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2017/06/11

歴史を歩く163

37帝国主義の成立と列強の国情③

3フランス

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アルザス・ロレーヌの位置

 フランスは、普仏戦争(1870年~71年)に敗れてアルザス・ロレーヌをドイツに割譲したために工業生産の発展が鈍化し、1870年代にはアメリカ・ドイツに追い抜かれてその生産力は第4位に後退しました。
又、工業では小企業が乱立し、農業でも小経営が多かった為、国内には有利な資本の投下先が少なく、結果として国内の資本はもっぱら有利な海外投資に向けられ、フランスは「ヨーロッパの高利貸し」と呼ばれ、特に露仏同盟の成立(1891年~94年)後はロシアへの投資が増加しました。

フランス植民地
アフリカの列強植民地

 フランスは、対外的には1880年代以後チュニジアやインドシナを獲得し、イギリスに次ぐ広大な植民地を領有し、国内では、1875年に第三共和政憲法が成立し、第三共和政の基礎が確立しましが、小党分立の傾向が強く、政情はなお不安定でした。

 フランスでは、普仏戦争の敗北後対独復讐心が強まり、ドイツに対する反感から軍部や右翼が台頭し、第三共和政はブーランジェ事件(1887年~89年)やドレフュス事件(1894年~99年)によって重大な危機に直面しました。

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ジョルジュ・エルネス・ジャン=マリー・ブーランジェ(Georges Ernest Jean-Marie Boulanger、1837年4月29日レンヌ - 1891年9月30日)

ブーランジェ事件
ブーランジェ(1837年~91年)は、普仏戦争に従軍し、師団長を経て陸相に就任します(1886年~87年)。
彼は対独強硬策を唱え、「復讐将軍」・「ビスマルクを尻込みさせた男」と渾名されて愛国主義者・右翼・一般民衆の人心を集めます。
王党派やボナパルト派はブーランジェを引き入れて共和政を打倒し、軍部独裁政権の樹立を企てました。

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ブーランジェ事件の風刺画

 ブーランジェが、パリの補欠選挙で大勝すると(1889年1月)、興奮したパリの民衆は街頭に犇めき、クーデターの危機は目前に迫ったかにみえたが、ブーランジェが土壇場で実行を躊躇い、クーデターは未遂に終わります。
これに驚いた政府が不穏な団体を解散させ、ブーランジェ派の指導者を起訴するとブーランジェはベルギーに亡命し、欠席裁判で終身禁固刑の判決を受けると数ヶ月後に自殺します。

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階級を剥奪されるドレフュス大尉

ドレフュス事件
 1894年夏、パリのドイツ大使館から一通の手紙が盗み出されてフランス陸軍省の手に落ちました。その中にはフランス陸軍の機密文書の名が列記されており、フランス陸軍省の中にスパイの存在が明らかになり、捜査が行われてユダヤ人の砲兵大尉ドレフュスがドイツのスパイ容疑で逮捕され(1894年)、軍法会議に処されます。

 ドレフュスは無罪を主張しますが、ユダヤ人ドレフュスを早く処分せよと云う世論の高まりの中で、陸軍は事件の処理を急ぎ、ドレフュスを有罪として終身禁固刑を言い渡し(1894年12月)、官位を剥奪して南アメリカのフランス領ギアナ沖の悪魔島(ここへ送られたが最後、生きて帰れないことからこう呼ばれた)へ送ります。

 1896年、陸軍省情報部長の調査によって真犯人はエステラジー少佐であることが明らかになりますが、陸軍は体面を保つ為に揉み消しを図りますが、真犯人が別にいる事が知れると再審を求める世論が、巻き起こりますが、軍部は威信を保つ為に再審を拒否して反ユダヤ主義や拝外主義を煽り、エステラジーを形式的に軍法会議にかけて無罪としました。

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軍法会議のドレフュス

 エステラジー裁判から2日後(1898年1月13日)、フランス自然主義の代表的な作家であるゾラ(1840年~1902年)は「私は弾劾する」と名付けられた大統領宛の公開質問状を新聞に発表し、軍部の不正・横暴を攻撃してドレフュス擁護の論陣を展開しました。

 ドレフュスの再審を要求する運動は増々激しくなり、その一方で再審反対運動も激しさを増し、その結果、再審派と反対派の対立は、ドレフュス個人の有罪・無罪の問題を越えて共和政の擁護と共和政打倒の戦いとなり、国論を二分する政治問題に発展しました。
再審要求運動が更に高まる中でようやく再審が行われますが、軍法会議はドレフュスに再び有罪判決を下しますが、ドレフュスは大統領特赦で釈放され(1999年)、その後も復権運動が行われ、再再審で終に無罪と復権が確認されました(1906年)。

 ドレフュス事件は共和政の存続を脅かす出来事でしたが、この出来事によってかえって共和派の団結が強まり、又ドレフュス事件を機にユダヤ人のシオニズム(ユダヤ人の国家をパレスチナに建てようとする運動)が始まりました。

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ピエール・ワルデック=ルソー(Pierre Waldeck-Rousseau, 1846年12月2日 - 1904年8月10日)

 1899年に成立したヴァルデック・ルソー内閣(1899年~1902年)は「共和政防衛内閣」と呼ばれ、社会主義者も含めた全共和主義派の支持の下で、軍部・カトリック教会・右翼の攻撃から共和政を守ることを目的に組織され、政治改革・社会改革に取り組みました。

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英仏協商の風刺画

 共和政防衛内閣の成立によって第三共和政は安定しましたが、フランス人の間にはドイツに対する警戒心が依然として強く、露仏同盟(1891年~94年)や英仏協商(1904年)を結んでドイツに対抗しました。

 ドレフュス事件でドレフュス擁護に活躍したジョレス(1859年~1914年)は社会党(統一社会党)の結成に大きな役割を果たし、社会党(統一社会党)はフランスの社会主義政党や団体の連合組織として1905年に結成されます。
又、フランスの労働運動では、議会主義を否定して労働組合の直接行動・ゼネストによって革命を目ざすサンディカリズムが19世紀末から盛んになって行きます。

ジョークは如何?

