2016/04/03

歴史を歩く183

25 トルコ世界とイラン世界②

2オスマン帝国の発展①

 オスマン帝国(オスマン・トルコ帝国)(1299年~1922年)の前身は、西トルキスタンのホラサン地方で半遊牧生活を送っていた部族ですが、チンギス・ハンの圧迫を受けて西進し、小アジアの西北部に入り、やがて族長のエルトゥルルはルーム・セルジューク朝(1077年~1308年、セルジューク族の一分派が小アジアに建国した国)に一軍団長として仕え、その子オスマン・ベイ(オスマン1世、1258年~1326年)は、ルーム・セルジューク朝の衰退に乗じて独立し、オスマン帝国を建国しました(1299年)。

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オスマン・ベイ(オスマン1世、1258年~1326年)

 オスマン1世(在位1299年~1326年)は、周辺のビザンツ帝国の諸侯の領土に侵略して勢力を拡大し、オスマン帝国の基礎を築き、次のオルハン・ベイ(在位1326年~59年)は、小アジア西部のブルサを攻略してここを首都と定めました(1326年)。

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ムラト1世(在位1359年~89年)

 オスマン1世の孫、第3代皇帝ムラト1世(在位1359年~89年)は、小アジアから対岸のバルカン半島に進出し、アドリアノープルを征服し、ブルサからアドリアノープルへ遷都しました(1362年)。

 ムラト1世のバルカン進出に対して、バルカン諸民族はセルビアを盟主としてオスマン帝国の侵入を阻止しようと試みますが、ムラト1世はコソヴォの戦い(1389年)でこれを撃破し、バルカンの支配権を確立します。
しかし、ムラト1世本人は、この時降伏してきたセルビア貴族に陣中で暗殺されています。

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イェニチェリ 下級兵士

 尚、有名なイェニチェリが創設されたのが、ムラト1世の時代と云われています。
イェニチェリ(新しい兵士の意味)は、支配下のキリスト教徒の中から強健・美貌の少年を選抜してイスラム教に改宗させ、厳格な訓練を施して組織された親衛隊で、身分上はスルタンの奴隷ですが、高位・高官に栄達する登竜門でもあったので、後にはバルカン半島の住民の中には自分の子弟を志願させる者も現れました。

 ヨーロッパの軍隊はイェニチェリの楽隊の音を聞いただけで戦意を喪失したと云われ、イェニチェリは14~15世紀の征服戦争に多くの軍功を立てていきました。
しかし、後には軍規が乱れ、横暴を極め、スルタンの擁立にも関与するようになった結果1826年に廃止されます。

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バヤジット1世(在位1389年~1402年)

 第4代皇帝バヤジット1世(在位1389年~1402年)は、父の暗殺後に即位し、セルビアを従属させるとともに、ニコポリスの戦い(1396年)でハンガリー王ジギスムントを中心とするバルカン諸国・フランス・ドイツ・イギリスのヨーロッパ連合十字軍を撃破し、更にコンスタンティノープル攻略に着手します。

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ニコポリスの戦いでハンガリー王ジグムントと助けようとするティトゥス・フェ

 この時、突如東方からティムールが小アジアに侵攻し、バヤジット1世はこれをアンカラに迎え撃ちますが大敗を喫して捕虜となり(アンカラの戦い、1402)、翌年獄中で憤死し、オスマン帝国は一時ここに中断しました(1402年~13年)。

 ティムールがアンカラの戦いから3年後に崩御すると、バヤジットの諸王子はいっせいに蜂起しオスマン帝国の再興を図りますが、同時にスルタンの位をめぐって激しい内紛に発展し、11年間にわたる空位時代が続きます。

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メフメト1世(在位1413年~21年)

 スルタン継承争いに勝利したバヤジットの第3子がメフメト1世(第5代皇帝、在位1413年~21年)として即位し、オスマン帝国の復興に努め、次のムラト2世(第6代皇帝、在位1421年~51年)の時には、再びバルカン半島に領土を拡大していきます。

