歴史を歩く132
31自由主義と国民主義⑧
7ロシアの南下政策と東方問題(その1)

ポーランド分割
ロシアは、17世紀に東方のシベリア方面へ領土を拡大し、18世紀には北方戦争(1700年~21年)やポーランド分割(1772年~95年)によって西方のバルト海方面へ領土を拡大しました。
更に南方に向かっては、18世紀以後黒海へ進出し、19世紀に入ると不凍港の獲得とウクライナの穀物輸出の通路を求めて黒海から地中海への進出をはかる南下政策を積極的に推進します。

黒海に臨むノヴォロシースク(現在)
19世紀に自由主義・国民主義が隆盛となる中で、オスマン・トルコ帝国の支配下におかれていた諸民族は独立運動に目覚めますが、これらの諸民族は自力では独立を達成するには力不足で、オスマン・トルコの衰退に乗じてトルコ領内への進出を画策していたロシアを初めとするヨーロッパ列強はこれに干渉し、オスマン・トルコ帝国の領土と民族問題をめぐって国際的諸問題が発生します。
西ヨーロッパ列強はこの問題を「東方問題」と呼びました。

ムハンマド・アリー・パシャ( محمد علي باشا, Muḥammad ʿAlī Bāšā, 1769年? - 1849年8月2日)
ギリシアがイギリス・フランス・ロシアの援助で独立したのはその最初の出来事で、このギリシアの独立の際、孤立したオスマン・トルコを援助したのがムハンマド・アリーでした。
ムハンマド・アリー(メフメト・アリー1769年~1849年)は、マケドニア生まれのアルバニア人でオスマン・トルコに仕えて傭兵隊長となり、ナポレオンのエジプト遠征の際にはアルバニア連隊を率いて戦い、ナポレオンの撤退後、エジプト太守(総督、パシャ)となり(1805年)、ムハンマド・アリー朝(1805年~1953年)を創始しました。
1811年にはエジプト全土を支配下において事実上独立し、行政・産業・教育・軍事の西欧化を進め、エジプトの近代化に努めました。

ギリシア独立戦争・メソロンギの包囲
ムハンマド・アリーは、ギリシアの独立戦争(1821年~29年)ではオスマン・トルコを援助してクレタ・キプロス島を獲得しましたが、更にシリアを要求して二度にわたってオスマン・トルコと戦火を交えます(エジプト・トルコ戦争(エジプト事件)、1831年~33年、1839年~40年)。
1831年、ムハンマド・アリーはシリアを要求してオスマン・トルコと開戦し、翌1832年には全シリアを占領し(第一次エジプト・トルコ戦争、1831年~33年)、この時ロシアはトルコを援助しようと企てますが、ロシアの南下を恐れるイギリスとフランスがトルコに干渉し、トルコはエジプトの独立を承認してシリアを割譲しました。

ダーダネルス・ボスフォラス海峡
これを不満とするオスマン・トルコは、1833年7月にウンキャル・スケレッシ条約を結び、ロシアと相互援助を約しました。
この条約は、オスマン・トルコにロシア援助義務の負担を免除する代償として、ロシア以外の外国軍艦に対してダーダネルス・ボスフォラス両海峡を閉鎖するという秘密条項を含んでいたのでイギリス・フランスは強く反発しました。
これによってロシアはダーダネルス・ボスフォラス両海峡を確保して、ロシアの南下政策が成功するかに見えましたが、第二次エジプト・トルコ戦争の勃発によってロシアの南下政策は阻止されました。

アレクサンドリアにおいて第二次エジプト・トルコ戦争の降伏交渉を行うムハンマド・アリー
1839年、ムハンマド・アリーは更にエジプト・シリアなどの領土の世襲権を要求し、これを討伐しようとしたオスマン・トルコとの間で第二次エジプト・トルコ戦争(1839年~40年)が勃発します。ロシアの援助を受けたトルコはシリアに出兵しますが、フランスの援助を受けたエジプトに大敗しています。

第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル
( Henry John Temple, 3rd Viscount Palmerston, KG, GCB, PC, 1784年10月20日 - 1865年10月18日)
この情勢を見たイギリスのパーマストン外相は、フランス勢力がエジプトに定着することを恐れてトルコ保全策に転じ、イギリス・ロシア・プロイセン・オーストリアとの間に四国同盟を結んでトルコを援助し、この結果。国際的孤立化を恐れたフランスはエジプト援助をうち切り、孤立したムハンマド・アリーはオスマン・トルコに屈せざるを得ませんでした。

