2016/03/18

歴史を歩く180

24 中国の隣接地域の変遷④

4琉球

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尚 巴志王(1372年(洪武5年)〜1439年6月1日(正統4年4月20日))

 琉球(現在の沖縄)は、14世紀中頃に中山・北山・南山の3王国に分立し、それぞれ明に朝貢していました。

 1429年に、中山(ちゅうざん)王の尚巴志(1372年~1439年)が3王国を統一し、首里に王府を置き、琉球王国を建設しました。

 1609年に薩摩の島津氏の軍が侵入し、首里城を陥れて国王を捕らえ、以後琉球は島津氏に服属しましたが、中国(明、後には清)への朝貢は続いたのです。
    
5東南アジア諸国・ヴェトナム

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胡季犛(1336年〜?)

 ヴェトナムでは、1400越年に陳朝(1225年~1400年)が、権臣の胡氏によって簒奪されます。
永楽帝はヴェトナムの内政に干渉し、1406年に20万の大軍を送り、胡氏父子を捕らえ、胡朝(1400年~1407年)は、僅か7年で滅び、ヴェトナムは明の支配下に置かれました(1407年~ 1420年)。

 永楽帝は、ヴェトナムの漢化政策を推進し、ヴェトナム固有の風俗を捨て漢民族風に従うことを強制し、又塩を専売として重税を課し、象牙・犀角等の珍貨の収奪を行った結果、ヴェトナム各地で反明反乱が頻発しまし。

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黎利(レ・ロイ、Lê Lợi:1385年〜1433年)

 黎利(1384年~1433年)は、陳朝の武将でしたが、明のヴェトナム支配に抵抗して挙兵し(1418年)、長期にわたるゲリラ戦を展開し、永楽帝の死後、一挙に攻勢に出て明軍をヴェトナムから駆逐し(1427年)、翌1428年にハノイで即位し、国号を大越と号し、これがヴェトナム史上最も長く続いた黎朝(1428年~1527年、1532年~1789年)です。

 黎利(太祖、在位1428年~33年)は、田制・税制・地方制度等の改革を実施し、儒学(朱子学)を奨励し、又明との関係修復にも努めました。
黎利は中国の圧政からヴェトナムを解放した民族独立の英雄として、現在も国民的尊敬を集めています。

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黎聖宗(レ・タイントン、 Lê Thánh Tông:在位:1460年〜1497年)

 黎朝第5代の王、黎聖宗(在位1460年~97年)は国内では中央集権体制を確立し、対外的にはチャンパー(占城)征服に乗り出し、チャンパーを滅ぼしてこれを併合し(1471年)、これによって領土は一気に中・南部ヴェトナムにまで拡大し、黎朝の最盛期を現出しましたが、黎朝は聖宗の死後、急速に衰退し始め、各地に反乱が頻発するようになりました。

 このため、内乱鎮圧に功績をあげた権臣の莫氏が軍事権を握り、1527年には恭帝(前期黎朝第11代の王)から王位を奪い、莫氏は以後65年間にわたってヴェトナムを支配しますが、莫氏の勢力はハノイ周辺に限られていた結果、まもなく南方にこれに対抗する勢力が生まれ、初め黎朝の旧臣である阮氏が莫氏に殺された黎昭宗(黎朝第10代の王)の子を擁立して莫氏に対抗しますが(1532年)、その後、黎朝擁立派の実権は武人の鄭氏に移ります。

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フエ 阮朝王宮・正殿、太和殿

 鄭氏は、黎氏を擁立して莫氏と抗争を続け、1592年についにハノイを攻略し、莫氏(莫氏は5代続いた)を倒して、黎朝を再興しました。
黎朝は65年ぶりに復興しましたが、黎朝(後期黎朝、1532年~1789年)の王は名目的存在にすぎなくなり、政治の実権は武人の鄭氏に握られていました。

 黎朝擁立をめぐる主導権争いに敗れた阮氏は、初め鄭氏に従属していたが、中部ヴェトナムのフエに移り、やがて独立して鄭氏に対立する勢力となり、さらに南ヴェトナムへ領土を拡大していきます(広南国)。

 こうして黎朝(後期黎朝)は、北の鄭氏と南の阮氏の南北に事実上分裂することに成り、当時ヴェトナムを訪れたヨーロッパ人は、鄭氏の支配領域を「トンキン」、阮氏の支配領域を「コーチシナ」と呼び、南北分裂は、以後2世紀半に及びますが、1789年に黎朝は西山党の阮氏によって滅ぼされます。

