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2017/08/24

歴史を歩く169

38アフリカ・太平洋地域の分割②

1列強のアフリカ分割(その2)

 フランスは、七月革命の直前にアルジェリアに出兵し(1830年7月)、その後直轄領として(1842年)植民地化を進め、更にアルジェリアを確保する為に19世紀後半以後チュニジアにも進出しました。

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フランスのチュニジア侵攻・フランス軍によるスファックス侵攻

 チュニジアにはイギリス・イタリアも進出を図っていましたが、1878年のベルリン会議ではフランスの優越が認められ、フランスは1881年に首都チュニスを占領し、チュニジアを保護国とします。
その後フランスはサハラ砂漠に進出し、フランス領西アフリカ(1894年に領有)とフランス領コンゴを領有すると、アフリカ西海岸と紅海入り口の要港ジブチ(1888年フランス領)を結びつける大陸横断計画を立ててスーダンに進出しますが、これがフランスの横断政策(アフリカ横断政策)です。
フランスの横断政策とイギリスの縦断政策はスーダンで衝突し、1898年にファショダ事件が発生します。

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マルシャン大尉(1863年~1934年)

 フランスは横断政策を実現する為に、マルシャン大尉(1863年~1934年)を指揮官として原住民の兵士200人からなる探検隊をフランス領コンゴからスーダンに向けて出発させました(1896年)。
マルシャンは2年の歳月を要しながら1898年7月にナイル河畔のファショダに到着しました。

 一方イギリスも再びスーダンへの進出を図り、1896年にキッチナー将軍(1850年~1916年、南ア戦争時のイギリス軍総司令官)をスーダンに派遣した。キッチナーは2万5千の軍隊を率いてナイル川を遡り、マフディーの軍隊を撃破し、此方も2年を要してハルツーム(ゴードンが戦死した地)に入城しました。

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カイロからケープタウンに電線を引くセシルローズの風刺画

 キッチナーは、ハルツームでマルシャン大尉がファショダに到着しているとの情報を得て、ファショダに急行し、マルシャンと会見して撤退を求めますが、マルシャンは応ぜず、問題の解決は本国政府間の交渉に移されました。
両国の世論は激昂し、英仏の関係は一触即発の状況に成りますが、結局フランスが譲歩政策をとってマルシャンに撤退を命じ、翌1899年に両国間で協定が成立しました。
この協定によってイギリスのスーダン進出が認められ、フランスはナイル川の通商権を得たに留まり、イギリスの縦断政策が勝利します。

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英仏協商締結記念絵葉書(踊るブリタニアとマリアンヌ)

 その後イギリス・フランス両国は、ドイツの進出に対抗するために1904年に英仏協商を結び、エジプトにおけるイギリスの、モロッコにおけるフランスの優越権を相互に承認して妥協策を選択します。
この結果、スーダンへの道を断たれたフランスはモロッコへ向かい、二度にわたるモロッコ事件を経て、1912年にモロッコを保護国としました。

 ドイツは、ビスマルクの方針により、1880年頃迄は植民地経営に乗り出しておらず、アフリカ分割に加わろうとしたときには、列強による分割がほぼ終わっていました。
ビスマルクはベルリン会議(1884年~85年)を開いてアフリカ分割の原則を定めますが、かえってアフリカ分割競争を激化させる結果になります。

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ドイツ領東アフリカ(ドイツ帝国植民地軍)

 ドイツは西アフリカから東アフリカの分割に割り込み、赤道直下のカメルーン(1884年)・ドイツ領東アフリカ(タンガニーカ、1885年)・西南アフリカ(1885年)・トーゴランド(1884年)を獲得していきました。
更に20世紀には、ヴィルヘルム2世のもとで植民地の拡大を目ざし、1905年と1911年の二度にわたってモロッコ事件を引き起こします。

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タンジール事件(タンジールを訪問するドイツ皇帝ヴィルヘルム2世)

 1904年の英仏協商で、モロッコにおけるフランスの優越権が認められると、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は1905年3月、突然タンジール港に上陸し、フランスのモロッコ進出に反対を表明、列国会議の開催を要求しました。
この第1次モロッコ事件(タンジール事件、1905年)によってドイツ・フランス間に緊張が極度に高まり、開戦の危機が叫ばれます。

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アガディール事件の風刺画

 翌1906年に開かれたアルヘシラス会議では、イギリスが強力にフランスを支持した結果、ドイツは譲歩せざるを得ず、モロッコはフランスとスペインの勢力範囲となります。
その後もモロッコに対する野望を捨てきれないドイツは、1911年7月にフランスがベルベル人の抵抗を鎮圧するために出兵すると、アガディールに軍艦を派遣してフランスを威嚇し、ドイツ・フランス間に再び緊張が高まります(第2次モロッコ事件、アガディール事件、1911年)。

