歴史を歩く144
33 19世紀のヨーロッパ文化④
4自然科学と技術
19世紀は「科学の世紀」とも呼ばれています。
18世紀迄にほぼ基礎が確立されていた近代自然科学は、産業革命による工業の飛躍的な発展に伴い、19世紀中頃からめざましく進歩しました。

エネルギー保存の法則(概念)
物理学に於ける「エネルギー保存の法則」の発見、生物学での進化論及び生物体の細胞説の確立は、19世紀に於ける自然科学の三大業績と呼ばれています。

ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤー(Julius Robert von Mayer, 1814年11月25日 - 1878年3月20日)

ヘルマン・ルートヴィヒ・フェルディナント・フォン・ヘルムホルツ(Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz, 1821年8月31日 - 1894年9月8日)
エネルギー保存の法則は、ドイツの物理学者マイヤー(1814年~78年)とヘルムホルツ(1821年~94年)によって1847年に発見されました。

マイケル・ファラデー(Michael Faraday, 1791年9月22日 - 1867年8月25日)

ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン(Wilhelm Conrad Röntgen、1845年3月27日 – 1923年2月10日)
物理学の分野では、イギリスのファラデー(1791年~1867年)が1831年に電磁誘導(モーターの原理)を発見し、電磁誘導の発展に貢献し、又ドイツのレントゲン(1845年~1923年)は1895年にX線を発見し、その功績によって第1回ノーベル物理学賞を受賞しました(1901年)。

キューリ夫妻と長女イレーヌ
フランスのキューリ夫妻(夫1859年~1906年、妻1867年~1934年、ポーランド生れ)は共同で放射線物質を研究し、1898年にラジウムを発見して原子核物理学の先駆となりました。

ユストゥス・フォン・リービッヒ男爵(Justus Freiherr von Liebig, 1803年5月12日 - 1873年4月18日)
化学の分野では、ドイツのリービッヒ(1803年~73年)が有機化合物の元素分析法を改良し、有機化学の基礎を確立しました。

ルイ・パスツール(フランス語: Louis Pasteur, 1822年12月27日 - 1895年9月28日)
医学の分野では細菌学が著しく進歩し、フランスのパスツール(1822年~95年)は狂犬病予防接種に成功し、ドイツのコッホ(1843年~1910年)は結核菌(1882年)・コレラ菌(1883年)を発見しました。

チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin , 1809年2月12日 - 1882年4月19日)
「科学の世紀」に於ける最大の業績の一つはダーウィンの進化論で、進化論は自然科学の分野だけでなく、社会思想、文化一般に大きな反響を呼び起こしました。

ダーウィンが乗船したビーグル号(HMS Beagle)
イギリスのダーウィン(1809年~82年)は1859年に『種の起源』を著し、生物は生存競争、自然淘汰によって適者のみが生存し、進化するとする説を唱えました。
進化論では、生物は神の創造物であると考える従来の人間観、自然観に大きな衝撃を与え、賛否両論の激しい論争を巻き起こし、特に教会は進化論に関して、聖書の教えに反するとして激しく攻撃しました。

メンデルの法則(概念)

グレゴール・ヨハン・メンデル( Gregor Johann Mendel、1822年7月20日 - 1884年1月6日)
生物学の分野では進化論の他に、ドイツのシュライデン(1804年~81年)とシュヴァン(1810年~82年)が1838年、1839年に生物体の基本単位は細胞であることを発見し、オーストリアのメンデル(1822年~84年)は遺伝に関する「メンデルの法則」を発見しました(1865年)。
自然科学の発達と共に新しい技術の開発も大いに進歩しました。
19世紀最大の成果は新しい電気エネルギーの利用で、電気は広い範囲で利用されて人間の生活を大きく変えていきます。

サミュエル・フィンリー・ブリース・モールス(Samuel Finley Breese Morse、1791年4月27日 - 1872年4月2日)

アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell、1847年3月3日 - 1922年8月2日)
1892年、ニューヨーク-シカゴ間の長距離電話回線開通式典でのベル

トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847年2月11日 - 1931年10月18日)
電力が一番早く実用化されたのは通信分野で、アメリカのモールス(1791年~1872年)は1837年に電信機を発明し、又アメリカのベル(1847年~1922年)は1876年に電話機を発明しました。
少し遅れて電灯が1879年にアメリカのエジソン(1847年~1931年)によって発明され、発明王エディソンは電灯の他に蓄音機(1876年)や映画(1893年)等も発明していきます。
イタリアのマルコーニ(1874年~1937年)は1895年に無線電信を発明し、1901年には大西洋横断の交信に成功します。

エルンスト・ヴェルナー・フォン・ジーメンス (Ernst Werner von Siemens, 1816年12月13日–1892年12月6日)
1879年にはドイツのジーメンス(1816年~92年)が発電機を発明し、1870年代以後、電力は工場の動力源、交通、運輸機関の動力源としても利用されるようになり、19世紀末から20世紀初頭には蒸気力の利用を圧倒するようになります。

ルドルフ・クリスチアン・カール・ディーゼル(Rudolf Christian Karl Diesel、1858年3月18日 - 1913年9月29日)

ゴットリープ・ヴィルヘルム・ダイムラー(Gottlieb Wilhelm Daimler, 1834年3月17日 - 1900年3月6日)
ドイツのディーゼル(1858年~1913年)は1897年に従来の石炭ガスに代わって石油を燃料とする内燃機関、所謂「ディーゼル・エンジン」を発明し、ドイツのダイムラー(1834年~1900年)は1883年に軽量のガソリン・エンジンを発明してまず二輪車、次いで四輪車に取り付けて稼動させる事に成功しました。
世界最初の自動車は時速18kmを出すことが出来たのです。

アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel, 1833年10月21日 - 1896年12月10日)
化学工業も発展し、スウェーデンのノーベル(1833年~96年)は1867年にダイナマイトを発明して財を成し、彼の遺産を基金として1901年にノーベル賞が設けられました。
その他、人造ソーダ、人造繊維、人造染料等も19世紀末に発明されています。
ジョークは如何?
1937年ナチスドイツのオーストリア併合が噂される中
ムッソリーニは航空相ゲーリングの私邸に招かれた。ゲーリングは
そのとき大きなヨーロッパ地図を展示した。
ムッソリーニはドイツと同じくオーストリアも赤く塗られているのを見て「早過ぎないか」
と指摘するとゲーリングは「いつかはこうなるということです。
私は貧乏でそのたびに新しい地図は買えないので、その日にそなえて・・・」
続く・・・
4自然科学と技術
19世紀は「科学の世紀」とも呼ばれています。
18世紀迄にほぼ基礎が確立されていた近代自然科学は、産業革命による工業の飛躍的な発展に伴い、19世紀中頃からめざましく進歩しました。

エネルギー保存の法則(概念)
物理学に於ける「エネルギー保存の法則」の発見、生物学での進化論及び生物体の細胞説の確立は、19世紀に於ける自然科学の三大業績と呼ばれています。

ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤー(Julius Robert von Mayer, 1814年11月25日 - 1878年3月20日)

ヘルマン・ルートヴィヒ・フェルディナント・フォン・ヘルムホルツ(Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz, 1821年8月31日 - 1894年9月8日)
エネルギー保存の法則は、ドイツの物理学者マイヤー(1814年~78年)とヘルムホルツ(1821年~94年)によって1847年に発見されました。

マイケル・ファラデー(Michael Faraday, 1791年9月22日 - 1867年8月25日)

ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン(Wilhelm Conrad Röntgen、1845年3月27日 – 1923年2月10日)
物理学の分野では、イギリスのファラデー(1791年~1867年)が1831年に電磁誘導(モーターの原理)を発見し、電磁誘導の発展に貢献し、又ドイツのレントゲン(1845年~1923年)は1895年にX線を発見し、その功績によって第1回ノーベル物理学賞を受賞しました(1901年)。

キューリ夫妻と長女イレーヌ
フランスのキューリ夫妻(夫1859年~1906年、妻1867年~1934年、ポーランド生れ)は共同で放射線物質を研究し、1898年にラジウムを発見して原子核物理学の先駆となりました。

ユストゥス・フォン・リービッヒ男爵(Justus Freiherr von Liebig, 1803年5月12日 - 1873年4月18日)
化学の分野では、ドイツのリービッヒ(1803年~73年)が有機化合物の元素分析法を改良し、有機化学の基礎を確立しました。

