歴史を歩く163
22 17~18世紀のヨーロッパ文化②
2科学と哲学の発達
17世紀には、自然界の研究が進み、科学の諸分野で知識の基礎と方法論が確立し、「科学革命」と呼ばれており、その基礎を築いたのがイギリスのニュートンです。

アイザック・ニュートン:Isaac Newton (1642年~1727年)
ニュートン(1642年~1727年)は、自作農の家庭に生まれ、ケンブリッジ大学に学び、後に同大学教授となり、数学・光学の講義・研究を行いました。
有名な万有引力の法則を発見し(1661年)、微分積分法の発見等古典力学と近代物理学の確立に大きな業績を残しています。
主著『プリンキピア(自然哲学の数学的原理)』(1687年)は、万有引力の法則を初めとするニュートン力学と天文学の研究成果を集大成したものです。

ウイリアム・ハーベー:William Harvey(1578年~1657年)
17世紀にはニュートンの他に、血液循環説を唱えたイギリスの生理学者ハーヴェー(1578年~1657年)、ボイルの法則を発見したイギリスの物理・化学者ボイル(1626年~91年)、土星の環を発見したオランダの物理・天文学者ホイヘンス(1629年~95年)等が活躍しました。

カール・フォン・リンネ:Carl von Linné(1707年~78年)
更に18世紀には、動植物の分類学を確立したスウェーデンのリンネ(1707年~78年)、燃焼理論と質量不変の法則を確立して近代化学の創始者とされるフランスのラヴォワジェ(1743年~94年)、宇宙進化論を説いたフランスの天文・数学者のラプラース(1749年~1827年)、種痘法を発見して予防接種の創始者となったイギリスの医師ジェンナー(1749年~1823年)等が科学の各分野で活躍し、優れた業績を残しました。
ヨーロッパ近代哲学の基礎は、当時盛んとなった自然科学の研究方法を哲学的に基礎づけようとしたイギリスのフランシス・ベーコンとフランスのデカルトによって確立され、フランシス・ベーコンを祖とするイギリス経験論とデカルトを祖とする大陸の合理論はヨーロッパ近代哲学の二大潮流と成りました。

フランシス・ベーコン:Francis Bacon(1561年~1626年)
フランシス・ベーコン(1561年~1626年)は、名家に生まれ、13歳でケンブリッジ大学のトリニティーカレッジで学びますが、当時のスコラ哲学的方法に強い不満を抱いき、その後パリに留学して1584年には下院議員を務め、更に検事総長を経て大法官に登用され(1618年)、最高位に迄登りつめますが、汚職の嫌疑をかけられ、すべての官職と地位を追われ(1621年)、その後はもっぱら研究と著述に励みました。
主著『新オルガヌム』(1620年)において、実験と観察による帰納法を説いて、近代科学の研究方法としての経験論を確立しました。
フランシス・ベーコンは、「知は力なり」といい、人間による自然の支配を学問の目的としました。そして真の知識に至るには、正しい認識の妨げになるイドラ(偏見・先入観)を排除しなければならないと説き(イドラ説)、更に実験と観察に基づく個々の事実から法則・結論を導き出す帰納法を提唱しました。
具体的・経験的事実が認識の基礎であるとする立場を経験論と称して、イギリスで発達し、叉帰納法は経験論の基礎となった結果、フランシス・ベーコンはイギリス経験論の祖と云われています。」イギリス経験論は、その後ロック(1632年~1704年)・ヒューム(1711年~76年)に継承されて行きました。

ルネ・デカルト: René Descartes(1596~1650)
一方、デカルト(1596~1650)は、高等法院貴族の家に生まれ、大学で法学・医学を学んだ後に放浪し、1618年にはオランダ軍に入り、旧教側について三十年戦争に従軍した後、1620年には軍を離れ、再び北欧・中欧・フランス・イタリアを旅行した後にオランダに移住し、研究生活の大部分をオランダで過ごしています(1628年~49年)。
49年にスウェーデン女王に招かれてストックホルムに赴き、半年後にその地で没しています。
主著『方法叙説』(1637年)は、彼の合理主義哲学の方法論を説いたもので、「われ思う、ゆえにわれあり」という有名な言葉もこの中に出てきます。
デカルトは、確実な真理を得るために、あらゆるものを疑って、疑い得ない真理を得ようとしました(方法的懐疑)。
そしてあらゆるものを疑わしいとして退けて行きますがが、そのように疑っている自分自身が存在することは疑う余地がないとし、「われ思う、ゆえにわれあり」という真理に到達し、「われ思う、ゆえにわれあり」という真理から出発して、彼の哲学大系を作り上げて行きました。
その方法として、デカルトは普遍的な真理を前提として、論理的に必然的な結論を導き出す方法、すなわち演繹法をうち立てました。
演繹法は、数学特に幾何の証明等に使われる思考方法と考えれば分かり易いと思います。
認識の根拠を人間の理性に求め、論理的な演繹によって結論に到達しようとする哲学思想を合理論と云います。
合理論は、フランス・ドイツなどヨーロッパ大陸で発達したので、一般に大陸の合理論と呼ばれ、デカルトは、大陸の合理論の祖、近代合理主義哲学の祖と呼ばれています。

