歴史を歩く201
29 産業革命
1 イギリス産業革命の原因

ジェームズ ワット 蒸気 機関
フランス革命より以前に、イギリスでは「道具から機械へ」の進展である技術革新がおこり、それに伴って産業・経済・社会上の大変革がおこりました。
これが産業革命です。
産業革命は、18世紀後半に、まずイギリスで始まりました。
産業革命がまずイギリスでおこった原因(背景)としては以下の事が挙げられます。

大英帝国の領土
(1)17世紀以後のオランダ・フランスとの植民地争いに勝利して、世界の海上権を握り、広大な海外市場を獲得すると共に、植民地貿易によって莫大な富を蓄積していたこと。
(2)国内でも毛織物工業を中心にマニュファクチュアが発達し、大量の資本が蓄積されていたこと。
(3)農業革命と第2次囲い込み(エンクロージャー)によって豊富な労働力が創出されていたこと。

18世紀の英国農村風景
18世紀のイギリスでは、都市人口の増大や戦争の影響によって穀物価格が高騰すると、大地主は営利を目的として小作地や共同地を囲い込み(第2次囲い込み)、 資本家がこれを借り、農業労働者を使用して資本主義的な大農経営を行う様になります。(農業革命)。
16世紀の第1次囲い込みが牧羊を目的とする非合法の囲い込みであったのに対し、第2次囲い込みは、穀物生産を目的とし、議会の承認を得て大規模に行われました。
この為、多くの農民が土地を失い、彼等は農業労働者として資本家に使用され、又職を求めて都市に流入して賃金労働者と成っていきます。

産業革命初期の炭鉱労働者
更に、
(4)ニュートン以来、科学や技術が発達し、これを工業技術に応用する条件が整っていたこと。
(5)鉄と石炭が豊富で、しかも近い場所に産出したこと(運輸機関が発達してない段階では重要な条件であった)。
(6)ピューリタン革命以後、国内ではほとんど戦争がなく、市民革命をいち早く経過して産業規制がほとんど無くなっていたことなど政治的な条件にも恵まれていたこと等も挙げる事が出来ます。
2 機械の発明

綿花
技術革新は、まず木綿工業の分野で始まりました。
イギリスの伝統的な工業は毛織物工業でしたが、17世紀後半以後、東インド会社がインド産の綿織物(キャラコ)を輸入するようになると、吸湿性・耐久性に優れ、しかも様々な用途に使えるインド産キャラコは物珍しさもあって、イギリス上流階級の間で一種のブームを呼び起こしました。
その為、毛織物業者は猛烈に反対し、インド産綿織物の輸入を禁止させます(1700年)が、綿織物に対する需要は根強く、インド産の綿織物に匹敵する優れた綿織物を作り出すことがイギリスの新興木綿工業の目標となりました。
工程が多く、機械化が困難であった毛織物工業に比べて機械化が容易であり、又毛織物工業の様な規制がなかった為、木綿工業の部門では次々と独自の技術が発明され、木綿工業は18世紀後半には毛織物工業 に代わって繊維産業の中心に成長します。

ジョン・ケイ(John Kay, 1704年6月17日 - 1780年)
毛織物工業の工場で布を織る職人であったジョン・ケイ(1704年~80年)が、1733年に「飛び杼」を発明しました。
当時の織布は、織工が一方の手で杼(ひ、横糸を縦糸の間を通すための織機の付属物)を縦糸の間に投げ込んで、もう一方の手で受けていたので、織布の幅は織工の両手の幅で決定され、広幅の織布を織るには1台に2・3人が付かねばなりませんでした。

「飛び杼」
ジョン・ケイは、織機の中央のひもを引くと横糸用の杼がバネで左右に飛ぶ「飛び杼」を発明し、これによって速度は2倍になり、広幅の布を織ることも可能になったのですが、一方この発明によって糸の不足をきたし、今度は優れた紡績機の発明が促されたのです。
紡績は、昔から手動式の紡ぎ車で行われていましたが、紡錘は1つしかなかったので、1人で1本の糸しか紡げませんでした。

ジェニー紡績機
ハーグリーヴズ(?~1778年)も布を織る職人でしたが、1764年頃多軸紡績機を発明しました。多軸紡績機はローラーを利用して1人で同時に8本の糸を紡ぐことが出来、彼はこの紡績機に妻の名にちなんでジェニー紡績機と命名しました。
ジェニー紡績機は人力で運転でき、軽便で廉価であったので急速に普及し、その改良機は1人で80本の糸を紡ぐことが出来る迄に成りました。