ポーランド人が鶏小屋に忍び込んだ
人気を察した飼い主が銃を構えて呼びかけた

「おい!そこに誰かいるのか?」
「誰もいません旦那様、おらたち鶏だけでがす」

続く・・・

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秋葉奈津子様 こんばんは。

朝雨が降れば夕方は晴れ間が広がり、
何となく梅雨の感じがしません。
でも夜の温度が24℃前後になり、
夏らしくなってきた感じがします。

平家物語の冒頭に出てくる沙羅双樹の白い花が咲いています。
嵐山の天竜寺の参道に!~2本ありましたが、
右京区の妙心寺塔頭「東林院」の庭で見られます。
本堂の前に10本ほど植わっているとのことでした。

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葉山左京様 こんばんは。

29日の夕方から30日の朝にかけて、北部九州は猛烈な雷雨に見舞われました。
長崎県の壱岐では、15年ぶりの豪雨で被害も出ています。
北九州もそれほどではありませんが、雨は室内にも響く程でした。
又、雷も凄かったです。
この様な長時間続く雷も珍しいですが、降り過ぎる雨も困ったものです。

沙羅双樹、京都等の古都を連想する名前ですね。
太宰府付近にあっても良さそうでうが、此方では見る事の出来ない花です。
この様な名前を聞くと、大学時代、太宰府天満宮で巫女のアルバイトをしていた時を思い出します。

秋葉奈津子様 こんばんは。

蒸し暑い夜を迎え、
窓を開放しても全く涼しくありません。
熱帯夜が近ずいて来ました。

太宰府天満宮で巫女のアルバイトを
されたことがあるのですか。
すごいですね。
私も太宰府天満宮何度か訪れたことがあります。
もうずいぶん昔の話ですが。

TVニュースで大雨の情報が出ていました。
長崎は50年ぶりの大雨だとか、
被害が出ないように願うしかないですね。

葉山左京様 こんばんは。

7月になったとたんに蝉の声を聞きました。
蝉取りに夢中になった、子供の頃を思い出します。
梅雨前線が北上した北部九州は、雲は相変わらず多いものの、少々蒸し暑さを感じます。
未だ、風と通しの良いところは、涼しいですが・・・。
夏が好きなのは、子供の頃だけのようです。

今回の豪雨は、壱岐の方が凄かったようです。
今回の雨は、降っている時間が、大変長くしかも中々、雨足が衰えまでんでした。
室内でもゴーと云う音が響き、怖かったですよ。

巫女のアルバイトは、大学の1年から3年の時、春の受験シーズンが中心でした。
私は、巫女装束を着ていましたが、配置は会計でした。
専門が会計学なので、現金管理の部署で、勿論参拝の方々の誘導や、神事の補佐もしましたが、圧倒的にディスクワークが多かったです。
何か少々ロマンを求めてのアルバイトでしたが、仕事は正に現実の世界でした。

秋葉奈津子様 こんばんは。

太宰府天満宮の巫女のアルバイトは良い思い出の青春の一コマですね。
素晴らしいですね。
私はこれと言った思い出があまりないものですから。

夕方からの雨がまだ降り続いています。
台風3号が来ているようで、
日本縦断の様相です。

被害が出なければいいのですが、
九州も近畿も心配です。

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葉山左京様 こんばんは。

今日は蒸し暑い夜になりました。
午後。空が真っ黒になり、激しい雨が1時間位降った後、お天気が一気に回復。
強い日差しに水分が蒸発して、一気に蒸し暑い陽気になりました。
雨のおかげで、久しぶりに綺麗な夜空が広がっています。
弱い台風が接近していますが、進路が気になる処です。

巫女のアルバイト、天満宮側も良く考えたもので、英文科等外国語専攻の学生は、外人さん等の案内、説明役、国文学専攻は、古典を踏まえた解説役等で、結構カッコ良いのですが、私の様な実業系学部学生は、売店や出納等に配属される事が多い様です。
でも、確かに巫女装束に身を包んだこの時期は、良い思い出になりました。

秋葉奈津子様 こんばんは。

今日は暑い一日で34℃の暑さでした。
さすがに暑さに強い私も参りました。

京都はこんなに暑くても外国からの観光客は減りません。
最近は白人客も増えました。
しかも子供連れが多いですね。

マナーの方は相変わらず悪いですが、
最近は慣れてしまいました。
こんなことではいけないのですが。


葉山左京様 こんばんは。

台風3号接近中。
暴風域の無い、熱帯低気圧に近い台風なので、余り心配はありません。
台風の影響で、今日の朝は比較的涼しい風が吹いています。
7月上旬の台風が九州にやって来るのは、異例の事です。

京都は流石に暑いですね。
盆地の構造が、災いしているようです。

マナーの悪い外国人は、中国や韓国等色々と耳にします。
来日する時は、日本の慣習について、勉強位しろと言いたくなりますね。