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2016/01/26

歴史を歩く169

23 中国文化圏の拡大3

1 明の興亡③

 12代世宗嘉靖帝(在位1521年~66年)は、当初善政を布きますが、後に道教に傾き政治をおろそかにします。
嘉靖帝の時代は、いわゆる「北虜南倭」の外患が最も酷かった時代で、明はその鎮圧に苦しみ、衰退に向かっていきました。
北虜南倭は、明中期以後の外患を意味し、北虜は北からのオイラート、タタールの侵入、南倭は南(東)からの倭寇の侵入を指す言葉です。

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アルタン・ハン(1507年~82年)

 北方では、オイラート部に変わり、タタール部(韃靼、だったん)が強盛となり、特にアルタン・ハン(1507年~82年)は、1520年代以降、連年にわたって明に侵入し、長城一帯を略奪します。
40年代になると侵入はますます激しくなり、1550年にはついに北京が包囲されますが、アルタン・ハンがその後中国の西北に転じたため、明は辛うじて難を逃れます。

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タタール部(韃靼)との戦い

 一方、倭寇は、13~16世紀に朝鮮・中国の沿岸を侵した日本の海賊・貿易商人を呼んだ名で、その活動は、14世紀を中心とする前期倭寇と16世紀を中心とする後期倭寇に分けられ、前期は朝鮮半島沿岸から黄海沿岸が中心でしたが、後期になると中国沿岸、特に華中から華南沿岸が中心となり活動も活発化しました。
又前期倭寇は日本人が多数を占めますが、後期倭寇には中国人が多く、中国の書物には「真倭は二・三で、その七・八は偽倭である」と書かれています。

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倭寇撃退

 北虜南倭により、防衛のための軍事費が増大し、14代神宗万暦帝(在位1572年~1620年)が10歳で即位した頃には、政治の腐敗と財政窮乏が大問題になっていました。
この大問題に取り組み、政治の立て直しに努めたのが張居正です。

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張居正(1525年~82年)

 張居正(1525年~82年)は、穆宗(万暦帝の前の皇帝)の時に内閣大学士(宰相)の列に加わり、改革の必要性を訴えてきましたが、若い万暦帝が即位すると、以後10年間にわたって首席内閣大学士として実権を握り、政治・財政改革に取り組みました(張居正の改革)。

 特に財政改革では、全国規模の検地の実施や租税の確保、軍事費の節約などにより財政を立て直し、明中興の実をあげています。

 しかし、張居正が死去すると(1582年)、万暦帝は宦官を寵愛し、政務を放棄し、奢侈にふけった結果政治は乱れ、各地で反乱が続発します。

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文禄の役(1592年~93年)・慶長の役(1597年~98年)

 中央では、東林党(明末の政治的党派、東林書院を中心に、官僚と協力して宦官派に対抗した)と非東林党(宦官派に与した反東林官僚の勢力をいう)の党争が激化し、又「万暦の三大征」と云われる、寧夏のモンゴル人の反乱、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役(1592年~93年)・慶長の役(1597年~98年))に対する朝鮮の李朝への援軍、貴州省の蕃族首長の反乱がおこり、更にビルマ出兵・東北地方の女真族との戦いの激化等による多額の軍事費の支出によって財政は破綻し、国力は急速に衰退します。

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明十三陵

 北京郊外の明十三陵の一つ、定陵が万暦帝の陵墓で、地下数10メートルの地下墳墓で、万暦帝・皇后の柩とともに玉座をはじめ多くの財宝類が安置され、この豪華な定陵の建設が明の財政を傾けたとも云われています。

 「明朝の滅亡をいう者は、崇禎帝(最後の皇帝)に滅びずして、万暦に滅ぶという」と書かれたように、明は万暦帝の死後20余年で滅亡することと成ります。

 明朝最後の皇帝となった毅宗崇禎帝(在位1627年~1644年)は、英明でしたが、積年の病弊はいかんともしがたく、特に女真族の清との戦いに莫大な軍事費を費やし、増税に次ぐ増税を行って民衆を苦しめ、その様な時に陜西省で大飢饉がおこり、それを機に大規模な農民反乱が起こります。
このうち最も規模が大きく明朝が苦戦した乱こそが、張献忠の乱と李自成の乱でした。

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人民に支持される李自成(1606年~45年)

 李自成(1606年~45年)は、陜西省の貧農に生まれ、大飢饉によって陜西省の農民が反乱をおこすと彼も飢民を率いて反乱に加わり(1631年)、反乱の指導者高迎祥の部下となって頭角をあらわし、彼の死後、闖王(ちんおう)と称し、西安を占領し(1643年)、国号を大順と号しました。
彼は部下の掠奪を禁じ、貧しい農民を救ったので、各地の農民の支持を得て、100万と号する反乱軍を率いて破竹の進撃を続け、山西を経て北京に入城しました(1644年)。

 崇禎帝は自害し、約300年続いた明はここに終に滅亡します(1644年)。
 しかし、李自成は、清に降伏して南下してきた呉三桂(明の武将)の軍に敗れ、わずか40日で北京を追われて西安に逃れますが、更に清軍の追撃を受けて湖北で自決し、彼の天下も幕を降ろします。

ジョークは如何?

