2015/04/25

歴史を歩く102

15-4十字軍と都市の発達⑤

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領主と農民

3中世都市の成立

 西ヨーロッパでは、イスラム教徒・マジャール人・ヴァイキングの侵入が相次いだ8世紀以後、荘園制を基礎とする封建制度に基づく社会、すなわち封建社会が成立しました。

 相次ぐ外民族の侵入による混乱の中で、人口は減少し、商業、交通は衰え、其れに伴い都市や貨幣経済も衰退し、人々は荘園内で自給自足の生活を営むように成っていました。

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重量有輪犁による開墾作業

 しかし、11世紀以後封建社会が安定して人口も増大する中で、所謂大開墾時代(11~13世紀頃)が始まり、森林や荒地の開墾、沼沢地の干拓等によって耕地が拡大し、又三圃制や有輪犁を馬や牛に引かせて深く耕す農法が普及し、農業生産力が高まっていったのです。

 荘園内で生産力が増大すると、余剰生産物が生じ、その余剰生産物を交換する市が始まりました。市は当初小規模で不定期にしか開かれませんでしたが、次第に定期市へと発展して行きました。
市では初期では物々交換が主流でしたが、次第に貨幣による交換が盛んとなり、自給自足の自然経済から貨幣経済に移行して行きました。

 このような変化はイスラム教徒、ヴァイキングの商業活動、大量の人と物が動いた十字軍によって促進され、貨幣経済、商業の発達は商人や手工業者という新しい階級を生み出しました。
そして商人や手工業者の居住地域としての都市が成立、発展したのです。

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中世ヨーロッパの商業圏

 西ヨーロッパでは、11~12世紀に変革期を迎え、都市や市民の発展は「商業ルネサンス(商業の復活)」と呼ばれています。

 中世都市の多くは定期市から発展しましたが、その成立の由来からローマ都市、司教都市、城砦都市、建設都市等に分類されます。
ローマ都市は古代ローマ都市の跡に建てられた都市、司教都市は司教座がおかれた街の教会を中心に発達した都市、城砦都市は封建領主の城を中心に発達した都市、そして建設都市は港、河口、市場など交通の便のよい処に建設された都市です。

 商業はごく初期に於いては小規模で、取引の範囲も都市と周辺の農村との近距離商業でしたが、十字軍等の影響で交通が発達すると東方貿易や北海貿易に代表される遠隔地商業が盛んに成りました。遠隔地商業の発達に伴ってヨーロッパには地中海商業圏と北欧商業圏の二大商業圏が成立しました。

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ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサの位置関係

 北イタリアのヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサ等の海港都市は早くから地中海で活躍していましたが、十字軍時代以後はイスラム商人との東方貿易によって繁栄しました。
東方貿易で手に入れた胡椒等の香辛料、絹、宝石等アジアの特産物をアルプス以北に運んで銀と交換し、その銀でイスラム商人から香辛料等を購入しました。

 特にヴェネツィアは、第4回十字軍以後東地中海に商権を拡大し、東方貿易によって莫大な富を手にして繁栄しました。
ジェノヴァも十字軍を利用して東地中海に商権を拡大し、ヴェネツィアと海上の覇権をめぐって激しく争ったのです。

 内陸のフィレンツェは、13世紀以後毛織物生産と貿易、金融業によって大いに繁栄しました。
フィレンツェの大富豪メディチ家は商業、金融で巨富を得て15世紀前半には市政を握り、一族からは二人のローマ教皇を輩出しました。
又文芸の保護に努めた結果、フィレンツェはイタリア・ルネサンスの一大中心地となったのです。

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中世期のミラノ

 北イタリアの内陸都市ミラノも毛織物、商業で繁栄しました。

 北イタリアと同じ頃、北ドイツ・フランドル地方でも都市が発達し、この地域では北海、バルト海を中心に北欧商業圏が成立し、北海貿易が盛んとなり、穀物、海産物、毛織物、木材等の生活必需品がヨーロッパ内で取り引きされました。

