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2015/12/01

歴史を歩く155

20イギリス立憲政治の発達①

1 王権と議会の対立

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ジェームズ1世(1566年~1625年、在位1603年~25年)

 イギリスではエリザベス1世の崩御をもってテューダー朝が断絶し、遠縁にあたるスコットランドのステュアート家が王位を継承し、ジェームズ1世が即位しました。

 ジェームズ1世(1566年~1625年、在位1603年~25年)は、スコットランド女王メアリ・ステュアートの子に生まれ、1歳でスコットランド王ジェームズ6世(在位1567年~1625年)として即位し、エリザベス1世の死でテューダー朝が断絶すると、彼の曾祖母がヘンリ7世の娘であったことからイギリス王位を継いでジェームズ1世として即位し、ステュアート朝(1603年~49年、1660年~1714年)を開きます。

 ジェームズ1世は「監督なくば国王なし」と唱えて、イギリス国教会の監督制度(イギリス国王を首長として、教会は国家の監督・支配を受ける)を重視し、ピューリタン(イングランドのカルヴァン派)・カトリック教徒を圧迫したため、ピルグリム・ファーザーズの新大陸移住を引き起こしました(1620年)。

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ピルグリム・ファーザーズ、プリマス上陸

 ピルグリム・ファーザーズとは信仰の自由を求めてメイフラワー号で北米のプリマスに移住した102名のピューリタンと非国教徒の人々を意味します。

 叉ジェームズ1世は、イギリスの国情・特に議会についての理解に乏しく、王権神授説(国王の支配権は王の祖先が神から直接に授けられたものであり、王権は如何なる制限も受けないとする論理)を信奉し、議会を無視して増税や大商人に独占権を付与したので、しばしば議会と対立しました。

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チャールズ1世(在位1625年~49年)

 次のチャールズ1世(在位1625年~49年)も王権神授説を信奉し、フランスの新教徒援助に失敗し(1627年)、戦費支出の増大による財政難を打開するために課税を強化し、叉国教会を強制してピューリタンを弾圧したため議会との対立が激化して行きます。

 この頃、イギリスでは毛織物工業を中心に商工業が発達し、市民階級(ブルジョアジー、中世には都市の市民を指しますが、近代では貴族に対して都市の富裕な商工業者を指すようになります)の力が強まり、更に農村でも荘園制が崩壊する中で多くの独立自営農民(ヨーマン)が生まれ、多くのヨーマンは農耕と共に羊毛・毛織物生産に従事し、中には毛織物マニュファクチュアを営む富農も現れていました。

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議会に於けるジェントリ

 特にジェントリと呼ばれた地主階級が地方行政や議会で活躍します。
ジェントリは郷紳と訳されてジェントルマンの語源と成りますが、身分的には貴族の最下層・ヨーマンよりは上層の地主階級で、富裕なヨーマンや商人が土地を買い取ってジェントリに成って行きました。

 この様な中産階級の人々にはピューリタンが多く、彼らは議会を通して権利を伸ばそうとした結果、貴族や特権大商人と結びついていた絶対王政と対立していました。

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権利の請願

 1628年、議会は権利の請願を王に提出します。
権利の請願は、全11条から成り、議会の同意なく課税することや不法な逮捕・投獄などに反対したもので、マグナ・カルタ、権利の章典と並んでイギリス憲法の三大法典といわれています。

 チャールズ1世は権利の請願をいったんは承認しましたが、翌年議会を解散し、以後11年間(1629年~40年)にわたって議会を召集せず、専制政治を断行いました。

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反乱の発端と成ったエジンバラ、セント・ジャイルズ聖堂に於ける暴動

 1637年には、長老派(プレスビテリアン、スコットランドのカルヴァン派の称)が優勢なスコットランドに国教会を強制してスコットランドの反乱(1639年)を招きます。

 チャールズ1世はスコットランド反乱鎮圧の戦費調達のために、翌1640年4月、11年ぶりに議会を召集したが議会が課税を拒否したために3週間で解散しました。
このためこの時召集された議会は、短期議会と呼ばれています。

