歴史を歩く199
42アジアの情勢⑥
5インドの独立運動

ローラット委員会 (Rowlatt Committee) の長、シドニー・ローラット (Sydney Rowlatt)
第一次世界大戦が勃発すると、イギリスはインドに戦後の自治を約束し(1917年8月にインド担当相モンタギューが行った)、インドの協力を求め、インドに住む人々はその約束を信じ、120万の兵員を動員し、物資を供給してイギリスに協力しました。
しかし、1919年に公布されたインド統治法では州自治の一部が与えられただけで、人々の期待した自治の約束には程遠いもので在り、その上イギリスは、1919年3月にローラット法を発布し、逮捕令状無しの逮捕・裁判抜きの投獄を行う権限をインド総督に与え、インドの民族運動を弾圧しました。

アムリットサル虐殺事件
1919年4月13日、パンジャーブ地方のアムリットサル(アムリツァール)で開かれた自治の約束無視とローラット法発布に対する抗議集会に集まった約1万人の群衆にイギリス軍が発砲し、約400人が死亡し1000人以上が負傷するというアムリットサル虐殺事件が起こり、インドの反英運動は激化して行きますが、この時期にインドの民族運動の指導者として、反英独立運動の先頭に立った人物がガンディーでした。

モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー:Mohandas Karamchand Gandhi、(1869年10月2日 - 1948年1月30日)
ガンディー(1869年~1948年、マハトマ・ガンディーのマハトマは「偉大な魂」の意味)は西部インドの下級官吏の家に生まれ、ロンドンに留学して(1888年~91年)弁護士となり、帰国後南アフリカに渡ってサティヤーグラハ(サティヤーは真理、グラハは把握の意味、ガンディーはこの言葉に非暴力抵抗の意味を与えた)の運動を指導し、人種差別政策と闘い(1893年~1914年)、帰国(1915年)後国民会議派に加わって、インドで活動します。

イギリス商品ボイコット、インド綿を紡ぐガンディー
ガンディーは、第一次世界大戦では自治の約束に期待して、イギリスに協力しますが、戦後約束が守られないと、「我々はパンを求めて石を与えられた」とイギリスの背信に強く抗議し、ローラット法が施行されると非暴力・不服従(サティヤーグラハ)の運動を指導し(第1次1919年~22年、第2次1930年~34年)、大戦中から反英的になっていた全インド・ムスリム連盟も国民会議と提携した為(1920年)、イギリス商品のボイコット・イギリスの行政機関への非協力・公立学校の生徒の退学・商店の自主的休業・地租支払い拒否等の運動が全インドに広がりました。

非暴力・不服従を呼びかけるガンディー
しかし、1922年2月に蜂起した農民が警察署を襲って警官22名を殺害する出来事が起きると、ガンディーは不服従運動の中止を宣言したものの逮捕され、6年の懲役に処せられます。
ガンディーは2年後に釈放されますが、その後数年間は政治から離れ、以後国民会議派内の分裂やヒンドゥー・イスラム両教徒の対立等も在り運動は停滞しました。

ジャワハルラール・ネルー(ネール) ( 1889年11月14日 - 1964年5月27日)
この頃、国民会議派内ではネルー(ネール)を指導者とするより急進的なグループ(国民会議派左派)が台頭しており、ネルー(ネール、1889年~1964年)は、アラハバード市で富裕なバラモン階級の弁護士の家庭に生まれ、イギリスに留学してケンブリッジ大学を卒業し、弁護士の資格を得て帰国(1905年~12年)し、弁護士となったネルーはガンディーと出会って国民会議派に入り、民族運動に身を投じ(1920頃)、国民会議派の若手の政治家として活躍、1920年代後半からは国民会議派の指導者と成りました。

塩の行進
1929年12月、ネルーの指導のもとで開かれた国民会議派ラホール大会では「プールナ・スワラジ(完全なる自治)」が宣言され、このラホール大会を機に運動は再び激化し、翌年から第2次の非暴力・不服従運動(1930年~34年)が始まりました。
1930年3月、再び運動の先頭に立ったガンディーは製塩禁止法に反対して360kmに及ぶ有名な「塩の行進」を行ない、再び逮捕されます。