ルイ・パスツール(フランス語: Louis Pasteur, 1822年12月27日 - 1895年9月28日)
医学の分野では細菌学が著しく進歩し、フランスのパスツール(1822年~95年)は狂犬病予防接種に成功し、ドイツのコッホ(1843年~1910年)は結核菌(1882年)・コレラ菌(1883年)を発見しました。

チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin , 1809年2月12日 - 1882年4月19日)
「科学の世紀」に於ける最大の業績の一つはダーウィンの進化論で、進化論は自然科学の分野だけでなく、社会思想、文化一般に大きな反響を呼び起こしました。

ダーウィンが乗船したビーグル号(HMS Beagle)
イギリスのダーウィン(1809年~82年)は1859年に『種の起源』を著し、生物は生存競争、自然淘汰によって適者のみが生存し、進化するとする説を唱えました。
進化論では、生物は神の創造物であると考える従来の人間観、自然観に大きな衝撃を与え、賛否両論の激しい論争を巻き起こし、特に教会は進化論に関して、聖書の教えに反するとして激しく攻撃しました。

メンデルの法則(概念)

グレゴール・ヨハン・メンデル( Gregor Johann Mendel、1822年7月20日 - 1884年1月6日)
生物学の分野では進化論の他に、ドイツのシュライデン(1804年~81年)とシュヴァン(1810年~82年)が1838年、1839年に生物体の基本単位は細胞であることを発見し、オーストリアのメンデル(1822年~84年)は遺伝に関する「メンデルの法則」を発見しました(1865年)。
自然科学の発達と共に新しい技術の開発も大いに進歩しました。
19世紀最大の成果は新しい電気エネルギーの利用で、電気は広い範囲で利用されて人間の生活を大きく変えていきます。

サミュエル・フィンリー・ブリース・モールス(Samuel Finley Breese Morse、1791年4月27日 - 1872年4月2日)

アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell、1847年3月3日 - 1922年8月2日)
1892年、ニューヨーク-シカゴ間の長距離電話回線開通式典でのベル

トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847年2月11日 - 1931年10月18日)
電力が一番早く実用化されたのは通信分野で、アメリカのモールス(1791年~1872年)は1837年に電信機を発明し、又アメリカのベル(1847年~1922年)は1876年に電話機を発明しました。
少し遅れて電灯が1879年にアメリカのエジソン(1847年~1931年)によって発明され、発明王エディソンは電灯の他に蓄音機(1876年)や映画(1893年)等も発明していきます。
イタリアのマルコーニ(1874年~1937年)は1895年に無線電信を発明し、1901年には大西洋横断の交信に成功します。

エルンスト・ヴェルナー・フォン・ジーメンス (Ernst Werner von Siemens, 1816年12月13日–1892年12月6日)
1879年にはドイツのジーメンス(1816年~92年)が発電機を発明し、1870年代以後、電力は工場の動力源、交通、運輸機関の動力源としても利用されるようになり、19世紀末から20世紀初頭には蒸気力の利用を圧倒するようになります。

ルドルフ・クリスチアン・カール・ディーゼル(Rudolf Christian Karl Diesel、1858年3月18日 - 1913年9月29日)

ゴットリープ・ヴィルヘルム・ダイムラー(Gottlieb Wilhelm Daimler, 1834年3月17日 - 1900年3月6日)
ドイツのディーゼル(1858年~1913年)は1897年に従来の石炭ガスに代わって石油を燃料とする内燃機関、所謂「ディーゼル・エンジン」を発明し、ドイツのダイムラー(1834年~1900年)は1883年に軽量のガソリン・エンジンを発明してまず二輪車、次いで四輪車に取り付けて稼動させる事に成功しました。
世界最初の自動車は時速18kmを出すことが出来たのです。

アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel, 1833年10月21日 - 1896年12月10日)
化学工業も発展し、スウェーデンのノーベル(1833年~96年)は1867年にダイナマイトを発明して財を成し、彼の遺産を基金として1901年にノーベル賞が設けられました。
その他、人造ソーダ、人造繊維、人造染料等も19世紀末に発明されています。
ジョークは如何?
1937年ナチスドイツのオーストリア併合が噂される中
ムッソリーニは航空相ゲーリングの私邸に招かれた。ゲーリングは
そのとき大きなヨーロッパ地図を展示した。
ムッソリーニはドイツと同じくオーストリアも赤く塗られているのを見て「早過ぎないか」
と指摘するとゲーリングは「いつかはこうなるということです。
私は貧乏でそのたびに新しい地図は買えないので、その日にそなえて・・・」
続く・・・
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コメント
秋葉奈津子様 こんばんは。
今日の我々は長生きできるようです。
私たちは素晴らしい時代に生きているのかもしれませんね。
寒さが和らいで気温が10℃以上になると、
体もほぐれて来て動きが楽になりました。
早く春になってほしいですね。
2017-02-17 22:21 葉山左京 URL 編集
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2017-02-18 00:08 編集
葉山左京様、おはようございます。
只、雲の多いお天気で、陽が射したかと思うと、厚い雲に覆われたりのくり返しでした。
気温は20度の手前迄上昇、室内暖房は停止、車のエアコンは中にしても暑い位でした。
今日は「雨水」。
雪が雨に変わる時期になりましたが、先週は気温2度前後、朝は雪が積もる等大混乱の週末でしたが、僅か1週間でこんなに気候が、変わるのが、何か怖いですね。
ブロクを読んで頂きありがとうございます。
改めて、19世紀が人類の文明に急激ば変化を与えた、時代であることを実感しますね。
2017-02-18 06:32 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
春らしい景色が見られるようになりました。
でも暖かい日が続かないのが難点です。
北九州の方は梅はとうに咲いていることでしょうね。
北野天満宮はまだ3分~5分くらいでしょうか。
木によってはまだ蕾ばかりの木もあり、
バラバラです。
3月にならないとこちらは満開にはならないかもしれません。
2017-02-18 18:10 葉山左京 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2017-02-19 00:15 編集
葉山左京様、おはようございます。
この暖かさで、草木の新芽も大きくなっています。
未だ2月なので油断はできませんが、これから暖かい日が増える事でしょう。
本当の春の訪れが待ち遠しいですね。
此方では、梅は満開になりました。
太宰府天満宮の梅の便りも聞かれます。
太宰府天満宮は、学生時代の巫女さんのアルバイトをした場所でもあります。
太宰府の梅の便りを聞くと、何時も当時を思い出します。
2017-02-19 06:35 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
今日は京都マラソンの日で、
かなりの人が走りました。
(昨年は1万数千人だったでしょうか?)
晴天に恵まれ気温は低かったですが、
マラソンにはいい日よりだったのではないでしょうか。
毎年参加人員が増える傾向にあるようです。
正式な参加者は明日の新聞を見ないとわかりませんが。
2017-02-19 21:43 葉山左京 URL 編集
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2017-02-19 23:51 編集
葉山左京様、おはようございます。
今日は、先程から雨になりましたが、気温は異様に高く、暖房無しの室内でも15度もあります。
南風が入った為と思いますが、本当に異様な暖かさです。
これからは、寒さと暖かさが一進一退を繰り返しながら、春に向かうのでしょう。
でも、私が高校の入学式を迎えた日は、4月ですが猛烈な寒波に襲われ、式に出席した私も母も風邪で煮込んだ事を思い出します。
之からは、体調管理も大事ですね。
昨日は、北九州市も市民マラソンが開催され、天候も良く参加も多かったそうです。
これからは、スポーツイベントも多く成ります。
2017-02-20 06:29 秋葉 奈津子 URL 編集
葉山左京様、おはようございます。
今週は春に嵐もありそうです。
一雨毎に暖かくなれば、嬉しいですが、戻り寒波も警戒です。
昼間、お天気が良い時は、ポカポカと暖かくなってきました。
特に、昼食後等は、睡魔が襲ってきます。
用心用心ですね。
2017-02-21 09:26 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様 こんばんは。
北風が吹いてなおさら寒さを感じます。
昨日は春一番が吹いたのに、
あくる日は真冬です。
でも近くの公園ではボケの花が咲きだし、
沈丁花も蕾から花が開きそうになっています。
春は確実に近ずいて来ているのでしょうが、
まだまだ寒さが厳しいですね。
2017-02-21 20:53 葉山左京 URL 編集
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2017-02-21 23:49 編集
葉山左京様、おはようございます。
空には、三日月とさそり座が並んでいます。
今日から、お天気は下り坂でしが、今もそれ程寒さを感じません。
彼岸桜の新芽が目立ちます。
2017-02-22 06:32 秋葉 奈津子 URL 編集