2016/03/24

歴史を歩く181

24 中国の隣接地域の変遷⑤

5東南アジア諸国②

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アノーヤター(アノーラター、在位1044年~77年)

 ビルマ(ミャンマー)では、11世紀にアノーヤター(アノーラター、在位1044年~77年)によってビルマ最初の統一国家であるパガン朝(1044年~1287年)が建てられました。
アノーヤターは、古くから海岸部に居住していたモン人のタトゥンを征服し、上座部仏教(小乗仏教)の教典と共にモン文化を移入し、又モン文字を改良してビルマ語を書き写すようにする等モン人の高度な文化を受け入れてパガン朝の文明化を進めます。

 パガン朝では、12世紀後半頃からモン文化は急速に衰微し、13世紀になるとビルマ独自の文化が発達して行きますが、約250年間続いたパガン朝はフビライよる大軍の侵入を受けて滅亡します(1287年)。

 ビルマではパガン朝の滅亡後分裂状態が続き、その間シャン人(タイ人)に圧迫されますが、16世紀前半にはトゥングー朝が成立します。
ダビンシュエティ(在位1531年~50年)は、15世紀末頃からシャン人の勢力が衰え始めると、下ビルマのトゥングーのビルマ人を結集し、まず南方に勢力を伸ばし、次いで上ビルマの地を併せてトゥングー朝(1531年~1752年)を樹立しました。

 トゥングー朝は、16世紀後半にはペグーを都として栄えましたが、17世紀前半になるとシャン人制圧に力を注ぎ、都を上ビルマのインワに遷した結果、南方のモン人勢力が再び台頭します。

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アラウンパヤー(1714年~60年)

 モン人は、南部を制圧し、次いでインワを攻略してトゥングー朝を滅ぼします(1752年)が、しモン人のビルマ支配は極めて短期間で、アラウンパヤー(1714年~60年)がモン人支配に対して反乱を起こし(1752年)、ビルマ王を称してモン人を撃退し、敗走するモン人を追ってペグーを攻略し(1757年)、モン人の支配は終わっています。

 アラウンパヤーによって創始されたコンバウン(アラウンパヤー)朝(1752年~1885年)は、アラウンパヤーの子(第3代の王)の時に、アユタヤを攻略して徹底的に破壊し、400年以上続いたアユタヤ朝を滅ぼします(1767年)。
尚、コンバウンはアラウンパヤーの生地の古名です。

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コンバウン朝王宮

 タイ人は、もと四川・雲南に居住していましたが、8世紀頃を中心に長期にわたって南下し,特に13世紀にモンゴル人の雲南侵入で南下が活発となります。
インドシナ半島に南下したタイ人は、タイ北部に諸小国家をつくり、真臘に従属していましたが、13世紀中頃に真臘の要地であったスコータイを攻略し、タイ最初の統一王朝であるスコータイ朝(1257年~1350年)を建国して、メナム川流域を支配します。

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ラーマ・カムヘン大王(在位1275年/77年~1317年)

 スコータイ朝は、第3代の王ラーマ・カムヘン(在位1275年/77年~1317年)の治世時に最盛期を迎え、タイ史上最も傑出した王とされるラーマ・カムヘンはクメール文字を改変してタイ文字を制定し(1283年)又13世紀末以後、元に朝貢し、中国文化を取り入れます。

 又スコータイ朝では上座部仏教(小乗仏教)が栄えましたが、14世紀中頃に南方に興ったアユタヤ朝に従属し、スコータイ朝の領主であったラーマ・ティボディ(ラーマ・ティボディ1世、在位1350年~ 69年)は、アユタヤに移って勢力を拡大し、スコータイ朝の衰退に乗じてその領土の大半を領有してアユタヤ朝(1350年~1767年)を創始しました。

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アユタヤ朝アユタヤ王宮・サンペット宮殿

 アユタヤ朝は、1432年には真臘からアンコールを奪い、15世紀後半には中央集権体制を確立して栄えますが、ビルマにトゥングー朝が成立すると(1531年)、ビルマに圧迫され、首都アユタヤをビルマに奪われ(1569年)、以後ビルマに臣従するようになります。

 ビルマ占領軍を撃退し、アユタヤ朝をビルマから解放したのが、ナレースエン大王(在位1590年~1605年)でした。
ナレースエン大王から約1世紀の間、アユタヤ朝の領土はタイ史上最大となり、周辺諸国や中国・日本・ヨーロッパ諸国との通商が盛んとなり、アユタヤ朝は最盛期を迎えます。

