歴史を歩く129
17ヨーロッパ世界の拡大⑤
5ヨーロッパの変動

インド航路とバスコ・ダ・ガマ
インド航路の開拓、新大陸への到達はヨーロッパに大きな影響を及ぼしました。
従来、ヨーロッパ規模での遠隔地貿易は、今やアジア・新大陸を含む地球規模に拡大し、商品の種類や量は飛躍的に増大し、世界の一体化が進展していくことに成ります。
インド航路の開拓によって直接アジアへの海路が開かれ、従来のイスラム商人を介する地中海経由の東方貿易は衰退に向かい、それに伴って商業の中心はヴェネツィア等のイタリア都市から大西洋岸のリスボンに移り、リスボンは16世紀を通じて繁栄していきます。
この様な経済上の変化を一括して「商業革命」と呼んでいます。

インド航路開拓以前

インド並びに新大陸航路開拓後
叉16世紀中頃以降、新大陸から安価な貴金属が、特にポトシ銀山の発見以後、おびただしい銀がヨーロッパに流入した結果、ヨーロッパでは銀の価値が下落し、そのために物価が2~3倍に上昇しました。
この全ヨーロッパでの物価上昇は「価格革命」と呼ばれています。
新大陸からの大量の銀の流入は、其れまでヨーロッパ第一の銀の産地であった南ドイツ(特にアウグスブルク)の銀を独占していたフッガー家を没落させ、叉南ドイツの銀に依存していたヴェネツィア等のイタリア諸都市の没落を決定的にしました。

ジャガイモ
アメリカ大陸との交流が進展するにつれて、アメリカ大陸からユーラシア大陸へとうもろこし・ジャガイモ・サツマイモ・カボチャ・トマト・唐辛子等アメリカ大陸原産の作物がもたらされ、以後ヨーロッパ、アジアの人々にとって重要な作物となって行きます。
特にジャガイモはヨーロッパの人々にとって欠かすことに出来ない重要な食料と成って行きますが、一方でタバコや梅毒等、嗜好品や病原菌も持ち込まれました。

アンダルシア馬
そしてユーラシア大陸からアメリカ大陸へは、小麦・さとうきび・コーヒー・馬・牛・羊そして鉄器や車輪がもたらされ、アメリカ大陸の人々の生活に大きな影響を及ぼす様に成ります。
同時に天然痘やペスト、インフルエンザ等の病原菌が持ち込まれ、免疫のないインディヘナの人口減少の一因と成りました。
番外編・エルドラド伝説の黄金郷
伝説の黄金の都、アンデスの何処かに隠された宝庫、エルドラドは、何世紀もの間、人々の心を虜にし、何百人と云う財宝探しの男達が、探索の途中で死んでいきました。
先に公開された「インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国」では、このエルドラド伝説とクリスタルスカル、更にロズウェル事件を上手く絡ませ、これらの事柄に興味の在る方々には、面白い作品だったと思います。

エルドラド(イメージ)
本来、エルドラドは都市の名前ではなく、ある男の名前でした。
エルドラドの伝説は最初、1513年という早い時期にバルボアと共に中央アメリカに侵入した、スペイン征服者を通じて、世界に広まりました。
スペイン人をはじめ、ヨーロッパの人々は、南アメリカ大陸に向かって進む途中、今日のコロンビアの首都ボゴダに近い、標高2600mの高原に住む、太陽崇拝を行っている、チャブチャ族の話を耳にしたのでした。
言伝えによれば、この種族は、黄金を太陽神の金属として崇めており、彼らは黄金の装飾品を身に着け、何世紀にも渡って、建造物を金箔で覆ってきたと云う事でした。

コロンビア出土黄金細工
何人かのインディオは、山中の何処に在ると云う、黄金で満たされた聖なる湖の話を伝えました。
別の者達は、オマグアと呼ばれる都市で、全身金色に輝く族長を見たと語りました。
話が広まるにつれて、エルドラドは黄金の都と考えられる様に成り、古い地図には、場所こそ千差万別では在ったものの、エルドラドが示された事も有りました。
1530年代には、ドイツとスペインがエルドラドを探索する為に、現在のコロンビアに何回か探検隊を送りこみましたが、山々の殆どは通行不可能で、食料が尽きると彼らは引き返す他に手段が在りませんでした。
隊員の半分以上は、インディオとの戦闘で殺され、探検は失敗に終わったのです。
黄金の人