ヴォストーク1号打上げ成功のニュースにモスクワ大学の物理学研究室の
教授も学生もみな大喜び。
教授が言った。
「我々が惑星へ旅行できるようになる日も近いだろう。」
生徒から、より具体的な質問があがった。
「アメリカへ旅行に行けるのは、いつになるのでしょうか?」


続く・・・

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コメント

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秋葉奈津子様 おはようございます。

今日は寒さが少し和らいだ気がします。
寒気団が後退したようです。

歴史を読んでいますと
面白いですね。
日本史も好きですが、世界史もいいですね。
知らないことがたくさんありすぎて、
学ぶこと多々ありです。

葉山左京様、おはようございます。

おはようございます。
昨日の夜、弱い雨が降り、寒波の名残は殆んど無くなりました。
雪に慣れていない北九州では、交通機関が大混乱、水道管の破裂事故が多発し、一部地域では、断水騒ぎに成りました。
バリバリに凍りついた道路は、本当に怖かったですね。

歴史は日本史、世界史を問わず、縦横な時間の結びつきが大変面白いと思います。
日本で、安土桃山時代は、中国大陸では明朝、ヨーロッパではスペインが大帝国を築いた時代でもあります。
歴史の面白さは、見る角度を変えると興味は尽きませんね。

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秋葉奈津子様 こんばんは。

遊歩道にバードウォッチャーが望遠鏡を据え付けて、
一生懸命に川面を見ています。

私が通り過ぎた向うで皆さんが期待してるカワセミが、
ゆっくり羽を休めていました。
この寒い中でやはり餌を求めてさまよっているようです。

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葉山左京様、こんばんは。

カワセミが観れるなんて、本当に羨ましい環境と思います。
北九州では、鳶が沢山空を舞っています。
これも周囲の山に餌が無いためと思いますが、高層ビルの屋上にも巣があるとか。
彼等の生活環境も変わったものですね。

今日は寒気が去った変わりに雨の1日でした。
関東方面は、又寒波の様ですが、そちらは如何でしょうか?

秋葉奈津子様 こんばんは。

京都市内は雪は降りませんが底冷えがして寒いですね。
関東東北は雪が降るようですが、
こちらも時には雪が舞ってほしいものです。

今日一日中雨が降っていました。
そして冷え込みが厳しいですね。

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葉山左京様、おはようございます。

北九州は厚い雲に覆われていますが、明方の気温は高めです。
先週ような寒気を室内で感じることは、在りません。

関東方面は又寒波との予報ですが、京都方面も影響があるのでは?
福岡県では、先の寒波で断水が続いていた、大牟田市の水道が昨日やっと復旧しました。
記録的な寒波は、後が大変です。

秋葉奈津子様 こんばんは。

大牟田市の断水は京都の方にもニュースで出ていました。
でも復旧して良かったですね。
水がないと何にもできませんから。

京都市内は関東にはあまり影響を受けないようです。
京都府の北の日本海側は雪が多いですが、
京都はあまり降りませんね。

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葉山左京様、おはようございます。

今回の大牟田市の断水は、寒さに慣れていない福岡県の低温対策の不備を指摘する声もあります。
常識外れの寒波では、対応も無理と思います。

北九州は昨日の午後からお天気が回復し、久しぶりに陽の光を浴びる事が出来ました。
ジロくんの散歩も3日ぶり、彼のストレスも少しは解消されたことでしょう。
只、今日の明方は雨が降っています。
雲間から月や星の姿が見えるので、大したことは無いかもしれません。

早いもので、1月も今日が最後ですね。
2月も宜しく!

秋葉奈津子様 こんばんは。

晴れた青空が広がって穏やかな日曜日になりました。
京都も気温が10℃ぐらいになり、
春真近の陽気に遊歩道もウォーキングや最近はジョギングも多くなりました。

ほんとに一月もあっと言う間に過ぎました。
こちらこそ来月もよろしくお願いします。

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葉山左京様、おはようございます。

北九州は、1週間前の寒波が嘘の様な毎日が続いています。
お天気の方は不安定で、雨が降っていると思えば、雲が切れて青空が広がり、又雲が広がり雨が降る様な1日です。
庭の梅が、何時の間にか咲き始めました。
昨年の梅は豊作で、梅酒を作りましたが、今年はどうでしょうね?

秋葉奈津子様 こんばんは。

昼頃から晴れて太陽の光がまぶしいほど輝いています。
太陽の光に当たると暖かくなります。
気分も明るくなりました。

今日から3日まで節分会が始まりました。
こちらは壬生寺と吉田神社が有名です。
時間があれば行ってみたいと思っています。

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秋葉奈津子様 こんにちは。

朝の間晴れていたのが午後から雲が多くなりました。
冬の鈍色の空より明るい空がどれだけ人間を明るくするかよくわかる年になりました。
若いときは何も感じなかったのですが。

心の機微は自然や周りの環境で大きく変わりますね。
春まだ遠いですが、
早く来てほしいものです。

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葉山左京様、おはようございます。

今日は「節分」、明日はもう「立春」です。
暦の上では、暖かい季語が並ぶ処までやって来ました。
此方北九州の2月は、寒さの底。
3月ぬ成らないと、春を実感することは出来そうに在りません。

昨日から「恵方巻き」で大忙しに成っています。
予約のお客様も多く、月初と重なって大変です。
この「恵方巻き」何時頃始まったのか、記憶が在りませんが、子供の頃は節分の豆まきしか在りませんでした。

営業的には増収になるので、喜ばしいことですが、人間的には体位編です。