2016/01/21

歴史を歩く168

23 中国文化圏の拡大2

1明の興亡②

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宮廷の永楽帝と側近

 永楽帝(在位1402年~1424年)は、即位するや建文帝の遺臣や反対勢力を徹底的に弾圧し、諸王の勢力を削減して君主独裁制を更に強化していきました。

 永楽帝は、内閣大学士を設置して、皇帝親政の補佐の任にあたらせました。
内閣大学士は重要政務に参画し、明の後半期には事実上の宰相と成りますが、その一方で宦官を重用したため、宦官の力が次第に強まり、後にはその弊害が大きくなり、明滅亡の一因となっています。

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紫禁城(近代)

 又即位後まもなく、北平を北京と改称して遷都し(1403年)、10数年を要して紫禁城を中心とする都づくりを推進し、1421年には正式に北京に遷都、江南と北京を結ぶ運河を整備しました。

 即位当初、彼には帝位簒奪者との非難が強く、その非難をかわすために学者を総動員して大編纂事業を行わせ、中国最大の類書(百科事典)である『永楽大典』(1408年完成)や『四書大全』・『五経大全』等を編纂(1415年刊)させました。

 永楽帝の名を有名にしているのは、その積極的な対外政策です。

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15世紀のモンゴル高原

 北方のモンゴルに対しては、5回にわたって親征し(1410年~1424年)、「五出三犂」(漠北に5度遠征し、3度敵を撃ち破ったの意味)と云われ、中国史上、皇帝自ら大軍を率いて砂漠を越えて親征を行ったのは、永楽帝と清の康煕帝だけでした。

 中国東北地方にも遠征軍を送り、黒竜江下流地域にまで勢力を伸ばし、 南方のヴェトナムでは陳朝(1225年~1400年)が権臣の胡氏に滅ぼされ、永楽帝はヴェトナムの内政に干渉し、大軍を送って(1406年)、胡氏父子を捕らえ、以後ヴェトナムを20年間(1407年~1427年)にわたって明の支配下におき、漢化政策を進めました。

 永楽帝の対外政策のなかで最も有名な出来事は、鄭和の南海遠征(1405年~33年)です。

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鄭和の南海遠征経路

 鄭和(1371年~1434年頃)は、雲南出身のイスラム教徒で、永楽帝に宦官として仕え、靖難の変で功績をあげ、宦官の長官に任命され、やがて南海遠征の指揮官として前後7回の遠征を行いました。遠征の目的は、明の国威を発揚すると伴に、南海諸国(東南アジア)の朝貢貿易を促すことでしたが、建文帝の行方を捜す密命を受けていたとも云われています。

 第1回目は1405年~07年に行われ、この時の船団は数百人を載せた大型帆船62隻、乗組員は2万7000人に及んだと云われ、以後07年~09年、09年~11年、13年~15年、17年~19年、21年~22年の6回目までが永楽帝時代に、第7回は宣徳帝時代の31年~33年にわたって行われました。第3回迄は東南アジア・インド西岸に至り、第4回以後はペルシア湾・アラビア半島・アフリカ東岸に迄到達し、これにより南海諸国の朝貢が相次ぎ、南海貿易が活発と成ります。

 永楽帝の積極的な対外政策によって、明の領土は最大と成りますが、彼自身は第5回モンゴル親征の帰途に病没しています(1424年)。

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宣宗宣徳帝(在位1425年~35年)

 永楽帝の死後、4代仁宗が即位しますが病弱で、在位わずか8ヶ月で崩御、その子宣宗宣徳帝(在位1425年~35年)が即位しました。
宣徳帝は名君と称えられ、内治と財政を安定させるために対外消極策をとり、北方ではオイラートの南下を、南方ではヴェトナムの独立運動を黙認します。

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英宗正統帝(在位1435年~49年、6代・8代の皇帝、8代の時は天順帝と呼ばれる)

 宣宗が38歳の若さで崩御し、英宗正統帝(在位1435年~49年、6代・8代の皇帝で8代の時は天順帝と呼ばれた)が9歳で即位しました。

 当初は賢臣が補佐を務めましたが、次第に宦官の専横を許し、政治が乱れ、国内では鄧茂七の乱(1448年~49年)がおこり、大農民反乱に発展しますが、明は大軍で鎮圧し、鄧茂七は敗死します。

 その直後に、北方から全モンゴルを統一したオイラート部のエセン・ハン(?~1454年)が長城内に侵入し、英宗は宦官の勧めに従い、親征してこれを撃とうと試みますが、明軍は土木堡(河北省北部)で全滅し、英宗は捕虜となり連行されます(土木の変、1449年)。

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万里の長城東側の起点、河北省秦皇島山海関

 明は北辺防衛のために、永楽帝の時代から万里の長城の修築に取り組みますが、このオイラートの侵入以後積極的な大改修事業が起こされ、15~16世紀に山海関から嘉峪関に至る2400kmに及ぶ修築を行い、現在八達嶺等で見ることの出来る長城の姿は、この明代に修築された長城なのです。

 土木の変で英宗が捕虜となった結果、弟の代宗(在位1449年~57年)が即位し、翌年和議が成立し、英宗は許されて帰国を果たしましたが、代宗によって幽閉され、後に英宗は、代宗の病に乗じたクーデターによって復位し、8代天順帝(在位1457年~64年)と成りますが、宰相に政治を委ねてしまいます。

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孝宗弘治帝(在位1487年~1505年)

 10代孝宗弘治帝(在位1487年~1505年)は、明の支配体制を立て直し、中興の英主とされ、平和な状態が続きますが、11代武宗正徳帝(在位1505年~21年)は、遊興にふけり、政治を宦官に委ねすぎた結果、宦官の専横はますます激しくなり、各地で連年にわたって反乱が続きます。

ジョークは如何?

