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2017/03/14

歴史を歩く150

35南アジア・東南アジアの植民地化

1イギリスのインド支配

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プラッシーの戦い・イギリスと内通したジャアファル

 1757年にプラッシーの戦いで、フランス・ベンガル太守連合軍を撃破したイギリス東インド会社軍は、同じ頃南インドでも3回にわたるカーナティック(カルナータカ)戦争(1744年~63年)でもフランスを破って支配領域を広げて行きました。

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初代クライブ男爵ロバート・クライヴ
(Major-General Robert Clive, 1st Baron Clive、1725年9月29日 - 1774年11月22日)


 プラッシーの戦いで活躍したクライブ(1725年~74年)は、翌1758年に初代ベンガル知事となり、イギリスのベンガル支配確立に努め1760年に帰国し、男爵の称号を贈られました。
その後、ムガル皇帝とベンガル太守が反抗すると、イギリスはこれを制圧し(1764年)、翌年クライブを再度ベンガル知事に任命し(在任1765年~67年)、その直後にイギリス東インド会社はムガル皇帝からベンガル・ビハール・オリッサの一部を含む広範な地域の地租徴収権と裁判権を獲得します。

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インド人傭兵(シパーヒー)

 こうしてイギリス東インド会社は、ベンガル地方を中心に広大な会社領を領有し、住民から地租を徴収し、イギリス兵と現地で採用したインド人傭兵(シパーヒー)で編成した軍隊でこれらの地域を支配するようになり、対インド貿易を目的に商業活動を主眼として設立された東インド会社は植民地の統治を兼ねた政治機関に変貌していきました。

 其の為イギリスは1773年にインド統治法を制定し、ベンガル知事に代わってベンガル総督を設置し、ヘースティングズ(1732年~1818年)が初代ベンガル総督に就任しました。

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シュフランと面会するハイダル・アリー

 こうしたイギリス勢力の進出に対して頑強に抵抗したのが、南インドのマイソール王国で、当時のマイソール王国には英主ハイダル・アーリー(在位1761年~82年)とティプ・スルターン(在位1782年~99年)が出て、4回にわたるマイソール戦争(1767年~69年、1780年~84年、1790年~92年、1799年)でイギリスと死闘を繰り広げましたが、イギリスはこれ等の戦いに勝利を納め、南インドを支配下に治めました。

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第2次マラーター戦争、アッサイェの戦い

 又中部インドには好戦的なヒンドゥー系マラータ族の諸侯がマラータ同盟と呼ばれる封建的な連合体を形成して反ムガル・反イギリスの立場をとっていました。
マイソール戦争に連勝し勢いに乗るイギリスは、3回にわたるマラータ戦争(1775年~82年、1802年~05年、1817年~18年)でマラータ同盟を崩壊させ、中部インドを支配下に治めます。

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インドにおけるイギリスの植民地獲得の変遷

 更にイギリスは第1次アフガン戦争(1838年~42年)以来、西北インドに進出を謀り、パンジャーブ地方のシク教徒を2回にわたるシク戦争(1845年~46年、1848年~49年)で破り、西北インドを支配下に治めると共に略インド全域に領土を広げました。

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ザミンダール

 イギリスはインド支配を進める中で財源の確保を図る為に18世紀末から19世紀初頭にかけて新しい地税制度を導入し、ベンガル地方を中心とする北インドではザミンダーリー制と呼ばれる地税制度を実施しました。
ザミンダーリー制は、イギリスがザミンダール(旧来の地主・領主層の呼称)の土地所有権を認め、彼等を地税納入の直接責任者とした制度で、この制度よって農民からの徴税が確実になり、東インド会社の税収は飛躍的に増大しましたが、地主支配が強化され、農民はサミンダールの収奪に苦しめられることになります。

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反乱軍のシパーヒー

 南インドではライヤット(農民の意味)に土地所有権と同時に納税責任を負わせるライヤットワーリー制が実施され、この間、イギリス本国では産業革命が進展して産業資本家が台頭すると、彼等は東インド会社によるインド貿易の独占に強く反対するようになり、1813年に東インド会社の茶以外のインド貿易独占権が廃止されます。

 更に1833年には東インド会社のインドに対する商業活動が全面的に禁止され、東インド会社はインド統治権だけを持つこととなり、完全にインド統治機関と成り、又ベンガル総督はインド総督と改称されました。

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イギリスのインド 貿易概念図

 19世紀に入ると、イギリス製の安価な機械織りの綿布がインドに輸出されるようになり、1820年頃にはインド産の綿織物との地位が逆転しました。
以後イギリス綿織物のインドへの輸出は急激に増加し、19世紀中葉にはインドは、イギリスが輸出する綿織物の4分の1を輸入するようになり、インドの伝統的な手織りの綿布産業は壊滅的な大打撃を受けます。
こうしてこれまではイギリスに綿織物を輸出していたインドが、イギリス製工業製品の販売市場・原料供給地に転落し、綿花・藍・ジュート・茶・アヘン等の輸出作物の栽培を強制されるようになりました。