儀式のイメージ
チャブチャ族は太陽だけでなく、湖に住む神も崇拝しており、この神は何世紀も以前に恐ろしい罪から逃れる為、湖に身を投じた族長に妻で、彼女は其処で女神になって生きていると伝えられました。
近在のインディオはここに巡礼の旅をし、湖の女神に貢物を捧げ、そして、少なくとも年に1度は、湖は趣向を凝らした儀式の場所と成りました。
部族民は、族長の体に、粘着性のある樹液を塗り、金粉を吹き付け、族長は頭から足の先迄、文字通り“黄金の人”と成り、彼は厳かな行列に加わり、湖に岸に置かれた筏迄導かれて行きます。
筏は、聖なるグアタビータ湖の湖心迄進み、族長は氷の様に冷たい湖に飛び込んで金粉を洗い流し、他の人々は、計り知れない程の黄金や宝石を湖に投げ込むのでした。

グアダビータ湖
グアダビータ湖は自在の湖で、1969年迄“黄金の人”を実証するものは何も在りませんでしたが、この年、二人の農場労働者がボゴダ近郊の小さな洞窟の中で、純金で作られた精巧な筏の模型を発見しました。
筏には8人の小さな漕ぎ手が乗っており、族長の堂々とした金色の像に背を向けて、筏を漕いでいました。
現在でもこのグアダビーダ湖の調査は進んでいますが、湖水の冷たさと堆積した泥の為、めざましい成果は上がっていません。
岸辺や浅瀬で、若干の黄金やエメラルドが発見されたのみで、湖水の深みには、未だに“黄金の人”の捧げ物は眠っています。
ジョークは如何?
ある新聞への投書。
「貴紙のコラムでスコットランド人をケチだとするジョークを載せるのは、
スコットランド人全体に対する誹謗中傷であるのでやめてもらいたい。
もしこの警告にもかかわらず、スコットランド人ジョークを載せるのであれば
我々スコットランド人は、以後貴紙を借りて読む事をやめる事にする」
続く・・・
5ヨーロッパの変動

インド航路とバスコ・ダ・ガマ
インド航路の開拓、新大陸への到達はヨーロッパに大きな影響を及ぼしました。
従来、ヨーロッパ規模での遠隔地貿易は、今やアジア・新大陸を含む地球規模に拡大し、商品の種類や量は飛躍的に増大し、世界の一体化が進展していくことに成ります。
インド航路の開拓によって直接アジアへの海路が開かれ、従来のイスラム商人を介する地中海経由の東方貿易は衰退に向かい、それに伴って商業の中心はヴェネツィア等のイタリア都市から大西洋岸のリスボンに移り、リスボンは16世紀を通じて繁栄していきます。
この様な経済上の変化を一括して「商業革命」と呼んでいます。

インド航路開拓以前

インド並びに新大陸航路開拓後
叉16世紀中頃以降、新大陸から安価な貴金属が、特にポトシ銀山の発見以後、おびただしい銀がヨーロッパに流入した結果、ヨーロッパでは銀の価値が下落し、そのために物価が2~3倍に上昇しました。
この全ヨーロッパでの物価上昇は「価格革命」と呼ばれています。
新大陸からの大量の銀の流入は、其れまでヨーロッパ第一の銀の産地であった南ドイツ(特にアウグスブルク)の銀を独占していたフッガー家を没落させ、叉南ドイツの銀に依存していたヴェネツィア等のイタリア諸都市の没落を決定的にしました。

ジャガイモ
アメリカ大陸との交流が進展するにつれて、アメリカ大陸からユーラシア大陸へとうもろこし・ジャガイモ・サツマイモ・カボチャ・トマト・唐辛子等アメリカ大陸原産の作物がもたらされ、以後ヨーロッパ、アジアの人々にとって重要な作物となって行きます。
特にジャガイモはヨーロッパの人々にとって欠かすことに出来ない重要な食料と成って行きますが、一方でタバコや梅毒等、嗜好品や病原菌も持ち込まれました。