第2回英印円卓会議出席の際、喜劇王チャップリンと会談するガンディー
翌年釈放されたガンディーは、ロンドンで開かれた第2回英印円卓会議(イギリスがインドの独立運動の高まりを抑えるために指導者をロンドンに招いて開いた会議)に出席しますが、何ら成果のない会議に絶望して帰国し、3度目の逮捕を経験します(1932年1月)。
1934年に国民会議派を引退したガンディーは、その後不可触賤民の地位向上運動に従事し、彼等をハリジャン(神の子)と呼びました。

ガンディーとネルー
イギリスは指導者を逮捕・投獄する一方で英印円卓会議(1930年~32年)を開く等、弾圧と懐柔をくり返す中で、1935年には新インド統治法(改正インド統治法)を制定します。
新インド統治法では連邦制と各州の責任自治制が導入されますが、インド人の完全独立の要求は無視され、かえってその導入をめぐってヒンドゥー教徒の国民会議派とイスラム教徒の全インド・ムスリム連盟の対立が深まっていきました。
名言集
Because there is bondage,
I can fly.
Because there is sorrow,
I can fly high.
Because there is adversity,
I can run.
Because there is tears,
I will move forward.
束縛があるからこそ、
私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ、
私は高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ、
私は走れるのだ。
涙があるからこそ、
私は前に進めるのだ。
続く・・・
5インドの独立運動

ローラット委員会 (Rowlatt Committee) の長、シドニー・ローラット (Sydney Rowlatt)
第一次世界大戦が勃発すると、イギリスはインドに戦後の自治を約束し(1917年8月にインド担当相モンタギューが行った)、インドの協力を求め、インドに住む人々はその約束を信じ、120万の兵員を動員し、物資を供給してイギリスに協力しました。
しかし、1919年に公布されたインド統治法では州自治の一部が与えられただけで、人々の期待した自治の約束には程遠いもので在り、その上イギリスは、1919年3月にローラット法を発布し、逮捕令状無しの逮捕・裁判抜きの投獄を行う権限をインド総督に与え、インドの民族運動を弾圧しました。

アムリットサル虐殺事件
1919年4月13日、パンジャーブ地方のアムリットサル(アムリツァール)で開かれた自治の約束無視とローラット法発布に対する抗議集会に集まった約1万人の群衆にイギリス軍が発砲し、約400人が死亡し1000人以上が負傷するというアムリットサル虐殺事件が起こり、インドの反英運動は激化して行きますが、この時期にインドの民族運動の指導者として、反英独立運動の先頭に立った人物がガンディーでした。

モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー:Mohandas Karamchand Gandhi、(1869年10月2日 - 1948年1月30日)
ガンディー(1869年~1948年、マハトマ・ガンディーのマハトマは「偉大な魂」の意味)は西部インドの下級官吏の家に生まれ、ロンドンに留学して(1888年~91年)弁護士となり、帰国後南アフリカに渡ってサティヤーグラハ(サティヤーは真理、グラハは把握の意味、ガンディーはこの言葉に非暴力抵抗の意味を与えた)の運動を指導し、人種差別政策と闘い(1893年~1914年)、帰国(1915年)後国民会議派に加わって、インドで活動します。

イギリス商品ボイコット、インド綿を紡ぐガンディー
ガンディーは、第一次世界大戦では自治の約束に期待して、イギリスに協力しますが、戦後約束が守られないと、「我々はパンを求めて石を与えられた」とイギリスの背信に強く抗議し、ローラット法が施行されると非暴力・不服従(サティヤーグラハ)の運動を指導し(第1次1919年~22年、第2次1930年~34年)、大戦中から反英的になっていた全インド・ムスリム連盟も国民会議と提携した為(1920年)、イギリス商品のボイコット・イギリスの行政機関への非協力・公立学校の生徒の退学・商店の自主的休業・地租支払い拒否等の運動が全インドに広がりました。

非暴力・不服従を呼びかけるガンディー
しかし、1922年2月に蜂起した農民が警察署を襲って警官22名を殺害する出来事が起きると、ガンディーは不服従運動の中止を宣言したものの逮捕され、6年の懲役に処せられます。
ガンディーは2年後に釈放されますが、その後数年間は政治から離れ、以後国民会議派内の分裂やヒンドゥー・イスラム両教徒の対立等も在り運動は停滞しました。