バールーフ・デ・スピノザ:Baruch De Spinoza(1632年~77年)
大陸の合理論は、汎神論を唱えたオランダの哲学者スピノザ(1632年~77年)、単子(モナド)論を説いたドイツの哲学者ライプニッツ(1646年~1716年)等によって継承され、発展し行きました。

ブレーズ・パスカル:Blaise Pascal(1623年~62年)
フランスの数学・物理・哲学者パスカル(1623年~62年)は、パスカルの原理で知られていますが、哲学者としてはキリスト教の立場から、理性よりも心情を重視し、人間性について深い考察を行い、主著『パンセ(瞑想録)』の中に、有名な「人間は考える葦である」と云う言葉を残しています。
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イマヌエル・カント:Immanuel Kant(1724年~1804年)
18世紀末に現れた近代ヨーロッパ最大の哲学者、ドイツのカント(1724年~1804年)は、イギリスの経験論と大陸の合理論はいずれも独断的であるとして、経験論と合理論を総合する批判哲学を唱え、ドイツ観念論の祖と成りました。
主著『純粋理性批判』(1781年)・『実践理性批判』(1788年)・『判断力批判』(1790年)はカントの3批判として有名です。
ジョークは如何?
最近夫婦関係がさめていると感じたマーガレット・サッチャーは精神科へ相談に行った。
精神科医は夫婦で裸になって生活してみてはどうかとアドバイスした。
家に帰ったマーガレットは嫌がる夫をなんとか説得し、二人で裸になった。
しばらくは何事もなかったが、夕食時に変化があった。
マーガレットは頬を赤らめて言った。
「ねえ、あなた。私なんだか胸が熱くなってきたわ」
夫はさめた口調で言った。
「マーガレット。それは君の乳房がスープの皿に漬かっているからだよ」
続く・・・
2科学と哲学の発達
17世紀には、自然界の研究が進み、科学の諸分野で知識の基礎と方法論が確立し、「科学革命」と呼ばれており、その基礎を築いたのがイギリスのニュートンです。

アイザック・ニュートン:Isaac Newton (1642年~1727年)
ニュートン(1642年~1727年)は、自作農の家庭に生まれ、ケンブリッジ大学に学び、後に同大学教授となり、数学・光学の講義・研究を行いました。
有名な万有引力の法則を発見し(1661年)、微分積分法の発見等古典力学と近代物理学の確立に大きな業績を残しています。
主著『プリンキピア(自然哲学の数学的原理)』(1687年)は、万有引力の法則を初めとするニュートン力学と天文学の研究成果を集大成したものです。

ウイリアム・ハーベー:William Harvey(1578年~1657年)
17世紀にはニュートンの他に、血液循環説を唱えたイギリスの生理学者ハーヴェー(1578年~1657年)、ボイルの法則を発見したイギリスの物理・化学者ボイル(1626年~91年)、土星の環を発見したオランダの物理・天文学者ホイヘンス(1629年~95年)等が活躍しました。

カール・フォン・リンネ:Carl von Linné(1707年~78年)
更に18世紀には、動植物の分類学を確立したスウェーデンのリンネ(1707年~78年)、燃焼理論と質量不変の法則を確立して近代化学の創始者とされるフランスのラヴォワジェ(1743年~94年)、宇宙進化論を説いたフランスの天文・数学者のラプラース(1749年~1827年)、種痘法を発見して予防接種の創始者となったイギリスの医師ジェンナー(1749年~1823年)等が科学の各分野で活躍し、優れた業績を残しました。
ヨーロッパ近代哲学の基礎は、当時盛んとなった自然科学の研究方法を哲学的に基礎づけようとしたイギリスのフランシス・ベーコンとフランスのデカルトによって確立され、フランシス・ベーコンを祖とするイギリス経験論とデカルトを祖とする大陸の合理論はヨーロッパ近代哲学の二大潮流と成りました。