アンダルシア馬
そしてユーラシア大陸からアメリカ大陸へは、小麦・さとうきび・コーヒー・馬・牛・羊そして鉄器や車輪がもたらされ、アメリカ大陸の人々の生活に大きな影響を及ぼす様に成ります。
同時に天然痘やペスト、インフルエンザ等の病原菌が持ち込まれ、免疫のないインディヘナの人口減少の一因と成りました。
番外編・エルドラド伝説の黄金郷
伝説の黄金の都、アンデスの何処かに隠された宝庫、エルドラドは、何世紀もの間、人々の心を虜にし、何百人と云う財宝探しの男達が、探索の途中で死んでいきました。
先に公開された「インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国」では、このエルドラド伝説とクリスタルスカル、更にロズウェル事件を上手く絡ませ、これらの事柄に興味の在る方々には、面白い作品だったと思います。

エルドラド(イメージ)
本来、エルドラドは都市の名前ではなく、ある男の名前でした。
エルドラドの伝説は最初、1513年という早い時期にバルボアと共に中央アメリカに侵入した、スペイン征服者を通じて、世界に広まりました。
スペイン人をはじめ、ヨーロッパの人々は、南アメリカ大陸に向かって進む途中、今日のコロンビアの首都ボゴダに近い、標高2600mの高原に住む、太陽崇拝を行っている、チャブチャ族の話を耳にしたのでした。
言伝えによれば、この種族は、黄金を太陽神の金属として崇めており、彼らは黄金の装飾品を身に着け、何世紀にも渡って、建造物を金箔で覆ってきたと云う事でした。

コロンビア出土黄金細工
何人かのインディオは、山中の何処に在ると云う、黄金で満たされた聖なる湖の話を伝えました。
別の者達は、オマグアと呼ばれる都市で、全身金色に輝く族長を見たと語りました。
話が広まるにつれて、エルドラドは黄金の都と考えられる様に成り、古い地図には、場所こそ千差万別では在ったものの、エルドラドが示された事も有りました。
1530年代には、ドイツとスペインがエルドラドを探索する為に、現在のコロンビアに何回か探検隊を送りこみましたが、山々の殆どは通行不可能で、食料が尽きると彼らは引き返す他に手段が在りませんでした。
隊員の半分以上は、インディオとの戦闘で殺され、探検は失敗に終わったのです。
黄金の人

儀式のイメージ
チャブチャ族は太陽だけでなく、湖に住む神も崇拝しており、この神は何世紀も以前に恐ろしい罪から逃れる為、湖に身を投じた族長に妻で、彼女は其処で女神になって生きていると伝えられました。
近在のインディオはここに巡礼の旅をし、湖の女神に貢物を捧げ、そして、少なくとも年に1度は、湖は趣向を凝らした儀式の場所と成りました。
部族民は、族長の体に、粘着性のある樹液を塗り、金粉を吹き付け、族長は頭から足の先迄、文字通り“黄金の人”と成り、彼は厳かな行列に加わり、湖に岸に置かれた筏迄導かれて行きます。
筏は、聖なるグアタビータ湖の湖心迄進み、族長は氷の様に冷たい湖に飛び込んで金粉を洗い流し、他の人々は、計り知れない程の黄金や宝石を湖に投げ込むのでした。

グアダビータ湖
グアダビータ湖は自在の湖で、1969年迄“黄金の人”を実証するものは何も在りませんでしたが、この年、二人の農場労働者がボゴダ近郊の小さな洞窟の中で、純金で作られた精巧な筏の模型を発見しました。
筏には8人の小さな漕ぎ手が乗っており、族長の堂々とした金色の像に背を向けて、筏を漕いでいました。
現在でもこのグアダビーダ湖の調査は進んでいますが、湖水の冷たさと堆積した泥の為、めざましい成果は上がっていません。
岸辺や浅瀬で、若干の黄金やエメラルドが発見されたのみで、湖水の深みには、未だに“黄金の人”の捧げ物は眠っています。
ジョークは如何?
ある新聞への投書。
「貴紙のコラムでスコットランド人をケチだとするジョークを載せるのは、
スコットランド人全体に対する誹謗中傷であるのでやめてもらいたい。
もしこの警告にもかかわらず、スコットランド人ジョークを載せるのであれば
我々スコットランド人は、以後貴紙を借りて読む事をやめる事にする」
続く・・・
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