歴史を歩く138
18 宗教改革③
2スイスの宗教改革とカルヴァン

フルドリッヒ・ツヴィングリ(1484年~1531年)
ドイツと並行してスイスでも宗教改革が興ります。
スイスではツヴィングリ(1484年~1531年)が、1523年以来チューリヒで宗教改革を始めました。
エラスムスやルターの影響を受けたツヴィングリは、チューリヒの説教司祭となり(1519年)、チューリヒでのローマ教会との公開討論に勝利し、市参事会の支持を得て、聖像やミサの廃止等の教会改革を押し進めますが、聖餐問題ではルターと対立し決裂します(1529年)。
その頃までにチューリヒでのツヴィングリの宗教改革は、スイス北部諸州から西南ドイツ地方にまで影響を及ぼしていましたが、頑強にカトリックを維持していた原初諸州との紛争が絶えず、終に内戦となり(1531年)、カッペルの戦いでチューリヒ軍は壊滅し、従軍中のツヴィングリも戦死し、このため改革運動は停滞し、ツヴィングリ派は後にカルヴァン派に吸収されていきました。

ジャン・カルヴァン(1509年~64年)
ツヴィングリの死後、スイスの宗教改革の中心はジュネーヴに移ります。
ジュネーヴで宗教改革を行った人物が、フランス人のカルヴァンでした。
カルヴァン(1509年~64年)は、北フランスに生まれ、パリ大学等で法学・神学・人文主義等を学びましたが、「突然の回心」(1533)によって福音主義者(プロテスタント)と成ります。
当時ルターの宗教改革の影響はフランスに及び、フランスでもルター派が広まっていたのですが、福音主義は危険思想として弾圧されていました。
カルヴァンもパリを離れ(1533年)、後にスイスの新教都市バーゼルに逃れます(1534年)。

キリスト教綱要(19世紀発行版)
バーゼルに逃れたカルヴァンは、その地で有名な『キリスト教綱要』を著し(1536年)、その中でカルヴァンは「全ての者は、同じ条件のもとに創造されたのではない。ある者は、永遠の生命に、他のある者は、永遠の断罪に、あらかじめ定められている。 したがって、人はだれでもこの目的のどちらかにむけて創造されており、つまり、いってみれば、生に対してか、死に対してか、そのいずれかだということだ。・・・したがって、聖書が示すところに従ってわれわれは主張する。 神は、永遠の計画によって、救済にあてようとする者と、滅亡にあてようとする者とをあらかじめ定めたのである。」(山川出版社、世界史史料・名言集より)と述べています。
魂の救済は、人間の意志によるものではなく、神によって最初から決められていると云うこの教義は「予定説」と呼ばれています。
『キリスト教綱要』によって一躍有名となったカルヴァンは、ジュネーヴに改革者として迎えられて宗教改革に従事しますが(1536年)、一時反対派によって追放されストラスブルクに赴き(1538年)、後に再び請われてジュネーヴに帰り(1541年)、以後死去する迄同市に留まりました。
カルヴァンは、改革のために反対派を弾圧し、教会制度・組織の改革を行い、厳格な禁欲生活を市民に強制するなどカルヴァン主義による神政政治(神権政治)を行い、ジュネーヴをプロテスタンティズム(新教主義)の牙城としました。
教会制度については、上部から任命される司教を置かず、牧師とこれを補佐する信徒代表の長老とで教会を運営する長老制度を取り入れます。