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山田 長政(天正18年(1590年)頃 - 寛永7年(1630年))

 日本人の山田長政(?~1630年)が活躍したのもこの時期で、彼は駿河の生まれでで、1612年頃タイに渡り、アユタヤの日本町(最盛期には邦人の数は1500人に達したと言われている)の長となり、後にリゴール太守として活躍しましたが、政争で毒殺されています。
18世紀に入るとアユタヤ朝の国力は衰え、ビルマのコンバウン(アラウンパヤー)朝によって滅ぼされました。

 アユタヤ朝の滅亡後、トンブリー朝(1767年~82年)を建てたタークシンが精神錯乱に陥いり、元アユタヤ朝の武将であり、タークシンの腹心の部将であったチャクリが推されて即位してチャクリ朝(バンコク朝、1782年~現在に至る)を建てました。

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ラーマ1世(在位1782年~1809年)

 チャクリ(1735年~1809年)は即位するとラーマ1世(在位1782年~1809年)と称し、都をトンブリーからバンコクに遷都、更にラーマ1世は、ビルマ軍を撃退し、カンボジアを圧迫し、後にはマライ半島にも進出して領土を拡大する一方、国内では中央集権体制を確立します。

 ラオスでは、ラオ人によるランサン王国(14~18世紀)が成立しますが、周辺のヴェトナム・ビルマ・タイから圧迫を受けました。
16世紀に仏教文化が栄え、17世紀には最盛期を迎えますが、18世紀後半に王位継承問題から3王国に分裂します。

 諸島部では、スマトラ南部から興ったシュリーヴィジャヤ(7世紀から14世紀)が、10世紀には最盛期を迎えますが、マジャパヒト王国の勃興によって14世紀には衰退し、そのマジャパヒト王国(1293年~1520年頃)は、ジャワ中・東部を中心に栄えた最後のヒンドゥー教の王国です。

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マジャパヒト王国の版図

 初代の王、ヴィジャヤ(在位1293年~1309年)は、シンガサーリ朝 (1222年~92年)の王クルタナガラ(フビライの使者を追放し、元によるジャワ遠征の原因を作った王)の子で、シンガサーリ朝の末期に起きた反乱で逃亡しますが(1292年)、元軍の支持を得て王位回復を果し(1293年)、次いで元軍を撃退してマジャパヒト王国を建国しました。

 マジャパヒト王国は、14世紀後半に最盛期を迎えますが、15世紀後半からイスラム教徒の侵入で衰退し、16世紀初頭にイスラム勢力の勃興で滅亡します。

 マジャパヒト王国の滅亡後、ジャワ島では、東部に建国されたヒンドゥー教国であるマタラム王国(16世紀末~1755年)、西部に興ったヒンドゥー教国であるバンテン王国(1527年頃から1813年)の勢力が強大と成り、又この間マライ半島西南部では、東南アジア最初のイスラム国家であるマラッカ王国(14世紀末から1511年)が大勢力となり、海上貿易の中心として繁栄します。
 
6 日本

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蒙古襲来

 鎌倉幕府の第8代執権の北条時宗(1251年~84年)は2回にわたる蒙古の襲来(1274年、1281年)を撃退しましたが、鎌倉幕府はまもなく崩壊し、南北朝の争乱期(1336年~92年)となり、この頃から倭寇の活動が活発と成りました。

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室町幕府第3代将軍足利義満(1358年~1408年)

 室町幕府の第3代将軍足利義満(1358年~1408年)が勘合貿易を始めると、倭寇は一時下火となりますが、応仁の乱(1467年~77年)の頃から再びその勢力を盛り返します。

 16世紀になると、ポルトガル人の来航(1543年)を機に、海外発展の機運が高まり、南蛮貿易や朱印船貿易が発展し、又日本人の海外進出が盛んとなり、日本人の活動は東南アジア各地に及び、タイ・フィリッピン・ヴェトナム・カンボジア・ビルマ等に日本人町が出来ていきました。

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 豊臣秀吉の2回にわたる朝鮮出兵(1592年~93年、97年~98年)は、日本・李氏朝鮮・明の政治・社会に大きな影響を及ぼしています。

 17世紀初頭に、江戸幕府が成立すると(1603年)、幕府はキリスト教を禁止し、鎖国政策を実施し(1639年完成)、以後は中国・朝鮮・オランダとのみ交易を保ったのでした。

ジョークは如何?

