歴史を歩く111
15-5西ヨーロッパ中央集権国家の成立⑥
5スペインとポルトガル

レコンキスタの変遷
イベリア半島は、8世紀以来イスラム教徒の支配下に置かれていました。
イスラム教徒(ウマイヤ朝)に滅ぼされた西ゴート王国の貴族は北方の山岳地帯に逃げ込み、そこを拠点としてイベリア半島からイスラム教徒を駆逐し、キリスト教徒の手に奪回する運動を起こしました。
この運動は国土回復運動(レコンキスタ、再征服)と呼ばれています。
レコンキスタの過程で、イベリア半島にはレオン・カスティリア・ナヴァル・アラゴン・ポルトガル等の諸国が成立します。
レコンキスタの先頭に立った国は、8世紀初頭に西ゴート貴族等によってイベリア半島北西部に建国されたアストゥリアス王国で、次第に領土を拡大し、9世紀後半にレオン地方を征服し、レオンに首都をおいたので以後はレオン王国と呼ばれました。
カスティリア王国(930年頃建国)は、レオン王国辺境伯が近隣を征服し自立後建国しました。
その後南方に領土を拡大し、13世紀にはレオン王国を併合(1230年)、更にコルドバを占領して(1236年)イベリア半島の大半を支配下に治め最大の王国となりました。
ナヴァル王国は、10世紀初頭に建国され、11世紀にアラゴン王国に併合されましたが、12世紀には独立を回復します。
アラゴン王国は、11世紀にナヴァル王の一族によって建国され、その後南方に領土を拡大し、14世紀にはサルデーニャ(サルディニア)島・シチリア島等も領有して西地中海で勢力を振るい、カスティリア王国と並んでレコンキスタの中心と成って行きます。

ジョアン1世
ポルトガルは、アルフォンソ・エンリケシュがイスラム教徒を撃破し、領土を回復してカスティリア王国から分離独立して王国と成り(1143年)、ジョアン1世(在位1385年~1433年)は北アフリカのセウタを攻略して海外進出の基礎を築き、その子エンリケ航海王子は西アフリカの探検を奨励しました。
ジョアン2世(在位1481年~95年)は、貴族の反乱を鎮圧して国内統一を進めて絶対主義の基礎を築き、又インド航路発見を援助する等、海外発展に力を尽くします。
12世紀になると、カスティリア・アラゴン・ポルトガルの3国が強大となり、キリスト教徒はイベリア半島の北半を奪回し、イスラム教徒は次第に南へ追いつめられて行きます。
イベリア半島南端に追い込まれたイスラム教徒は、イベリア半島最後のイスラム王朝であるナスル朝(グラナダ王国、1230年~1492年)を建国、グラナダを首都とし、以後グラナダはヨーロッパに於けるイスラムの政治・軍事・文化の最後の拠点となり、グラナダに残るアルハンブラ宮殿は世界で最も美しい建築物の一つに数えられています。
13世紀前半に、グラナダを除いてレコンキスタがほぼ完了すると、共通の目標を失ったカスティリア・アラゴン・ポルトガル等の諸国間では対立が激しくなり、14、15世紀には各国で混乱が続きました。

イサベル1世
カスティリア国王ファン2世(在位1406年~54年)の娘イサベル(後のイサベル1世、1451年~1504年)は、1469年にアラゴン王子のフェルナンド(後のフェルナンド5世、1452年~1516年) と結婚し、イサベルは兄の後を継いでカスティリア国王となり(1474年)、夫のフェルナンドも父の死後アラゴン王位に就き(1479年)、カスティリア・アラゴン両国は合邦してスペイン(イスパニア)王国と成りました。

フェルナンド5世
フェルナンド5世(在位1479年~1516年)とイサベル1世(1479年~1504年)はスペインを共治し、1492年にイスラム教徒の最後の拠点であったグラナダを陥れ、ここにレコンキスタが完了します。イサベルが後援したコロンブスの船団がサンサルバドルに到達したのも同じ1492年のことでした。
フェルナンドとイサベルは、国内では勃興しつつあった都市と結んで貴族勢力を抑え、スペイン絶対王政の基礎を築きました。
ジョークは如何?
自国民に無いモノは何?
日本人「余裕」
韓国人「自制心」
英国人「完全な私有地」
米国人「命の保証」
ソ連人「人権」
東欧諸国の人「脱出経路」
続く・・・
5スペインとポルトガル