改良型ジェニー紡績機
アークライト(1732年~92年)は、貧しく教育も受けられなかったのでかつら師となります。
1768年にジェニー紡績機を改良して、水力紡績機を発明し、この機械は水力を動力としましたが、後には蒸気機関を動力とし(1790年)、強い糸の連続生産が可能に成りました。
水力を動力として使うには、工場を急流を利用しやすい山の中腹に建てなければならなかったのですが、蒸気機関を利用するようになると立地の制約がなくなり、工場は平野部に建てられるように成り、大量生産が可能と成りました。
ジョン・ケイやハーグリーヴズをはじめ発明家の多くが貧困・不遇な生涯を送っている中で、アークライトは富と名誉を得た希な人物でも在りました。

サミュエル・クロンプトン(Samuel Crompton:1753年12月3日 - 1827年6月26日)
クロンプトン(1753年~1827年)は、ジェニー紡績機と水力紡績機の長所を取り入れ、1779年にミュール紡績機を発明しました。
ここにミュールとは、らば(ろばと馬のあいの子)の意味です。

ミュール紡績機(現存する唯一の機器)
ミュール紡績機は、非常に優れた紡績機で、水力紡績機では強いが太い糸しか紡げなかった点をミュール紡績機の発明によって細くて強い糸が紡げるように成り製品の質が安定し、インド産の綿織物に匹敵する綿織物が生産できるようになった反面、クロンプトンは特許を取らなかったので不遇のうちに没しています。
優れた紡績機の発明によって、糸が生産過剰と成り、今度は織物機の改良が必要と成りました。
そうした中で織布部門での重要な発明がカートライトによって成されました。
力織機の発明です。

エドモンド・カートライト(Edmund Cartwright, 1743年4月24日 - 1823年10月30日)
カートライト(1743年~1823年)は、牧師でありながら機械の発明に熱中し、1785年にアークライトの水力紡績機にヒントを得て力織機を発明しました。
力織機には初め馬の力が利用されましたが、後には蒸気機関が使用されました(1789年)。
力織機は、飛び杼の3.5倍の能力と云われ、これによって綿織物の生産量は著しく増加します。

力織機
ミュール紡績機や力織機の発明によって、今度は原料である綿花の処理が追いつかなく成りました。
綿花は、インド・西インド諸島・アメリカ南部等から輸入されていました。
アメリカ南部の綿花は良質ですが綿の繊維が種子に付いていて分離作業が面倒でした。
綿花の処理の能率をあげる機械の発明を依頼されたアメリカ人のホイットニー(1765年~1825年)は、1793年に綿繰り機を発明しますた。
綿繰り機は、回転筒に針金を鋸歯状に取り付けて、綿の繊維を種子から外す機械で、この発明によってそれまで処理困難であったアメリカ綿の処理能力が30~50倍に上昇し、人件費は1割以下と成り、このためアメリカ南部における綿花栽培は急激に増加し、アメリカ南部の綿花王国が出現する端緒となりました。
ジョークは如何?
同じ水域で操業しているのに、日本漁船の方がソ連漁船より漁獲量がなぜ多いのかについて政治集会で熱心に討議がかわされた。
一人の漁師が立ち上がって言った。
「原因は分りませんが、日本の漁師は網を引き上げて魚が入っていないと、魚が捕れるまで何度もくり返し網を海にいれます。
しかるに我が国では、網に魚が入っていないと政治集会を開いて不漁を討議します。
この違いが・・・・・」
続く・・・
1 イギリス産業革命の原因

ジェームズ ワット 蒸気 機関
フランス革命より以前に、イギリスでは「道具から機械へ」の進展である技術革新がおこり、それに伴って産業・経済・社会上の大変革がおこりました。
これが産業革命です。
産業革命は、18世紀後半に、まずイギリスで始まりました。
産業革命がまずイギリスでおこった原因(背景)としては以下の事が挙げられます。

大英帝国の領土
(1)17世紀以後のオランダ・フランスとの植民地争いに勝利して、世界の海上権を握り、広大な海外市場を獲得すると共に、植民地貿易によって莫大な富を蓄積していたこと。
(2)国内でも毛織物工業を中心にマニュファクチュアが発達し、大量の資本が蓄積されていたこと。
(3)農業革命と第2次囲い込み(エンクロージャー)によって豊富な労働力が創出されていたこと。