同じ水域で操業しているのに、日本漁船の方がソ連漁船より漁獲量がなぜ多いのかについて政治集会で熱心に討議がかわされた。
一人の漁師が立ち上がって言った。

「原因は分りませんが、日本の漁師は網を引き上げて魚が入っていないと、魚が捕れるまで何度もくり返し網を海にいれます。
 しかるに我が国では、網に魚が入っていないと政治集会を開いて不漁を討議します。
この違いが・・・・・」


続く・・・
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コメント

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秋葉奈津子様 こんばんは。

寒くなりました。
折角暖かくなったというのに冬に逆戻りです。
それでも枝垂れ桜の花も咲きだし、
あと一息の春待ちでしょうか。

これで寒さと最後のお別れになってほしいですね。

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葉山左京様、こんばんは。

北九州は昨日に比べて気温が、6度も下がり、14度前後しか上がらず、おまけに北風が吹いて寒い1日でした。
予報では、これで平年並みの気温とか。
日頃暖かい毎日に慣れてしまうと、寒さを余計に感じてしまいますね、
この様な時でも、ジロくんは元気に日向ぼっこしています。

秋葉奈津子様 おはようございます。

今朝も寒さで震えています。
朝晩いつごろから暖かくなるのでしょうね。
やはり桜が散る頃なのでしょうか。

ジロくんは日なたぼっこですか。
いいですね。
私もあやかりたいですね。

今日も天気は晴れそうです。
最近雨が少なく感じます。

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葉山左京様、こんばんは。

今日は(時間軸では昨晩)、帰宅時間が遅かったので、深夜のお挨拶に成りました。
寒の戻りで平年並みの気温に成ってしまい、桜の開花も少しお預けです。

ジロくんは、日溜まりを追いかけるようにして、日向ぼっこです。
暖かそうに寝ている姿は、満足感でいっぱいの様子。

海から月の昇る姿を久しぶりに眺める機会に出会いました。
黄色い光を海面に投げる姿は、日の出は違った感動を覚えます。

秋葉奈津子様 こんばんは。

寒さが厳しい週末でした。
暖かさと寒さが交互に代わる天候です。
夕方は空が澄み雲一つもない紫色の夜です。

もうすぐソメイヨシノも満開になるでしょう。
月末から月初めが見ごろになると思います。
その時は私も桜見に行き酔っぱらっていることでしょうか。

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葉山左京様、おはようございます。

昨晩は弱い雨が降りました。
寒暖の差が大きく、特に朝の冷込みは、布団から出ることに思い切りが要ります。

日中は、北九州でも花見には少し早いのですが、結構な人出があったとの事です。
今日は雲が多いですが、お天気はどうなるでしょう?

4月から公共料金や税金、頭の痛い事ばかりですね。

秋葉奈津子様 こんばんは。

ソメイヨシノがちらほら咲きだしましたが、
まだ花見するほどの咲き方ではありません。
それでも気のはやる人たちはこの寒い中、
花より団子の方でしょうか。

たぶん今月末から4月初めが見どころになると思います。
そのころ私も行こうかなと思っています。

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葉山左京様、おはようございます。

3月も今週で終わりです。
月日の流れが、大変早く感じます。
北九州は花冷えの影響からか、桜はチラホラ、彼岸桜は、葉桜に変わっています。
通勤路の街路樹で植えられたボケの花が、見頃に成りました。
庭の雑草が、伸び始め次の休みには、草刈をしなと行けません。
日中は暖かさが戻ってきました。
春爛漫ももう直ぐですね。

秋葉奈津子様 こんばんは。

朝晩も多少は寒さが和らぎだしました。
最低気温が10℃超すと暖かく感じられるのでしょうが。
でも昼間はずいぶんと暖かくなりました。
山科川の中州も黄色の菜の花でいっぱいになりそうです。

これからが暖かになり花見の楽しみが増えます。

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秋葉奈津子様 おはようございます。

今日も晴れるようです。
最近は雨が降りません。
時には必要ですね。
桜が咲いたときは降らなくてもいいのですが、
空気が乾燥しています。
体調にはお気を付けください。

葉山左京様、こんばんは。

北九州の今日のお天気は、薄陽の射す薄曇りでした。
今、市内の彼方此方で、菜の花が黄色い花を沢山付けています。
桜の開花本番迄、菜の花が目を楽しませてくれます。
此方も空気の乾燥が強く、体が水分を要求しています。
この様な時は、以外と風邪等をひきやすい時ですね。
油断大敵です。

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