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阮三兄弟像・ビンディン省タイソン県 光中皇帝博物館

 ヴェトナム中部の西山(タイソン)村出身の阮文岳・阮文呂・阮文恵の3兄弟(3兄弟の阮氏と「広南国」の阮氏とは全く関係がない)が、黎朝の衰退に乗じて、1773年に反乱を起こし、この反乱は広範な社会層を巻き込んで大反乱に発展しました。

 西山党は、まず「広南国」の阮氏を滅ぼし(1777年)、次いでハノイに侵入して鄭氏を滅ぼし(1786年)、この間、阮文岳は領土を3分して自らは中央皇帝と称し(1778年)、西山(タイソン)朝(1778年~1802年)を開きました。

 黎朝最後の(後期黎朝第17代の王)愍宗(在位1786年~1789年)は、清朝に介入を要請し、清は大軍を送ったが西山党の軍に大敗した。志敗れた愍宗は北京に逃れ、約350年間続いた黎朝はついに滅亡します。

ジョークは如何?

ロックフェラー家の家訓

罰金は、間違ったことをして払わされる税金。

税金は、正しいことをして払わされる罰金。


続く・・・
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コメント

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秋葉奈津子様 今晩は。

風が冷たく寒い毎日だと思っていましたら、
もう真っ白なこぶしの花が咲き、
真っ黄色のレンギョウか満開です。

早咲きの桜も、菜の花も、そしてモクレンも咲きだしそうです。
春になりました。
しっかり自然を見ていないと春の訪れが、
わからなくなってしまいます。

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葉山左京様、おはようございます。

昨日、福岡県で桜の開花宣言が成されました。
平年より4日早い開花宣言です。

木蓮の花の白と桜の薄桃色が共演する姿を観たいと思いますが、少し無理でしょうか?
金曜日からの雨は土曜日の夕方には青空に代わりました。
今日も寒さを余り感じずに布団から出る事が出来、もう6時で可也の明るさに成っています。
今日明日は、店舗の応援ですが、先ずは良いお天気で良かったと思っています。

秋葉奈津子様 こんばんは。

風は冷たいですが、
春らしき空の青さです。
雪柳も満開ですがソメイヨシノの開花宣言もうすぐだと思われます。
近くの家の庭はサクラソウのピンクで埋まっていました。
遊歩道やその周辺を散策すると
明るい花の競演が見られます。
気分も明るくなりました。

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葉山左京様、おはようございます。

朝の冷込みは未だ在りますが、それとは引き換えに日中の暖かさは、大変心地よく感じます。
朝の6時には、十分明るくなり、夕方も18時半位までは、明るさが残っています。

1月末の降雪で被害を受けた鉢物も新芽が出始め、昨日木の枝を移動する尺取虫の姿が在りました。
気候の変化は、植物や虫達が一番敏感に感じ取っている様です。

秋葉奈津子様 こんばんは。

京都市街の中心を流れる木屋町の高瀬川のソメイヨシノは
咲きだしました。
ほんのわずかな木々ですが、
待望の花が咲いていました。

風は冷たく北風が強い日でしたが、
やはり春が来たなーと思われる花でした。

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葉山左京様、こんばんは。

此方、北九州は、朝の冷込みは厳しいですが、昼間は暖かい1日でした。
鳥達が鳴きながら飛び回り、元気な鳴き声が何時も聞こえました。
日当たりの良い車内では、エアコンが必要な位でしたが、朝晩の寒暖の差が大きく成っています。
今日は、北風の吹かず、風自体も暖かさを感じます。
木々の新芽は大きく膨らみ、陽に向かって伸びている様です。

秋葉奈津子様 こんばんは。

京都もソメイヨシノが咲きだしました。
まだちらほとですが。
今日はあたたかいいちにちでした、
その影響でしょうか真っ白に道の土手を染めた雪柳が
満開を迎えています。
こぶしにモクレン、レンギョウに菜の花や土佐ミズキの花がきれいですね。
春爛漫の時期を迎えようとしています。

北九州はこちらより桜の満開は早いでしょうね。

葉山左京様、こんばんは。

今日も暖かい1日。
日が暮れてからも気温は13度在り、ジロくんの散歩でも寒さを感じません。
私同様、愛犬の散歩、ジョギング等、結構人出は多く成りました。
北九州では、朧月夜。
大変、幻想的な眺めです。
今、此方は木蓮や菜の花が盛りを迎えています。

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