18世紀の英国農村風景
18世紀のイギリスでは、都市人口の増大や戦争の影響によって穀物価格が高騰すると、大地主は営利を目的として小作地や共同地を囲い込み(第2次囲い込み)、 資本家がこれを借り、農業労働者を使用して資本主義的な大農経営を行う様になります。(農業革命)。
16世紀の第1次囲い込みが牧羊を目的とする非合法の囲い込みであったのに対し、第2次囲い込みは、穀物生産を目的とし、議会の承認を得て大規模に行われました。
この為、多くの農民が土地を失い、彼等は農業労働者として資本家に使用され、又職を求めて都市に流入して賃金労働者と成っていきます。

産業革命初期の炭鉱労働者
更に、
(4)ニュートン以来、科学や技術が発達し、これを工業技術に応用する条件が整っていたこと。
(5)鉄と石炭が豊富で、しかも近い場所に産出したこと(運輸機関が発達してない段階では重要な条件であった)。
(6)ピューリタン革命以後、国内ではほとんど戦争がなく、市民革命をいち早く経過して産業規制がほとんど無くなっていたことなど政治的な条件にも恵まれていたこと等も挙げる事が出来ます。
2 機械の発明

綿花
技術革新は、まず木綿工業の分野で始まりました。
イギリスの伝統的な工業は毛織物工業でしたが、17世紀後半以後、東インド会社がインド産の綿織物(キャラコ)を輸入するようになると、吸湿性・耐久性に優れ、しかも様々な用途に使えるインド産キャラコは物珍しさもあって、イギリス上流階級の間で一種のブームを呼び起こしました。
その為、毛織物業者は猛烈に反対し、インド産綿織物の輸入を禁止させます(1700年)が、綿織物に対する需要は根強く、インド産の綿織物に匹敵する優れた綿織物を作り出すことがイギリスの新興木綿工業の目標となりました。
工程が多く、機械化が困難であった毛織物工業に比べて機械化が容易であり、又毛織物工業の様な規制がなかった為、木綿工業の部門では次々と独自の技術が発明され、木綿工業は18世紀後半には毛織物工業 に代わって繊維産業の中心に成長します。

ジョン・ケイ(John Kay, 1704年6月17日 - 1780年)
毛織物工業の工場で布を織る職人であったジョン・ケイ(1704年~80年)が、1733年に「飛び杼」を発明しました。
当時の織布は、織工が一方の手で杼(ひ、横糸を縦糸の間を通すための織機の付属物)を縦糸の間に投げ込んで、もう一方の手で受けていたので、織布の幅は織工の両手の幅で決定され、広幅の織布を織るには1台に2・3人が付かねばなりませんでした。

「飛び杼」
ジョン・ケイは、織機の中央のひもを引くと横糸用の杼がバネで左右に飛ぶ「飛び杼」を発明し、これによって速度は2倍になり、広幅の布を織ることも可能になったのですが、一方この発明によって糸の不足をきたし、今度は優れた紡績機の発明が促されたのです。
紡績は、昔から手動式の紡ぎ車で行われていましたが、紡錘は1つしかなかったので、1人で1本の糸しか紡げませんでした。

ジェニー紡績機
ハーグリーヴズ(?~1778年)も布を織る職人でしたが、1764年頃多軸紡績機を発明しました。多軸紡績機はローラーを利用して1人で同時に8本の糸を紡ぐことが出来、彼はこの紡績機に妻の名にちなんでジェニー紡績機と命名しました。
ジェニー紡績機は人力で運転でき、軽便で廉価であったので急速に普及し、その改良機は1人で80本の糸を紡ぐことが出来る迄に成りました。

改良型ジェニー紡績機
アークライト(1732年~92年)は、貧しく教育も受けられなかったのでかつら師となります。
1768年にジェニー紡績機を改良して、水力紡績機を発明し、この機械は水力を動力としましたが、後には蒸気機関を動力とし(1790年)、強い糸の連続生産が可能に成りました。
水力を動力として使うには、工場を急流を利用しやすい山の中腹に建てなければならなかったのですが、蒸気機関を利用するようになると立地の制約がなくなり、工場は平野部に建てられるように成り、大量生産が可能と成りました。
ジョン・ケイやハーグリーヴズをはじめ発明家の多くが貧困・不遇な生涯を送っている中で、アークライトは富と名誉を得た希な人物でも在りました。

サミュエル・クロンプトン(Samuel Crompton:1753年12月3日 - 1827年6月26日)
クロンプトン(1753年~1827年)は、ジェニー紡績機と水力紡績機の長所を取り入れ、1779年にミュール紡績機を発明しました。
ここにミュールとは、らば(ろばと馬のあいの子)の意味です。