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リューベック

 北ドイツでは、リューベック、ハンブルク、ブレーメン等の都市が栄えました。

 リューベックは12世紀に建設されて以来、北海、バルト海貿易の中心となり、後にハンザ同盟の盟主と成ります。
エルベ川河口の港湾都市であるハンブルクも北海貿易で栄え、ハンザ同盟の中心的な都市として繁栄し、又ブレーメンもハンザ同盟の重要な都市として栄えたのです。

 ライン川河口に近いフランドル地方(ほぼ現在のベルギーにあたる地方)では、10世紀頃から毛織物生産が盛んとなり、ガン、ブリュージュ等、毛織物生産都市として成長して行きます。

 イギリスでは、ロンドンが北海貿易で繁栄しハンザ同盟の4大在外商館の1つが設置されました。
 北イタリア都市と北ドイツ都市の発展によって、地中海商業圏と北欧商業圏とを結ぶ交通路に沿って、シャンパーニュ地方や南ドイツでも都市が発達していきました。

 フランス東北部のシャンパーニュ地方は、二つの商業圏の中間に位置し、諸国からの交通路が集中する交通の要地であった為、トロアを中心とする6都市で順に年6回の定期市が開かれました。
「シャンパーニュの大市」として知られ、全ヨーロッパから商人が集まり、東方貿易、北海貿易によってもたらされる商品が取引され、12~13世紀かけて大いに繁栄しました。

 南ドイツではアウグスブルクやニュルンベルクが同様に成長して行きます。

 アウグスブルクは、初代ローマ皇帝アウグストゥスが設置した要塞が起源で、中世ヨーロッパ最大の銀、銅の産地として有名でした。
商業、交易の中心地としても栄え、15世紀には大富豪のフッガー家が台頭します。

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スペイン王カルロス一世の金銭消費貸借証書を焼き捨てるアントン・フッガー

 フッガー家は、15世紀にイタリアとの香辛料、羊毛取引で産を成し、15世紀末から銀山、銅山の採掘権を独占して巨万の富を築いて一躍国際的な金融資本家にのし上がり、16世紀には皇帝や教皇への融資を通じてヨーロッパの政治に大きな影響を及ぼしていきます。

 ニュルンベルクは、15世紀頃にはイタリアとの遠隔地貿易の要地として栄え、当時のドイツで最大規模を競う大都市と成り、更にニュルンベルクの商人達は、その活発な商業活動でも知られ、「ニュルンベルク市民なきところ大市なし」と言われるほどでした。

 その他ドイツでは、ライン川に沿う地域でケルンやマインツが繁栄し、ケルンとマインツには大司教座がおかれ、10世紀以後交易の中心地としても繁栄しました。

 フランスでは、ルーアン、ボルドー、マルセイユ等の港湾都市や内陸のリヨン等も繁栄しボルドーはぶどう酒の輸出港として、リヨンは絹織物生産で知られています。

 今迄多くの都市を紹介しましが、ヨーロッパ中世都市は現在の都市の規模より遥かに小さく、人口は1000~5000人位であり、1500年頃に人口が5万人を越えていたのはロンドン、パリ、ヴェネツィア、パレルモ、ミラノ、フィレンツェ、ブリュージュ、ガンの8つだけでした。

ジョークは如何?

あるイタリア人がドイツ軍の捕虜になり、縛り上げられ、拷問にかけられました。そのイタリア人はどんな厳しい拷問にも屈せず、ついに何も喋りませんでした。さすがのドイツ軍も根負けして、縛っていた両腕を解きました。すると、とたんそのイタリア人は身振り手振りも軽やかにぺらぺらとしゃべり始めたというのです。ドイツ人は顔を見合わせ言いました。

「そうか!こいつらは身振り手振りしないと喋れないんだ。早く縄をほどくんだった!」


続く・・・

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