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イギリス ロンドン東インド会社 本社

 イギリスは、英語教育の実施・イギリス的司法制度の導入・近代的な地租制度の採用・道路網の整備・鉄道の敷設等或る意味ではインドの近代化を進めましたが、これ等は何れもインドの植民地化を進めるための政策でした。

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カースト制度基本構造

 イギリス人はインドを遅れた社会と考え、これ等を文明化することが使命であると考え、カースト制や不可触選民の惨状・幼児婚・寡婦の殉死と再婚禁止の風習・インド女性の地位の低さ等インドの「憂うべき」インド問題を解消する為にはインド人の道徳・習慣・思考法をヨーロッパ流に変えていかなければならないと考えたのです。

 しかし、この為にインドの伝統的な社会慣習や生活基盤が破壊され、インドの自給自足的な村落社会は崩壊し、其の為支配者の地位を追われた王侯貴族から、職を失った手工業者・重税の取り立てに苦しむ農民に至る広い階層に跨るインド人の間にイギリスに対する不満と反感が広まって行きました。

ジョークは如何?

とあるホームパーティの席で。ゲストの毒舌男が料理を批判して「ひどい食い物だ。
これじゃ豚の餌だね」
すかさず女主人が「あら、じゃあもっと貴方にご馳走しなきゃ」


続く・・・


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コメント

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秋葉奈津子様 こんばんは。

雨の予報が昼は晴れた青空になり、
明るい一日でした。

風は冷たく寒いですが、
遊歩道沿いの川面に空色の羽を持った、
カワセミと出会いました。
昨年の夏以来の出会いでした。

段々春の香りがしてくるようです。

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葉山左京様、おはようございます。

お彼岸も近づいてきましたが、少々気温が下がって10度台前半。
昨日は、お天気も不安定で、時折雨が降ったり、陽が射したりと外出には、不向きは1日でした。
今日から気温も15度以上になるとの予報で、少々安心しています。
北九州の空は、お天気が良い時でも、春霞がかかり、青空も薄い青、遠くの景色も霞んで見えます。

カワセミは、残念ながら直接見た事はありません。
此方では、雲雀、椋鳥、鵜等を見かける事が多いです。
やはり、海に囲まれている為でしょう。

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葉山左京様、こんにちは。

寒さは殆んど感じませんが、お天気が不安定です。
雲も多く、時折霧の様な雨粒が舞ったり、急に陽が射したりと変なお天気です。
ジロくんの散歩は、無事に終わりましたが、夜の散歩はどうなるでしょうか?
雲雀が可也高い処で、鳴いていました。
近くにカラスが居たので、警戒でしょう。
未だ、ツバメの姿は見えません。

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葉山左京様、おはようございます。

5時45分には、東の空が明るくなりました。
もう、朝に星の姿を見る事ができません。
太陽の昇る場所も北に移動しています。
間も無く春分の日。
これからは、日一日と陽が長くなっていきます。
春爛漫!

秋葉奈津子様 こんばんは。

相変わらず寒さが去ってくれません。
いつまでこの寒さが続くのでしょう。

体調不良で時々訪問できませんが、
できるだけ訪問させていただきますので、
今後とも宜しくお願いします。

まだ心不全から体力が元に戻りません。
残念ですが。


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葉山左京様、おはようございます。

春霞の良いお天気が続いて、暖かい毎日が続いています。
遠くの景色は、ぼにやりと霞んで、陽の光の柔らかく感じます。
その春霞で、星空もボンヤリですが、東の空にスピカ、アルクツゥールス。
西の空にはシリウス、オリオン座、その間にしし座が現れています。
星座の世界も冬から春に交代です。

循環器は、ゆっくり、無理をせずが大切です。
それでも、規則正しい食生活や散歩等、適度な運動も大事ですよ。

秋葉奈津子様 こんばんは。

今日は暖かい一日でした。
明日は春分の日ですから、
春めいてもおかしくないですね。

後は桜の花を待つだけでしょうか。
暖かいという事は
何となく心が浮き立つようです。

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葉山左京様、おはようございます。

春分の日を過ぎ、明るい時間が長くなりました。
北九州では、朝は6時前、夜は19時前迄、明るくなっています。
昨日は、午後から雨になり、更に夜は強い風が吹いていました。
その風で、彼岸桜の花びらが、周囲に薄桃色の絨毯を作っています。
今も弱い雨が降っていましが、今日はお彼岸のお参りに行く予定なので、止んで欲しいものです。

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