歴史を歩く160
21ヨーロッパ列強の植民活動②
2イギリスとフランスの抗争

英蘭戦争(1652年~74年)
オランダは、17世紀を通して海上権を握り、香料貿易を独占して繁栄しましたが、3回にわたる英蘭戦争(1652年~74年)に敗れて植民地闘争から脱落すると、イギリス・フランス両国の抗争が激しくなります。
このイギリスとフランスの植民地・海上権をめぐる抗争は、中世の百年戦争になぞらえて第2次英仏百年戦争(1689年~1815年)とも呼ばれています。
当時の植民地抗争はヨーロッパにおける国際戦争が植民地に波及する形態のため、イギリスとフランスもヨーロッパで国際戦争がおこると北アメリカとインドで激しい植民地争奪戦を展開しています。

ウィリアム3世(オラニエ公ウィレム3世)
ヨーロッパでファルツ継承戦争(1689年~97年)が始まると、北アメリカでウィリアム王戦争(1689年~97年)がおこり、双方ともに決定的な勝利は得られず引き分けの形で終わっています。
次いでスペイン継承戦争(1701年~13年)が始まると、北アメリカでアン女王戦争(1702年~13年)が勃発、この戦いにはフランス側にスペインも参戦しましたが、イギリス優勢のうちに終わり、1713年に結ばれたユトレヒト条約で、イギリスはフランスからハドソン湾地方・アカディア・ニューファンドランドを、更にスペインからはジブラルタルとミノルカ島を獲得しています。
その後オーストリア継承戦争(1740年~48年)・七年戦争(1756年~63年)がおこると、イギリスはフランスの関心をヨーロッパ大陸に向けさせ、自らは北アメリカ・インドに総力を結集してフランスを撃破しました。
オーストリア継承戦争と並行して、北アメリカでジョージ王戦争(1744年~48年)がおこりますが、勝敗はつかず、相互に占領地を返還して終わっています。

インド総督デュプレクス(1697年~1763年)
この間、インドではフランスのインド総督デュプレクス(1697年~1763年)が活躍し、1746年以降、中・南部インドでイギリス軍を圧倒し、イギリス勢力をインドから一掃する勢いを示しましたが、デュプレクスは1754に本国に召還されています。
七年戦争が始まると、フランスが宿敵ハプスブルク家と結んでヨーロッパでの戦いに全力を挙げたのに対し、イギリスは植民地争いに全力を注ぎ、インドでは、一時帰国していたクライブ(1725年~74ねN)を急遽インドに呼び返します。
クライブは、イギリス東インド会社の書記としてインドに渡り、傭兵隊の将校として活躍しましたが、当時は本国に帰国していました。
彼はインドに戻るや、傭兵隊を率いてカルカッタの北方のプラッシーの戦い(1757年)でフランス・ベンガル藩王連合軍に圧勝し、インドにおけるイギリスの覇権を確立します。

プラッシーの戦い(1757年)
一方、北アメリカでは、この頃イギリス植民地がアパラチア山脈を越えてオハイオ川流域に進出すると、この地域のインディアン及びフランスと衝突し、フレンチ・インディアン戦争(1755年~63年)が発生、イギリスはインディアンと結んだフランスと戦い、1759年にフランスの拠点ケベックを占領して優位に立ち、この戦いに圧勝します。
1763年にパリ条約が結ばれ、イギリスはフランスからカナダ及びミシシッピ以東のルイジアナ・西インド諸島の一部・セネガルを獲得し、スペインからフロリダを獲得しました。

フランスはフロリダの代償としてミシシッピ以西のルイジアナをスペインに譲渡した結果、北アメリカにおける植民地をすべて喪失し、イギリスは北アメリカ及びインドでのフランスとの長期にわたる植民地抗争に勝利し、後の大英植民地帝国の地位を確立しました。
ジョークは如何?
僕は小さい頃から『誰でも(anybody)大統領になる事が出来るチャンスがある』と聞かされてきました。
今レーガン大統領をみて、本当に誰でも(anybody)大統領になる事が出来るのだという事を知りました。
※補足
*anybodyには『つまらん奴』という意味もある。
続く・・・
2イギリスとフランスの抗争

英蘭戦争(1652年~74年)
オランダは、17世紀を通して海上権を握り、香料貿易を独占して繁栄しましたが、3回にわたる英蘭戦争(1652年~74年)に敗れて植民地闘争から脱落すると、イギリス・フランス両国の抗争が激しくなります。
このイギリスとフランスの植民地・海上権をめぐる抗争は、中世の百年戦争になぞらえて第2次英仏百年戦争(1689年~1815年)とも呼ばれています。
当時の植民地抗争はヨーロッパにおける国際戦争が植民地に波及する形態のため、イギリスとフランスもヨーロッパで国際戦争がおこると北アメリカとインドで激しい植民地争奪戦を展開しています。

ウィリアム3世(オラニエ公ウィレム3世)
ヨーロッパでファルツ継承戦争(1689年~97年)が始まると、北アメリカでウィリアム王戦争(1689年~97年)がおこり、双方ともに決定的な勝利は得られず引き分けの形で終わっています。
次いでスペイン継承戦争(1701年~13年)が始まると、北アメリカでアン女王戦争(1702年~13年)が勃発、この戦いにはフランス側にスペインも参戦しましたが、イギリス優勢のうちに終わり、1713年に結ばれたユトレヒト条約で、イギリスはフランスからハドソン湾地方・アカディア・ニューファンドランドを、更にスペインからはジブラルタルとミノルカ島を獲得しています。
その後オーストリア継承戦争(1740年~48年)・七年戦争(1756年~63年)がおこると、イギリスはフランスの関心をヨーロッパ大陸に向けさせ、自らは北アメリカ・インドに総力を結集してフランスを撃破しました。
オーストリア継承戦争と並行して、北アメリカでジョージ王戦争(1744年~48年)がおこりますが、勝敗はつかず、相互に占領地を返還して終わっています。

