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2009/10/10

歴史の?その4

<ナイル河の水源を求めて・Ⅱ>

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 ネロから100年後、エジプトのアレクサンドリアに居た、地理学者プトレマイオスは、アフリカの地理に関する著作で、ナイル河が上流で、青ナイルと白ナイルに分岐し、青ナイルは、東の湖(タナ湖)より注ぎ、白ナイルは、「月の山」の雪解け水が流れ込む二つの湖が、源流であるらしいと書いています。
彼の説は、後年、正しい事が証明されました。
その後、イスラム勢力の拡大と共に、イスラム教徒によるアフリカ探検も行われましたが、特にナイル河の源流を探った者はいませんでした。

 18世紀終盤、ヨーロッパ人のアフリカ植民地政策が進行するに伴い、調査、探検も進み青ナイルの水源は、いち早く確認されたものの、本流である白ナイルの水源は、以前謎のままでした。

 しかし、イギリス人スピークスは、ヴィクトリア湖が白ナイルの水源であると推定し1860年に調査を行い、彼の友人であるベーカーも1864年、ヴィクトリア湖の西側に位置する、アルバート湖もナイル河に注ぐ事を発見しました。
アルバート湖の南には、更にいくつかの湖が存在し、それらの水がアルバート湖に流れ込むのならその湖も又、ナイル河の水源となります。

 この状況を実際に調査したのが、リヴィングストンで、彼は只の探検家では無く、キリスト教の伝道師でもあったので、彼は布教を進めながら、ナイル河の源流探索に燃え、一時は、行方不明を伝えられた程でした。

 アメリカのスタンレーは、1871年の初め、ある新聞社からリヴィングストン探索の命を受けて、アフリカに渡りました。
その年の秋、終に彼はタンガニーカ湖の湖岸で、リヴィングストンに出会う事ができたのです。
リヴィングストンは、その後も熱心にナイル河の源流を求め、ルアラバ川がその源流に違いないという間違った考えのまま1872年5月に他界します。

 スタンレーは、一時帰国の後、リヴィングストンの志を引継、1874年からアフリカを探検し、ルアバラ川が、ナイル河ではなくコンゴ河の上流である事を証明し更に後年の探検で、アルバート湖の南、エドワード湖もナイル河の水源である事を発見しました。

続く・・・
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