2016/08/24

歴史を歩く207

30 自由を求めて③

2ウィーン体制とその動揺(その2)

 1810年代から20年代に起こった自由主義運動はいずれも鎮圧されてしまいますが、時代の流れに逆らって自由主義・国民主義運動を抑圧しようとするウィーン体制は次第に崩れ始めました。

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ラテン・アメリカの独立運動

 その動きは、まず新大陸のラテン・アメリカの独立運動として始まりました。
ラテン・アメリカは、19世紀初頭迄は主にスペインの植民地(ブラジルのみはポルトガルの植民地)でしたが、スペイン・ポルトガルの植民地はアメリカ独立革命やフランス革命の影響を受け、又本国がナポレオンの支配下に置かれた事に乗じて独立運動を起こし始めます。

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ハイチの独立・サントドミンゴの戦い

 ラテン・アメリカで、まず独立を果たした地域ハイチでした。
ハイチは1697年にスペイン領からフランス領になり、フランス革命に際して、黒人奴隷が反乱を起こし(1791年)、独立運動が始まります。
その後、ナポレオン軍を撃退して1804年に独立し、世界最初の黒人共和国となりますが、ハイチの独立に続いて、1810年代になると反乱は各地に拡大して行きます。

 ラテン・アメリカの独立運動の中心となったのは、植民地生まれの白人であるクリオーリョで、彼等は、本国から来た役人・軍人等から厳しい差別を受けており、本国の政策に対して強い不満を持っていました。
又白人とインディオの混血であるメスティーソや、白人と黒人の混血であるムラートはクリオーリョより更に厳しい差別を受けており、彼等も独立と解放を望んでいたのです。

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サン・マルティン(左)とシモン・ボリバル(右)

 シモン・ボリバル(1783年~1830年)は、ベネズエラのスペイン人大地主の家に生まれたクリオーリョで、スペインで教育を受けた後、帰国して大農場を経営していましたが、1810年に独立運動に参加した。カラカス解放に成功し(1814年)、「解放者」の称号を得たのも束の間、本国軍の反撃にあって一時亡命します。
1819年には、大コロンビア共和国(現在のコロンビア・ベネズエラ・パナマを合わせた国、後にエクアドルも加わった)の樹立に成功し、その大統領に就任しますが、その後、ボリビア共和国(ボリビアの国名はボリバルの名に因んでいる)の独立にも成功した(1825年)ものの、大コロンビア共和国の解体(1830年)に失望して引退し、まもなく病没します。

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サンマルティン将軍像(Jose' Francisco de San Marti'n 1778年ー1850年)

 アルゼンチン・チリ・ペルーの独立運動の指導者であるサン・マルティン(1778年~1850年)やメキシコの独立運動の指導者であるイダルゴ(1753年~1811年)もクリオーリョの出身でした。

 この様に1810年代には、パラグアイ(1811年)・アルゼンチン(1816年)・チリ(1818年)・コロンビア(1819年)・ベネズエラ(1819年、最初は大コロンビアと合邦、1830年に分離独立)等が独立して共和国として成立します。
1820年代には、メキシコ(1821年)・ペルー(1821年)・中央アメリカ連邦共和国(1821年、コスタリカ・グアテマラ・ホンジュラス・ニカラグア・エルサルバドルが合邦して形成)・ブラジル(1822年、ポルトガルの王子を頂いて帝国として独立)・ボリビア(1825年)・ウルグアイ(1828年)等も宗主国の束縛を逃れ独立しました。

 ウィーン会議の正統主義に従えば、ラテン・アメリカはスペイン・ポルトガルの植民地であるべきで、ラテン・アメリカ諸国の独立はウィーン体制の破綻に繋がることになります。
メッテルニヒは、ラテン・アメリカの独立運動を革命とみなし、ウィーン体制を乱すものと考え、神聖同盟の名の下にラテン・アメリカの独立運動に武力干渉を画策します。

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ジョージ・カニング( The Rt.Hon. George Canning 1770年4月11日 - 1827年8月8日)

 イギリス外相のカニング(1770年~1827年、任期1807年~09年、22年~27年)は、ラテン・アメリカ市場へのイギリス商品の進出のため、神聖同盟の干渉に反対し、ラテン・アメリカ諸国の独立を承認・援助しました。

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ジェームズ・モンロー(James Monroe 1758年4月28日 - 1831年7月4日)

 又アメリカ合衆国の第5代大統領モンロー(任期1817年~25年)も、1823年12月に、有名な「モンロー宣言(教書)」を発表します。

モンロー宣言(抜粋)
「それゆえに、我々は率直に、又合衆国とこれら諸国との間に存する友好関係に恩義を感じつつ、これら諸国の政治体制を西半球のどの部分にも拡張しようとする企ては我々の平和と安全を害するものと考えることをここに宣言する。
ヨーロッパ諸国の現在の植民地あるいは従属国について我々はかつて干渉したことはなく、将来も干渉しないであろう。
しかし、既に独立を宣言し、それを維持し、又その独立について我々が熟考し、正しい基準に基づいて承認した諸政府については、我々はヨーロッパ諸国がその独立政府を抑圧し、或いは他の方法でその運命を支配するような目的をもって行う如何なる干渉も、合衆国に対する非友好的態度の表れとみなさない訳にはゆかない。・・・ 」


 神聖同盟によるラテン・アメリカ諸国の独立運動への干渉に反対し、ヨーロッパ諸国とアメリカ大陸諸国との相互不干渉を唱えたので、メッテルニヒの企ては失敗に終わりました。

 ラテン・アメリカ諸国の独立によって、ウィーン体制はヨーロッパ外から崩れ始め、1820年代にはヨーロッパ大陸でも、メッテルニヒ等ウィーン体制を維持しようとする勢力に大打撃を与える出来事が発生します。

其れがギリシアの独立なのです。

ジョークは如何?

ユダヤ&日本

第二次世界大戦が終わった。

世界最強の商人は世界最強の兵士になった。
世界最強の兵士は世界最強の商人になった。


続く・・・

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コメント

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秋葉奈津子様 こんばんは。

今月は仕事をぎっしり入れ込んでしまって、
暑さと共にばて気味のこの頃です。

時々通り雨でパッと降って、さっと過ぎ去る雨があります。
そのあとはムシムシ暑さが募ります。
秋の気配はありますが、
暑さは和らぎませんね。

お体大事にお過ごしください。

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秋葉奈津子様 おはようございます。

やっと日が昇るようです。
随分と日の出が遅くなりました。
暑さは変わりませんが、
季節は変わろうとしているようです。

強烈な台風が逆進してくるようですね。
まだ行先もわからないようですが、
太平洋を北へスーと抜けてくれるといいのですが。

葉山左京様、おはようございます。

今日、明方雨が降りました。
濡れた地面を見るのは久しぶりの事です。

台風の動きは、様注意です!

今年の暑さは本当に異常ですが、湿度の高さを余り感じません。
此れは、太平洋高気圧ではなく、チベット高気圧の影響でしょうか?

それでも、農家からは作物被害の心配が出ています。
今年は秋も高温なのでしょうか?
心配ですね。

葉山左京様、おはようございます。

昨晩から雲が広がり、気温も下がっています。
涼しさを感じる朝を迎えました。
空を眺めながら、雨を待っています。

梅雨明けの7月中旬以来、まとまった雨は全く降っていません。
一部では、雑草が枯れ初めている処もあります。
雨よ降れ!