2016/12/09

歴史を歩く131

31自由主義と国民主義⑦

6ロシアの改革

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デカブリストの乱

 ロシアではアレクサンドル1世の死後、弟のニコライ1世(1796年~1855年、在位1825年~55年)が即位に際し、時を同じく起こったデカブリストの乱を鎮圧して、反動的な内政・外交を展開します。

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ニコライ1世(Николай I:ニコライ・パヴロヴィチ・ロマノフ: Николай Павлович Романов、1796年7月6日 - 1855年3月2日)

 ニコライ1世はヨーロッパの革命がロシアに及ぶ事を恐れ、七月革命の影響のもとで起こったポーランドの反乱を鎮圧(1831年)、更に二月革命・三月革命の影響のもとで起こったハンガリーの独立運動をも鎮圧する(1849年)等「ヨーロッパの憲兵」の役割を果たし、メッテルニヒの失脚後はヨーロッパの反動勢力の中心的人物となりました。

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クリミア戦争とナイティン・ゲール

 その一方で領土の拡大に努め、特に黒海から地中海に進出する南下政策を進め、東方問題に介入してトルコを圧迫し、クリミア戦争(1853年~56年)を引き起こしましたがイギリス・フランスの介入で敗れ、失意のうちに急死します。

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戴冠式で家族から祝福を受けるアレクサンドル2世

 クリミア戦争中に即位したアレクサンドル2世(1818年~81年、在位1855年~81年)はクリミア戦争を収拾しますが、クリミア戦争の敗北はロシアに大きな衝撃を与えます。
クリミア戦争の敗北によってロシアの後進性・近代化の遅れを痛感し、改革の必要性を悟ったアレクサンドル2世は、「下からの改革」を恐れ、「下から農民が解放する事を待つよりは上から農奴制を廃止した方がよい」と考え、「上からの改革」にふみきり、1861年3月に「農奴解放令」を発布しました。

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農奴解放令を読み上げるアレクサンドル2世

 当時、売買の対象にもされ、人口の3分の1以上を占めていたロシアの農奴は、「農奴解放令」によって人格的自由と土地の所有が認められますが、農地の分与は有償で、地主に2カ年以内に買戻金を納めなければならず、それが不可能な農民には政府が代わって地主に買戻金を支払い、農民は49カ年賦でその債務を政府に返すことになりました。
しかも土地は私有地にはならずミール(農村共同体)の共有地となり、ミールがその共同利用や買戻金の返還等に責任を持いました。

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船を引く農奴

 このようにロシアの農奴解放は旧地主本位で不徹底なものであり、自作農も出現はしましたが、その一方で多くの土地を失う農民が現れ、彼らは離村して賃金労働者に成って行きますが、このことがロシア資本主義発達の出発点ともなったのです。

 農奴解放令に始まるアレクサンドル2世の自由主義改革はポーランド反乱(1863年1月~64年5月)の勃発によって一時中断されます。

 アレクサンドル2世はポーランド人の不満を抑えるためにポーランドにも自由主義的改革を及ぼそうと考えますが、独立運動の急進派は完全独立を目ざして1861年に反乱を起こし、ポーランドの保守派政府は徴兵制を布いて、青年特に学生を軍隊に入隊させる事で反乱を防ぐ事を考えますが、この徴兵制が引き金となり、1863年1月の大規模な反乱を呼び、18ヶ月にわたってロシア軍・政府軍との戦いとなります。

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ポロニア1863年
1863年1月の蜂起失敗後に描かれた作品。囚人たちがシベリアへの移送を待つ情景を描いている。ロシア人の官吏と兵士は、鍛冶屋が黒衣を着た若い女性(擬人化されたポーランド)に手枷をはめるのを眺めている。彼女と引き離されようとしている奥の白衣の女性はリトアニアを象徴している。


 全ヨーロッパの自由主義者がポーランドの反乱を支援し、特にイギリス・フランスの労働者の支援運動が第1インターナショナル(国際労働者協会)創立の契機と成りました。
しかし、ポーランド反乱は、自国への革命の波及を恐れるビスマルクの支持と協力を得たロシア軍によって1864年5月までには鎮圧され、数千人が死刑・シベリア流刑に処せられ、ポーランドはロシアの一地方に編入されます。