フランシス・ベーコン:Francis Bacon(1561年~1626年)
フランシス・ベーコン(1561年~1626年)は、名家に生まれ、13歳でケンブリッジ大学のトリニティーカレッジで学びますが、当時のスコラ哲学的方法に強い不満を抱いき、その後パリに留学して1584年には下院議員を務め、更に検事総長を経て大法官に登用され(1618年)、最高位に迄登りつめますが、汚職の嫌疑をかけられ、すべての官職と地位を追われ(1621年)、その後はもっぱら研究と著述に励みました。
主著『新オルガヌム』(1620年)において、実験と観察による帰納法を説いて、近代科学の研究方法としての経験論を確立しました。
フランシス・ベーコンは、「知は力なり」といい、人間による自然の支配を学問の目的としました。そして真の知識に至るには、正しい認識の妨げになるイドラ(偏見・先入観)を排除しなければならないと説き(イドラ説)、更に実験と観察に基づく個々の事実から法則・結論を導き出す帰納法を提唱しました。
具体的・経験的事実が認識の基礎であるとする立場を経験論と称して、イギリスで発達し、叉帰納法は経験論の基礎となった結果、フランシス・ベーコンはイギリス経験論の祖と云われています。」イギリス経験論は、その後ロック(1632年~1704年)・ヒューム(1711年~76年)に継承されて行きました。

ルネ・デカルト: René Descartes(1596~1650)
一方、デカルト(1596~1650)は、高等法院貴族の家に生まれ、大学で法学・医学を学んだ後に放浪し、1618年にはオランダ軍に入り、旧教側について三十年戦争に従軍した後、1620年には軍を離れ、再び北欧・中欧・フランス・イタリアを旅行した後にオランダに移住し、研究生活の大部分をオランダで過ごしています(1628年~49年)。
49年にスウェーデン女王に招かれてストックホルムに赴き、半年後にその地で没しています。
主著『方法叙説』(1637年)は、彼の合理主義哲学の方法論を説いたもので、「われ思う、ゆえにわれあり」という有名な言葉もこの中に出てきます。
デカルトは、確実な真理を得るために、あらゆるものを疑って、疑い得ない真理を得ようとしました(方法的懐疑)。
そしてあらゆるものを疑わしいとして退けて行きますがが、そのように疑っている自分自身が存在することは疑う余地がないとし、「われ思う、ゆえにわれあり」という真理に到達し、「われ思う、ゆえにわれあり」という真理から出発して、彼の哲学大系を作り上げて行きました。
その方法として、デカルトは普遍的な真理を前提として、論理的に必然的な結論を導き出す方法、すなわち演繹法をうち立てました。
演繹法は、数学特に幾何の証明等に使われる思考方法と考えれば分かり易いと思います。
認識の根拠を人間の理性に求め、論理的な演繹によって結論に到達しようとする哲学思想を合理論と云います。
合理論は、フランス・ドイツなどヨーロッパ大陸で発達したので、一般に大陸の合理論と呼ばれ、デカルトは、大陸の合理論の祖、近代合理主義哲学の祖と呼ばれています。

バールーフ・デ・スピノザ:Baruch De Spinoza(1632年~77年)
大陸の合理論は、汎神論を唱えたオランダの哲学者スピノザ(1632年~77年)、単子(モナド)論を説いたドイツの哲学者ライプニッツ(1646年~1716年)等によって継承され、発展し行きました。