総督府で執務中のムハンマド・アリー
1840年にロンドン会議が開かれ、ロンドン四国条約が結ばれ、この条約により、ムハンマド・アリーのエジプトでの世襲権を認める代わりに、彼の世襲領域をエジプトとスーダンに限定し、シリアを放棄させ、またウンキャル・スケレッシ条約も破棄され、外国軍艦のダーダネルス・ボスフォラス両海峡の通航が禁止され、これによってロシアの南下政策は阻止されます。
しかし、ニコライ1世は南下政策をあきらめず、たまたま聖地管理権問題が起きるとオスマン・トルコに抗議するとともに、トルコ領内のギリシア正教徒の保護を要求し、これが拒否されるとトルコに宣戦し、クリミア戦争(1853年~56年)に発展します。
ジョークは如何?
クレムリンで会議が行われた。
「今日の議題は、2つある。
1つめは、わが国に蔓延する汚職、腐敗、癒着を
いかに根絶するかということ。
2つめは、そうした後で我々がどうやって生きるかということだ。」
続く・・・
7ロシアの南下政策と東方問題(その1)

ポーランド分割
ロシアは、17世紀に東方のシベリア方面へ領土を拡大し、18世紀には北方戦争(1700年~21年)やポーランド分割(1772年~95年)によって西方のバルト海方面へ領土を拡大しました。
更に南方に向かっては、18世紀以後黒海へ進出し、19世紀に入ると不凍港の獲得とウクライナの穀物輸出の通路を求めて黒海から地中海への進出をはかる南下政策を積極的に推進します。

黒海に臨むノヴォロシースク(現在)
19世紀に自由主義・国民主義が隆盛となる中で、オスマン・トルコ帝国の支配下におかれていた諸民族は独立運動に目覚めますが、これらの諸民族は自力では独立を達成するには力不足で、オスマン・トルコの衰退に乗じてトルコ領内への進出を画策していたロシアを初めとするヨーロッパ列強はこれに干渉し、オスマン・トルコ帝国の領土と民族問題をめぐって国際的諸問題が発生します。
西ヨーロッパ列強はこの問題を「東方問題」と呼びました。

ムハンマド・アリー・パシャ( محمد علي باشا, Muḥammad ʿAlī Bāšā, 1769年? - 1849年8月2日)
ギリシアがイギリス・フランス・ロシアの援助で独立したのはその最初の出来事で、このギリシアの独立の際、孤立したオスマン・トルコを援助したのがムハンマド・アリーでした。
ムハンマド・アリー(メフメト・アリー1769年~1849年)は、マケドニア生まれのアルバニア人でオスマン・トルコに仕えて傭兵隊長となり、ナポレオンのエジプト遠征の際にはアルバニア連隊を率いて戦い、ナポレオンの撤退後、エジプト太守(総督、パシャ)となり(1805年)、ムハンマド・アリー朝(1805年~1953年)を創始しました。
1811年にはエジプト全土を支配下において事実上独立し、行政・産業・教育・軍事の西欧化を進め、エジプトの近代化に努めました。

ギリシア独立戦争・メソロンギの包囲
ムハンマド・アリーは、ギリシアの独立戦争(1821年~29年)ではオスマン・トルコを援助してクレタ・キプロス島を獲得しましたが、更にシリアを要求して二度にわたってオスマン・トルコと戦火を交えます(エジプト・トルコ戦争(エジプト事件)、1831年~33年、1839年~40年)。
1831年、ムハンマド・アリーはシリアを要求してオスマン・トルコと開戦し、翌1832年には全シリアを占領し(第一次エジプト・トルコ戦争、1831年~33年)、この時ロシアはトルコを援助しようと企てますが、ロシアの南下を恐れるイギリスとフランスがトルコに干渉し、トルコはエジプトの独立を承認してシリアを割譲しました。