 アレクサンドル2世は、ポーランドの反乱鎮圧後、ゼムストヴォ(地方議会)の創設(1864年)や裁判制度の改革(1864年)などの改革を行うものの、その後次第に反動化し、専制政治を強行していきました。

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「判決を受けたナロードニキ」 1879年作 《マコフスキー》

 アレクサンドル2世の反動化が進む中で、1870年代以後インテリゲンツィア(知識人)や学生などを中心とするナロードニキ(人民主義者)の運動が盛んになります。 
ロシアはミール(農村共同体)を基礎として西欧とは異なる独自のコースで社会主義に到達できると考えた革命的知識人や学生らは、「ヴ・ナロード(人民の中へ)」を合い言葉にした為ナロードニキと呼ばれました。

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『ナロードニキの逮捕』(1880年~1889年, 1892年) トレチャコフ美術館

 彼らは、医師・看護婦・教員などになって農村へ入り、農民を啓蒙して革命の狼煙をあげようとしますが、生活をしていくことが精一杯で、貧しく、文字も読めない農民にはナロードニキの説く革命理論は全く理解できず関心も示さなかったのです。
この農民の無関心と官憲による激しい弾圧によってナロードニキの運動は挫折、分裂していきます。

 絶望した人々の間に、ニヒリズム(虚無主義、いっさいの権威と価値・国家や社会秩序を否定する思想)が広まり、彼らの中にはテロリズムによって皇帝や政府高官を暗殺することによって専制政治の打倒を考える一派が現れ、数度の失敗の後に、1881年3月に皇帝アレクサンドリア2世を暗殺します。

 この間、アレクサンドリア2世は対外的には、清朝とアイグン条約(1858年)や北京条約(1860年)を結んで東方で領土を拡大し、又バルカン半島へ進出を謀って露土戦争(ロシア・トルコ戦争、1877年~78年)を引き起こします。

ジョークは如何?

エデンの園はロシアにあったとする学説がある。

なぜなら、アダムとイブはクルマも家も服さえも持っていなかったが、
自分たちが住んでいるところがパラダイスだと信じて疑わなかったからだ。

続く・・・

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ヴォルガの舟歌

こんばんは、いつもお世話になっております。
船を曳く農奴、という絵、非常に古いロシア民謡の歌集(日本発売のもの)に入っているのを見たことがあります。懐かしい!
ヴォルガの舟歌という歌の挿絵です。
エイ・ウッフニィェム、ィエスチョウラァジク・ィエスチョドラ ・・・というようなカタカナ語がふってあったと思います。

ナロードニキという言葉も、これも半世紀以上前のことですが、石川県の内灘という場所がアメリカ軍の砲弾試射場として接収されたとき、反対運動で砲弾の着弾地点へ座り込みに行く大学生たちがしゃべっていた記憶があります。

ありがとうございました。

秋葉奈津子様 こんばんは。

今日はさすがに寒さが身に沁みました。
北風がほほを強くなでていきます。
ほんとに寒い一日でした。

明日はもっと気温が低くなるようですので、
風邪にはご注意ください。

やはり本格的な冬がやってきたようです。

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葉山左京様、おはようございます。

今日の朝は、少し冷えています。
北海道では、大雪ですね。
今度の冬は、九州でも雪が積もるかもしれません。

昨日は、お天気がコロコロ変わる、猫の目の様な1日でした。
日中は暖かくて、心地よいのですが、突然の雨には閉口します。
街中は、落ち葉の絨毯とイルミネーションで、冬の風情に成ってきました。

年末近しを嫌が上にも実感します。

秋葉奈津子様 こんばんは。

桜の木々も広葉樹の木々も今葉を落として、
裸の冬枯れの枝を寒風にさらしています。
段々年末が押し迫ってきました。

街のデパートには沢山の買い物客であふれています。
そんな風景を見ると年末だと実感します。
日本全国の大きな町は買い物客でにぎわっていることでしょうね。

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秋葉奈津子様 おはようございます。

今朝は1℃の寒さです。
これから春までこんな天気が続くことでしょうね。
あちらこちらでイルミネーションがきれいですね。
西の嵐山の花灯路が始まりました。
渡月橋付近から竹林の中を花灯路が並んでいます。
もう定着しましたので、
冬のイベントになってきました。

