2015/06/05

歴史を歩く113

15-6西ヨーロッパ中世の文化

1学問と大学

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アンセルムス

 西ヨーロッパ中世文化の特色は、キリスト教文化と言い表すことが出来ます。
中世西ヨーロッパはカトリックの時代で、カトリック教会が絶大な権威をもっていた結果、学問・芸術等も教会の支配下に在り、当時最高の学問は、キリスト教教理を研究する神学で、建築や美術は教会とその装飾のために発達しました。

 中世の学問の担い手は、中世ヨーロッパの共通語であるラテン語が読み書きできる聖職者で在り、彼等が学者・知識人でした。
人口の大部分を占める農民は、ほとんど読み書きが出来なかったのです。

 上述の様に最高の学問は神学で、「哲学は神学の婢(はしため、召使い・下女の意味)」と云う諺は当時の学問の状況をよく示しています。

 神学は、当初アウグスティヌス等教父の著述を読む程度でしたが、十字軍以後はビザンツやイスラムからギリシア哲学(特にアリストテレス哲学)を取り入れてキリスト教の信仰・教義を哲学的に体系化したスコラ学(スコラは教会付属の学校の意味)に発展します。

 イタリア生まれで、後にカンタベリ大司教となったアンセルムス(1033年~1109年)は、神や普遍は個々の事物に先立って存在すると云う実在論を唱えて「スコラ哲学の父」と呼ばれました。
これに対してアベラール(1079年~1142年)は、実在するものは個々に事物だけで、神や普遍は後につくられたもので、名のみのものにすぎないと云う唯名論(ゆいめいろん)を主張します。

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 トマス・アクィナス

 この実在論と唯名論の対立は、普遍闘争と呼ばれ、ヨーロッパ全域で長く争われましたが、アリストテレス主義の導入によるトマス・アクィナスの説によって解決されました。

 トマス・アクィナス(1225年頃~74年)は、イタリアの神学者・スコラ哲学者で、ナポリ大学で学んだ後にドミニコ修道士となり、パリ大学で教鞭をとり、帰国後はローマの修道院で研究に励み、主著「神学大全」(1266年~73年に執筆)を著して信仰と理性の調和・統合を図ります。
彼はアリストテレス哲学をキリスト教思想に調和させて普遍論争に終結をもたらし、又神学と哲学の結合に努めたのでスコラ哲学の大成者とされています。

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ウィリアム・オッカム

 しかし、教皇権の衰退と共に、中世末にはウィリアム・オッカム(1290年頃~1349年頃)等の唯名論が有力となりました。

 中世ヨーロッパでは、キリスト教教義やカトリック教会の教えに反するような自由な思想や学問は許されず、合理的な学問の発達は妨げられていました。

 自然科学は上記の理由で大きな発展は在りませんが、中世最大の自然科学者と称されるイギリスのロジャー・ベーコン(1214年頃~94年)は、12世紀以後イスラム科学の影響を受けて、実験や観察を重んじ、近代自然科学への道を開きます。

 12世紀ルネサンスと後に云われる様に、12世紀の西ヨーロッパではイスラム文化やビザンツ文化が盛んに取り入れられ、イスラムやギリシアの学術文献がアラビア語やギリシア語からラテン語に翻訳・研究されて学問が盛んと成りました。

 イスラム文化は、主にトレドを中心とするスペインやシチリアを中心とする南イタリアを経由して、又ビザンツ文化はコンスタンティノープルと盛んに通商を行ったヴェネツィアを中心とする北イタリア経由して西ヨーロッパに伝播します。

 西ヨーロッパではイスラム文化やビザンツ文化の影響を受けて様々な学問が盛んと成りましたが、これらの学問は当初、修道院や私塾で教えられるに過ぎませんでしたが、12 世紀頃からはその頃ヨーロッパ各地に生まれてくる大学で教授されるように成ります。

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パリ大学

 ヨーロッパの大学の多くは12世紀以前から各地にあった教会や修道院付属学校を母体として生まれました。

 有名なパリ大学は、12世紀中頃ノートルダム大聖堂付属神学校から昇格し、フィリップ2世の保護を受けて、教授学生組合として発展します。
ソルボン(パリ大学神学部の別名であるソルボンヌは彼の名に由来する)によって創始された神学部が有名で、教会大分裂の時代迄、神学の最高権威で、ヨーロッパ各地から多くの優れた学生を集め、、又パリ大学は、14世紀以降ヨーロッパ各地に設立される大学の模範と成りました。

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十字軍に参加し負傷したノルマンディー公ロベール二世を迎えるサレルノの医学校の様子 ( Biblioteca Universitaria, Bologna )

 ヨーロッパ最古の大学は、ナポリの南部に位置するサレルノ大学です。
サレルノ大学は、イスラムから受け入れた医学で有名であり、11世紀中頃に設立され、ギリシアの医学者ヒポクラテスの研究に基づく講義が行われていました。

 サレルノ大学と並んで古い大学が北イタリアのボローニャ大学で11世紀末に設立されました。
法学者がローマ法の注釈を始め、ローマ法と教会法で有名になると全ヨーロッパから学生が集まり、13世紀中頃には学生数が1万人に達したと云われています。

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ボローニャ大学講義風景

 ボローニャ大学は学生の大学でした。
学生達は相互扶助を目的としてウニヴェルシタス(universityの語源)と呼ばれる団体を結成して、彼等の生活を守るために部屋代の値下げ等様々な要求を出し、聞き入れられない時は他の町に移住すると脅して要求を認めさせましたとの逸話も残っています。
当時の大学は現在の様に校舎等も存在せず、学生が他の町に移ることは大学が他の町に移ることを意味していたのです。

 後には学生達は教授に対しても講義ボイコット等の手段で対抗し、教授達は学生の中から選ばれたレクトル(学長)に服従の宣誓をするように成りました。
当時の教授達の収入は学生からの徴収金に拠っていた結果、教授達は学生達のボイコットには抵抗できなかったのです。

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オックスフォード大学(オール・ソウルズ・カレッジ)

 イギリスのオックスフォード大学は、12世紀後半にパリを引き上げた学生達によってパリ大学を模範として設立され、神学部を中心として、多くの優れた学者を輩出し、ケンブリッジ大学と並んでイギリスの指導者層を多く輩出しました。

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ケンブリッジ大学:キングス・カレッジのチャペル

 ケンブリッジ大学は、13世紀初頭にオックスフォード大学の教授や学生が移って設立され、法学で有名に成ります。

 上記の大学に続いて、13~15世紀にかけてヨーロッパ各地に多くの大学が設立され、14世紀に設立されたプラハ大学はドイツ最初の大学として名高く、後にフスも同大学の総長に就任しています。

 中世ヨーロッパの完全な大学は、神学・法学・医学の3学部を揃え、その下に人文学部が置かれていました。
人文学部は教養課程にあたり、いわゆる自由7科(文法(ラテン語)、修辞、論理、算術、幾何、天文、音楽)が必修とされ、是等を履修しなければ専門過程への進学は不可能だったのです。

ジョークは如何?

民主主義では,一歩進むために,一日をかける.

全体主義では,一歩進むために,一人を殺す.

共産主義では,一歩進むために,二歩下がる.

続く・・・

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