2016/06/06

歴史を歩く196

1フランス革命とナポレオン⑧

7ナポレオンとその帝国(その1)

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ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte、1769年8月15日 - 1821年5月5日

 ナポレオン・ボナパルト(1769年~1821年)は、コルシカ島の下級貴族の次男に生まれ、フランス本土の士官学校で教育を受け(1779年~85年)、16歳の時に砲兵少尉に任官されました。
ナポレオンの得意科目は数学で、歴史や地理も興味を持ちましたが、それ以外の科目は余り興味を示さず、読書に熱中してプルタルコス(プルターク)の『英雄伝』やカエサルの『ガリア戦記』等を読むことが多く、卒業試験の成績は58人中の42番であったと云われています。

 フランス革命が勃発するとコルシカ(コルシカ島は中世にはジェノヴァ共和国が領有したが、フランスが1768年に買収してフランス領となる)の独立運動に参加しますが(1792年~93年)、その指導者と対立する様になり、一家でマルセイユに逃れ(1793年)、後にパリに移ります(1796年)。

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トゥーロン攻囲戦(1793年9月18日 - 12月18日)

 この間、反革命軍とイギリス艦隊が占領したツーロン港奪回に戦功をあげて陸軍少将に昇進、ナポレオンの名声が高まったのですが(1793年)、テルミドールのクーデターが発生すると(1794年7月)、ナポレオンはロベスピエールの弟と親しかったために、ロベスピエール派とみなされて投獄されましたが1週間で釈放されています。

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バラス子爵ポール・フランソワ・ジャン・ニコラ(Paul François Jean Nicolas, vicomte de Barras, 1755年6月30日 - 1829年1月29日)

 出獄後、失意のうちにあったナポレオンにとって、彼の一生を決定づける出来事が発生します。
王党派の反乱が起こり(1795年10月)、この時、国民公会から国内総司令官任命されたバラス(1755年~1829年、テルミドールのクーデターで活躍し、5人の総裁の一人となる)はツーロン港の奪回に活躍したナポレオンを思い出し副官の一人に任命しました。
ナポレオンはパリの中心地で反乱軍に砲弾を打ち込むと大胆な作戦によって、王党派の反乱を鎮圧し、国内総司令官に任命され(1795年)、その翌年にナポレオンは子供まであった未亡人のジョセフィーヌ(1763年~1814年)と結婚しました。

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第1次イタリア遠征・デゴの戦い

 王党派の反乱鎮圧によって総裁政府の信任を得たナポレオンは、若干26歳でイタリア遠征軍総司令官に任命され、1796年3月、イタリア遠征の途に就きます。
彼はイタリアに進軍して連戦連勝、オーストリア軍やイタリア諸勢力を撃破してミラノに入城し、更にマントヴァを攻略してウィーンに向けて進軍、ウィーンの間近に迫りました(1797年4月)。
オーストリアは屈服してカンポ・フォルミオの和約(1797年10月)を結び、オーストリア領ネーデルランド(ベルギー)をフランスに割譲しました。
このカンポ・フォルミオの和約によって第1回対仏大同盟は崩壊しました。

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エジプト遠征

 しかし、この時期でもイギリスはその勢力を保ち、しかも、制海権をもっているイギリスに対しては本土上陸作戦は難しいものでした。
そこでナポレオンは総裁政府にエジプト遠征を進言します。
当時イギリスでは産業革命が進展していたのですが、そのイギリスにとって重要となっていたのがインドで在り、ナポレオンはエジプトを勢力圏に含めて、イギリスとインドの連絡を断つことを目的にエジプト遠征の計画を進め、総裁政府も許可を与えました。

 1798年5月19日、ナポレオンの率いるエジプト遠征軍、5万数千の将兵と百数十人の学者・美術家等からなる学術調査団を乗せた350隻の艦隊がツーロン港を出帆しました。
イギリスは早くからフランスの動向を把握していましたが、この行動をアイルランド上陸と思い、ジブラルタル方面を警戒していたのです。
フランスのマルタ島攻撃の報を受けたネルソン(1758年~1805年、イギリスの海軍提督)は、ただちに東地中海に向かいフランス艦隊より先にエジプト海岸に到着します。