ミュール紡績機(現存する唯一の機器)
ミュール紡績機は、非常に優れた紡績機で、水力紡績機では強いが太い糸しか紡げなかった点をミュール紡績機の発明によって細くて強い糸が紡げるように成り製品の質が安定し、インド産の綿織物に匹敵する綿織物が生産できるようになった反面、クロンプトンは特許を取らなかったので不遇のうちに没しています。
優れた紡績機の発明によって、糸が生産過剰と成り、今度は織物機の改良が必要と成りました。
そうした中で織布部門での重要な発明がカートライトによって成されました。
力織機の発明です。

エドモンド・カートライト(Edmund Cartwright, 1743年4月24日 - 1823年10月30日)
カートライト(1743年~1823年)は、牧師でありながら機械の発明に熱中し、1785年にアークライトの水力紡績機にヒントを得て力織機を発明しました。
力織機には初め馬の力が利用されましたが、後には蒸気機関が使用されました(1789年)。
力織機は、飛び杼の3.5倍の能力と云われ、これによって綿織物の生産量は著しく増加します。

力織機
ミュール紡績機や力織機の発明によって、今度は原料である綿花の処理が追いつかなく成りました。
綿花は、インド・西インド諸島・アメリカ南部等から輸入されていました。
アメリカ南部の綿花は良質ですが綿の繊維が種子に付いていて分離作業が面倒でした。
綿花の処理の能率をあげる機械の発明を依頼されたアメリカ人のホイットニー(1765年~1825年)は、1793年に綿繰り機を発明しますた。
綿繰り機は、回転筒に針金を鋸歯状に取り付けて、綿の繊維を種子から外す機械で、この発明によってそれまで処理困難であったアメリカ綿の処理能力が30~50倍に上昇し、人件費は1割以下と成り、このためアメリカ南部における綿花栽培は急激に増加し、アメリカ南部の綿花王国が出現する端緒となりました。
ジョークは如何?
同じ水域で操業しているのに、日本漁船の方がソ連漁船より漁獲量がなぜ多いのかについて政治集会で熱心に討議がかわされた。
一人の漁師が立ち上がって言った。
「原因は分りませんが、日本の漁師は網を引き上げて魚が入っていないと、魚が捕れるまで何度もくり返し網を海にいれます。
しかるに我が国では、網に魚が入っていないと政治集会を開いて不漁を討議します。
この違いが・・・・・」
続く・・・
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コメント
秋葉奈津子様 こんばんは。
毎日の蒸し暑さを吹き飛ばす、
勇壮な夏祭りはいいですね。
参議院選挙の結果をいろいろ言っても仕方ありませんが、
要するに、
世界が平和で戦争がなくなれば一番いいのです。
当然日本も平和でなければなりませんが。
2016-07-11 21:57 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-07-11 22:42 編集
葉山左京様、おはようございます。
本来なら、この頃が梅雨明けになるのですが、今年はどうなる事でしょう?
今回の選挙は、争点の惚けた選挙でした。
野党は、批判だけで、政策が在りません。
日本の周辺諸国の問題を考えれば、当時の結果では無いでしょうか?
夜半から断続的に雨が降っています。
今は、青空が少しですが、顔を覗かせていますが、雲に隠されてしまうでしょう。
私が高校生の頃から今もジロくんの散歩コースになっている場所。
何時も顔を見れば挨拶をしていた一軒の家が、空家に成りました。
僅かな間に、雑草が小さな庭を埋め、窓ガラスも汚れが目立っています。
その様な中、毎年花を咲かせていた朝顔が、元気な姿を見せてくれました。
主を失った朝顔、今年は何か寂しげに咲いています。
2016-07-12 08:51 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
しかし毎日暑すぎる感じを受けます。
以前はこんなに蒸し暑くなかったですね。
八幡東区で大火事があったと、
TVで報道していました。
この暑さに焼け出された方たちは大変でしょうね。
けが人が軽傷の一人だと聞いて
ほっとしました。
2016-07-12 22:44 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-07-12 23:29 編集
葉山左京様、おはようございます。
雷も時折、激しく轟いています。
この様な中で出勤しなければならないは、辛いです。
この豪雨で、梅雨も明けてくれると、嬉しいのですが・・・。
八幡東区の火事は、幸い空き店舗が殆んどだったので、大火の割に被災した方は、少なかったようです。
北九州市内も老朽家屋が多いので、火事に成ると、被害が大きくなります。
2016-07-13 06:40 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
アッと言う間に黒い雲に覆われ篠突く雨に見舞われました。
こんなに一日の中で変わる天気も珍しいです。
夕方TVのニュースで九州地方の雨の被害が