とある国の君主が戦争に臨んで:
国王「将軍、今度の戦はことのほか厳しそうだ。何か良い策はあるのか?」
将軍「難しゅう御座います。勝敗は時の運で御座いましょう」
国王「それでは困る!何とか必勝の策は出ないのか?」
将軍「左様、2つ御座います。一つは、王が私めの采配に口を差し挟まないこと。
もう一つは、敵将の采配に王が口を差し挟むこと」


続く・・・

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コメント

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秋葉奈津子様 こんばんは。

今は北の滋賀県の山々も真っ白に輝いています。
ビルの屋上からは東の比叡山、西の嵐山の周辺の山に雪が積もっているのが見えます。
明日からも雪が降るようで、
暖冬とはとても思えなくなりました。

最低気温が明日は-1℃です。
寒さ厳しい折お体気を付けてお過ごしください。

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秋葉奈津子様 おはようございます。

いつもありがとうございます。
週末の朝は冷え込んでいます。
明日も-2℃になるようで、
厳冬でしょうか。

それでも梅の花が咲きだしています。
ボケの花も、そして冬桜もです。

秋葉奈津子さんへ!!♪

おはようございます!
低気圧も去ったようで今朝は陽が照っています。
しかし積雪は60cmくらいあるでしょうか・・
依然一日中零下の真冬日が続いています。!
お元気で佳き週末を。!☆!

葉山左京様、こんばんは。

北九州はお昼頃から雨が雪に変わり、時折激しく舞っています。
今日から極端に気温が下がり、氷点下を経験しそうな天気予報で、月曜日の午前中迄続きそうです。
先の寒波は、大したことは無かったですが、今回は記録的とのことで、心配です。

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秋葉奈津子様 こんにちは。

異常気象らしき寒波襲来ですね。
奄美大島の名瀬で115年ぶりに雪を観測したそうです。
京都も北部は雪ですが今日は青空が出て、
雪は降りそうでもありません。
最高気温が2℃では低すぎです。

山科川には真っ黒な川鵜が10羽ほど飛来してきました。
冬になると鵜がやってきます。
餌が豊富にあるからでしょうか。

葉山左京様、こんばんは。

今日1日は、とても九州とは思えない1日でした。
1日、全く氷点下等、始めての経験です。
道路は凍結、高速道路は全線終日閉鎖、午後以降は幹線国道でも閉鎖がでる程の寒波です。
外は真っ白、時折、地吹雪のような雪が舞い、全く視界を遮ってしまう程です。
現在、台所の水道が凍結、炊事は浴室から温水を取って行いました。
運良く、トイレの方は凍結していません。
明日の朝は、多分道路凍結で、出勤は乱れると思います。
週の始めから大変です。

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秋葉奈津子様 こんばんは。

最低気温-4℃でした。
沖縄も雪が降ったようですし、
世界的に気候がおかしくなっています。

京都市内は晴れていまして、雪が降りません。
ただし気温は低いですね。

秋葉奈津子さんへ!!♪

札幌も大雪でしたが九州が雪が降るとは不思議に思います。
イケメンちゃんは来ませんか!

犬は雪が好きで走り回ってます。猫はコタツで丸くなりますよね^^。
琴奨l菊が優勝して九州は号外でしょうね~~。☆!

葉山左京様、こんばんは。

土曜日の夜から始まった寒波は、ようやく九州から遠ざかりましたが、未だ雪が到る処に残っています。
道路も処々、凍結している場所が残っています。
私達は、台風、大雨等に比較的慣れていますが、雪となると話は別で、交通機関は大混乱になります。
今日の朝も出勤は、大混乱でした。

今回の雪で、一番元気だったのは、ジロくんでした。

秋葉奈津子様 こんばんは。

京都市内は雪はあまり降りませんが、底冷えするので有名です。
骨の髄まで冷えてしまいます。
毎年のことですから慣れているようで、
寒さはこたえます。

長期予報では2月、3月と例年より暖かいと言っていました。
ほんとになればいいのですが。

葉山左京様、こんばんは。

今回の寒波は、偏西風の大きな蛇行が原因です。
更に蛇行が始まる場所には、大陸高気圧が居座っているので、本来なら寒波が来ない筈の九州に寒気が入ったため、記録的な低音と雪に成りました。

此れから2月は寒さの底が続きますので、更なる寒波の到来も予想されます。
市内の雪は、殆んど姿を消しましたが、周囲の山々で500m以上の稜線は白く成ったままです。
やはり、寒さは辛いですね。