ダーダネルス・ボスフォラス海峡
これを不満とするオスマン・トルコは、1833年7月にウンキャル・スケレッシ条約を結び、ロシアと相互援助を約しました。
この条約は、オスマン・トルコにロシア援助義務の負担を免除する代償として、ロシア以外の外国軍艦に対してダーダネルス・ボスフォラス両海峡を閉鎖するという秘密条項を含んでいたのでイギリス・フランスは強く反発しました。
これによってロシアはダーダネルス・ボスフォラス両海峡を確保して、ロシアの南下政策が成功するかに見えましたが、第二次エジプト・トルコ戦争の勃発によってロシアの南下政策は阻止されました。

アレクサンドリアにおいて第二次エジプト・トルコ戦争の降伏交渉を行うムハンマド・アリー
1839年、ムハンマド・アリーは更にエジプト・シリアなどの領土の世襲権を要求し、これを討伐しようとしたオスマン・トルコとの間で第二次エジプト・トルコ戦争(1839年~40年)が勃発します。ロシアの援助を受けたトルコはシリアに出兵しますが、フランスの援助を受けたエジプトに大敗しています。

第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル
( Henry John Temple, 3rd Viscount Palmerston, KG, GCB, PC, 1784年10月20日 - 1865年10月18日)
この情勢を見たイギリスのパーマストン外相は、フランス勢力がエジプトに定着することを恐れてトルコ保全策に転じ、イギリス・ロシア・プロイセン・オーストリアとの間に四国同盟を結んでトルコを援助し、この結果。国際的孤立化を恐れたフランスはエジプト援助をうち切り、孤立したムハンマド・アリーはオスマン・トルコに屈せざるを得ませんでした。