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マルタの戦い 1798年7月10日

 フランス艦隊は、途中マルタ島を占領し、アレクサンドリアに到着したのは、ネルソンが更に東に向かった後で、ナポレオンは7月2日にアレクサンドリアに上陸してこれを占領し、カイロに向けて進撃を開始しました。

 「兵士等よ、このピラミッドの上から、4千年の歴史が諸君を見下ろしている」と云うナポレオンの有名な激励の言葉で始まったピラミッドの戦い(1798年7月20日)に勝利したフランス軍は、7月23日にカイロに入城します。
しかし、それから1週間後に、フランス艦隊を探し求めていたネルソンは、アレクサンドリア近くのアブキール湾に停泊中のフランス艦隊を発見してこれを全滅させた(アブキール湾の戦い、1798年8月1日)結果、ナポレオンはエジプトで完全に孤立し、帰国も援軍を求めることも出来ない状態に陥ったのです。

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アレクサンドリアの戦い 7月1~2日

 イギリス首相のピットは、ナポレオンのエジプト遠征を機に、ロシアと同盟し(1798年12月)、翌年これにオーストリア、ナポリ王国、ポルトガル、オスマン・トルコが加わって第2回対仏大同盟(1799年~1802年)が結成されました。

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ロゼッタ石

 尚、このナポレオンのエジプト遠征の際、フランス軍の一隊がナイル河口の町ロゼッタで塹壕を掘っていたところ、縦1m余り・横70cm余りの石碑が発見されました(1799年)。
有名なロゼッタ石で、その石碑には上2段に古代エジプトのヒエログリフとデモティック、下段にはギリシア文字で同じ内容の文面が書かれており、これをもとにフランスの学者シャンポリオンがヒエログリフの解読に成功し(1822年)、この発見によって古代エジプト文字が判読出来るようになったことは有名です。

 エジプトで完全に孤立したナポレオンは持久戦を覚悟しました。
既にフランスに宣戦していたオスマン・トルコは、イギリスの援助を得てエジプト攻撃を準備しており、ナポレオンは機先を制してシリアに出兵するものの(1799年2月)、アッコン包囲に失敗して退却し、カイロに戻ります(1799年7月)。

 この頃、フランス本国の総裁政府も内外の政策で行き詰まり、対仏大同盟軍の攻撃によって、イタリアは再びオーストリアに奪われ、ライン方面でも敗走、国内では王党派の動きが活発になっていました。

ジョークは如何?

「北朝鮮の拉致問題どうする?」
「第三国で発見ということにしましょう」

「北方領土の問題どうする?」
「第三国の領土ということにしましょう」

続く・・・

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コメント

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秋葉奈津子様 こんばんは。

朝からの雨は梅雨のシトシト降る長雨の様子でした。
ずーつと長期予報は曇か雨です。
それにしては最近カエルの鳴き声が聞こえてきません。
雨が降り出すとゲコゲコとカエルが鳴くのですが。
カエルもいなくなったのでしょうか?
以前は
梅雨入りしてからの雨の日は
カエルの声がよく聞こえたものでしたが。

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No title

秋葉奈津子様 おはようございます。

今朝は青空が広がり晴れるようですが、
一日持つかどうかわかりません。
まだまだ朝晩は肌寒いですね。

京都の街中は今や観光客に占拠されています。
バスも電車も観光客でいっぱいです。
日本でのマナーはよくありません。
観光客の増加はその分マナーの悪さと犯罪につながっていきます。
困ったことです。

葉山左京様、おはようございます。

入梅以来、毎日厚い雲が頭の上にあります。
只、気温が低い事が救いで、朝晩は可也空気も冷たく感じます。

夜、ジロくんと散歩していると、カエルの合唱が大きくなってきました。
残念ながら、今年は蛍の姿を見かけません。
子供の頃は、池や小川の回りで沢山、光を見たものですが、今そのほとんどが姿を消してしまったので、仕方が在りませんね。

北九州は、観光客も少なく、静かな毎日です。
7月の小倉祇園太鼓の頃は、結構な賑わいになりますが。

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No title

秋葉奈津子様 こんばんは。

かの有名なロゼッタストーンは1799年 この時期に発見されたのですか。
素晴らしいですね。
まさかナポレオンの遠征と結びついているとは。
勉強不足でした。
やはり歴史は面白いですね。
日本史は色んな書物で知ることができますが、世界史はなかなかです。

