2017/02/11

歴史を歩く146

34オスマン帝国支配の動揺とアラブの覚醒

1オスマン帝国支配の動揺

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 オスマン・トルコ帝国は、16世紀の最盛期にはアジア、アフリカ、ヨーロッパにまたがる大帝国を形成しましたが、その頃にはヨーロッパでは「大航海時代」が始まっていました。
これによってヨーロッパ人はアフリカの南端を回ってアジアへ到達する事が可能となり、ヨーロッパとアジアの要の位置を占めていたオスマン・トルコの世界交通上の重要な地位は失われる事になります。

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アッバース1世(1571年1月27日 - 1629年1月19日)

 先ずポルトガルがインド洋に進出し、やがてイギリスがインド洋の制海権を握るようになり、17世紀にはペルシア湾岸のバスラに東インド会社の商館を設立しました。
サファヴィー朝最盛期の王アッバース1世(在位1587年~1629年)は、イギリス東インド会社艦隊の協力を得て、ポルトガル勢力をホルムズ島から駆逐します。

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 オスマン・トルコ帝国は、1683年の第2次ウィーン包囲の失敗で大打撃を受け、これによってオスマン・トルコのヨーロッパ進出が断念され、以後ヨーロッパからの後退が始まります。
オスマン・トルコは1699年のカルロヴィッツ条約でハンガリーとトランシルヴァニアをオーストリアに割譲します。

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ギリシャ独立戦争の敗北(ナヴァリノの海戦1827年10月20日)

 以後オスマン・トルコ帝国とオーストリア、ロシア等のヨーロッパ諸国との力関係は逆転し、18世紀に入るとオスマン・トルコは北セルビアをオーストリアに、又黒海北岸とクリミア半島をロシアに割譲されます。

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クリミア戦争:オスマン・トルコ軍敗走

 オスマン・トルコ帝国がヨーロッパに於ける領土を次々に喪失し、その支配下にあったアジア、アフリカでも民族的自立を求める動きが始まり、19世紀になると、ヨーロッパ列強の進出とその支配下にあった諸民族の自立により、オスマン・トルコの領土は縮小の一途を辿って行く事になります。

ジョークは如何?

Q:スターリンは何故最も偉大な人間なのか?

A:自分より偉大な人間は全員粛清したから


続く・・・

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秋葉奈津子様 こんばんは。

オスマントルコの歴史楽しんで読ませてもらっています。
余りこの歴史は詳しくは知らないものですから。

この世の中知らないことばかりですが、
歴史は読んでいて情景を想像すると楽しくなります。

今日も寒さが厳しい一日になりました。
寒さはもういらないのですが。

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葉山左京様、おはようございます。

2月も残す処2日。
寒さの底をもう直ぐ、抜けだします。
この寒い季節は、受験の季節でもあり、毎年当時を思い出します。
私の受験本番は、雪でした。
あの時の朝の寒さは、今でも忘れられません。
現役の皆さんは、体調管理が本当に大変だと思います。

トルコは日本と友好国なのですが、日本人はトルコの事を良く知りません。
「イスタンブール」「オリエント急行」「モスク」等が普通にイメージする事柄ではないでしょうか?
残念ながら、私もアメリカやイギリス程、トルコを知っている訳ではありませんが、国の歴史を知れば、又親しみも湧いてくると思います。

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葉山左京様、こんにちは。

昨日の午後から良いお天気になった、北九州です。
今日は、早朝出勤でしたから、先程帰宅しました。
庭の彼岸桜が、南側の枝に花を付けています。
今年は、平年より開花が早い様なので、彼岸の頃には、散っているのではないでしょうか?
春の訪れを身近に感じています。