総督府で執務中のムハンマド・アリー
1840年にロンドン会議が開かれ、ロンドン四国条約が結ばれ、この条約により、ムハンマド・アリーのエジプトでの世襲権を認める代わりに、彼の世襲領域をエジプトとスーダンに限定し、シリアを放棄させ、またウンキャル・スケレッシ条約も破棄され、外国軍艦のダーダネルス・ボスフォラス両海峡の通航が禁止され、これによってロシアの南下政策は阻止されます。
しかし、ニコライ1世は南下政策をあきらめず、たまたま聖地管理権問題が起きるとオスマン・トルコに抗議するとともに、トルコ領内のギリシア正教徒の保護を要求し、これが拒否されるとトルコに宣戦し、クリミア戦争(1853年~56年)に発展します。
ジョークは如何?
クレムリンで会議が行われた。
「今日の議題は、2つある。
1つめは、わが国に蔓延する汚職、腐敗、癒着を
いかに根絶するかということ。
2つめは、そうした後で我々がどうやって生きるかということだ。」
続く・・・
スポンサーサイト
コメント
管理人のみ閲覧できます
2016-12-17 00:01 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
今日は晴れた週末でした。
街に買い物に出ますと、
四条通りを外国の観光客が大きなバッグを引きずって団体で歩いています。
バッグは宿泊する場所に預けて来ればと思うのですが、
京都はホテルや宿泊施設が足りません。
小さな空き地を利用してビジネスホテルが無数に建設されています。
2016-12-17 17:55 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-12-18 00:00 編集
葉山左京様、おはようございます。
寒さも少し和らいだ様に感じます。
今日から、大晦日迄、年末体制に突入します。
事務所勤務者もこの時期は、全員交代で現場応援に入ります。
最後まで気の抜けない毎日が続きます。
冬の京都は経験がないのですが、外国人観光客は多いのですね。
冬の京都は寒い日が多いと聞いていいますが、外国人の皆さんはどう感じているでしょうか?
2016-12-18 06:24 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
雲ひとつない青空が広がる、
暖かい一日でした。
土、日は忙しいのでしょうね。
スーパーに行きますと大勢の人が、
正月用の買い物をしています。
これからがもっと忙しくなるのでしょうね。
お体大事にお過ごしください。
2016-12-18 17:45 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-12-18 23:52 編集
葉山左京様、おはようございます。
朝晩は冷え込みますが、日中は風も無く、心地よい1日でした。
勤務先に居る、猫一家が日溜まりで、みんな揃って日向ぼっこする姿は、年末の慌ただしさの中で、安らぎを感じます。
穏やかなお天気が続く事を期待しています。
正月の買い出しは、28日以降が本格的になりますが、最近は、クリスマス前でも結構、売上が上がります。
2016-12-19 06:31 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
当分こんな日が続くようです。
もうすぐ冬至なのに暖かいのは、
やはり温暖化の影響でしょうか。
一時から比べたら、
冬野菜の値段が多少安くなってきました。
果物のリンゴは好きなのですが、
一個当たりの値段が高いですね。
買い物を自重しなければなりません。
安くなるといいのですが。
2016-12-19 22:11 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-12-19 23:38 編集
葉山左京様、おはようございます。
夜になっても気温が下がらず、弱い南東の風に乗って、雲が広がりました。
今日の日付に変わった頃から、雨が降り出しましたが、暖かさはそのままです。
果物も野菜に劣らず高いですね。
私は、今年終に桃には手が出ませんでした。
やはり、夏の長雨に影響が激しいですし、ガソリン、灯油の値段の徐々に上がっています。
最近は、クリスマスも結構消費が上がりますね。
昭和50年代迄は、クリスマスは子供向けのイヴェントでしたが、最近は、歳に菅関係が無いようです。
仏教徒の私にすれば、不思議な行事です。
> 買い物を自重しなければなりません。
> 安くなるといいのですが。
2016-12-20 06:35 秋葉 奈津子 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-12-20 23:48 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
朝は雲が醍醐の山を覆い、
春霞かと見間違うほど霞んでいました。
気温が高ければ春なのですが。
こちらも果物の価格が高いですね。
リンゴもこんなに高いのかと思うほどに。
給料が上がらず、物価ばかり上がれば庶民の生活は苦しい限りです。
本当に節約に徹しないといけません。
2016-12-21 21:25 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-12-21 23:22 編集
葉山左京様、こんばんは。
でも、北九州市はとても暖かい1日でした。
最高気温も18度前後、夜になっても15度より下がりません。
京都地方と気温は大きく違いますね。
20日の夜は、沿岸部は大変濃い霧に包まれました。
お天気は下り坂、今も時折南東の風吹いています。
12月の下旬に18度近い気温とは、驚きです。
地球の環境が、狂っている為でしょうか?
野菜に加えて、果物の値段は、確かに異常です。
本来、北九州では、梨、ぶどう、柿、桃等は比較的安価なのですが。
2016-12-22 02:01 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
コートを脱いで手に持っている人も見かけました。
こんな日々が続くと体が楽でいいのですが、
寒い冬も来ないと農作物が育ちませんね。
久し振りに夕方から雨が降りました。
結構激しく降っていましたが、
今はもう止んでいるようです。
今年もあとわずかですね!
お体気を付けてお過ごしください。
2016-12-22 21:29 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-12-23 00:04 編集
秋葉奈津子様 おはようございます。
今日も暖かい朝を迎えました。
起きるのが楽です。
明日からはまた冬の寒さが戻るそうです。
新潟県糸魚川市の大火災、
強風にあおられて燃え広がり、
140棟もの被害が出ています。
火災は根こそぎ財産を持っていきますので怖いです。
年末は特に注意しないといけませんね!
2016-12-23 05:42 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-12-23 23:43 編集
