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2017/02/12

歴史を歩く148

34オスマン帝国支配の動揺とアラブの覚醒③

3オスマン帝国の改革

 第2次ウィーン包囲失敗(1683年)、カルロヴィッツ条約締結(1699年)以来、オスマン・トルコは否応なしにヨーロッパの軍事力の優越を認めざるを得なくなっていました。

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マフムト2世(Mahmud II, 1785年7月20日 - 1839年7月1日)

 18世紀末に即位したセリム3世(第28代皇帝、在位1789年~1807年)は軍事的改革を中心とする近代化改革を進めますが保守勢力の抵抗によって廃位されます。
しかし、セリム3世の改革はマフムト2世(第30代皇帝、在位1808年~39年)に受け継がれ、彼は横暴をきわめ、堕落したイェニチェリを廃止し(1826年)、西欧式軍隊を編成し、地方豪族の勢力抑制に努めました。

対外的にはギリシアの独立(1829年)とムハンマド・アリーによるエジプトの自立(1805年)・東方問題(1831年~40年)の激化を招いたのです。

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アブデュルメジト1世(Abdülmecid I, 1823年4月23日 - 1861年6月25日)

 マフムト2世の死後、若いアブデュル・メジト1世(1823年~61年、第31代皇帝、在位1839年~61年)が即位し、ギュルハネ勅令を発布して(1839年)タンジマート(1839年~76年)を開始します。

 タンジマート(アラビア語で整理、秩序の意味、恩恵改革と訳す)とはギュルハネ勅令に基づくオスマン・トルコの諸改革の総称で、タンジマートはオスマン・トルコの司法、行政、財政、軍事、文化等あらゆる分野にわたる西欧化による近代化改革であり、オスマン・トルコの旧体制から西欧式体制への移行を目ざした「上からの改革」でした。

 アブデュル・メジト1世は、1856年に再度勅令を発布し、領内の非イスラム教徒の社会的平等を確認しますが、タンジマートは旧勢力の反対に遭い志半ばで挫折してしまいます。

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ミドハト・パシャ(Midhat Paşa, 1822年10月18日 - 1884年5月8日)

 クリミア戦争(1853年~56年)後、ミドハト・パシャ(1822年~84年)を中心とする憲法制定を求める運動が起こります。
ミドハト・パシャは各地の地方官をへて二度宰相を務め、この間ヨーロッパを視察した経験から近代化の必要を痛感し、自由主義的改革に努めました。 
1876年にアブデュル・ハミト2世(第34代皇帝、在位1876年~1909年)が即位すると、ミドハト・パシャは宰相に任命され、ミドハト憲法を起草、発布しました。

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「カーヌーニ・エサーシー、Kanun-ı Esasî」(ミドハト憲法/オスマン帝国憲法)

 ミドハト憲法はアジア最初の憲法で、イスラム教徒と非イスラム教徒との平等、宗教別比例代表制による議会、責任内閣制、個人の自由等を定めた民主的な憲法でしたが、翌年露土戦争(1877年~78年)が勃発すると、これを口実にミドハト憲法は停止されてしまいます。

ジョークは如何?

とあるホームパーティの席で。ゲストの毒舌男が料理を批判して「ひどい食い物だ。
これじゃ豚の餌だね」
すかさず女主人が「あら、じゃあもっと貴方にご馳走しなきゃ」


続く・・・


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秋葉奈津子様 こんばんは。

不整脈から心不全になり入院していまして訪問できませんでした。
今日からはまた訪問させていただきます。
宜しくお願いします。

秋葉奈津子様 こんばんは。

菜の花の季節になりました。
処々で黄色い花が沢山咲いている姿が目に入ります。
彼岸桜も満開、今が見頃です。
芍薬の新芽も姿を見せています。
今月の下旬には、燕の姿も平年なら見る事ができます。
昼間の暖かさは、本当に有難いですね。

入院が短期で終わって良かったです。
私の父も心臓と肺で晩年は、入退院の繰り返しでした。
どうぞ、これからも健康管理には、十分ご注意下さい。