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メフメト2世(1432年~81年、在位1451年~81年)

 第7代皇帝が「征服王」・「大帝」と呼ばれるメフメト2世(1432年~81年、在位1451年~81年)で、メフメト2世は、1453年、終にコンスタンティノープルを攻略し、1000年以上続いたビザンツ帝国(395年~1453年)を滅ぼし、コンスタンティノープル(オスマン帝国ではイスタンブルの呼称が一般化した)に遷都しました。

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コンスタンティノープル攻略

 メフメト2世は、コンスタンティノープル攻略にあたって、油を塗った丸太を並べて、その上を戦艦を引っぱる奇抜な方法で山越えを敢行し、コンスタンティノープルを陥落させたのは有名な話です。
その後、メフメト2世はバルカン半島や黒海沿岸地方を征服し、「征服王」と呼ばれ、又国内では、法典の整備を行い、学芸を保護・奨励し、以後のオスマン帝国の大発展の基礎を築来ました。

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セリム1世(1512年~20年)

 第9代皇帝セリム1世(1512年~20年)は、父バヤジット2世(第8代皇帝、在位1481年~1512年)を廃位して即位し、新興のサファヴィー朝から小アジア東部やメソポタミアを奪取し、1516年にはシリアを併合、翌1517年にはマムルーク朝を滅ぼしてエジプトをも併合(1517年)、そして、それまでマムルーク朝が掌握していたメッカ・メディナの保護権を獲得し、カリフ政治の後継者としてスンナ派の信仰の擁護に努めました。

 尚、従来はセリム1世がマムルーク朝を滅ぼした時に、マムルーク朝に亡命してその庇護のもとにあったアッバース朝の最後のカリフからカリフの称号を強制的に取り上げ、オスマン帝国のスルタンがカリフを兼ねるスルタン・カリフ制が成立したとされてきましたが、最近の研究ではオスマン帝国がスルタン・カリフ制を用いたのは18世紀後半以後のことであるとされています。

ジョークは如何?

ヴォストーク1号打上げ成功のニュースにモスクワ大学の物理学研究室の
教授も学生もみな大喜び。
教授が言った。
「我々が惑星へ旅行できるようになる日も近いだろう。」
生徒から、より具体的な質問があがった。
「アメリカへ旅行に行けるのは、いつになるのでしょうか?」

続く・・・
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コメント

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秋葉奈津子様 こんばんは。

昨日は円山公園でしたが、
曇り空の今日は近くの醍醐寺周辺や、
山科川を散策しますと
たくさんの花たちが咲き乱れていました。
桜や菜の花、雪柳等はもちろんのこと、
名も知らない花が目を楽しませてくれます。
春から初夏にかけてはいいですね。

葉山左京様、おはようございます。

昨日の夕方から雨に成りましたが、桜の散り方は少ない様です。
ニュースでは、今年は鹿児島県等の九州南部より、北部九州の方が気温が高く、桜の開花も当然ですが早いとのこと。

昨日は、庭も草刈をしましたが、伸び方が尋常ではなく、可也の時間を要してしまい、総てを刈ることは出来ませんでした。
今日の雨で、又一段と伸びるますが、暖かくなると、何かと外仕事が増えてしまいます。

秋葉奈津子様 こんばんは。

京都も久しぶりの雨です。
午後からはまた太陽が顔を出しました。
でも雨はお湿り程度で
空気は乾燥しています。

桜の花が散りだしました。
枝垂れ桜も咲きだし、
これが終わると八重桜が咲きだしますね。

一種類の桜の命は短いですが、
緋寒桜が咲きだし、
八重桜が咲き終わるまでは
結構な期間桜が見れますね。

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葉山左京様、おはようございます。

> 北九州も一昨日の夕方から昨日の昼頃迄雨模様でした。
> 此方も、薄桃色の絨毯が到る処に出来ていますが、花の方は未だ未だ咲き誇っています。
> 確に桜の季節は、比較的長いですね。
> 北九州は、彼岸桜から始まってソメイヨシノそして八重桜と続きます。
> 山に自生している桜は、5月上旬迄その姿を見る事が出来ます。
> 今が、一番花々が綺麗な時期ですね。

