歴史を歩く209
30 自由を求めて⑤
3七月革命とその影響①

執務中のルイ18世
フランスでは、ナポレオンの退位直後に、ルイ18世が帰国して即位し、ブルボン朝が復活しました。
ルイ18世(1755年~1824年、在位1814年~24年)は、ルイ16世の弟で、ヴァレンヌ逃亡事件(1791年6月)と同時に国外へ逃亡し、反革命運動を行い、ナポレオン没落後に帰国して王位に就きますが(1814年5月)、ナポレオンの「百日天下」の間はベルギーに亡命し、1815年7月に復位しています。
ルイ18世は、即位後間もなく新憲法(憲章)を発布し(1814年6月)、立憲君主制を施行しますが、選挙権が財産資格によって極端に制限されていた為、亡命貴族(エミグレ)が議会の多数を占める結果になります。
革命への怨みから、彼等は過激王党派(ウルトラ)を組織し、「国王より王党的」でした。
ルイ18世は、1816年9月に過激王党派が多数を占める議会を解散し、10月に行われた選挙では立憲君主主義者が過半数を占めた為、これに対して過激王党派は、その中心人物であったアルトワ伯(後のシャルル10世)の次男暗殺事件(1820年2月)を発端に、再び巻き返して反動政策を推し進めました。

シャルル10世(Charles X、1757年10月9日 - 1836年11月6日)
ルイ18世の死後、過激王党派の中心人物であったアルトワ伯がシャルル10世(1757年~1836年、在位1824年~30年)として即位します。
ブルボン朝の最後の王となったシャルル10世は、ルイ16世・ルイ18世の弟で、フランス革命中は亡命して反革命運動を行い、ナポレオンの没落後帰国し(1814年)、アルトワ伯と称して過激王党派を指導しました。

ジュール・オーギュスト・アルマン・マリー・ド・ポリニャック(Jules Auguste Armand Marie, prince de Polignac, 1780年5月14日 - 1847年3月2日)
シャルル10世は、即位すると亡命貴族を優遇し、反動政治を推し進め、1825年には「10億フラン年金法」を制定し、革命中に土地・財産を没収された亡命貴族に多額の補償金を支出しました。
1827年11月に議会を解散して総選挙を行い、自由主義派(反政府派)が勝利をおさめた結果、追いつめられたシャルル10世が、過激王党派の指導者ポリニャック(1780年~1847年)を首相に任命すると(1829年8月)、国王と議会の対立が深まりました。
1830年5月、シャルル10世は再び議会を解散したものの、7月の選挙では自由主義派(反政府派)が更に議席を伸ばした為、ポリニャックは、国内の危機を回避する目的で、国民の目を国外に向けアルジェリア出兵(1830年7月)を行なうとともに、七月勅令の発布を進めます。
1830年7月25日に発布された七月勅令では以下、
1)7月の総選挙で自由主義派(反政府派)がさらに増加した未召集の議会を解散すること。
2)次回の選挙を9月に行うこと。
3)地主以外の有権者の選挙権を奪うこと。
4)言論・出版の統制を強化すること。
以上が布告されました。

「民衆を導く自由の女神」
これに対して、7月27日、パリの学生・小市民・労働者等約6万人は共和主義者を中心にバリケードを作り始め、28日には市街戦が激化し、29日には民衆がルーヴル宮・テュイルリー宮殿やノートルダム寺院などを占領し、七月革命が勃発します。
市街戦が行われた7月27日から29日は「栄光の三日間」と呼ばれ、この「栄光の三日間」の市街戦の様子は、三色旗を掲げる自由の女神が革命軍の志士を率いているありさまを描いたドラクロワ(1798年~1863年)の有名な「民衆を導く自由の女神」(1831年出品)に描かれています。

ルイ=フィリップ1世(Louis-Philippe Ier、1773年10月6日 - 1850年8月26日)
シャルル10世は、8月2日に退位を宣言してイギリスに亡命し、8月9日にはオルレアン家の自由主義者ルイ・フィリップが「フランス人民の王」として即位し、14日には新憲法が制定され、七月王政(1830年~48年)が始まりました。
ウィーン体制はラテン・アメリカ諸国の独立・ギリシアの独立によって破綻しつつありましが、七月革命は今までの様に新大陸やイスラム教国での出来事でなく、フランスでの出来事であり、又七月革命の成功によってフランスが神聖同盟から離脱したことは、ウィーン体制を守護する勢力にとっては大きな衝撃でした。
そのため七月革命はウィーン体制下のヨーロッパ諸国に大きな影響を与えたのです。
ジョークは如何?
チャーチルと仲の悪い女性議員がチャーチルに
「もし私があなたの妻だったら、毒入りの紅茶をだすでしょうね」
それに対してチャーチルは
「もし私があんたの夫だったら、それを飲むだろうね」
続く・・・
3七月革命とその影響①