レコンキスタの変遷
イベリア半島は、8世紀以来イスラム教徒の支配下に置かれていました。
イスラム教徒(ウマイヤ朝)に滅ぼされた西ゴート王国の貴族は北方の山岳地帯に逃げ込み、そこを拠点としてイベリア半島からイスラム教徒を駆逐し、キリスト教徒の手に奪回する運動を起こしました。
この運動は国土回復運動(レコンキスタ、再征服)と呼ばれています。
レコンキスタの過程で、イベリア半島にはレオン・カスティリア・ナヴァル・アラゴン・ポルトガル等の諸国が成立します。
レコンキスタの先頭に立った国は、8世紀初頭に西ゴート貴族等によってイベリア半島北西部に建国されたアストゥリアス王国で、次第に領土を拡大し、9世紀後半にレオン地方を征服し、レオンに首都をおいたので以後はレオン王国と呼ばれました。
カスティリア王国(930年頃建国)は、レオン王国辺境伯が近隣を征服し自立後建国しました。
その後南方に領土を拡大し、13世紀にはレオン王国を併合(1230年)、更にコルドバを占領して(1236年)イベリア半島の大半を支配下に治め最大の王国となりました。
ナヴァル王国は、10世紀初頭に建国され、11世紀にアラゴン王国に併合されましたが、12世紀には独立を回復します。
アラゴン王国は、11世紀にナヴァル王の一族によって建国され、その後南方に領土を拡大し、14世紀にはサルデーニャ(サルディニア)島・シチリア島等も領有して西地中海で勢力を振るい、カスティリア王国と並んでレコンキスタの中心と成って行きます。

ジョアン1世
ポルトガルは、アルフォンソ・エンリケシュがイスラム教徒を撃破し、領土を回復してカスティリア王国から分離独立して王国と成り(1143年)、ジョアン1世(在位1385年~1433年)は北アフリカのセウタを攻略して海外進出の基礎を築き、その子エンリケ航海王子は西アフリカの探検を奨励しました。
ジョアン2世(在位1481年~95年)は、貴族の反乱を鎮圧して国内統一を進めて絶対主義の基礎を築き、又インド航路発見を援助する等、海外発展に力を尽くします。
12世紀になると、カスティリア・アラゴン・ポルトガルの3国が強大となり、キリスト教徒はイベリア半島の北半を奪回し、イスラム教徒は次第に南へ追いつめられて行きます。
イベリア半島南端に追い込まれたイスラム教徒は、イベリア半島最後のイスラム王朝であるナスル朝(グラナダ王国、1230年~1492年)を建国、グラナダを首都とし、以後グラナダはヨーロッパに於けるイスラムの政治・軍事・文化の最後の拠点となり、グラナダに残るアルハンブラ宮殿は世界で最も美しい建築物の一つに数えられています。
13世紀前半に、グラナダを除いてレコンキスタがほぼ完了すると、共通の目標を失ったカスティリア・アラゴン・ポルトガル等の諸国間では対立が激しくなり、14、15世紀には各国で混乱が続きました。

イサベル1世
カスティリア国王ファン2世(在位1406年~54年)の娘イサベル(後のイサベル1世、1451年~1504年)は、1469年にアラゴン王子のフェルナンド(後のフェルナンド5世、1452年~1516年) と結婚し、イサベルは兄の後を継いでカスティリア国王となり(1474年)、夫のフェルナンドも父の死後アラゴン王位に就き(1479年)、カスティリア・アラゴン両国は合邦してスペイン(イスパニア)王国と成りました。

フェルナンド5世
フェルナンド5世(在位1479年~1516年)とイサベル1世(1479年~1504年)はスペインを共治し、1492年にイスラム教徒の最後の拠点であったグラナダを陥れ、ここにレコンキスタが完了します。イサベルが後援したコロンブスの船団がサンサルバドルに到達したのも同じ1492年のことでした。
フェルナンドとイサベルは、国内では勃興しつつあった都市と結んで貴族勢力を抑え、スペイン絶対王政の基礎を築きました。
ジョークは如何?
自国民に無いモノは何?
日本人「余裕」
韓国人「自制心」
英国人「完全な私有地」
米国人「命の保証」
ソ連人「人権」
東欧諸国の人「脱出経路」
続く・・・
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2015-06-05 15:05 編集