2017/01/15

歴史を歩く137

3アメリカ合衆国の発展③

2奴隷制度と南北戦争(その1)

 合衆国領土の拡大・西部の発展と共に、北部・西部・南部のセクション(地域)が成立し、セクション間での対立が激しく成りました。

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アメリカ南部プランティーション

 南部では、植民地時代からタバコ栽培を中心とする黒人奴隷を使用するプランテーションが発展していましたが、イギリスの産業革命によって綿花の需要が増大し、特にホイットニーの綿繰り機の発明(1793年)によって綿花栽培が急激に増大し、イギリスへの綿花輸出も飛躍的に増大した結果、南部は奴隷制の存続と自由貿易を主張し、1816年以後続けられていた保護関税政策に強く反対しました。

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ニューヨーク、イースト・リバー(1848年)

 これに対して米英戦争(1812年~14年)後、産業革命が進展して資本主義が発達した北部は、先進工業国イギリスから北部の産業資本を守るために保護関税政策を主張し、奴隷制については人道上の理由からも反対します。
又北部は保護関税政策を維持する為に連邦主義を主張しますが、南部は州権主義(州の自治・主権を主張する立場)を主張し、北部と南部の対立は奴隷制度をめぐって激化して行きます。

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自由州と奴隷州

 奴隷制度を禁止するか否かは州法で決定され、又合衆国上院は各州から2名の議員が選出される為、自由州(奴隷制度を禁止した州)と奴隷州(奴隷制度を認める州)の数は上院の勢力分布に直接反映されることになる為、西部の発展によって新州が成立して連邦に加入する際に、自由州とするか、奴隷州にするかを巡って南部と北部は激しく争いました。

 ミズーリ准州が州に昇格する際に、南部と北部の対立は凄まじく、結果ミズーリ協定が結ばれ、ミズーリ州を奴隷州とするが、以後はミズーリ州の南境界線の北緯36度30分以北には奴隷制度を認めないことが決議されました。

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フォーティ・ナイナーズ・ゴールドラッシュ

 1820年以前には、自由州が11州・奴隷州も11州で在り、ミズーリ州を奴隷州として認める代わりに、マサチュセッツ州からの分離を要望していたメイン州を自由州として認めて連邦に加入させ、自由州と奴隷州の均衡が図られていましたが、アメリカ・メキシコ戦争(1846年~48年)によって獲得したカリフォルニアのサクラメントの近くで1848年に金鉱が発見されると、世界中から一攫千金を夢見る夥しい移民が殺到し、翌1849年だけでも8万人以上の人々がカリフォルニアに押しかけ、後に彼等は、1849年に移住して来た事から「フォーティ・ナイナーズ」と呼ばれる様に成ります。

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ゴールド・ラッシュ

 この「ゴールド・ラッシュ」によってカリフォルニアの人口が急増し、1849年には早くも10万人に達し、州に昇格する条件を満たし、当時の自由州と奴隷州の数は共に15州で在り、カリフォルニアが自由州として連邦に加入を希望すると、自由州と奴隷州との均衡が崩れる為、再び南部と北部の対立が激化しました。

 カリフォルニアは南北に大きな州で、北緯36度30分が州の中央やや南を通過しており、ミズーリ協定で解決することは不可能で、結局「1850年の妥協」が成立し、カリフォルニアを自由州にする代わりに厳重な逃亡奴隷取締り法を制定することで南部と北部は妥協しました。
奴隷制廃止論者達は、逃亡奴隷取締り法に強く反対し、「地下の鉄道」と云う秘密組織をつくり、南部から逃亡してきた奴隷を匿ってカナダへ送り込みました。

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アンクル・トムの小屋

 ストウ夫人(1811年~96年)は逃亡奴隷取締り法に怒りをかき立てられ、1851年~52年に「アンクル・トムの小屋」を雑誌に連載し、「アンクル・トムの小屋」が出版されると(1852年)、1年間で30万部以上が売れてベストセラーとなり、人々に大きな感銘を与えると共に大きな社会的反響を呼び起こしました。

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カンザス・ネブラスカ法の行方、奴隷か自由か

 このような状況の中で、1854年に「カンザス・ネブラスカ法」が成立します。
これはカンザス・ネブラスカ両州を准州とする際、両州が将来自由州になるか奴隷州になるかは住民の決定に委ねるという法でした。
カンザス・ネブラスカ両州は、ミズーリ協定では当然自由州になる筈でしたが、南部はミズーリ協定がある限り新州が奴隷州になる望みがないので、ミズーリ協定の廃棄を強く要望しており、カンザス・ネブラスカ法の成立は、このミズーリ協定の廃棄を意味し、又奴隷制度が北部へ拡大する可能性も否定できず、南部と北部の対立が再び激化していきました。

カンザス・ネブラスカ両州が将来自由州になるか奴隷州になるかは住民投票で決定されることに成り、南部と北部は多くの人々を両州に移住させ、将来両州を自由州又は奴隷州にしようと争った為、対立は益々深まり、武力衝突も起こり始めます。
カンザス・ネブラスカ法の成立から2ヶ月後に、奴隷制反対をスローガンとしてホイッグ党を中心に共和党が結成され(1854年)、奴隷制度を巡る南北の対立は決定的と成りました。
この様な状況の中で1860年に行われた大統領選挙は激戦でしたが、共和党のリンカーンが当選を果たしました。

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エイブラハム・リンカーン( Abraham Lincoln:1809年2月12日 - 1865年4月15日)