 しかし、この時もイギリスが強力にフランスを支援した為、ドイツは独仏協定(1911年11月)によってフランスのモロッコ保護権を認め、その代償としてフランス領コンゴの一部を獲得しました。

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アドワの戦い
 
 統一が遅れ、分割へ加わる事も遅れたイタリアは、チュニジアの植民地を画策しますが、フランスがこれを保護国とすると(1881年)、翌1882年に紅海に面するエリトリアを植民地とすることを宣言して1885年に占領、更にソマリランドを保護領とし(1889年)、エチオピア併合に進みます。

 イタリアは、1895年にエチオピアに侵入しますが(第1回エチオピア戦争、1895年~96年)アドワの戦いで大敗し(1896年3月)、エチオピアはフランスから武器の援助を受け、ゲリラ戦でイタリアに勝利して独立を維持しました。

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イズミル奪還後、コナク広場に入るトルコ軍首脳

 その後イタリアはフランスのモロッコにおける優越権を認める代償として、トリポリでの優越権を認められ、イタリア・トルコ戦争(1911年~12年)でトリポリとキレナイカを占領し、1912年にリビア(トリポリ・キレナイカ)を併合しました。

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コンゴ探検家ヘンリー・スタンリーと先住民の少年

 ベルギー王レオポルド2世(在位1865年~1909年)はコンゴ国際協会(1876年に設立、1882年に改称)を設立し、コンゴ川流域にスタンリーを派遣して調査させ、コンゴ川流域を協会の保護下に置き、ベルギー国王の私有地としてのコンゴ自由国(1885年~1908年)はベルリン会議で認められ、レオポルド2世は鉱山開発等を進めましたが、その統治が暴虐であるとの国際的な非難を受け、1908年には本国議会の管理下に置かれ、ベルギー領コンゴとなりました。

 こうして20世紀初頭には、アフリカの9割以上が列強の支配下に置かれ、独立を保ったのは僅かにエチオピア帝国とリベリア共和国だけでした。

 リベリア共和国は、1821年にアメリカで解放された黒人奴隷の居住地としてアメリカ植民協会が開拓し、翌年から植民が開始され、1847年に独立を宣言し、アメリカ合衆国憲法にならって共和制を実施します。
国名のLiberiaはliberty(自由)から付けられ、首都モンロヴィアはアメリカ合衆国第5代大統領モンローの名に因んでいます。

名言集

天才とは、山の頂上まで蝶を追う幼い少年である。

Genius is a little boy chasing a butterfly up a mountain.

ジョン・スタインベック


続く・・・


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コメント

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秋葉奈津子様 こんばんは。

京都は37℃の熱々の一日でした。
このところ猛暑日が続いています。
バスや地下鉄は半袖では寒いほど、
冷房を効かせています。

薄い長袖の上着が必要ですね。
秋分の日が来ても涼しくならないのでは、
と疑問に思うことがあります。

私の団地にも毎日のように救急車がサイレンを鳴らして、
やってきます。
体調を崩す人が多いようです。
秋葉さん
お気を付けください!

秋葉奈津子様 おはようございます。

やっと夜が明けだしました。
東の空が明るくなりましたが、
雲が多い一日になりそうです。
今日も厳しい蒸し暑い朝です。

この暑さにめげず外人観光客の多い事です。
小さな子供連れや大家族での観光が目立ちます。
今は民泊が認められて泊まりのホテル代が、
安くなったことも一因でしょうか。
とにかく公共の乗り物は、
すごく多いですね。

葉山左京様 こんばんは。

今日も暑い1日です。
夕方から、雲が広がり、日没後は雷光が激しく光っています。
辛うじて、本降りの雨の前に帰宅。
残念ながら、ジロくんの散歩は無理でした。
せっかくの雨ですが、今ひとつ降り足りません。
地面はカラカラに乾き、刈った草等1日で乾燥してしまう程です。
早く、涼しい季節になって欲しいものです。

水分の摂取が、尋常ではありません。
勤務先には、スポーツドリンクと烏龍茶をストックしていますが、皆、1日に2本は飲みますね。
確かに、冷房の効きすぎは、結構あります。
外から入った時は、良いのですが、一歩外にでると立眩みがしそうな程の温度差です。
本当に気を付けなければなりません。