ジャワハルラール・ネルー(ネール) ( 1889年11月14日 - 1964年5月27日)
この頃、国民会議派内ではネルー(ネール)を指導者とするより急進的なグループ(国民会議派左派)が台頭しており、ネルー(ネール、1889年~1964年)は、アラハバード市で富裕なバラモン階級の弁護士の家庭に生まれ、イギリスに留学してケンブリッジ大学を卒業し、弁護士の資格を得て帰国(1905年~12年)し、弁護士となったネルーはガンディーと出会って国民会議派に入り、民族運動に身を投じ(1920頃)、国民会議派の若手の政治家として活躍、1920年代後半からは国民会議派の指導者と成りました。

塩の行進
1929年12月、ネルーの指導のもとで開かれた国民会議派ラホール大会では「プールナ・スワラジ(完全なる自治)」が宣言され、このラホール大会を機に運動は再び激化し、翌年から第2次の非暴力・不服従運動(1930年~34年)が始まりました。
1930年3月、再び運動の先頭に立ったガンディーは製塩禁止法に反対して360kmに及ぶ有名な「塩の行進」を行ない、再び逮捕されます。

第2回英印円卓会議出席の際、喜劇王チャップリンと会談するガンディー
翌年釈放されたガンディーは、ロンドンで開かれた第2回英印円卓会議(イギリスがインドの独立運動の高まりを抑えるために指導者をロンドンに招いて開いた会議)に出席しますが、何ら成果のない会議に絶望して帰国し、3度目の逮捕を経験します(1932年1月)。
1934年に国民会議派を引退したガンディーは、その後不可触賤民の地位向上運動に従事し、彼等をハリジャン(神の子)と呼びました。

