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2009/10/15

歴史の?その9

<殷王墓の怪奇>

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 殷王墓の内部は、戦前の調査で、ほぼ確認されていました。
夥しい数の人間の首が埋められている事も・・・。
しかし、実際の発掘作業は、想像を絶するものと成りました。

 3500年程の昔、中国の黄河の流域に殷王朝が、繁栄し、その殷の都が、殷墟であり、有名な甲骨文字をはじめ、多くの貴重な歴史的遺物が出土しました。
殷墟の調査が、進行すると共に、周辺からは、当時の墓も発見され、殷墟の西方、侯家荘付近では、10箇所の大墓と1000に及ぶ小墓が存在し、大墓は、殷王の墓と推定されました。
墓所の内部は、壮絶な光景で、何十もの殉死体、無数の人間の首、これらが墓の主の棺の周りに、又は上下に、埋葬されていました。

 ここで、中国大陸は、日本との戦争、そして内戦の時代となり、国民党政府が台湾に敗走する時、殷墟の遺物や発掘記録も持ち去られてしまいます。
1949年10月、中華人民共和国の成立と共に、学術調査も再開され、殷の遺跡発掘調査も更に広い地域で、再開されました。
最初は、侯家荘近郊の武官村における発掘で、戦前の調査で、この場所が殷時代の遺構である事は、確認されていました。

 そこは、やはり大墓でした。
中央の墓室の巨大さからも、王墓である事は、間違いないものの殉死者の人骨が、夥しく現れ、やがて巨大な木棺の上部が現れました。
王の棺を被う槨と思われるその部分は、33平方メートルの広さがあり、その上面と同じ高さ迄土が盛り上げられ、広い墓室は、その槨の高さで広い平面を構成しているが、その回りには、男女50体に及ぶ殉死者の遺骨があり、それぞれ身の回りの品々と共に埋葬されていました。
巨大な木棺の中は、残念ながら遥かな昔に盗掘され、その主の亡骸も副葬品も消えていましたが、槨の深みは2.5メートル、墓所の深さは7.5メートルの深さになります。
墓室の南北は、長い墓道で、北側の墓道には、馬が16頭、武人が2名、犬4匹が互いに向かい合う様に埋葬され、南側も同様でした。

 此れが、大墓の全容ですが、更に周囲の小墓からは、150体を超える殉死者の遺骨が発見されました。
この膨大な殉死者は、黄泉の国で、王が生前と同様な暮らしが出来る様、共に旅だった人々と考えられますが、殷王朝では、王が崩御すると幾人もの人間が、その葬礼為に命を落とす、その模様は、現在の私達に想像を絶する光景である事だけは、間違い有りません。

続く・・・
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