歴史を歩く122
1ルネサンス⑦
4ルネサンス文芸の社会・政治的背景

ロレンツォ・デ・メディチ
ルネサンスは、ヨーロッパ近代の出発点とされていますが、中世的要素を強く残していること、またその貴族的、保守的性格等の点で限界が在りました。
ルネサンス時代に活躍した学者や芸術家は都市に住む知識人で、都市の大衆や農民とは無縁の存在であり、ルネサンスは広く大衆に及ぶものではなかったのです。
学者や芸術家の多くは、フィレンツェのメディチ家やローマ教皇等の権力者の保護下で活躍し、経済的にも保護者に依存することが多く、その為ルネサンスは貴族的性格をおび、個人的に聖職者や貴族を批判、攻撃することはあっても、社会組織や教会制度の改革を主張する迄には至りませんでした。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
イタリア・ルネサンスは、16世紀後半には衰退し、ルネサンスの中心は西ヨーロッパ諸国に移って行きます。
イタリア・ルネサンスが衰退した理由としては、ヨーロッパ人の対外進出(いわゆる地理上の発見)によってアフリカ南端を回って直接アジアへ行くことが可能となり、従来の地中海経由の東方貿易が衰退に向かい、イタリア諸都市が没落したことがまず上げられます。

イタリア戦争
中世以来、イタリアは多くの都市共和国、諸侯国や教皇領等に分裂し、神聖ローマ皇帝、フランス王、スペイン王等の干渉を受け、イタリア戦争と呼ばれる覇権争いが続いて分裂、混乱が続いたこと等も重要な要素です。
イタリア戦争(1521年~44年、広義には1494年~1559年)は、イタリア支配をめぐる神聖ローマ皇帝、フランス王、スペイン王等の抗争で、1494年にフランス王シャルル8世がイタリアに侵攻して以来抗争が繰り返されました。
特にフランス王フランソワ1世(在位1515年~47年)は、神聖ローマ皇帝をめぐってハプスブルグ家のスペイン王カルロス1世(在位1516年~56年、神聖ローマ皇帝としてはカール5世)と争って敗れ、スペインとドイツにまたがる大勢力となったハプスブルグ家と激しく対立し、1521年から44年迄北イタリアを中心に、複雑な外交的なかけひきと激しい戦いを繰りひろげます。
フランソワ1世は、カール5世に対抗する為に、ドイツのルター派諸侯を援助し、叉オスマン・トルコのスレイマン1世(在位1520年~66年)と結ぶ等トルコ迄を巻き込み、当時ドイツで起こった宗教改革にも大きな影響を及ぼしました。

マキァヴェリ
結果的には、フランスが不利で、北イタリアに於けるフランス勢力は殆ど一掃され、マキァヴェリ(1469年~1527年)は、このようなイタリアの状況を憂い、イタリアの統一を熱望し、「君主論」を著しています。
マキァヴェリは、フィレンツェの小貴族の家に生まれ、メディチ家が追放された後に、フィレンツェ共和政府の外交使節となり、度々外国に渡航しました。
1521年にメディチ家が復帰すると、役を追われ、一時投獄されますが、釈放後郊外に隠棲して「君主論」(1513年頃執筆)、「ローマ史論」等を著します。
マキァヴェリは、「君主論」の中で「君主が獣の方法を取らなくてはならぬ場合には、彼はまず狐と獅子を選ぶがよい」と説いています。
君主は狐のようなずる賢さとライオンのような力を使い分けて統治すべきであると云う意味で、目的の為には手段を選ばないと云う権謀術数主義(マキァヴェリズム)を端的に表しています。
マキァヴェリがこのような極端な論を説いた背景には、中央集権化した諸大国の侵入からイタリアを救うにはイタリアの統一が急務であること、その為には道徳や宗教に縛られない強力な君主の出現が必要であるという祖国愛からでした。
「君主論」は近代政治学の先駆として高く評価されています。
ジョークは如何?
あるペレストロイカ期のソ連では石鹸と紅茶が不足していた。
「どうして、よりによってこの国には石鹸がないんだ?」
「そりゃ、共産党が過去の罪を洗い落としてる真っ最中だからさ」
続く・・・
4ルネサンス文芸の社会・政治的背景

ロレンツォ・デ・メディチ
ルネサンスは、ヨーロッパ近代の出発点とされていますが、中世的要素を強く残していること、またその貴族的、保守的性格等の点で限界が在りました。
ルネサンス時代に活躍した学者や芸術家は都市に住む知識人で、都市の大衆や農民とは無縁の存在であり、ルネサンスは広く大衆に及ぶものではなかったのです。
学者や芸術家の多くは、フィレンツェのメディチ家やローマ教皇等の権力者の保護下で活躍し、経済的にも保護者に依存することが多く、その為ルネサンスは貴族的性格をおび、個人的に聖職者や貴族を批判、攻撃することはあっても、社会組織や教会制度の改革を主張する迄には至りませんでした。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
イタリア・ルネサンスは、16世紀後半には衰退し、ルネサンスの中心は西ヨーロッパ諸国に移って行きます。
イタリア・ルネサンスが衰退した理由としては、ヨーロッパ人の対外進出(いわゆる地理上の発見)によってアフリカ南端を回って直接アジアへ行くことが可能となり、従来の地中海経由の東方貿易が衰退に向かい、イタリア諸都市が没落したことがまず上げられます。