ガンディーとネルー
イギリスは指導者を逮捕・投獄する一方で英印円卓会議(1930年~32年)を開く等、弾圧と懐柔をくり返す中で、1935年には新インド統治法(改正インド統治法)を制定します。
新インド統治法では連邦制と各州の責任自治制が導入されますが、インド人の完全独立の要求は無視され、かえってその導入をめぐってヒンドゥー教徒の国民会議派とイスラム教徒の全インド・ムスリム連盟の対立が深まっていきました。
名言集
Because there is bondage,
I can fly.
Because there is sorrow,
I can fly high.
Because there is adversity,
I can run.
Because there is tears,
I will move forward.
束縛があるからこそ、
私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ、
私は高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ、
私は走れるのだ。
涙があるからこそ、
私は前に進めるのだ。
続く・・・
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コメント
秋葉奈津子様こんばんは。
また25号が来ているようですが、
地球温暖化によって、
今後はもっと強い台風が来襲する恐れがありますね。
地球温暖化の停止が急がれます。
緑の木々を伐採しすぎて、
CO2の削減を疎かにして、
人間のやっている行為は自分の首を絞めているのと一緒なのに、
自国の事ばかり考えている為政者達。
困ったことですね。
2018-10-01 21:25 葉山左京 URL 編集
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2018-10-01 23:38 編集
葉山左京様 おはようございます。
朝晩の気温は、20度を下回り、薄着ではもう居られません。
日中は25度前後で、心地良い気温です。
彼岸花や百日紅の花の季節が、終わりました。
今は、葉鶏頭が大きくなって、花を咲かせています。
10月、北九州も未だ、本格的では在りませんが、時折北西の風が吹いてきます。
後一月もすると、木枯らしが吹くことでしょう。
地球の気象変動は、特に中位度地域の自然環境破壊が、影響しています。
中央アジアの砂漠化は、その最も顕著な例でしょう。
アラル海は、殆ど水を失い、中国西部では、砂漠が東に向かって広がっています。
この地域では、もう植林も間に合う事はなく、それまでの草原地帯が、砂漠に飲み込まれています。
ちょうど、風の谷のナウシカで、腐海が人間を脅かすように、砂漠が人間を脅かしています。
2018-10-02 07:35 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様こんばんは。
15℃くらいです。
あの夏の暑さが嘘のようです。
また台風25号がやってきていますね。
今度は朝鮮半島に行くのでしょうか。
もう日本縦断は勘弁してほしいですね。
地球の砂漠化が進んでいるようですね。秋葉さんが言われる通りだと思います。
それに気が付いていても、
対策を練らない人間たち。
困ったことです。
2018-10-02 20:25 葉山左京 URL 編集
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2018-10-02 22:52 編集
葉山左京様 おはようございます。
私は、ポロシャツの上にトレーナーを一枚重ね着していまます。
虫達の音も減ってきた様に思えます。
日中は暖かさを通り越して、暑さを感じる事も未だ多いですが、夏の様にジメジメしていないので、爽やかな感じです。
街路の桜並木の葉が、黄色くなり、一部で散り始めています。
台風25号は、予報通りなら、東シナ海から対馬海峡を抜けるコースを進みそうです。
北部九州には、最悪のコースになりそうなので、心配しています。
2018-10-03 06:51 秋葉 奈津子 URL 編集
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2018-10-03 23:39 編集
秋葉奈津子様こんばんは。
もう完全な秋ですね。
これからは寂しい夕暮れ時が訪れます。
気温が下がり、
肌が寒くなると、
暖かい赤ちょうちんを思い出します。
ちょいと熱燗を飲んで体を温めるのが楽しみになります。
酒飲みの言葉でした!
2018-10-04 20:51 葉山左京 URL 編集
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2018-10-04 22:17 編集
葉山左京様 こんばんは。
台風の中心は、対馬海峡の北側を通りそうなので、北部九州への直撃はなさそうですが、明日の9時頃から昼頃迄は、暴風域が掠めて行きそうです。
旧風域には、今夜半から入るので、次第に風が強まって行く事と思います。
明日は、大荒れの天候に成りそうですが、1分でも早く通り抜けて貰いたいものです。
今日は、湿った南東の風が吹き、気温が上がっています。
赤提灯。
かぐや姫のナンバーに同名の曲が在りましたね。
哀愁の漂う歌詞が、好きです。
2018-10-05 17:56 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様こんばんは。
TVニュースで台風の状況を伝えていました。
九州でも特に北九州の状況を伝えていましたので心配しております。
京都市内は特に影響はないようです。
風が少し強い程度でしょう。
但し明日の気温は30℃と伝えていましたので、夏に逆戻りです。
2018-10-05 21:26 葉山左京 URL 編集
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2018-10-05 22:55 編集
秋葉奈津子様おはようございます。
今は雲が切れています。
風は多少強いですが、
蒸し暑さが激しいですね。
これも台風の影響でしょうね。
桜の葉が色ずいてきました。
まだわずかですが、