映し出されていました。
熊本は復興するにも天候が正常に回復しないと無理な状況にあるように思えます。
もう雨はいらないですね。
2016-07-13 21:06 葉山左京 URL 編集
秋葉奈津子様 おはようございます。
湿気の多いべたつく風が吹いています。
西の空は青空が出ているので、
たぶん今日は晴れるのでしょうか。
やっとセミの鳴き声が聞こえてきました。
いつもはうるさいほど鳴いているのですが。
今年は遅いようです。
2016-07-14 05:47 葉山左京 URL 編集
葉山左京様、おはようございます。
6時を過ぎても、薄暗かったのですが、やっと明るく成りました。
昨日は、高速道路の事故や閉鎖で、福岡県の交通は、大きく乱れました。
降り過ぎる雨は、もう勘弁して欲しいものです。
気温は未だ大した暑さではないのですが、湿度の方が高く、体が参ってしまいます。
水分補給が大切ですね。
2016-07-14 06:34 秋葉 奈津子 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-07-14 23:38 編集
葉山左京様、おはようございます。
昨日は、夜に成って大変冷たい風が吹き、暑気払いです。
今日の朝も大変涼しく、ジロくんの久しぶりに気持ち良い散歩だった様です。
今日から日曜日迄、小倉祇園太鼓祭りが、開かれます。
之で、いよいよ夏本番を迎えます。
2016-07-15 09:00 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
シベリア高気圧が張り出したせいでしょうか.。
時には清涼な風が吹くのも乙なものです。
今日は祇園祭の宵々山です。
四条通は歩行者天国です。
じっとしていれば涼しいですが、
人ごみの中を歩いていると蒸し風呂状態でしょう。
こんな時はできるだけ近ずかない様にしています。
2016-07-15 21:20 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-07-15 23:52 編集
葉山左京様、おはようございます。
お天気はまずまずですが、少々不安定でにわか雨が降りました。
昨晩から小倉祇園太鼓が始まり、夜のジロくんの散歩の時も太鼓の音色が聞こえてきました。
今日は、小倉城公園で太鼓の共演会も在りますので、良いお天気を期待したいものです。
この様な涼しい小倉祇園は初めてです。
2016-07-16 09:52 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
また暑い夏日になりました。
京都は明日が先祭の山鉾巡行の日です。
雨が降らなければいいのですが。
TVのニュースでトルコでの軍事クーデターは未遂に終わったようですが、
海外に仕事で行く人も、観光で行く人も
テロに会わないようにいかなけなりませんね。
今は世界中が世情不安定のような気がします。
怖いですね。
2016-07-16 21:01 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-07-16 23:26 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
幸い祇園祭の前祭 山鉾巡行は 雨に会わずに終わりました。
私も見に行ってきましたが、
人ばかりで蒸し暑く背中を汗が流れます。
早々に切り上げてビヤホールに避難しました。
2016-07-17 22:32 葉山左京 URL 編集
葉山左京様、こんばんは。
天気予報に反して、比較的良いお天気に恵まれ、結構な賑わいだったようです。
小倉駅を中心にした、メインルートが交通規制になるので、見物はバスやモノレール、JR利用が一番便利でした。
今日に涼しさを感じる1日です。
トルコのクーデターはなんとか鎮圧されましたが、国家としての不安定さを感じる事件でした。
2016-07-18 00:35 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
今日は晴れた青空が広がり、
真夏らしい天気になりました。
皆さん山や海へお出かけのようです。
いよいよ夏本番、
と言っても国内も外国も
世情不安な状況ですね。
人間には欲があり過ぎだからでしょうか、
人を害してでも自分だけはいい思いをしたい、と考えている人が多すぎます。
2016-07-18 19:12 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-07-18 23:57 編集
葉山左京様、おはようございます。
青空の広がる涼しい朝を迎えています。
朝日が射すと同時にセミの大合唱が始まりました。
ジロくんの散歩コースでも、朝顔の姿を多く見かける様に成り、夏本番を感じます。
世界的に治安の悪化が見れます。
特に先進国と呼ばれる国々の治安は、確実に悪く成っていますね。
最近起こる事件の根底には、政治よりも宗教が深く絡んだものが多く、より解決を難しくしています。
2016-07-19 08:00 秋葉 奈津子 URL 編集