インド総督デュプレクス(1697年~1763年)
この間、インドではフランスのインド総督デュプレクス(1697年~1763年)が活躍し、1746年以降、中・南部インドでイギリス軍を圧倒し、イギリス勢力をインドから一掃する勢いを示しましたが、デュプレクスは1754に本国に召還されています。
七年戦争が始まると、フランスが宿敵ハプスブルク家と結んでヨーロッパでの戦いに全力を挙げたのに対し、イギリスは植民地争いに全力を注ぎ、インドでは、一時帰国していたクライブ(1725年~74ねN)を急遽インドに呼び返します。
クライブは、イギリス東インド会社の書記としてインドに渡り、傭兵隊の将校として活躍しましたが、当時は本国に帰国していました。
彼はインドに戻るや、傭兵隊を率いてカルカッタの北方のプラッシーの戦い(1757年)でフランス・ベンガル藩王連合軍に圧勝し、インドにおけるイギリスの覇権を確立します。

プラッシーの戦い(1757年)
一方、北アメリカでは、この頃イギリス植民地がアパラチア山脈を越えてオハイオ川流域に進出すると、この地域のインディアン及びフランスと衝突し、フレンチ・インディアン戦争(1755年~63年)が発生、イギリスはインディアンと結んだフランスと戦い、1759年にフランスの拠点ケベックを占領して優位に立ち、この戦いに圧勝します。
1763年にパリ条約が結ばれ、イギリスはフランスからカナダ及びミシシッピ以東のルイジアナ・西インド諸島の一部・セネガルを獲得し、スペインからフロリダを獲得しました。

フランスはフロリダの代償としてミシシッピ以西のルイジアナをスペインに譲渡した結果、北アメリカにおける植民地をすべて喪失し、イギリスは北アメリカ及びインドでのフランスとの長期にわたる植民地抗争に勝利し、後の大英植民地帝国の地位を確立しました。
ジョークは如何?
僕は小さい頃から『誰でも(anybody)大統領になる事が出来るチャンスがある』と聞かされてきました。
今レーガン大統領をみて、本当に誰でも(anybody)大統領になる事が出来るのだという事を知りました。
※補足
*anybodyには『つまらん奴』という意味もある。
続く・・・
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コメント
管理人のみ閲覧できます
2015-12-18 23:42 編集
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2015-12-19 17:58 編集
寒い冬の風が吹き身がすくみます。
それでも朝早くから遊歩道をウォーキング
している人が多いですね。
望遠レンズをぶら下げて三脚担いだ
バードウォッチャー達も寒さに負けていません。
薄暗い朝からか川の土手を走り回っています。
元気がいいですね。
2015-12-19 22:09 葉山左京 URL 編集
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2015-12-19 23:22 編集
葉山左京様、おはようございます。
北九州は寒気が抜け、先ず先ずのお天気に成りました。
夜は星空が大変綺麗ですよ。
その為か、夜に成ってもウォーキングやランニング、犬の散歩の方は、結構多いです。
風も殆んど吹かないので、寒さを感じる事は殆んど在りません。
冷たい空気を吸っての散歩は、気持ちが良いですね。
2015-12-20 06:41 秋葉 奈津子 URL 編集
今日は朝からからりと晴れて青空が広がっています。
日本全国高校駅伝には絶好の日和になりました。
窓から見る限り雲一つありません。
気温は低いので走りやすいでしょうね。
どこが優勝するか楽しみですが、
用事が出来て大阪まで今から行かなければなりません。
駅伝見に行きたかったのですが。
2015-12-20 10:15 葉山左京 URL 編集
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2015-12-20 23:11 編集
葉山左京様、こんにちは。
駅伝応援、残念でしたね。
年末迄残り10日ですが、昨日の午後から雨が降り続いています。
今日は、午後からの出勤、明日は代休と年末特有の変則勤務に成って体の調子が少々狂っている様です。
来年は1月4日が月曜日なので、年頭から支払い、入金決済が始まり、仕事始めの呑気なムードは在りませんね。
私は毎年大晦日の夕方迄、店舗の応援に入っているので、1月3日は、個人的に事務所で出た方が良いかなと思っています。
新年からバタバタしたくは在りませんが、仕方がないかも・・・。
今は、何事も無く年末を乗り切りたい気持ちでいっぱいです。
2015-12-21 11:34 秋葉 奈津子 URL 編集
雨が朝から降っていて気温がかなり下がったようです。
楓の葉が黄色になりまだ完全に紅葉状態です。
他の落葉樹は葉を落としているのに、
遅くまで目を楽しませてくれます。
今年の暖冬の影響なのでしょうか。
2015-12-21 20:22 葉山左京 URL 編集
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2015-12-21 23:41 編集
葉山左京様、おはようございます。
昨日の雨は、夕方には回復しました。
気温は相変わらず高く、庭の楓は紅葉したまま、中々葉を散らしません。
周囲の山々も同様で、紅葉は中腹で止まってしまった様です。
この様な状況なので、寒波がやって来たら、厳しいでしょうね。
2015-12-22 11:44 秋葉 奈津子 URL 編集
北九州も楓は同じような現象のようですね。
秋葉さんは年末お忙しいようですが、
私はあまり変化がありません。
でも31日、元旦と仕事に出かけます。
毎年のことで慣れてしまいました。
2015-12-22 21:42 葉山左京 URL 編集
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2015-12-22 23:26 編集