しかし秋の訪れを告げています。
2018-10-06 05:44 葉山左京 URL 編集
葉山左京様 こんばんは。
天気図の上では、一部暴風域、終日強風域に入っている様に見えますが、実際は、雨も殆ど降らず、強い風が忘れた頃に吹く程度でした。
午後の一時期、関門橋が通行止めに成りましたが、既に解除になっています。
日本本土に影響が少なかったことが救いでした。
この台風が今年最後であって欲しいものです。
北九州では、時折吹く強い風でも、木々の葉はしっかりとしています。
此方でも、今日は気温が上昇して、生暖かい風が吹いていました。
明日以降は、お天気回復の模様です。
2018-10-06 18:01 秋葉 奈津子 URL 編集
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2018-10-06 23:51 編集
秋葉奈津子様こんばんは。
やっと涼しい日々がやってきたと思ったのですが、
台風25号が暑さを持たらしました。
今は窓下の金木犀の香りが漂って、
木らしい雰囲気になっては来ています。
台風25号の影響が北九州はなくて幸いでしたね。
こちらも大したことはなかったようです。
後は涼しくなり、晴天になれば上々です。
2018-10-07 20:30 葉山左京 URL 編集
葉山左京様 おはようございます。
今回の台風は、九州でも停電の被害が、長崎で起こりました。
電気への依存率が高い、現在の生活様式では、本当にライフラインです。
これから秋も一段と深まる事でしょうが、自然災害だけは、勘弁していただきたいものです。
今、金木犀の香りに季節を感じています。
流石に北部九州では、蒸し暑さは無いですね。
盆地の京都は、此方では大分県日田市に気候が似ていますよ。
今年は、エルニーニョの影響で、暖冬傾向だそうですが、どうなる事でしょうか?
2018-10-08 09:21 秋葉 奈津子 URL 編集
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2018-10-08 23:29 編集
葉山左京様 おはようございます。
金木犀の香りが、漂い秋を実感しています。
昨日、突然長年愛用の携帯電話が、壊れました。
カードの認識が出来なくなり、お店に行った処、故障とか!
これを機会に契約条件の見直しも行いましたが、希望する機種の取り寄せで金曜日になるとか。
僅かな期間ですが、この間は固定電話とPCメールで凌ぐしか在りません。
携帯電話、無いとやっぱり不便です。
2018-10-09 07:57 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様こんばんは。
一旦なくなると、
本当に不便ですね。
私も経験があるのでよくわかります。
朝晩が寒いくらいに冷え込んできますので、
体が大分楽になりました。
でもこれ以上は冷え込まない方がいいのですが、
欲を出しても無理ですね。
また四季があるから日本らしくてよいのでしょうね。
2018-10-09 22:39 葉山左京 URL 編集
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2018-10-09 23:00 編集
秋葉奈津子様こんばんは。
夕方はからりと晴れていました。
秋の天気はさらりとして涼しいのですが、
まだ蒸し暑く感じるときもありますね。
それでも段々気温だ下がってくるようで、
秋が深まっていきます。
10月22日は時代祭が開催されます。
京都御所から平安神宮までの短い距離ですが、
平安時代からの衣装が楽しみです。
晴れるといいのですが。
2018-10-10 20:19 葉山左京 URL 編集
秋葉奈津子様こんばんは。
秋が深まってきた感じがします。
コスモスの花が満開になり、
秋の青空に映えるさまはきれいですね。
紅葉はハナミズキの葉が赤く染まりだしました。
夕方真っ黒な雲が出ていましたが、
雨があまり落ちてきてはいません。
秋の晴れ間が続くといいのですが。
2018-10-11 21:32 葉山左京 URL 編集
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2018-10-11 23:16 編集
葉山左京様 おはようございます。
日中も風がなければ、心地良いのですが、風が吹くと結構寒さを感じます。
今日は、久しぶりに良いお天気です。
朝日の昇る位置が、気が付くと可也南に移動しています。
これから、冬支度も序々に始めなければなりませんね。
昨日の夕焼けは、北九州でも空を真っ赤に染めていました。
秋の夕焼け鎌を砥げとは、昔からの諺ですが、今日の朝は、本当に良いお天気です。
このまま良いお天気が続けば、お祭りも無事に済むでしょう。
私も一度、自分の目で、時代絵巻を見て見たいと思います。
北九州では、未だコスモスの花はそれ程多く咲いていません。
これから開花が始まると思います。
今、金木犀の黄色い花と香りがいっぱいです。
PS:早いもので、昨年の入院騒ぎから、1年目が巡ってきました。
2018-10-12 08:28 秋葉 奈津子 URL 編集
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2018-10-12 22:27 編集
葉山左京様 おはようございます。
日中は、体を動かすと半袖でも大丈夫ですが、朝晩はトレーナーが必用です。
北九州市内でもコスモスの開花が始まり、校庭や公園では、綺麗な花を咲かせています。
桜並木が、黄色くなって来ましたので、もう直ぐ散り始める事でしょう。
今日も良いお天気に恵まれそうです。
2018-10-13 09:23 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様こんばんは。
実際は12℃の寒さになりました。
やはり朝は毛糸のセーターが必要でした。
紅葉が少しずつ進んでいますが、
真っ赤な実を付けたハナミズキが
もう染まって散り始めています。
後はまだまだの感じです。
今の時期の花と言えば、
やはりコスモスでしょうね。
2018-10-13 21:12 葉山左京 URL 編集
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2018-10-13 22:36 編集