執務中のルイ18世
フランスでは、ナポレオンの退位直後に、ルイ18世が帰国して即位し、ブルボン朝が復活しました。
ルイ18世(1755年~1824年、在位1814年~24年)は、ルイ16世の弟で、ヴァレンヌ逃亡事件(1791年6月)と同時に国外へ逃亡し、反革命運動を行い、ナポレオン没落後に帰国して王位に就きますが(1814年5月)、ナポレオンの「百日天下」の間はベルギーに亡命し、1815年7月に復位しています。
ルイ18世は、即位後間もなく新憲法(憲章)を発布し(1814年6月)、立憲君主制を施行しますが、選挙権が財産資格によって極端に制限されていた為、亡命貴族(エミグレ)が議会の多数を占める結果になります。
革命への怨みから、彼等は過激王党派(ウルトラ)を組織し、「国王より王党的」でした。
ルイ18世は、1816年9月に過激王党派が多数を占める議会を解散し、10月に行われた選挙では立憲君主主義者が過半数を占めた為、これに対して過激王党派は、その中心人物であったアルトワ伯(後のシャルル10世)の次男暗殺事件(1820年2月)を発端に、再び巻き返して反動政策を推し進めました。

シャルル10世(Charles X、1757年10月9日 - 1836年11月6日)
ルイ18世の死後、過激王党派の中心人物であったアルトワ伯がシャルル10世(1757年~1836年、在位1824年~30年)として即位します。
ブルボン朝の最後の王となったシャルル10世は、ルイ16世・ルイ18世の弟で、フランス革命中は亡命して反革命運動を行い、ナポレオンの没落後帰国し(1814年)、アルトワ伯と称して過激王党派を指導しました。

ジュール・オーギュスト・アルマン・マリー・ド・ポリニャック(Jules Auguste Armand Marie, prince de Polignac, 1780年5月14日 - 1847年3月2日)
シャルル10世は、即位すると亡命貴族を優遇し、反動政治を推し進め、1825年には「10億フラン年金法」を制定し、革命中に土地・財産を没収された亡命貴族に多額の補償金を支出しました。
1827年11月に議会を解散して総選挙を行い、自由主義派(反政府派)が勝利をおさめた結果、追いつめられたシャルル10世が、過激王党派の指導者ポリニャック(1780年~1847年)を首相に任命すると(1829年8月)、国王と議会の対立が深まりました。
1830年5月、シャルル10世は再び議会を解散したものの、7月の選挙では自由主義派(反政府派)が更に議席を伸ばした為、ポリニャックは、国内の危機を回避する目的で、国民の目を国外に向けアルジェリア出兵(1830年7月)を行なうとともに、七月勅令の発布を進めます。
1830年7月25日に発布された七月勅令では以下、
1)7月の総選挙で自由主義派(反政府派)がさらに増加した未召集の議会を解散すること。
2)次回の選挙を9月に行うこと。
3)地主以外の有権者の選挙権を奪うこと。
4)言論・出版の統制を強化すること。
以上が布告されました。

「民衆を導く自由の女神」
これに対して、7月27日、パリの学生・小市民・労働者等約6万人は共和主義者を中心にバリケードを作り始め、28日には市街戦が激化し、29日には民衆がルーヴル宮・テュイルリー宮殿やノートルダム寺院などを占領し、七月革命が勃発します。
市街戦が行われた7月27日から29日は「栄光の三日間」と呼ばれ、この「栄光の三日間」の市街戦の様子は、三色旗を掲げる自由の女神が革命軍の志士を率いているありさまを描いたドラクロワ(1798年~1863年)の有名な「民衆を導く自由の女神」(1831年出品)に描かれています。