イタリア戦争
中世以来、イタリアは多くの都市共和国、諸侯国や教皇領等に分裂し、神聖ローマ皇帝、フランス王、スペイン王等の干渉を受け、イタリア戦争と呼ばれる覇権争いが続いて分裂、混乱が続いたこと等も重要な要素です。
イタリア戦争(1521年~44年、広義には1494年~1559年)は、イタリア支配をめぐる神聖ローマ皇帝、フランス王、スペイン王等の抗争で、1494年にフランス王シャルル8世がイタリアに侵攻して以来抗争が繰り返されました。
特にフランス王フランソワ1世(在位1515年~47年)は、神聖ローマ皇帝をめぐってハプスブルグ家のスペイン王カルロス1世(在位1516年~56年、神聖ローマ皇帝としてはカール5世)と争って敗れ、スペインとドイツにまたがる大勢力となったハプスブルグ家と激しく対立し、1521年から44年迄北イタリアを中心に、複雑な外交的なかけひきと激しい戦いを繰りひろげます。
フランソワ1世は、カール5世に対抗する為に、ドイツのルター派諸侯を援助し、叉オスマン・トルコのスレイマン1世(在位1520年~66年)と結ぶ等トルコ迄を巻き込み、当時ドイツで起こった宗教改革にも大きな影響を及ぼしました。

マキァヴェリ
結果的には、フランスが不利で、北イタリアに於けるフランス勢力は殆ど一掃され、マキァヴェリ(1469年~1527年)は、このようなイタリアの状況を憂い、イタリアの統一を熱望し、「君主論」を著しています。
マキァヴェリは、フィレンツェの小貴族の家に生まれ、メディチ家が追放された後に、フィレンツェ共和政府の外交使節となり、度々外国に渡航しました。
1521年にメディチ家が復帰すると、役を追われ、一時投獄されますが、釈放後郊外に隠棲して「君主論」(1513年頃執筆)、「ローマ史論」等を著します。
マキァヴェリは、「君主論」の中で「君主が獣の方法を取らなくてはならぬ場合には、彼はまず狐と獅子を選ぶがよい」と説いています。
君主は狐のようなずる賢さとライオンのような力を使い分けて統治すべきであると云う意味で、目的の為には手段を選ばないと云う権謀術数主義(マキァヴェリズム)を端的に表しています。
マキァヴェリがこのような極端な論を説いた背景には、中央集権化した諸大国の侵入からイタリアを救うにはイタリアの統一が急務であること、その為には道徳や宗教に縛られない強力な君主の出現が必要であるという祖国愛からでした。
「君主論」は近代政治学の先駆として高く評価されています。
ジョークは如何?
あるペレストロイカ期のソ連では石鹸と紅茶が不足していた。
「どうして、よりによってこの国には石鹸がないんだ?」
「そりゃ、共産党が過去の罪を洗い落としてる真っ最中だからさ」
続く・・・
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コメント
秋葉奈津子様 こんばんは。
本格的な夏の到来です。
暑い日ざしが外に出ると肌を焼きます。
暑いですね!
昨日は朝早くからトラブルで呼び出しをくらい、
仕事に出かけ訪問できませんでした。
申し訳なく思っています。
2015-07-19 21:06 hayama(葉山左京) URL 編集
秋葉奈津子様 こんにちは。
若い人たちは海や山へお出かけでしょうね。
私はのんびりと家でくつろぎたい方です。
今はムクゲの花やアベリア、百日紅の花がきれいですね。
朝顔や昼顔にヤエヤマ朝顔など蔓の花たちも盛りを迎えています。
2015-07-20 12:13 hayama(葉山左京) URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
それが終わると大きな祭はありませんが、
31日が来るまで終わりません。
今年は蝉の鳴き声が遅かったように思えます。
いつもはあぶら蝉が鳴くのに今年は姿が見えません。
その代わりにクマゼミが多いようです。
それとヒグラシの声も聞こえています。
地球温暖化で異常を来たし、蝉の生態系がおかしくなってきたようです。
2015-07-21 22:33 hayama(葉山左京) URL 編集
秋葉奈津子様 今晩は。
こんなに台風ばかりは困ったものです。
でもそのお陰で朝晩は涼しい風が吹き込んできます。
TVニュースの統計を見たのですが熱中症はすごい数になっています。
皆さん気をつけていてもいつの間にかかかっていた感じでしょうか。
2015-07-22 21:25 hayama(葉山左京) URL 編集
秋葉奈津子様 おはようございます。
京都は今年も日照時間が少ないのではないでしょうか。
こんなに雨が降れば農作物が高騰するはずですね。
明日は祇園祭の後祭りです。
10基の山鉾が巡行します。
昨年復活した大船鉾が見ものです。
2015-07-23 05:35 hayama(葉山左京) URL 編集