 リンカーン(1809年~65年、在任1861年~65年)は、貧しい開拓農民の家庭でケンタッキーの丸太小屋で生まれ、イリノイ州に定住しました。
独学によって弁護士となって開業すると共に、州議会議員・下院議員に選出されてホイッグ党員として活躍し、一時政界を引退しましたが、共和党が結成されると奴隷制拡大反対論者であったリンカーンは共和党に加わり、イリノイ州選出の上院議員に立候補します(1858年)。
この選挙では敗れますが、選挙中の演説で全国にその名を知られるようになり、1860年の大統領選挙では共和党の大統領候補と成り、民主党の分裂等に助けられ、第16代大統領に当選しました。

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1861年、未だ建設中のアメリカ合衆国議会議事堂で行われた大統領就任式

 リンカーンの当選は南部の奴隷州に衝撃を与え、連邦を脱退して別の国家をつくろうとする空気が強まり、リンカーンの当選の翌月にサウスカロライナ州はついに連邦脱退を宣言し(1860年12月)、これに続いてリンカーンの大統領就任(当時は大統領就任式は3月に行われた)迄の間に6州が脱退します。

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ジェファーソン・フィニス・デイヴィス( Jefferson Finis Davis: 1808年6月3日 - 1889年12月6日)

 1861年2月、合衆国を脱退した南部諸州はアメリカ連合国(アメリカ連邦)を結成して憲法を制定し、ジェファーソン・デヴィス(1808年~89年、ミシシッピ州選出の上院議員からアメリカ連合国の大統領となる、在任1861年~65年)を大統領に選び、アメリカ連合国は最初7州で形成され、5月迄には11州が加わりました。

ジョークは如何?

「ジョニー、なんだこの成績は。ワシントンはおまえの年で既に学校で1番だったんだぞ」

「そして、お父さんの年ではもう大統領だったんだね」

続く・・・


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コメント

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秋葉奈津子様 こんばんは。

今年の冬は雪が多いいですね。
日本海側の島根や鳥取、などすごい積雪で車が立ち往生のようです。
京都市内もパラパラ降りましたが、
東の比叡山や北の山々も真っ白になっています。

明日は-2℃、朝起きるのがつらいですね。
北九州はいかがですか。

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Re: 秋葉奈津子様 こんばんは。

1月25日は「日本最低気温を記録」した日です。 明治35年(1902年)1月25日、北海道 の上川測候所(現在の旭川地方気象台)で氷点下41.0度の日本最低気温が記録され ました。
その日に合わせた訳では無いでしょうが、今日の北九州は氷点下1度。
快晴の空、猛烈に冷えています。

昨日は、所用で福岡市迄行ったのですが、出発して直ぐ雪が降り始め、八幡付近で本降りになりました。
雪は20分位で止みましたが、一時は先方に連絡して、延期を考えた程です。
後の道中は、陽も射し比較的良いお天気でした。
お天気の急変は怖いですね。

今日午前6時の夜空は、6月下旬20時頃の姿です。
南の空に夏の星座、さそり座が昇り、その胸元でアンタレスが赤い光を放っています。
6月にこの姿を眺める時は、露入りで蒸し暑い毎日と思います。
でも、この寒さなら、余計に暖かい日々が待ち遠しいものです。

Oh ,My Darling Clementine

Oh, My Darling, oh, my darling, oh, my darling Clementine,
You are lost and gone forever, dreadful sorry, Clementine.

In a cavern, in a canyon, exavating for a mine,
dwelt a miner, forty-niner, and his daughter Clementine.

いとしのクレメンタイン というアメリカ民謡は、forty-niner のことを歌っています。
クレメンタインの履く靴がNo.9 (これは大きい靴なんでしょうか?)だったりします。
最後にはちょっと可哀想な話にもなったりしますね。
日本ではこの旋律を借用して「雪山賛歌」、雪よ岩よ我らが宿り、俺たちゃ街には住めないからに・・・になったりします。

秋葉奈津子様 こんばんは。

こう毎日寒さが厳しいと外に出たくなくなります。
仕事があるので当然会社には行きますが、
暖かい日々が懐かしくさえなります。

今朝は雪が凍り付いて道路を行きますと、
ダイヤのようにキラキラ路面が光り輝いていました。
珍しい現象だと思いながら出勤でした。

吸い込む息があまりの冷たさに、
肺が苦しくなります。

しかし金曜日くらいには3月下旬のような10℃以上の温度のようで、
異常気象の証でしょうね。

葉山左京様、おはようございます。

昨晩は快晴、今日の朝は豪快に冷え込んでいます。
未だ地面のは霜が残っています。
流石に今日は、布団から出るのに勇気が要りました。

夜だけ室内に居るジロくんですが、今日の朝は、外に出たがりました。
やはり、寒い処の犬なので、この様な日は、ご先祖の血が騒ぐのかもしれません。

昨日から、寒が緩んで来て日中は、寒さも殆んど感じる事はありませんでした。
明日以降は、10度台半ば迄気温が上昇するとの予報です。
暖かくなるのは嬉しいですが、次の寒波が堪える事でしょう。

秋葉奈津子様 こんばんは。

明日から気温が10℃台になるようで、
うれしい気温の上昇です。
このまま暖かく春になるといいのですが、
無理でしょうね。
でも3月下旬の気候だとのこと、
体が楽になります。

これで風邪とも決別できそうです!

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葉山左京様、おはようございます。

昨日から日中は、大変暖かくなりました。
今日は、夜明け前は快晴、満天の星空でしたが、今は雲が多くなっています。
此れからしばらくは、気温の高い日が続きます。
暖かい事は嬉しいですが、次の寒波は一層厳しく感じる事になるでしょう。
今年の冬は、厳冬なのか、暖冬なのか判りませんね。