外国の
観光客が多いいですね。

葉山左京様、おはようございます。

夜が続いていますが、快晴の朝を迎えています。
少し、放射冷却の為、外にでると足元が冷たいですが、霜は降りていません。
夜空は、3月下旬から4月上旬の午後8時頃の空が、今見えています。
この頃は、暖かい春を迎えている頃、現実の世界は、冬本番を迎えようとしています。
今日は、暖かくなれば良いですね。

渡月橋の風景が浮かびます。
私は、夜の渡月橋を知らないので、見てみたいです。

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秋葉奈津子様 おはようございます。

朝の寒さが厳しくなり、
起きるのが本当につらいですね。
今日は一日雨のようです。
雪になるほどには冷え込まないようです。

団地の中の大きな楓の木が今黄色に染まっています。
他の木々は葉が落ちているのに、
この木は太陽の光に当たると、
黄金色に光って見えます。

葉山左京様、おはようございます。

今日、12月13日は、正月事始めです。

お正月の準備をいよいよ開始する日ですが、仕事との併用はちょっと厳しいです。
学生時代は、大晦日の1週間位前から、場所を決めて掃除をしていたものですが、仕事中心の生活になると、ついついが多くなってしまいます。

職場も徐々に日頃の業務より、対年末業務の方が多く成ってきました。
年末迄、気の抜けない毎日が続きます。

雨上がり、木の枝に付いた小さな雨粒が、光に照らされて輝く姿は、綺麗ですね。
街中が、自然の彩を持つのは、この時期が一番と思います。

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葉山左京様、おはようございます。

今日も雨の朝を迎えています。

そのお陰か、寒さは殆ど感じません。
やはり冬と思うのは、雑草の伸びが殆ど止まりました。
夏ならば、一晩で数センチは伸びますが。

今年も残り2週間余りになりました。
何かと慌ただしい時期ですが、体調管理には、ご注意ください。

秋葉奈津子様 こんばんは。

そうですね、
12月も半ばになり周辺があわただしくなりました。
アッという間に12月も過ぎて行きます。

山科川の遊歩道の雑草も今は伸びていません。
先月刈ったそのままのようです。

夏は見れなかった白鷺の集団が時々見れるようになりました。
冬になると群れるようですね。

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葉山左京様、おはようございます。

今日は、天気予報通り寒い朝になりました。
流石に雪ではなく雨が降っていますが、阿蘇山付近は、雪になるかもしれません。

鹿児島県出水平野の鶴も本格的に越冬の様子です。
水辺には鴨や海鵜の姿を見る様になりました。

12月も半分が過ぎました。
勤務先も忙しさが増しています。

秋葉奈津子様 こんばんは。

こちらは夜も朝も2℃の気温です。
寒い!ですね。
仕事場の屋上から北を眺めると、
滋賀の山々が遠くに見えます。
その頂は真っ白に光っていました。

琵琶湖バレーのスキー場もあり、
冬場は雪がかなり積もります。

昨夜からの雪景色が京都からも見えますね。
京都市内は全く雪が降る気配もありません。

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葉山左京様、おはようございます。

今日で4日連続の悪天候です。
断続的に強い雨が降っていて、朝は一段と寒い朝を迎えました。
気温は5度前後です。
青空がとても恋しく感じられます。
街中も時折強く降る雨に、皆足早に歩いて行きます。

山口県には、プーチン大統領が訪問しました。
歓迎ムード一色だった様です。
日本とロシアに新たな一歩が刻まれると良いですね。

秋葉奈津子様 こんばんは。

京都は晴れた青空が一日続きました。
その代わり冷たい風が吹き抜けて、
寒さが一段と厳しくなりましたね。

北九州に晴れ間が少ないようですね。
こちらは北の山が壁になり、
フェーン現象で寒さが底冷えします。

もう12月も半ばを過ぎました。
アッと言う間に12月も過ぎて行くのでしょうね。

葉山左京様、おはようございます。

今日も寒い朝を迎えました。

昨日は、午前中、雨に霰が混じって降りましたが、午後はお天気も回復し穏やかな1日に成りました。
近所に在る大手スーパーチェーンの店舗が、来年1月末で閉店になります。
36年間お世話になったお店が、無くなるの淋しい事です。

北九州市は、北側が玄界灘と関門海峡、東に周防灘が控えています。
この季節、北西方向の風は、海を渡るので、本当に冷たいですよ。

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