 しかし、戦費調達の必要から、同年11月に再び議会を召集します。
この議会は1653年まで続いたため、長期議会と呼ばれています。

 この長期議会でも王と議会は対立し、議会はチャールズ1世の失政を非難し、政治の抜本的改革を要求する大諌議書を僅かの差で可決し(1641年)、チャールズ1世は武力で議会を押さえようと画策し、反対派の指導的な議員5名を逮捕するため、兵を率いて議場に乗り込みますが、彼らはすでに逃亡しており失敗に終わります。

 この出来事をきっかけに王党派と議会派の間に内戦が始まり、ピューリタン革命(1642年~49年)へと発展して行きました。

ジョークは如何?

シェークスピアの舞台が終わり観光客達が劇の素晴らしさを語りあっていた。
 しかしその中で一人、アメリカから来た中年男性は不満そうだ。
 「あまりよろしくなかったですか?」その問いに彼は答えた。

 「劇はよかった。だがこの作品の台詞はアメリカ映画で使い古された表現ばかりだ」


続く・・・

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コメント

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秋葉奈津子様 こんばんは。

おきてがみ、復旧して安心しました。

12月に入り気分は何となく忙しく感じます。
実際はそんなに忙しいわけではないのですが。

道路沿いの木々の葉もかなり落ち葉になり、
冬枯れの枝ばかりの景色になりだしました。

秋葉奈津子様 おはようございます。

朝は4℃ですが、少しは寒さに体が慣れてきたのでしょうか。
多少は寒さに耐えられる感じです。

この寒い朝をものともせず、
毎朝遊歩道を年を取った方達が
ウォーキングしています。
朝出勤時に必ずあう人達です。
年よりも元気ですね。

葉山左京様、おはようございます。

おはようございます。

12月2日、水曜日のご挨拶です。

「おきてがみ」の機能が回復した様子ですが、今の処、ことづてメールは使用出来ません。
機能が一部回復して良かったと思いますが、過去の「エディタ」や「あし」の様に成らなければ良いがと思っております。

今日も昨日に引き続き、良いお天気の朝を迎えていますが、天気予報では午後以降は雨、しかも確率は70%と成っています。
朝は冷たいですが、陽が昇るとポカポカに成ります。

いよいよ、12月に成りました。

秋葉奈津子様 こんばんは。

おきてがみのことづてメールは使用出来ませんね。
私の場合は随分永く使用できなくなっています。
復活してもらいたいのですが、
無理なのでしょうか。
色々やっては見たのですが。

冬の鈍色の空の下、
川の中には白鷺ばかりでなく、青鷺や川鵜など
群れを成して寒い朝に餌を探しています。

秋葉奈津子様 おはようございます。

京都市内はまだまだ紅葉を見に観光客が押し寄せていますが、
今週までくらいがピークでしょうか。
どこに行っても知らない言葉が飛び交っています。
マナーも悪いですね。
道の真中で立ち止り、写真を平気で撮っています。
混雑していなければ別ですが。

京都は観光地だから仕方無いのでしょうが。

葉山左京様、おはようございます。

12月に入り、寒い毎日が続いています。
昨日は、大変北西の風が強い1日でした。
11月が、大変暖かい毎日でしたから、北風が身にしみます。
紅葉も進み、桜等の広葉樹は真っ赤に成り、落ち葉も多く、ジロくんの散歩も落ち葉を踏みながらです。
子供達の姿の無い公園も何処か、淋しげですね。
日差しが戻る日を待っています。

ジェームズⅠ世のころ

イギリスの作曲家に Byrd, William という人がいます。
1543~1623ですからほぼジェームスⅠ世と重なります。
この時代の作曲家ですから、ミサ曲のような宗教曲や、おお、主よ、あなたのしもべエリザベスを、といった曲が多いのですが、オックスフォード卿のマーチ、ソールズベリー伯爵のための舞曲、といったものも作っています。
ワタクシの好きな作曲家が活躍していた時代、世界の情勢がどんなであったか、奈津子さまの記事でわかるので楽しいです。