教皇になると、 新教皇は直ぐに派遣を実行するように強く迫り、フリードリヒ2世はやむを得ず出発したものの、マラリアにかかり引き返し、教皇はこれを仮病として彼を破門します。
破門をもって脅されたフリードリヒ2世は翌年聖地に赴いきました。

 この様な背景で始まったものが第5回十字軍(1228年~29年)です。
フリードリヒは、アイユーブ朝の内紛につけいり、外交交渉によってスルタンと協定を結び、一戦も交えることなくイェルサレムを回復しました。
協定の内容は、イェルサレムは返還するものの信仰上は共同統治とし、10年間の休戦を約束したものでした。

 しかし、その後イェルサレムは再びイスラム教徒の手に落ち(1244年)、イェルサレムは 20世紀迄イスラム教徒の支配下に置かれることに成ります。

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アルビジョワ十字軍

 敬虔なキリスト教徒で「聖王」と呼ばれたフランス王ルイ9世(在位1226年~70年)は、国内ではアルビジョワ十字軍(1209年~29年)を起こし、南フランスの異端アルビジョワ派を討伐し、根絶しました。
ルイ9世は単独で第6回十字軍(1248年~54年)・第7回十字軍(1270年)を起こしています。

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ダミエッタ攻撃

 第6回十字軍は、目標をアイユーブ朝の都カイロに定め、ダミエッタを占領してカイロに進撃しましたが、イスラム教徒の反撃にあって包囲され、捕虜となったルイ9世(1249年)は、莫大な身代金を支払って釈放されますが、帰国後も聖地回復の夢を捨てず第7回十字軍を起こします。

 第7回十字軍は、北アフリカを攻めて、そこに十字軍の新しい拠点を築くためチュニスに上陸しますが、彼はそこで病没し、この第7回十字軍が最後の十字軍となりました。

 これより前、マムルーク朝(1250年~1517年)は、アイユーブ朝を滅ぼし、エジプト、シリアを領有し、アンティオキア公国を滅ぼし(1268年)、トリポリ伯国も滅ぼした上(1289年)、更に十字軍最後の拠点アッコンも1291年に陥落させ、シリア、パレスチナの地は完全にイスラム教徒の支配下に置かれました。
この年をもって十字軍時代の終わりを告げます。

 約200年の間に前後7回の十字軍が派遣されたことは、当然のことながらヨーロッパ世界に大きな影響を及ぼし、中世ヨーロッパ世界を大きく変化させることと成りました。

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聖地を去る

 宗教面では、十字軍が教皇の提唱で起こされ、一時的にせよ聖地を回復したことから、教皇の権威はますます高まり、13世紀初めのインノケンティウス3世の時に教皇権は絶頂期を迎えました。
しかし、結局聖地を回復できなかったことは逆に教皇に対する信頼を失わせることとなり、宗教熱は冷却し、更には教皇権の衰退を招くことになりました。

 政治面では、諸侯、騎士が没落する原因を作ります。
長期間の遠征によって多くの諸侯、騎士が命を落とし、家系の断絶が起こり、又莫大な遠征費の負担は彼等の経済的な没落の原因と成りました。
その一方で国王による中央集権化が進展し、国王は十字軍の指揮者として活躍し、諸侯、騎士の没落によってその地位は相対的に強化され、又諸侯、騎士が戦死し、家系が断絶した場合はその遺領を王領に 編入し財政面での強化を図り、各国では国王による中央集権化が進展して行きます。
 
 経済面では、十字軍によって最大の利益を得たヴェネツィア、ジェノヴァ等の北イタリア海港都市がイスラム世界との遠隔地貿易(東方貿易)によって大きな利益を得て発展しました。
又ヨーロッパ内部でも遠隔地商業や貨幣経済が発展し、都市が発達します。

 文化面では、十字軍によって多くの人々が東方との間を往来したためヨーロッパ人の視野が広まり、ビザンツ文化やイスラム文化が流入し、特にイスラムから未知の学問や技術がもたらされ、近代以後のヨーロッパ文化発展の基礎が形成されました。

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騎士時代の終焉

ジョークは如何?

クリミアのヤルタで三巨頭会談が開かれた。
 戦後処理について会議が終わり、車で郊外へドライブに出かけた。
その途中、道の真ん中に大きな牛が寝そべっていて動こうともしない。
 そこで、雄弁家のチャーチルが牛のそばに行って、なだめすかしたりして説得を試みようとしたが、牛は頑として動かない。
 次にルーズヴェルトが出ていって、「どいてくれたら褒美をやる」といって、ドル紙幣をちらつかせたが、見向きもしない。怒ったルーズヴェルトは「原爆を落としてやる!」といきり立つ始末。
 そこで最後にスターリンが車を降りて、牛の耳元に、一言、二言ささやきかけると、牛は驚いて立ち上がり、逃げていった。
 ルーズヴェルトとチャーチルが、不思議に思って、いったい何と言ったのかと訪ねると、スターリンはすまして、こう答えた。「そこをどかないと、コルホーズに入れちゃうぞって、言ったのさ。」


続く・・・

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