葉山左京様、こんばんは。
更に南東の風が、本来の北西の風に変わり、しかも台風の余波を思い出す様な強さでした。
この風で残っていた、街路樹の葉は、殆んど飛ばされ、一気に冬枯れの姿に変わっています。
この様な強風が吹くと、ジロくんは風に向かって座ります。
きっとご先祖様が風を受けた、スコットランドの広野を思い出している様です。
糸魚川の大火は、本当に酷い火事でした。
私の自宅の近所でも、20年位前に2棟を全焼する火事を経験しましたが、その猛烈は煙で、目を開ける事も息もできず、ジロくんを連れて避難し事が有ります。
火事は一時で、全てを焼き尽くしてしまいます。
冬の寒空、一刻も早い援助が成されます様に。
2016-12-24 00:18 秋葉 奈津子 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-12-24 23:40 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
今日は全国高校駅伝が開催され、
女性は大阪、男性は岡山の高校が優勝しましたが、
雨でなくてよかったなーと思いました。
この寒空に雨ではあまりにも選手がかわいそうですからね。
今年も余すところ一週間です。
早く一年が過ぎ去って行き、
自分の中では何も進歩しなかったように思います。
毎年同じような反省をしているようです。
2016-12-25 19:53 葉山左京 URL 編集
葉山左京様、こんばんは。
以前は、歓楽街も賑わっていましたが、今のクリスマスは、家族ゆっくり楽しむ方が増えているようです。
私は、余り以前からクリスマスには、無関心なのですが、教会の装飾をみると、やはり本物は違うと思ってしまいます。
教会に飾られてツリーに年の瀬を思います。
今年も残るは1週間。
1年1年歳を取って行きます。
何時まで、元気で生活できるか、最近は考える事が多いですね。
2016-12-25 23:34 秋葉 奈津子 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-12-25 23:37 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
地球温暖化の影響でしょうか。
でも北の方では例年にない降雪だったりで
地球がおかしくなっているのは、
間違いない様ですね。
今の時期に大型の台風がフイリッピンを襲うようですし、
将来はもっと天変地異が起こる気がします。
2016-12-26 20:31 葉山左京 URL 編集
葉山左京様 おはようございます。
クリスマスから大晦日まで、気の抜けない毎日が続きますが、今年は猛烈は寒波の予報もなく、無事に年内の会社行事を終わらせることができそうです。
一般の皆さんが、楽しい期間は、流通業界は最も多忙な時期を迎えています。
私も体調管理に十分注意して、この期間を乗り切りたいと思っています。
確かに今年は寒い寒いと言いいながらも、それ程の寒さは未だ経験しませんね。
地球の自然環境が、壊れているのは、間違い無い事です。
12月に大型台風が、北半球に発生することも異常です。
大きな自然災害に何時遭遇しても不思議ではないですよね。
2016-12-27 09:51 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
今の時期にノロウィールスの被害が出ています。
生ものは気を付けないといけないなーと思っていますが、
魚の刺身はおいしいですからね。
熱燗によく合うのですが。
京都の競馬場の池の鴨か白鳥か?が鳥インフルエンザにかかって死んでいました。
周辺の鶏はあまり影響がなかったようですが、安心できません。
感染が広がらないことを願っています!
2016-12-27 21:00 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-12-27 23:58 編集
葉山左京様、おはようございます。
私達は、本番を迎えます。
お天気が今ひとつで心配です。
寒さもそれ程ではないのですが、風が吹くと落ち葉が未だ凄いです。
鹿児島県、熊本県南部では、今鳥インフルエンザが猛威をふるっています。
毎日の様に大量の鶏処分の記事が、掲載され注意を促しています。
出水平野の鶴にも影響がある様で、死んだ鶴も居るとか。
関係する皆さんには、とても正月気分では、居られません。
2016-12-28 06:38 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
西の嵐山周辺の山々や北の滋賀県境の山々も、初冠雪です。
朝から冷え込みが厳しかったので、
あるいはと思っていたら雪でした。
秋葉さんの仕事は今からが一番忙しいのでしょうね。
お体大事にお過ごしください。
2016-12-28 21:26 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-12-29 00:14 編集
葉山左京様、こんにちは。
私はもう直ぐ店舗応援に出ます。
今日は、朝から冷たい雨が降っています。
気温は10度前後、風が無いのことが救いですが、屋外での販売は無理です。
明日以降のお天気回復を祈ります。
お心遣いありがとうございます。
頑張ります。
2016-12-29 11:49 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
寒さに弱い私は、厚着して仕事に出かけています。
今日は四条通の人の数がものすごい!
特に若い人たちが目立ちます。
買い物客であればわかるのですが、
皆観光の人たちばかりのようでした。
もう、世の中どう変化していくのでしょうか?
先行きが不安ですね。
2016-12-29 22:20 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2016-12-30 00:56 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
京都は外人観光客が多くみられ、
街の中心部に大きなバッグを引きずって団体さんが歩いています。
買い物客には邪魔なのですが、
迷惑だと言えないところがつらいところです。
観光立国の京都としては
喜ばしいのですが。
2016-12-30 22:09 葉山左京 URL 編集
葉山左京様、こんばんは。
日差しも暖かく、風も殆んど無い、冬の日は珍しいです。
そして、今日は、買い物もピークを迎え、一時は店内も屋外の売り場も足の踏み場も無い程の混雑。
毎日この様な状況なら、資金繰りも銀行借入の心配も必用ないのですが・・・。
明日は、午前中が勝負、今年最後の頑張りです。
2016-12-30 23:42 秋葉 奈津子 URL 編集
No title
来年もよろしくお願いします。
よいお年を~~^^
2016-12-31 16:12 ママいっこ。 URL 編集