葉山左京様 おはようございます。
北九州市でもコスモスが開き始めましたよ。
昨日、午前、愛犬ジロくんが他界しました。
12歳8ヶ月8日。
家族になって12年7ヶ月余り。
老衰でした。
最後に大きく尻尾を振って挨拶してくれました。
病気もせず、本当に良いワンくんでした。
2018-10-14 06:35 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様こんばんは。
寿命を全うしたのですね。
秋葉さんに感謝の最後の尻尾振りでしょうね。
哀悼の意を表します!
寂しくなりましたね。
今日は雲が多い寒い一日でした。
これからはこんな日々が続くことでしょうね。
2018-10-14 17:52 葉山左京 URL 編集
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2018-10-15 00:04 編集
秋葉奈津子様おはようございます。
まだ日が昇る兆候が見られません。
外が暗いと冬に向かっているのがよくわかります。
朝晩15℃前後まで気温が下がってきましたので、
もう完全な冬支度になりました。
まだ北九州はそれほどでもないのでしょうか。
季節の変わり目です、
お体大事にお過ごしください。
2018-10-15 05:49 葉山左京 URL 編集
葉山左京様 こんばんは。
これから、どんどん日中の時間が短くなっていきます。
夜の時間が、長いと生活のリズムも夜中心になって来る様な気がします。
10月も中旬、今年も後2ヶ月余りになりました。
1年が本当に早く感じます。
流石に北九州では、暖房は少し早いかも知れませんが、次の休みにはストーブ等の準備をする予定です。
明け方の気温は、17度から18度位あるので、未だ寒さを感じる事はありませんが、11月になると、関門海峡を北西の季節風が吹くようになると、グンと気温も下がってきます。
ジロくんへの哀悼の言葉有難うございます。
最後まで、病気もせず頑張ってくれた事に感謝しています。
1週間位前までは、部屋の中で自由奔放に生活していましたが、10日辺りから一気に衰弱が始まったようです。
暫くは、ジロくんを偲んで、生活します。
2018-10-15 18:41 秋葉 奈津子 URL 編集
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2018-10-15 23:42 編集
葉山左京様 おはようございます。
昨日の日中は、1枚脱がないと暑い位でした。
やはり、これくらいの気温が、一番心地良く感じます。
今、北九州市内では、コスモスが、公園や学校の校庭で色とりどりの花を咲かせています。
桜の葉は黄色から赤茶色に代わり、銀杏の葉も少しづつ緑が薄くなっています。
残念ですが、最近はススキを見かける事が、まずありません。
以前は、お彼岸前後から今頃迄、結構群落を見た記憶があるのですが、最近は姿を消しているようです。
ジロくんが逝ってしまってから、散歩の機会が減ってしまいました。
一人で歩くのは、寂しいので、今は引きこもり生活です。
2018-10-16 07:37 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様こんばんは。
ススキの背が伸びて、
穂が出てきました。
まだ白くなるには日にちが必要な感じです。
ジロ君なくなって寂しいでしょうが、
今気候がいいので、
散歩は出られた方がいいのではないでしょうか。
健康維持のためにも!
2018-10-16 21:16 葉山左京 URL 編集
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2018-10-16 22:43 編集
葉山左京様 こんにちは。
今日も良いお天気で、気温も高めです。
朝晩は15度位迄、下がりますが、慣れてくると寒い感覚は在りません。
木々の色付きも、ちょっと止まったようです。
今日は、遠くまではっきりと見渡せ、本州の宇部、小野田が手に取るようです。
散歩したいのですが、散歩道にでると、未だどうしてもジロくんを思い出してしまいます。
引越して2ヶ月余りですが、つい先日迄毎日歩いていた道は、ジロくんの姿が現れて辛い気持ちになります。
以前の城野町は、それ以上です。
もう少し、気持ちが落ち着いたら、散歩も再開しましょうか?
2018-10-17 12:34 秋葉 奈津子 URL 編集
秋葉奈津子様こんばんは。
気持ちが落ち着いてからの方が、
散歩される気になれるでしょうね。
遊歩道の雑草刈りが始まり、
今年最後の刈り取りになるでしょう。
ススキの穂が出始めて、
まだ白い穂にはならない状況で
刈り取られなくなってしまいそうです。
2018-10-17 19:49 葉山左京 URL 編集
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2018-10-17 23:22 編集
葉山左京様 こんにちは。
風も少し冷たく感じます。
朝は冷え込み、夜露で、びっしょりと濡れていました。
これから、暖房器具のお世話になる事も多くなる事でしょう。
初代、2代のジロくんが逝った時も、暫く散歩はしていませんでした。
到るところに、思い出があって、辛かったからです。
夢に現れる歴代ジロくんは、思い出の風景の中に現れます。
今でも眼を閉じて、当時を思い出すと時、背後の風景は当時のままです。
2018-10-18 12:39 秋葉 奈津子 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2018-10-18 22:40 編集
葉山左京様 おはようございます。
昨晩からの雨は、夜半には止みましたが、今日は北から、黒い雲が来る度に激しい雨が降ります。
雨が止むと陽が射し、又雨の繰り返し。
雨のためか、昨晩は殆ど虫の音を聞きませんでした。
いつも、聞こえている虫の音が聞こえないと、何となく寂しです。
お天気が回復しますように!
2018-10-19 09:57 秋葉 奈津子 URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2018-10-27 00:03 編集