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2015/10/09

歴史を歩く142

19 絶対主義国家の盛衰②

2 スペインの強盛

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フェルナンド5世とイサベル1世

 スペインは、1479年にアラゴンとカスティリャの合邦によって成立し、合邦後はフェルナンド5世(在位1479年~1516年)とイサベル(在位1474年~1504年)が共同統治を行いました。

 この間、イスラム勢力をイベリア半島から駆逐してレコンキスタが完了し、叉コロンブスの航海を援助し、新大陸に広大な植民地を建設する基盤がつくられたのです。

 フェルナンド5世の崩御後、娘のファナ(ハプスブルク家のフィリップと結婚)の子カルロス1世(在位1516年~56年)が即位し、スペイン・ハプスブルク王朝が始まりました。

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カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)

 カルロス1世は、フランス王フランソワ1世と神聖ローマ皇帝位を争い、これを破って神聖ローマ皇帝に選出され(1519年)、スペイン王と神聖ローマ皇帝を兼ねた結果(神聖ローマ皇帝カール5世(在位1519年~56年)、その領土はスペイン・ネーデルランド(現在のオランダ・ベルギー、1477年以来オーストリア・ハプスブルク家が領有していた)・ナポリ・シチリア(ナポリ・シチリアは父フェルナンド5世から相続)・ドイツ・オーストリア・新大陸に及び、空前の大帝国に成長しました。

 しかし、当時ドイツで起こったルターの宗教改革に巻き込まれ、対外的にはフランソワ1世とのイタリア戦争(1521年~44年)やオスマン・トルコの侵入に苦しめられることに成ります。

 カルロス1世の治世中、スペインではマガリャンイス(マゼラン)の世界周航(1519年~22年)やコルテスのメキシコ征服(1521年)・ピサロによるインカ征服(1532年)等の出来事が起きています。

 カルロス1世(カール5世)は、ドイツでアウグスブルクの和議が結ばれてルター派の信仰が認められた翌年(1556年)に、スペイン王位を子のフェリペ2世に、そして神聖ローマ皇帝位を弟のフェルディナント1世に譲って退位し、スペインの修道院で失意のうちに余生を送り、1558年に亡くなっています。

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フェリペ2世

 カルロス1世の後を継いだフェリペ2世(在位1556年~98年)の時に、スペインの絶対主義は最盛期を現出しました。

 フェリペ2世は、熱烈なカトリック教徒で、イギリスのメアリ1世と結婚し(1554年)、その後父の退位によってスペイン王となり、スペイン本国・ナポリ王国・ネーデルランド・アメリカ大陸及びフィリッピンの植民地等広大な領土を領有することと成りました。

 更にポルトガルの王統が絶えると、母イサベルがポルトガル王女であったことからポルトガルを併合し(1580年)、ポルトガル王を兼ねてその領土(当時のポルトガルはアフリカ・アジアに多くの植民地を領有していた)も継承し、スペインは「太陽の沈まぬ国(日の没することなき大帝国)」と呼ばれたのでした。

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レパントの海鮮(位置)

 フェリペ2世は、1571年にはスペイン・ローマ教皇・ヴェネツィア連合艦隊でオスマン・トルコ海軍をレパント(ギリシアのコリント湾)の海戦で破って地中海の覇権をトルコから奪い、新大陸から流入する膨大な金・銀とあいまってスペインの全盛時代を現出しました。

 しかし、熱狂的なカトリック教徒であったフェリペ2世は、反宗教改革の中心となり、カトリック政策(旧教化政策)を推し進め、カトリックによる広大な領土の統一を図り、宗教裁判を強化し、異端を弾圧し、 特にカルヴァン派が普及していたネーデルランドに対して厳しいカトリック政策をとり、 ネーデルランド(オランダ)の独立運動(1568年~1609年)を招くこととなりました。

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ネーデルランド(オランダ)の独立運動

 当時、フェリペ2世はイギリスのエリザベス1世と激しく対立していました。
エリザベス女王がイギリスの私拿捕船(しだほせん、商船捕獲の特許を受けた民有武装船、俗に云う海賊船)に特許を 与えて新大陸から大量の銀を輸送するスペインの銀船隊を襲わせたこと、前スコットランド女王のメアリ・ステュアートをめぐる問題、そしてイギリスがオランダの独立運動を援助したこと等が原因でした。

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1587年フォザリンゲイ城にて処刑されるメアリー・スチュアート

 そしてメアリ・ステュアートがエリザベス女王暗殺の陰謀に加担したとの疑いから 処刑されると(1587年)、フェリペ2世はエリザベスを打倒してカトリック君主の擁立を画策し、1588年にスペインの誇る無敵艦隊(インヴィンシブル・アルマダ:当時世界最大であったスペイン艦隊の呼称)をイギリスに向けて出動させます。