聖書を基礎ととした信仰
カルヴァンの教義は、福音主義(聖書を信仰の基礎に置く)と信仰義認説(人は信仰によってのみ救われる)に立っているが、彼の教義の中心となっているのが「予定説」です。
「予定説」では、魂が救われるか否かはあらかじめ神によって定められていますが、人は信仰によって「自分は救われる」と確信することが出来ると説かれ、又救済の確証を得るために、人は禁欲的生活を営み、職業を神から与えられた天職と考えて勤労に従事すべしと説き、 勤労の結果得られる富の蓄積は信仰上正しいと説きました。
このためカルヴァンの教えは、当時勃興しつつあった市民階級(商工業者)に支持されて普及し、資本主義の発展に大きな影響を与える結果となります。
カルヴァン派は各地に広まり、イングランドではピューリタン(清教徒)、スコットランドではプレスビテリアン(長老派)、フランスではユグノー、オランダではゴイセンと呼ばれ、その勢力はルター派をやがて凌ぐようになり、ルター派以上に大きな影響を残したのです。
ジョークは如何?
天国の門に、死んだスターリンがやってきた。
「私を天国に入れて下さい」
「それはできん。お前の行くところは地獄と決まっておる」
スターリンはとぼとぼと地獄へと立ち去った。
やがてベリヤたちも同じように天国の門まで来たが、同じように地獄へと追い返された。
しばらくして。
天国の門に、鬼の一団がやってきた。
門番は驚いた。
「一体あなた方は何をしに来たのです!?」
鬼は言った。
「我々は地獄から亡命してきたのです」
続く・・・
2スイスの宗教改革とカルヴァン

フルドリッヒ・ツヴィングリ(1484年~1531年)
ドイツと並行してスイスでも宗教改革が興ります。
スイスではツヴィングリ(1484年~1531年)が、1523年以来チューリヒで宗教改革を始めました。
エラスムスやルターの影響を受けたツヴィングリは、チューリヒの説教司祭となり(1519年)、チューリヒでのローマ教会との公開討論に勝利し、市参事会の支持を得て、聖像やミサの廃止等の教会改革を押し進めますが、聖餐問題ではルターと対立し決裂します(1529年)。
その頃までにチューリヒでのツヴィングリの宗教改革は、スイス北部諸州から西南ドイツ地方にまで影響を及ぼしていましたが、頑強にカトリックを維持していた原初諸州との紛争が絶えず、終に内戦となり(1531年)、カッペルの戦いでチューリヒ軍は壊滅し、従軍中のツヴィングリも戦死し、このため改革運動は停滞し、ツヴィングリ派は後にカルヴァン派に吸収されていきました。

ジャン・カルヴァン(1509年~64年)
ツヴィングリの死後、スイスの宗教改革の中心はジュネーヴに移ります。
ジュネーヴで宗教改革を行った人物が、フランス人のカルヴァンでした。
カルヴァン(1509年~64年)は、北フランスに生まれ、パリ大学等で法学・神学・人文主義等を学びましたが、「突然の回心」(1533)によって福音主義者(プロテスタント)と成ります。
当時ルターの宗教改革の影響はフランスに及び、フランスでもルター派が広まっていたのですが、福音主義は危険思想として弾圧されていました。
カルヴァンもパリを離れ(1533年)、後にスイスの新教都市バーゼルに逃れます(1534年)。

キリスト教綱要(19世紀発行版)
バーゼルに逃れたカルヴァンは、その地で有名な『キリスト教綱要』を著し(1536年)、その中でカルヴァンは「全ての者は、同じ条件のもとに創造されたのではない。ある者は、永遠の生命に、他のある者は、永遠の断罪に、あらかじめ定められている。 したがって、人はだれでもこの目的のどちらかにむけて創造されており、つまり、いってみれば、生に対してか、死に対してか、そのいずれかだということだ。・・・したがって、聖書が示すところに従ってわれわれは主張する。 神は、永遠の計画によって、救済にあてようとする者と、滅亡にあてようとする者とをあらかじめ定めたのである。」(山川出版社、世界史史料・名言集より)と述べています。
魂の救済は、人間の意志によるものではなく、神によって最初から決められていると云うこの教義は「予定説」と呼ばれています。
『キリスト教綱要』によって一躍有名となったカルヴァンは、ジュネーヴに改革者として迎えられて宗教改革に従事しますが(1536年)、一時反対派によって追放されストラスブルクに赴き(1538年)、後に再び請われてジュネーヴに帰り(1541年)、以後死去する迄同市に留まりました。
カルヴァンは、改革のために反対派を弾圧し、教会制度・組織の改革を行い、厳格な禁欲生活を市民に強制するなどカルヴァン主義による神政政治(神権政治)を行い、ジュネーヴをプロテスタンティズム(新教主義)の牙城としました。
教会制度については、上部から任命される司教を置かず、牧師とこれを補佐する信徒代表の長老とで教会を運営する長老制度を取り入れます。

