歴史を歩く115
1ルネサンス

最後の審判」部分画 ミケランジェロ (イタリア 1475年~1568年) フレスコ 壁画 13.7x12.2m ヴァチカン宮殿システィーナ礼拝堂
1ルネサンスとヒューマニズム
ルネサンス(Renaissance、再生の意味)とは、ギリシア・ローマの古典文化の再生を意味する言葉で、文芸復興と訳されてきました。
ルネサンスは、14世紀にイタリアで始まり、15世紀以後西ヨーロッパに広まりますが、単にギリシア・ローマの古典文化の復興にとどまらず、人間精神の革新を求める文化運動でした。
ルネサンスの根本精神はヒューマニズム(humanism)で、ヒューマニズムの原義は人間主義と訳されます。

受胎告知 フラ・アンジェリコ 1437年〜1446年 サン・マルコ修道院
十字軍以後、都市が成立・発展し、市民活動が盛んに成るに連れて、市民達は封建制度や教会の束縛から解放された人間らしい自由な生き方を求めるように成りました。
中世の人々の生活は、カトリック教会が定めたさまざまな規制によって束縛され、カトリック教会は、来世に天国に召されることを人生の目的と説いていましたが、市民達は人間のもつ欲望を肯定し、現世をより良く、より楽しく生きることが人間らしい生き方であると考えます。
このような人間中心的な生き方が人間主義(ヒューマニズム)です。
そして市民達は、その人間中心の新しい生き方の手本を、彼等と同じように都市生活を営み、しかもキリスト教の束縛に縛らず、自由に生きた古代ギリシア・ローマの人々の生活・考え方に求め、彼等の残した文芸の作品を収集し、深く研究し、復興することにより、新しい生き方を追求しようとしました。
そのため14世紀以後まずイタリアで古代ギリシア・ローマの文化の収集・研究・復興が行われました。
このような動きもヒューマニズムと呼ばれますが、人文主義と訳されています。
そしてヒューマニズム精神に立つ、ルネサンス期の文人・学者を総称してヒューマニスト(人文主義者)と呼んでいます。
ルネサンスが、まずイタリアで始まった理由としては以下の事象を上げることができます。
(1)十字軍以後、東方貿易によって都市が発展し、市民の活動が盛んであったこと 。
(2)イタリアはローマの故地であり、古代ローマの遺跡などが多く残っていたこと 。
(3)ビザンツ帝国の滅亡前後から、ビザンツの学者達がイタリアに移住してきて、ギリシア文化が伝えられたこと。
(4)フィレンツェのメディチ家やローマ教皇が学者や芸術家を保護したこと 。

フィレンツェ
イタリア・ルネサンスの中心となった都市はフィレンツェでした。
フィレンツェは毛織物業と金融業で栄え、14世紀初頭には人口10万人に達したヨーロッパ大都市の1つで、大富豪メディチ家が市政を握り、多くの学者や芸術家を招き、文芸や美術を保護・奨励したのでルネサンスの一大中心地となりました。
しかし、後にフィレンツェの政治が混乱すると、16世紀初頭からイタリア・ルネサンスの中心はローマやヴェネツィアに移って行きます。
ジョークは如何?
あるロシアの空港で
飛行機が時効表どうりに飛ばないので、ついに怒り心頭にたっした男が
「どうせ、遅れてばかりなら、時刻表など作るな!」
と息巻いたところ、職員が答えて曰く
「お客さん、時刻表があるからこそ、遅れがあるのです」
続く・・・

最後の審判」部分画 ミケランジェロ (イタリア 1475年~1568年) フレスコ 壁画 13.7x12.2m ヴァチカン宮殿システィーナ礼拝堂
1ルネサンスとヒューマニズム
ルネサンス(Renaissance、再生の意味)とは、ギリシア・ローマの古典文化の再生を意味する言葉で、文芸復興と訳されてきました。
ルネサンスは、14世紀にイタリアで始まり、15世紀以後西ヨーロッパに広まりますが、単にギリシア・ローマの古典文化の復興にとどまらず、人間精神の革新を求める文化運動でした。
ルネサンスの根本精神はヒューマニズム(humanism)で、ヒューマニズムの原義は人間主義と訳されます。

受胎告知 フラ・アンジェリコ 1437年〜1446年 サン・マルコ修道院
十字軍以後、都市が成立・発展し、市民活動が盛んに成るに連れて、市民達は封建制度や教会の束縛から解放された人間らしい自由な生き方を求めるように成りました。
中世の人々の生活は、カトリック教会が定めたさまざまな規制によって束縛され、カトリック教会は、来世に天国に召されることを人生の目的と説いていましたが、市民達は人間のもつ欲望を肯定し、現世をより良く、より楽しく生きることが人間らしい生き方であると考えます。
このような人間中心的な生き方が人間主義(ヒューマニズム)です。
そして市民達は、その人間中心の新しい生き方の手本を、彼等と同じように都市生活を営み、しかもキリスト教の束縛に縛らず、自由に生きた古代ギリシア・ローマの人々の生活・考え方に求め、彼等の残した文芸の作品を収集し、深く研究し、復興することにより、新しい生き方を追求しようとしました。
そのため14世紀以後まずイタリアで古代ギリシア・ローマの文化の収集・研究・復興が行われました。
このような動きもヒューマニズムと呼ばれますが、人文主義と訳されています。
そしてヒューマニズム精神に立つ、ルネサンス期の文人・学者を総称してヒューマニスト(人文主義者)と呼んでいます。
ルネサンスが、まずイタリアで始まった理由としては以下の事象を上げることができます。
(1)十字軍以後、東方貿易によって都市が発展し、市民の活動が盛んであったこと 。
(2)イタリアはローマの故地であり、古代ローマの遺跡などが多く残っていたこと 。
(3)ビザンツ帝国の滅亡前後から、ビザンツの学者達がイタリアに移住してきて、ギリシア文化が伝えられたこと。
(4)フィレンツェのメディチ家やローマ教皇が学者や芸術家を保護したこと 。

フィレンツェ
イタリア・ルネサンスの中心となった都市はフィレンツェでした。
フィレンツェは毛織物業と金融業で栄え、14世紀初頭には人口10万人に達したヨーロッパ大都市の1つで、大富豪メディチ家が市政を握り、多くの学者や芸術家を招き、文芸や美術を保護・奨励したのでルネサンスの一大中心地となりました。
しかし、後にフィレンツェの政治が混乱すると、16世紀初頭からイタリア・ルネサンスの中心はローマやヴェネツィアに移って行きます。
ジョークは如何?
あるロシアの空港で
飛行機が時効表どうりに飛ばないので、ついに怒り心頭にたっした男が
「どうせ、遅れてばかりなら、時刻表など作るな!」
と息巻いたところ、職員が答えて曰く
「お客さん、時刻表があるからこそ、遅れがあるのです」
続く・・・
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コメント
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2015-06-22 23:38 編集