ルイ=フィリップ1世(Louis-Philippe Ier、1773年10月6日 - 1850年8月26日)
シャルル10世は、8月2日に退位を宣言してイギリスに亡命し、8月9日にはオルレアン家の自由主義者ルイ・フィリップが「フランス人民の王」として即位し、14日には新憲法が制定され、七月王政(1830年~48年)が始まりました。
ウィーン体制はラテン・アメリカ諸国の独立・ギリシアの独立によって破綻しつつありましが、七月革命は今までの様に新大陸やイスラム教国での出来事でなく、フランスでの出来事であり、又七月革命の成功によってフランスが神聖同盟から離脱したことは、ウィーン体制を守護する勢力にとっては大きな衝撃でした。
そのため七月革命はウィーン体制下のヨーロッパ諸国に大きな影響を与えたのです。
ジョークは如何?
チャーチルと仲の悪い女性議員がチャーチルに
「もし私があなたの妻だったら、毒入りの紅茶をだすでしょうね」
それに対してチャーチルは
「もし私があんたの夫だったら、それを飲むだろうね」
続く・・・
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コメント
秋葉奈津子様 こんばんは。
風が強く涼しく吹いています。
今夜あたり九州は直撃うけるのではないでしょうか。
被害が出ないことを祈ります。
気温は相変わらず高く暑いのですが。
2016-09-03 22:52 葉山左京 URL 編集
葉山左京様、おはようございます。
予報では、北部九州直撃コースを進んでいます。
今回の台風は、予想以上に移動が遅く、小型ながらも風の強い嫌な台風です。
早く去って欲しいものです。
2016-09-04 06:11 秋葉 奈津子 URL 編集
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2016-09-04 07:00 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
近畿も台風の影響でしょうか、
風は強く吹いています。
台風10号の被害で北海道や岩手では孤立した部落があると言うのに、
12号がやって来て台風銀座と言えるくらいですね。
今後は地球温暖化でもっとひどくなるようです。
2016-09-04 21:56 葉山左京 URL 編集
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2016-09-04 23:42 編集
葉山左京様、おはようございます。
しかしながら、雨も少なく、風も殆んど吹いていません。
既に暴風域も無く、強風域も18m程度なので、心配はなさそうですが、油断は禁物です。
午前6時現在、福岡市の沖、午後3時頃下関市の沖の予報ですが、雨、風も一応警戒です。
早く通り過ぎて欲しいものです。
2016-09-05 06:22 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
夕方少し雨が降りましたが、
すぐに上がり真っ赤な夕焼けになりました。
まだツクツクボウシが鳴いています。
赤トンボも大量に群れなして飛んでいます。
涼しくなるのは、
いつになるのでしょうか?
早く涼しくなってほしいものです。
2016-09-05 21:04 葉山左京 URL 編集
葉山左京様、おはようございます。
今日は、曇りで未明には、弱い雨も降ったようです。
とりあえずは、何事もなくて良かったですが、九州は此れからが、台風襲来の本番になります。
上陸や接近が無いことを祈ります。
2016-09-06 06:23 秋葉 奈津子 URL 編集
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2016-09-06 23:14 編集
葉山左京様、おはようございます。
南を進む台風13号の影響なのか、少し蒸し暑さも感じています。
今度の台風は、何事も無く日本から去って欲しいものです。
2016-09-07 06:21 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
一日中非常に蒸し暑い真夏日のようでした。
9月に入っても台風が続いていますので、
暑さが居残っているようです。
遠くで雷鳴が聞こえていましたが、
先ほど突然の大きな雷鳴です。
すぐ近くに落ちたようですが、
びっくりしました。
突然の雷には注意しないといけませんね。
2016-09-07 19:39 葉山左京 URL 編集
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2016-09-07 23:53 編集
秋葉奈津子様 おはようございます。
暑さは去ってくれません。
もう台風は来てもらいたくないのですが、
今年は集中していますね。
やっと今明るくなってきました。
雲が多い一日になりそうです。
2016-09-08 05:48 葉山左京 URL 編集
葉山左京様、おはようございます。
未だ、油断は出来ませんが、先ずは一安心ですね。
北九州は、8月下旬以来、比較的涼しい毎日が続き、エアコンも自宅では殆んど必用在りません。
既に暦は「白露」過ぎました。
これから「秋分」迄少しづつ気温も下がって行くことでしょう。
夜明け、確かに遅くなりましたね。
2016-09-08 06:24 秋葉 奈津子 URL 編集
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2016-09-08 23:22 編集
葉山左京様、おはようございます。
日の出も遅くなり、6時でも薄暗く、明かりが必用です。
夕暮れも18時30分位になっています。
今年は、未だ夜に成っても虫達の合唱が、それ程聞こえません。
昼間の蝉はツクツクボウシが、少し鳴いています。
秋らしいお天気を期待します。
2016-09-09 06:07 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
まだまだの感ですね。
最近は山科川のカワセミが姿を見せません。
あまりにもバードウォチャーが多すぎるせいでしょうか。
彼らは自分たちさえ良ければの感じがします。
タバコを吸いながらぺちゃくちゃしゃべりながら、
マナーがなっていません。
2016-09-09 22:38 葉山左京 URL 編集
葉山左京様、おはようございます。
天気図を見ると、南の海には、秋雨前線の兆候が見て取れます。
今年も突然夏が終わった様に、突然秋が始まるのでしょうか?
以外と秋が短いかも知れませんね。
バードウォッチングにしても、他の自然鑑賞にしてもマナー以前に基本知識の内、にわか自然愛好家が存在します。
此れは、趣味の世界では、何処も同じで、一時の関心で直ぐに居なくなる人種と思います。
でも、その様な人種が害であることは否定出来ません。
2016-09-10 06:19 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
ツクツクボウシの声が透きとおった空気の中を
通ってきます。
湿気を含んだ空気がさわやかな空気になりました。
秋が近ずいて来ましたね。
秋葉さんが言われる通り一時的なバードウォチャーがいなくなれば、少しはマナーを心得た人々が残るのでしょうか。
折角カワセミが居ついているのですから、
大切に見守りたいですね。
2016-09-10 22:15 葉山左京 URL 編集
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2016-09-10 22:42 編集
葉山左京様、おはようございます。
之も秋雨前線の影響でしょうか?
昨晩から虫の音が、大きく聞こえる様に成りました。
反対に蝉の鳴き声は、殆んど聞こえません。
明日からお天気下り坂の予報です。
どこの趣味の世界も同じですが、にわか趣味人程、始末の悪い人種はいませんね。
2016-09-11 06:20 秋葉 奈津子 URL 編集