聖書を基礎ととした信仰
カルヴァンの教義は、福音主義(聖書を信仰の基礎に置く)と信仰義認説(人は信仰によってのみ救われる)に立っているが、彼の教義の中心となっているのが「予定説」です。
「予定説」では、魂が救われるか否かはあらかじめ神によって定められていますが、人は信仰によって「自分は救われる」と確信することが出来ると説かれ、又救済の確証を得るために、人は禁欲的生活を営み、職業を神から与えられた天職と考えて勤労に従事すべしと説き、 勤労の結果得られる富の蓄積は信仰上正しいと説きました。
このためカルヴァンの教えは、当時勃興しつつあった市民階級(商工業者)に支持されて普及し、資本主義の発展に大きな影響を与える結果となります。
カルヴァン派は各地に広まり、イングランドではピューリタン(清教徒)、スコットランドではプレスビテリアン(長老派)、フランスではユグノー、オランダではゴイセンと呼ばれ、その勢力はルター派をやがて凌ぐようになり、ルター派以上に大きな影響を残したのです。
ジョークは如何?
天国の門に、死んだスターリンがやってきた。
「私を天国に入れて下さい」
「それはできん。お前の行くところは地獄と決まっておる」
スターリンはとぼとぼと地獄へと立ち去った。
やがてベリヤたちも同じように天国の門まで来たが、同じように地獄へと追い返された。
しばらくして。
天国の門に、鬼の一団がやってきた。
門番は驚いた。
「一体あなた方は何をしに来たのです!?」
鬼は言った。
「我々は地獄から亡命してきたのです」
続く・・・
スポンサーサイト
コメント
秋葉 奈津子様 こんばんは。
9月もあっと言う間に過ぎて行きそうです。
街中の街路樹の銀杏やハナミズキの葉が大分色が変わってきたように見受けます。
紅葉の季節も真近でしょうか。
紅葉は九州よりこちらのほうが早いでしょうね。
2015-09-26 21:27 葉山左京 URL 編集
秋葉奈津子様 おはようございます。
雲が多いようです。
相変わらず京都は観光客で賑わっています。
今の時期は修学旅行生も多く貸し切りバスも東山は渋滞です。
今日は仕事で出かけます。
朝のご挨拶に参りました。
2015-09-27 05:53 葉山左京 URL 編集
葉山左京様、 おはようございます。
9月27日、日曜日のご挨拶です。
今日は、「中秋の名月」ですが、北九州は曇り空です。
昨晩は、雲間から月が姿を見せ、明るい光を放っていました。
今日の夜に期待ですね。
昨晩は、11月に行わる秋祭りのために町内会が開かれました。
役割分担等の準備日程が、中心ですが、いよいよ秋祭りの準備をする頃に成った様です。
今日は、私の三連休で溜まった書類関係の確認と月末準備のために事務所にでますが、改めて9月も残り僅かになっています。
「おきてがみ」ですが、私の訪問が左京様のおきてがみに全く反映されていません。
と云う事は、左京様のおきてがみは、機能していないのでは?
一度、アンインストールと再度のダンウンロードを実行されては、如何でしょうか?
2015-09-27 06:37 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
秋葉さんが言われるように実行してみます。
昨日の中秋の名月は見れませんでしたが、
今日のスーパームーンは見れました。
私のデジカメではきれいに写りませんでした。
私の腕が悪いのと知識が足り無いのでしょうね。
2015-09-28 21:36 葉山左京 URL 編集
葉山左京様、おはようございます。
9月29日、火曜日のご挨拶です。
昨晩の「スーパームーン」は眺めることが出来ましたか?
高く昇った月は、見かけもそれ程大きく感じる事は無かったのですが、月の出、そして、今朝西に沈むその大きさは、なかなかの感動ものでした。
昨晩は、雲が多く晴れたのは、深夜近くに成ってやっと明るい姿を見せてくれました。
今日も良いお天気の様です。
少し汗ばむ陽気に成るかもしれません。
2015-09-29 08:34 秋葉 奈津子 URL 編集