処で、外人さん。
日本の暑さは大丈夫でしょうか?
学生時代、フランスからの留学生が、バテた経験があるので、気になりました。

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秋葉奈津子様 こんばんは。

今朝は多少なりとも涼しく感じられました。
お!秋の訪れかと錯覚しそうでしたが、
昼間は相変わらず暑いですね。

白人観光客はほとんどが男女とも短パンが多いです。
むき出しの肌に暑いと思いますが、
結構平気な顔で観光を楽しんでいるようです。
黄色人種も同じでしょうか。

葉山左京様 こんばんは。

昨日からの雨が、涼しさを運んできました。
夕方から気温も30度を切り、今は25度になりました。
湿度が下がり、暑さを全く感じません。
昨日迄のあの蒸し暑さは、いったいなんだと思ってしまいます。

虫の音が、今日は大きく聞こえます。
ジロくんも、散歩の足取りは、軽やかでした。
明日も朝晩は涼しい事を祈ります。

外人さんは、結構肌を出しても気にしませんね。
之は、住んでいる国の位置にも関係があります。
ヨーロッパの主要国やアメリカ、カナダは日本より高緯度にあるため、肌を出した方が涼しく感じます。
日本は中位度で、気温も高く、ある程度直射日光を遮蔽しないと、肌を焼いてしまいます。
多分、欧米の皆さんの短パンは、結構暑いと思いますよ。
何より、日中のアスファルトの温度をモロに受けるのですから。

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秋葉奈津子様 こんばんは。

南の空に下弦の月が出ています。
久し振りに夜空を見上げた気がします。
北の風がかなり強く窓から吹き込んできて、
爽やかな夕暮れでした。

明るいときはツクツクボウシが鳴き、
夜は虫の声が聞こえます。
そして入道雲から千切れ雲やうろこ雲に変わりつつあります。

自然界で生きているものは人間よりも敏感に、季節の移ろいを感じているようです。

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秋葉奈津子様 こんばんは。

虫の声がかなり強く聞こえてきます。
秋と夏が混在し
時には涼しく感じることもありますが、
やはり昼は30℃越で暑いですね。

多少は夏バテ気味でしょうか、
食欲がない時があり、
用心しなくてはと自分自身に言い聞かせています。

残暑が厳しいので体調にご注意ください。

葉山左京様 こんばんは。

夜明けが、6時前になりました。
5時半に起きる私には、薄明るい中で、起き出すにはちょっと勇気がいります。
未だ、布団が恋しい時期ではないで、助かります。

蝉の声もめっきり減り、夜の虫の音は一段と大きく聞こえます。
もう、夜の散歩での蒸し暑さは、解消さてようで、夜風が気持ち良い時もあります。
8月も残り僅か。
9月になれば、今年1年もカウントダウンが始まります。

私も少々夏バテ気味で、食欲が今一つ足りません。
此れも水分補給と関係が有るようです。
若い頃は、真夏でもハンバーガーにコーラでしたが、今では、そうめんだけです。
時には、ハンバーガー、ピザ、フライドチキンとも思いますが、いざ買いに行くかと言えば、止めてしまいます。

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秋葉奈津子様 こんばんは。

今の時期はあっさり系の食事が多いですね。
休みの日の昼は冷やしそうめんが多いです。
こちらは播州の揖保乃糸か奈良の三輪そうめんが多く売られています。

今年は暑さが長引いて、
コスモス畑のコスモスは10月にならないと
満開にならないとか、
そんな話が飛び交っています。
例年ですと9月20日頃が見ごろなのですが。

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秋葉奈津子様 おはようございます。

曇り空の朝を迎えています。
まだ外は薄暗いですね。
今朝は風がヒンヤリとしています。
少しずつ風も変化しているようですね。

朝の時間はセミの声は全く聴くことが出来なくなりました。
虫たちも草花ももう秋へ、
移行していますね。

葉山左京様 おはようございます。

8月も今日と明日で終わりですね。
この時期、子供の頃の事を思い出します。
夏休みが始まった頃は、これから1ヶ月以上休めると、ワクワクしたものです。
そして、毎年、8月の終わりが近づくと、夏休みの思い出や、家での生活を懐かしく思ったものでした。

今年は、7月、8月と北九州では、余り夏らしいお天気が少なかった様に思います。
蝉達の声も殆ど聞こえなくなり、秋に向かっている事を実感します。

7月の大雨の影響で、果物の値段が高くなりました。
野菜も葉物系を中心に高値が続いています。
思い出したみると、今年はひまわりの姿を余り見かけた記憶がありません。
普通なら、子供さんの居るご家庭では、朝顔かひまわりの花が姿を見せるのですが。
やはり、気候の変化なのでしょうか?