置き手紙

奈津子さんとは10年来お世話に成って居ますが最近少し変です


アクセス解析ソフトの結果

ブログ村をクリックして頂いて居る様ですが
少し時間をかけて頂けないと

ランキングに反映されて居ませんでした

ちなみに奈津子さんが私のブログに滞在した時間は
13秒でした~~~~~

問題は私のブログに滞在した時間より
ブログ村への滞在時間です

しかしブログ村に滞在した時間は0秒でした

ブログ村を開いて時間をかけて
ツールバーのブログ村の○が止まるのを確認して10秒位で応援を
終了して頂きたいです

宜しくお願い致します  スミマセン

hidenosukeより

葉山左京様、こんばんは。

コメントありがとうございます。
遠征時に学術調査団を伴ったのは、ナポレオンが最初ではないでしょうか?
其れまでの征服者は、領土の確保、略奪が中心で、文化面を保護する考えは皆無の様です。
本文でも触れていますが、ギリシャ、ローマ時代の古典を読みふけったナポレオンらしい一面と思います。

9日の木曜日は、間も無く始まるお中元を前に、コラボレーションで販売する干物、かまぼこ関係の会社にご挨拶に回りました。
北九州市から、お隣の下関市、仙崎、長門市を回り、帰りは山口県を縦断して美祢市から山口市を経由して、帰社したのは、20時前。
今回は、日頃外出する事の少ない、お中元窓口を担当する事務の女性二人を動向させました。
挨拶方々、取引先や直営店舗を回って、良い経験になったと思います。

No title

秋葉奈津子様」こんばんは。

今日は真夏の暑さになりました。
朝晩もヒンヤリはしてくれません。

海が恋しい季節になったことでしょうか。
明日は休みと折っていましたら、
突然の出勤依頼です。

ああー、のんびりムードが
緊迫ムードに早変わりでした。

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葉山左京様、おはようございます。

北九州も日中、空が晴れている時の陽射しは、もう夏の姿です。
未だ、地面からの照り返しや熱気は、在りませんが、眩しさを感じます。

反対に朝晩は、涼しく快適です。
ジロくんの散歩でもカエルの鳴き声が、一段と大きく成りました。

今日は曇り空が戻ってきました。
お天気も下り坂に成りそうです。

No title

秋葉奈津子様 こんばんは。

今年は空梅雨でしょうか?
今日も朝から晴れ渡り暑い一日でした。
まだ台風が0個とはいかがなものでしょう?

ペルー沖の海水面が低いラ、ニーニャ現象が原因とされているようですが。
天候不順は人間の情操面にも影響を及ぼしそうです。
なんの因果関係もないのに無差別殺人を引き起こしたり、
中国のように今にも戦争を仕掛けるのではないかと思われる海上トラブル等
数え上げればきりがないくらいに
問題発生です。

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秋葉奈津子様 おはようございます。

曇り空と思っていましたら今太陽が出てきました。
でも太陽に薄い雲がかかっているようです。
薄日射す朝ですが、
風はまださわやかですね。

スイレンや菖蒲、バラに夾竹桃も咲きだしました。
夏の花は色鮮やかに心を癒してくれます。

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葉山左京様、おはようございます。

未だ未だ、夏の暑さには程遠い毎日。
勤務先も自宅でも、エアコンが作動すろことは僅かですが、梅雨に入り窓を開けていると、湿った空気の影響で、プリンターの用紙が湿ってしまい、紙詰まりを起こして大変です。
こんな時は、エアコンの除湿モードで解消ですが、事務所の中は結構な冷込みになります。

今日は昨日に引き続いて雨模様。
紫陽花の花が、今盛りを迎え、カタツムリも元気に動き回っています。
カエルの合唱も聞こえてくる朝を迎えました。

今年はラニーニャ現象が発生しているので、台風が全く無いのですね。
すると、冷夏になるのでしょうか?
秋の台風シーズンが心配になってしまいます。

中国の歴史を振り返れば、近年では中越紛争、チベット併合、珍宝島事件、インド国境紛争と多々あります。
もっと時代を遡れば、それは侵略の歴史の繰り返しです。
私達は本気で、国を守ることを考えねばならない時になりました。