ブレーズ・パスカル:Blaise Pascal(1623年~62年)
フランスの数学・物理・哲学者パスカル(1623年~62年)は、パスカルの原理で知られていますが、哲学者としてはキリスト教の立場から、理性よりも心情を重視し、人間性について深い考察を行い、主著『パンセ(瞑想録)』の中に、有名な「人間は考える葦である」と云う言葉を残しています。
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イマヌエル・カント:Immanuel Kant(1724年~1804年)
18世紀末に現れた近代ヨーロッパ最大の哲学者、ドイツのカント(1724年~1804年)は、イギリスの経験論と大陸の合理論はいずれも独断的であるとして、経験論と合理論を総合する批判哲学を唱え、ドイツ観念論の祖と成りました。
主著『純粋理性批判』(1781年)・『実践理性批判』(1788年)・『判断力批判』(1790年)はカントの3批判として有名です。
ジョークは如何?
最近夫婦関係がさめていると感じたマーガレット・サッチャーは精神科へ相談に行った。
精神科医は夫婦で裸になって生活してみてはどうかとアドバイスした。
家に帰ったマーガレットは嫌がる夫をなんとか説得し、二人で裸になった。
しばらくは何事もなかったが、夕食時に変化があった。
マーガレットは頬を赤らめて言った。
「ねえ、あなた。私なんだか胸が熱くなってきたわ」
夫はさめた口調で言った。
「マーガレット。それは君の乳房がスープの皿に漬かっているからだよ」
続く・・・
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コメント
夕方から雨が降り出し気温が下がりだしました。
明日からは冬の気温に戻るようです。
正月が過ぎ、春の七草から十日恵比寿と続きます。
今年は祇園の十日恵比寿に参ろうかと考えています。
良い年にするために福を授かりに行ってきたいと思っています。
2016-01-05 20:28 葉山左京 URL 編集
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2016-01-05 23:58 編集
葉山左京様、おはようございます。
今日は、暦の上では「小寒」です。
寒さが厳しくなる入口にやってきました。
それに、呼応する様に、今日から又気温が下がります。
11日は、氏神様の「どんど焼き」。
お天気が良いといいなと思っております。
2016-01-06 07:47 秋葉 奈津子 URL 編集
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2016-01-06 08:37 編集
いつもありがとうございます。
気温が下がりだしましたが、
北の山々の頂がまだ白くなっていません。
ビルの屋上から見える滋賀県のスキー場の山は
スキーができるほど雪が降っていないようです。
TVニュースでも今冬は北のスキー場でも雪があまり降っていないとのことです。
富山湾では寒ブリの姿が少ないと報道されています。
やはり冬は冬らしくないといけないようです。
2016-01-06 22:14 葉山左京 URL 編集
葉山左京様、こんばんは。
今回の冬は、未だ冷たい北風に首を竦めた記憶が、全くありません。
やはり、九州と京都では、大きく気候が異なる様ですね。
実際、職場でも釣りや山歩きの話は、聞きますが、スキーに行くと云った話は、耳にした事がありません。
此方、九州ですと一番近いスキー場は、山陰の大山、三瓶辺りになります。
周囲の山々は、未だ葉を付けた木々が大変多く、冬枯れの言葉は、全く不相応な姿です。
確かに、冬が全く冬らしくありませんね。
2016-01-06 22:23 秋葉 奈津子 URL 編集
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2016-01-07 00:17 編集
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2016-01-07 12:51 編集
今日はよく晴れました。
気温は低いですが一日明るいと気分が違いますね。
今日は春の七草粥ですね。
今はスーパーで七草のセット販売をしていますので、
食べやすくなりました。
今は物が何でもそろう時代になり、
商品のありがたみが失われつあります。
物を大事にすることも大切な事柄なのですが。
2016-01-07 16:06 葉山左京 URL 編集
葉山左京様、こんばんは。
一時、小雨が降った様です。
風は殆んど在りませんが、昨日に比べると、気温も若干低めです。
明日は、七草。
ご指摘の様に、七草粥も何処のスーパーに行っても、セットを沢山売ってますね。
七種類の草を集める苦労もなく、何か何処かに違和感が在ります。
2016-01-07 21:54 秋葉 奈津子 URL 編集
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2016-01-07 23:46 編集
朝は2℃の寒さが身に沁みます。
当分続きそうな寒さです。
でも北の山々の頂には真っ白な雪がありません。
あるスキー場では雨ごいではなく雪ごいをしたと報じられていました。
今年のように雪が少ないのも珍しいですね。
2016-01-08 05:48 葉山左京 URL 編集
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2016-01-08 13:25 編集
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2016-01-08 13:29 編集
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2016-01-08 22:30 編集
葉山左京様、こんばんは。
時折、弱い雨が降っていますが、それも東側の周防灘に面した側のみで、私の住んでいる内陸部では、お湿り程度です。
ジロくんの散歩も心配なく行くことができました。
確かに雪の話題は、九州でも全く在りません。
夏が冷夏に成らないかと心配です。
2016-01-08 22:43 秋葉 奈津子 URL 編集