秋葉奈津子様 こんばんは。

曇り空でしたが気温が高く
活動しやすい時期に入りました。
今有名寺院は夜ライトアップして
遅くまで観光客を取り込んでいます。

商売気たっぷりの京都の神社仏閣には感心します。
またそれだけの外国の観光客が押し寄せてはいますが。

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葉山左京様、おはようございます。

此方も今週は、20度前後維持する陽気が、予報されています。
目に入る山々は、頂上付近でも桜が満開に成りました。
平地の桜は、地面に薄桃色の絨毯を広げています。
北九州市でも小倉城(勝山城)と周囲の桜のライトアップが行われています。
朝晩の冷込みも殆んど無くなり、布団からでる勇気は、不要の様です。

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葉山左京様、おはようございます。

北九州は昨晩から雨模様です。
今回の雨で桜が散り始め、雨に混じって、桜の花びらも舞っています。
今年は、3日土曜日と4日日曜日がお花見の最適日でした。
例年より、開花が早く、しかも鹿児島等の九州南部よりの早く咲いたソメイヨシノですが、本当に短い期間だった様に思います。
此れからは、一雨毎に気温も上がって行くことでしょう。

秋葉奈津子様 こんばんは。

朝からの激しい雨がやっとあがりました。
近畿地方では雨と強風で一部鉄道も不通になったりしました。
大きな事故はなかったようでほっとしています。

ソメイヨシノがこの雨と強風でかなり散ってしまいまし
た。
春の嵐でした。

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葉山左京様、おはようございます。

昨日の嵐もおさまり、曇り空ですが、静かな朝を迎えています。
新学期も始まり、朝の通勤通学時間には、未だスーツや制服が今一つ馴染んでいない姿を多々見かけます。
その姿に自分の昔を重ねて思い出す今日この頃。
何か懐かしい、ちょっと寂しい気分ですね。
此方北九州は嵐と言っても、雨が激しかった程度で、事故や災害のニュースは在りません。
やはり、台風や梅雨の大雨を何度も経験しているので、各自それなりの対応が取れる様です。
桜は、未だチラホラと薄桃色の花が新緑の緑に映えています。

秋葉奈津子様 こんばんは。

昼間は20℃超えて暑いくらいの天候でした。
当分この気温が続くようです。

朝早く起きるのも楽になりました。
通勤にマスクはもういりません。
暖かくなると外に出るのも楽しく感じますね。
今はいろんな花が咲き世の中が明るく見えてきました。
春はいいですね!

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葉山左京様、おはようございます。

本当に暖かく成りました。
昨日は、近所の高校で入学式でした。
皮肉にも先日の雨で、桜は殆んど葉桜でしたが、春らしい中での入学式は、きっと思い出に残る事と思います。
此方では、菜の花が今も黄色い花を付けて、新緑の中でも目立ちます。
モンシロチョウもその様な花の中を飛び始めました。
春は気持ち良いです!

秋葉奈津子様 こんばんは。

こちらも今朝燕が飛んでいる姿を見られました。
ソメイヨシノが薄いピンクのじゅうたんを作っています。
春らしき景色と言えるでしょうか。

そういえば、
ハナミズキの花が咲きだしていました。
もうすぐつつじも咲くでしょうね。

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葉山左京様、おはようございます。

ツバメは未だ姿を見ませんが、もう直ぐ見ることが出来るでしょう。
4月も早いもので、もう中旬ですが、本当に暖かく成りました。
昨日に朝は、霧が大変濃く、運転には神経を使い、特に海の近くでは、10時頃迄霧が続き、関門海峡を通る船の汽笛が聞こえました。
ジロくんの寝場所が、小屋から青天井の下に代わり、彼も暖かさを実感している様です。
やはり、この時期が一番良い季節ですね。