 1588年7月、イギリス海峡に130隻(内半分が戦闘艦で残りは弾薬・食糧等を運ぶ輸送船)からなる無敵艦隊が姿を現しました。
イギリスは種々雑多な102隻の戦闘艦(この中には多くの私拿捕船を含まれる)を動員してこれを迎え撃ちます。
イギリス艦船は速度が速く、軽い砲弾を遠くに飛ばせる大砲を多く積み込んでいました。

 イギリス海軍は、イギリス海峡を通過する無敵艦隊を追って、カレー沖に集結し、無敵艦隊に焼き打ち船作戦(空船に火薬を満載して大砲を発射しながら敵艦につっこんでいく 作戦)を使って攻撃を行い、混乱に陥った無敵艦隊との6日間にわたる戦闘に大勝し、逃走する無敵艦隊をスコットランド沿岸迄追撃して引き返しています。
壊滅状態に陥った無敵艦隊は、スコットランド・アイルランドを迂回してかろうじて本国に帰還しますが、53隻の艦船と3分の1の人員を喪失しました(アルマダ海戦、1588年)。

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アルマダ海戦、1588年

 このアルマダ海戦の敗北によって、スペインは大西洋の制海権を失い、叉オランダ独立軍を鎮圧する計画も挫折してスペインが衰退に向かう原因となります。

 フェリペ2世治下のスペインには新大陸から膨大な金・銀(特に銀)が流入していましたが、宮廷の奢侈と巨額な戦費につぎ込まれ、王室財政は破綻状態に陥っていました。
度重なる重課税にも関わらず財政窮乏は回復せず、新大陸からの大量の金・銀は借金の返済の為に国外に流出し、叉新大陸の富が農業や産業の発展に投下されず、重要な産業であった毛織物工業も発展せず、国民生活を潤すことがなかったことがスペイン衰退の大きな原因だったのです。

ジョークは如何?

ルーズベルトとスターリンが言論の自由の多寡について口論を始めた。

ルーズベルト「わが国ではホワイトハウスの前で私の悪口を言っても逮捕されないぞ!」
スターリン「クレムリンの前で君の悪口を言っても逮捕されないが?」


続く・・・

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コメント

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秋葉奈津子様 こんにちは。

今日は曇り空の肌寒い一日でした。
窓を開けると寒々とします。
冬が少しずつ忍び寄って来ていますね。

今朝遊歩道沿いの川べりに鮮やかなスカイブルーのカワセミに遭遇しました。
久しぶりに会えて感動です。

寒くなればあえなくなりますが。

葉山左京様、おはようございます。

おはようございます。

10月11日、日曜日のご挨拶です。

朝から弱い雨に成りました。
今日は、来週に迫った秋祭りに備えて、境内、公民館の清掃日なのですが、予定通り進められるでしょうか?

ジロくんの散歩コースは、今、コスモス、葉鶏頭、金木犀と目や香りを楽しませてくれる花でいっぱいです。
どんぐりや椎の実も沢山落ちていて、ジロくんも物珍しそうに匂いを嗅いでいます。

昨日は、先の台風で折れた庭木の枝を落ち葉と一緒に燃やしました。
久しぶりに焚き火でしたが、風も無く煙が真っ直ぐに上がって行きました。

良いお休みに成ります様に。

秋葉奈津子様 こんばんは。

曇り空の今日は肌寒く、
冬用のセーターが必要なくらい気温が下がりました。

そうですね、あちらこちらの金木犀が満開。
良い香りが漂っています。
ある団地の道路との境目は、
全部金木犀の木が並んでいます。

香りが遠くに居ても漂って来ます。
ソメイヨシノの桜の葉が大分赤くなってきました。
紅葉の時期ですね。

葉山左京様、おはようございます。

おはようございます。

10月12日、月曜日のご挨拶です。

雲が多い朝を迎えています。
昨日の雨は、朝の僅かな時間で済みましたが、気温は低く肌寒さを感じる1日でした。
神社、公民館の清掃もそれなりの服装でないと寒かったです。

今月は比較的安定したお天気が続いています。
今度の土曜日、日曜日は秋祭りの本番。
良いお天気で在ります様に。

秋葉奈津子様 こんばんは。

今日も晴れていましたが、やはり寒い時期になってきたのでしょうね。
肌寒く風邪を引きそうな気温でした。

京都は22日京都三大祭の一つ「時代祭り」が開催されます。
夜は鞍馬寺の火祭りです。

まだ夕方からは虫の鳴き声が聞こえてきます。
秋は深まりつつあります!

葉山左京様、おはようございます。

おはようございます。

10月13日、火曜日のご挨拶です。

良いお天気が戻ってきました。
明方の寒の戻りも弱まった様ですが、日の出の位置が随分南に成っています。
日暮れも6時半前には、やって来ます。

最近、夕焼け雲を眺めることが多いですね。
秋の陽は釣瓶落としの諺通り、僅かな時間で空の色が変わって行きます。

10月も中旬に成り、秋が深まっている様です。